40、50のおばさんが、「一生恋はしていたい」などと言っている。気色悪いがそれが女の感性か?「老いらくの恋」などと持て囃したりはするが、40、50男が「最後の恋をしたい」などと言い出すならいい加減気色悪い。オヤジならオヤジらしく「楽しく遊べる男」でいたらどうなんだ?男女関係において「男は真剣交際は考えていない」といわれたりする。
女も思わせぶりで実際は違ったりする。そもそも「真剣交際」とは何だ?真面目独身男が女にアプローチするとき、「結婚を前提にした交際を望みます」といったりするが、「前提」という言葉は便利がいいよ。中学で野球部に入った少年が、「プロ野球選手を前提に頑張ります」。歌唱教室に通い始めた少女が、「歌手になるのが前提です。努力します。」などと言う。
「前提」とは何だ、「前提」とは?ある物事が成り立つための、前置きとなる条件、と辞書にある。まあ、そういうことだろう。それでは聞くが、「結婚を前提に交際、というのはどういう交際なんだ?」幾人かの女に聞いた事がある。「マジメに付き合うこと」、「真剣に付き合うこと」、「遊びじゃない付き合い」などと、返ってくるのはどれも同じでつまらん。
「マジメって何だ?」、「真剣って何だ?」、「遊びじゃないって何だ?」と問い直す事もあったが、それも飽きてくる。面白い反応や答えを引き出したいなら、こういう言葉を突きつける。「エッチをしない付き合いじゃないのか?」これに対する反応や、実に面白い。まるでドッキリカメラにかかったような唐突な顔と、すぐに出てこない返答加減が笑えるのだ。
相手の性格にもよるが、40年、50年前なら、「そうだと思う」と躊躇いなく答える女は多かったろう。純潔教育の申し子たちは、結婚までは処女を守りたいが社会通念であった。社会通念とか、洗脳教育というのはおぞましい。どこかの屋根の下で男が覆いかぶさっても、「イヤよ、そこはダメ」とか、事前に「Bまでよ」とか、本能に逆らって制約を保持していた。
「A、B、C」なんかとっくに死語だ。ちなみにAはキスまで、Bは性交以外、Cは性交アリ。日本エレキテル連合のあけみちゃんの、「ダメよ~ダメダメ」が受けているようだが、なんと小学生にも浸透しているという。いつの時代もテレビの影響は教育者にとって悩みの種。友人に「『アラレちゃん』だけは絶対に子どもに見せない」というカタイカタイおやじがいた。
あけみちゃんは未亡人との設定であるらしいが、おじさんの誘いに「ダメよ」と答えるのが今の時代に新鮮なのではないか?小学生があの場面の本質を理解し、「ダメよ」を身につけるなら、あのコントは立派な道徳教育となり得る。昔はどこで覚えたのかいい年こいた女が、「いや~ん、バッカ~ん」などと作ったセリフを、それもワザとらしく色っぽく発していた。
それに比べてあけみちゃんの「ダメよ~ダメダメ」は毅然としているように聞こえる。まあ、自分があの場面におけるあけみちゃんの心情を分析するとだ、あけみちゃんはおじさんに求愛の言葉をたくさん言わせたいんだな。また、あのおじさんが不器用にも、純情に、断られながらも悪びれず、どんどん言ってくるものだから、あけみちゃんもそう言わざるを得ない。
オーム返しのあけみちゃんを口説く「殺し文句」があるとするなら、ああいう場合はもう言葉に頼らず一枚一枚服を脱がせた方がよい。あけみちゃんもそうされながら「ダメよ~ダメダメ」といいながらも、脱ぎ易いように腕・肘をサポートしてくれるはずだ。あの「ダメよ~」は社交辞令であるのはそこいらの男には分っても、小汚いおじさんにはわからないのだろう。
女として至福の時であろう。心が緩んでいるのに、拒否ってるときの自分を、緩んだ自分が外から眺めながら、男に言い寄られている時間の心地よさ、それが女というものだ。真からイヤという声を聞いた記憶はないが、「作りイヤ」には上手い下手のランクがある。あけみちゃんは、かなり下手ランクだが、おじさんがカワイイだけに通用しているのだ。
「イヤよイヤよもイイのうち」という慣用句は、奈良~平安時代から確立されていた女の方便である。いや、言行不一致が女の特質なら、卑弥呼の時代から言われていたかも知れん。本心でいうならこれほど辛い言葉はない。本気の「だめよだめだめ」で浮かぶのが、1968年発売された森進一の『年上の女』。一番から三番まで「だめよ~だめだめ」の詞が入っている。
