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女性の道を切り拓いた人たち ⑧

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荻野吟子、福田英子、管野スガと来て、伊藤野枝で少し立ち止まってしまった。スガも野枝も30に満たない年齢で世を去ったが、「短くも燃えた」野枝らに関心を抱いていた。されど樋口一葉も24歳の短命だが、どちらが美人?どちらが秀才?どちらが淫乱?などと下世話な比較はともかく、生き方の差において伊藤野枝の魅力は、お札の肖像になど選ばれない奔放さである。

あらためて、野枝の魅力とはなんだろう?長年思うことだが、一言では言えない。男目線でいうなら多情淫奔なところ?遊び好き女は、遊び好き男と同じように、そぞろ魅力に長けている。遊び女の魅力一切が遊びからもたらせるものであるなら、貞淑な女というのは、男が女を性的独占する上で、単に都合のいいということに過ぎず、斯くの女を魅力的と言わない。

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家事・育児に精を出し、求めば脚を開く。これがかつての定番女。坂口安吾は、「悪妻論」でこう述べる。「思うに多情淫奔な細君はいうまでもなく亭主を困らせる。困らせるけれども、困らせられる部分で魅力を感じている亭主の方が多いので、浮気な細君と別れた亭主は、浮気な亭主と別れた女房同様に、概ね別れた人に未練を残しているものだ。」

20代では分からない文意。さらに、「しからば悪妻は良妻なりやといえば、必ずしもそうではない。知性なき悪妻は、これはほんとの悪妻だ。多情淫奔、ただの動物の本能だけの悪妻は始末におえない。(中略) 才媛というタイプがある。数学ができるのだか、語学ができるのだか、物理ができるのだか知らないが、人間性というものへの省察に就いてはゼロなのだ。

つまり学問はあるかも知れぬが、知性がゼロだ。人間性の省察こそ、真実の教養のもとであり、この知性をもたぬ才媛は野蛮人、原始人、非文化人と異らぬ。まことの知性あるものに悪妻はない。そして、知性ある女は、悪妻ではないか、常に亭主を苦しめ悩まし憎ませ、めったに平安などは与えることがないだろう。」と、まるで伊藤野枝のことを言っているようだ。

安吾は1906年(明治39年)生まれ。野枝は1895年(明治28年)生まれ。ひと回りの差があり、安吾は野枝を知っている。野枝が殺害された1923年(大正12年)、坂口は17歳の多感な青年期。辻潤は野枝に捨てられ、浮浪みだれ、酒みだれ、女食みだれ、半狂みだれをしてたのしむことで、彼にとってはもっとも生きにくい戦時をゆうゆうと生きていたようである。

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と、これは潤と野枝の子であり、詩人で画家の辻まことの言葉。女に棄てられた男の惨めさ、精彩のなさ、そういう男を幾人知ってはいるが、なぜに男は女に棄てられるとガタガタになるか?女は切り替えが早いが、その先男はこの世の地獄を全うする。いつまでも引きずる女もいるにはいるが、これは恋愛依存体質であるから、SEX依存に切り替えるべし。

さて、1916年(大正5年)4月に野枝が大杉栄の許へ走り、『青鞜』は無期休刊となる。再び刊行される事はなかった。大杉という男は、「いっぺん会えばどんな女でも参ってしまう」との噂が絶えず、敵をもなつかせる天成の社交家だったようだ。吃音でありながら、それすら魅力だった。大杉には妻がいた。神近市子という愛人もいた。市子は青鞜社社員である。

当初、野枝は大杉と恋愛関係になるのは控えるつもりでいたが、市子の挑戦的な態度に気変わりし、辻との間にできた次男流二を連れて大杉の胸へ飛び込んだ。辻は自分の役割はとっくに終わったと止めなかった。大杉と野枝は、姦夫姦婦として世間の非難を浴びた。それまで同士から人望も厚かった大杉だったが、この事件を契機に誰も寄り付かなくなった。

野枝は流二を里子に出し、大杉と水いらずの同棲を始める。が、困窮する大杉を経済的に支えていたのは市子であった。そこに若い野枝が割り込み、大杉もご熱心とあっては市子もたまらない。市子は二人の後を追い、神奈川県三浦郡葉山村(現在の葉山町)の日蔭茶屋で大杉を刺傷、首に重傷を負わせる。市子は殺人未遂で有罪となり、懲役2年の刑にて服役する。

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くそマジメな男より女たらしがモテるのは、女を口説くに長け、女の心を上手く弄ぶからであろう。吃音という障害がありながら、「どんな女もひと目でまいる」との異名を有する大杉である。平塚らいてうが心中事件を起こした森田草平も負けてない。第四高校時代に女子学生と問題を起こして退学、文学講座の講師でありながら生徒のらいてうと関係を持つ。