どのシュチエーションも女の辛さ、切なさが伝わる「だめよだめだめ」であり、ここまで自制心の強い女の心情、詩にすれば美しい。三つの「だめ」の最初は相手に言う「だめ」で、あとの二つは自分に言い聞かせる「だめ」。女は感情コントロールするの大変よ。男も若い頃は同じ、気に入ったコにロックオンしても一途な男で通ったが、50過ぎてそれはナイ。
50歳ともなれば理想は吉川晃司。プロとしてカラダは鍛えはするが、白髪は放置。あれで染めていたらな~んもカッチョよくな~い。健康のため、腹筋、腕立ては必須だが、若く見せようと頑張るは痛々しい。男の真価は50歳からで、それ以下はクチバシ黄色いひよこ男。「やっぱり女は、デキる男と金持ちにしかなびかない…」と決めつけるモテナオヤジよく聞けー。
カネや才能とは関係ない!オヤジならではの「人間力」があるのだと。「人間力」とは日常些細な場面に顔を出す。それ、それ、それが女たちが「モテオヤジ」と認めたチョイ悪オヤジの共通トレンドか。ただし、「モテてどうしよーってわけでもない」などというオヤジはモテる意味はない。モテてどうしよーってわけがあるオヤジのみ、モテるべきである。
50歳といえばもはやモテるモテないに関係なく、女に媚びることなく「おっさん道」を行く年代だ。"おっさんの前に道はない、おっさんの後に道はできる"といえばアントニオ猪木は「No!」という。彼は自身の引退試合でこう言った。「人は歩みを止めたときに、そして挑戦を諦めたときに、年老いていくのだと思う」。なるほど、猪木はだから朝鮮を諦めないのだ。
猪木はその後に上のように述べている。その猪木議員は次世代の党を離党していたことが16日、明らかになった。次世代の党は衆院選で公示前の20議席から2議席と議席を大きく減らす大惨敗を食らったばかりで、猪木氏の離党は衆院選後、永田町周辺でささやかれていた。北朝鮮問題など独自の外交に力を入れる猪木氏とは当初から方向性のズレが指摘されていた。
昨年7月の参院選では逆風にさらされていた旧日本維新の会から立候補した猪木氏だが、選挙活動では「維新」の2文字を全く使わない異例の選挙戦を展開。それでも抜群の人気で比例トップとなる35万6605票を獲得し、維新の当選者数を大きく押し上げる原動力となったものの、政策や思想の相違は当初から指摘されており、特に北朝鮮外交をめぐっては水と油だった。
昨年11月、国会会期中に平譲を訪問した猪木氏は参院から登院停止30日の処分を受けた。一方、維新からはより重い党員資格と党副幹事長職の50日間停止を言い渡された。2014年8月の日本維新の会分党に際しては、石原慎太郎共同代表を支持するグループ「次世代の党」に加わり、党国民運動局長および参議院政策調査会長に就任した。離党の理由は?
猪木氏は語ってないが、次世代の党は元航空幕僚長の田母神俊雄氏が副代表を務めるなど右傾化が加速。猪木氏の存在は宙に浮く格好となったのだろう。猪木氏が北朝鮮に拘る理由このように述べている。「あるスポーツ紙に先生(力道山)の娘が北朝鮮にいるとの記事を見て北朝鮮との縁が始まった。娘さんの年齢は私と近いが、ご主人は体育協会会長を務めていると理解している。」
また、親北関係者という非難に対して、「日本は北朝鮮と国交もない状況で対話の窓口もすべて閉じてしまった。日本人拉致問題はもちろん深刻な案件だ。しかし拉致問題と国交正常化は別問題だ。拉致日本人会などが私にあまり友好的ではないのも知っている。しかし私が金永南などの北朝鮮高位官吏らと親睦があり、唯一のチャネルだと判断しているようだ。」 と答えている。
金正日は猪木のファンであったと言うが、息子の金正恩は猪木など屁でもないなら、彼の訪朝が日本の国益かどうかは疑わしい。ところかまわず「元気ですか~!」の声を発し、国会で注意も受けている。北朝鮮で親善勲章第1級を授与された際にも「元気ですか~!」とやって驚かせた。国会は粛々とすべきところだが、どこでも自己流パフォーマンスを通す猪木議員である。
2014年7月で28回の訪朝だ。真剣交際の定義は分らないが、猪木個人は北朝鮮は真剣外交の相手のようだ。「外交に勝者なし」と言う。国益と国益の凄まじいぶつかり合いが言葉の真意で、どちらも半歩さがって譲り合わなければ成立しないものだが、日本のようにお人好し外交といわれる相手国家なら"丸得く"もあり得るかも。北朝鮮はそれを狙っているのか?
日本は真剣外交、あちらはお遊び半分…、遊ばれてるってのは意外と気付きにくいものだ。同様、男に遊ばれる女も気付きにくいのだろう。いいじゃないか、だったら女も遊んでしまえば。遊びがいけないわけでもない、減るものでもないんだから。50過ぎの「老いらくの恋」とて所詮は終る。何度やったところで恋は束の間。永遠の恋だと?求めたところで幻想だろ。
「人は恋愛によっても、満たされることはないのである。何度、恋したところで、そのつまらなさが分る外には偉くなることもなさそうだ。むしろその愚劣さによって常に裏切られるばかりであろう。そのくせ、恋なしに、人生はなりたたぬ。所詮人生がバカげたものなのだから、恋愛がバカげていても、恋愛のひけめになるところもない。バカは死ななきゃ治らないというが、我々の愚かな一生において、バカは最も尊いものである。」
と、好きな文章だから数度ブログに書いたから作者は臥す。「老いらくの恋」とは歌人川田順の言葉である。東京帝国大学に学び、住友財閥の筆頭重役にまで栄達した川田が、弟子と恋愛の後に家出したいわゆる「老いらくの恋事件」だが、「墓場に近き老いらくの、恋は怖るる何ものもなし」と詠んだことから生まれた語。いかに秀才、いかに才人といえど恋に狂う。
趣味・道楽に狂うように恋に狂ってもいいが、相手は京都帝国大学教授中川与之助の妻俊子であった。俗にいう不倫のそれだ。ただし、姦通罪が存在していた時期(廃止になったのは1947年10月)でもある。俊子もまた歌人であり、順は俊子の師でもあった。実業家でもあり当時63歳の順は、妻を亡くして独り身だった。俊子の積極さもあってか中川との離婚が成立する。
新所帯が持てる条件がととのったにもかかわらず、順は自殺を図る(京都法然院の妻和子の墓に頭を打ち付ける)。自殺の理由は、分別というものを身につけた年長者であり、公人でもあり、さらには俊子の夫中川と親交があったそのことが彼の心に重く圧し掛かった。中川を欺き、その妻を奪ったことに対する罪の意識であろう。川田は苦しみ、死をもって償おうとする。
しかし、一命を取りとめたが多くの憶測を生んだのは、自殺未遂の二週間後に川田は結婚を決意した。二人は結婚をきっかけに京都を去り、国府津で新生活を始める。買い物かごをさげ、肉や野菜だけでなく配給などを受け取りにゆく日々。自分で食事の支度をすることも少なくなかったというお手伝いさんのいた生活から、ささやかな夫婦二人の日々へ転換した。
そのうちに俊子の子どもも同居するようになる。筆一本による収入は、住友財閥理事だった経歴にとって、それなりの苦労もあったろう。歌人川田順の後半生に起きた大きな事件は、世俗的には波紋をなげかけたかもしれないが、望んだ恋を成就でき、二人の幸せの度合いは歌に継がれて行くはずである。しかし、プライドの高い川田には、その当時の歌がこう詠まれている。
あくせくと新聞社めぐり灯のつくころ数寄屋橋をば再びわたる
待たされて受付の前に立つ久しここまで吾はおちぶれにけり
「おちぶれにけり」は、順の正直な気持ちであろう、川田順という人間の性格がこの歌に表れている。11月30日を「シルバーラブの日」だと?川田と俊子が駆け落ちをした日が由来らしい。日本人は記念日を作るのが好きらしい。二人の恋愛を描いた辻井喬の小説『虹の岬』は映画にもなった。その後、川田は1966年84歳で死去、俊子は2006年96歳で長逝した。
辻井喬とは西武流通グループ代表などを務めた堤清二のペンネームである。彼は『虹の岬』で第三十回谷崎潤一郎賞受賞した。その堤も以下のように述べている。「一定の美意識とでも言うべきものは、その裏付けが必要だと思うのだが、この点になると僕はお手上げに近いのだ。というのは、ほとんど大抵のものに感心してしまうからである。」
なるほど、堤が美意識なんてものを標榜しない人でよかったのかも。が、"ほとんど大抵のものに感心してしまう"ためには、教養も智慧も必要であろう。巷では24歳差のおしどり夫婦と持て囃された三船美佳(32)と、高橋ジョージ(56)の離婚が決定的との報道だ。すでに離婚調停は決裂、美佳が離婚を求めて提訴しているとの状況である。三船は16歳のバースデー結婚をした。
それでいいと思っていたが、年数を重ねるうちにつまらなくなってきた。まだ32歳の遊び足りない盛りなら所帯じみた生活より、新たな自由を求めたいなら別れたらいい…。16歳のミーハー少女の幻想と思えば責める言葉もない。ミーハー過ぎれば目が覚める事もあろう。30代になって自立した女として生きてみたいと気づいたなら、ジョージも離してやったらどうだ?
お前はもう彼女にとってお役目御免の男で、ミーハー女と一緒にいたと思う事だな。結婚は一方が飽きたらオワリで、それを止めぬは体面死守の虚飾の生。籍を入れたままの仮面夫婦は、別々個々の楽しみを模索する。籍を抜かないから不倫という刺激も味わえる。これが現代人の快感の源泉だろう。規則や法を破る刺激はたかだか交通違反といえどもたまらない。
「恋」というのは極めて価値観の少ない時代の人間の言葉であって、何でもアリの現代人が使うのはおこがましい。たとえ使ったとしても、昔の人の言う「恋」とは雲泥の差であろう。思い込む人間には分らない。「恋」などといわず、シュールに「刺激」といいなさい、正直に…。「性交」の口実といいなさい、悪びれず…。