日本女子大を卒業したばかりの熱心な禅の修行者であり、美人で真面目なお嬢さんが何故に妻子ある男と心中逃避行を…?誰にも分からぬ謎に俗な答えを馳せるなら、「目覚めた」ということだ。目覚めた女には怖いもの知らずの怖さがある。どこまでも堕ちる女ゆえに、女子教育は必要とされた。良家、上品、才媛、美貌、いずれも感情の歯止めにならない。

『村に火をつけ、白痴になれ 伊藤野枝伝』の著者栗原康は、「恋愛やセックスにルールなんてない」というが、もう一つ、「人格」も付け加えておきたい。互いが纏った衣を剥ぎ取って動物となる。動物は人にあらずで、よって人格はない。することをした後でなら、人に戻って裸身を恥じる。かくして交尾期のない人間は、動物よりもスケベになった。

スケベを恥じることはない。逃避行などは自ら世間に淫乱を公言しているようなもので、それが男にはなぜか魅力女に映る。「英雄色を好む」という言葉はあれども、「才媛色を好む」という言葉はないが、抑圧の強い女ほど反動が強いのは、その筋の男なら誰でも知っている。女性解放家は男に例えると「英雄」の部類であるなら、実際は「色」を好むハズ。

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田嶋陽子も、上野千鶴子もおそらくそうであろうハズだが、不細工な上に高邁な自尊心をひけらかして男が寄り付くハズもない。彼女らは自身に素直に、下半身に素直になって男に依存するのが許せなかったのだろう。「男はやる」、「女はやられる」という言葉は、覆すことのできない性器の物理的構造上から生まれた言葉である。それを認めず女性解放だと?

有名どころをあげれば、福田英子、管野スガ、伊藤野枝、平塚らいてう、与謝野晶子、宇野千代、瀬戸内晴美など…。瀬戸内は、「自分が天性の淫乱であったら、51歳で出家などしていない」との自己弁護が彼女らしい。51歳で男を断って、「淫乱じゃない」には笑えるが、彼女にとって男絶ちはキツかったにしろ、自由主義者でない彼女の弁解であろう。


スガも野枝も淫乱女と罵られた。彼女たちは多感な20代で世を去っている。瀬戸内が20代で出家し、淫乱でないと胸を張るなら理解もできようが、他人には詭弁として聞こえる言葉も彼女にとっては50代で衰えぬ性欲は切実だったようだ。人の本心は詭弁に解されたり、あるいは人の詭弁も本心ではと穿ったりする。仕方がない、人の心は見えないゆえに。

言葉や文章は、「言う」、「書く」がすべてで、それを表現という。さらには、表現されたものを介して、「表現されなかったもの」、「表現できないもの」を発見し、創造するのが聞き手や読み手の享受作業ということになろう。あえて、「作業」といったように、「文学」といわれる類は、読み手の創造的参加によって、意味の実現がなされて始めて作品は完成する。

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大学の文学部においては、表現論としてこうした操作を学ぶ。手記や自伝やエッセイや記事も広義の文学だが、高尚な文学作品と同列の創造的参加すべきものとは思わない。むしろ、表現主体としての実践に意義を見出す社会学部的操作であろう。他者はともかく自分にとってのブログとは、書く活動をとおして自己の内面の可能性を現象化する時間である。

自身の心の中を、意思を、客観的に眺め、提示することによる、自己対話である。それがまた時間を経ると、書いてる時、即ち「今」とは思いが異なる。それがまた新鮮さを感じる。自分という人間の多面性を実感もする。ポール・ゴーギャンに、『我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか』という作品があるが、我々を一人称に変えて、まさに「自分は?」である。

「まとめる」もない、「まとまらない」も意に関さない、感じることを感じるままに書きなぐる乱文だが、自分は挨拶原稿など書いた事がない。恥、失敗、体裁とかはどうでもよい人種である。理由は、そういう自分が好きだから。書式は硬いが、心は開けっぴろげの自由闊達。だからか、自由に生きた人を好む。瀬戸内のような後で体裁を整えるのはダメだ。

野枝と大杉は自由がたたって抹殺された。あげく、証拠隠しのために井戸に投げ込まれた。ひどいことをするが、当時はひどいことをしたという程でもなかった時代である。「自由とは個々の好みの問題ではなく、それがなければ人間として生まれた意味がない」という程に重要かつ、切羽詰まったテーマを、あの時代に言葉と行動で示した二人である。

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大杉の、「美は乱調にある、諧調は偽りだ」という言葉を敬愛する。「自由」という言葉に全身が焦げ付くほどの憧れを抱いていた青少年期の遺物は、今なお健在である。思想家としての大杉や野枝は、「自身が自由になるためには、社会全体が自由にならなければならない」と実践した。そうした先人の「大志」に畏敬を抱きながら、ちまちまブログを書いている。


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