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女性の道を切り拓いた人たち ⑦

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野枝には想い焦がれる男がいた。その人は女学校の英語教師辻潤である。心中慕う辻に野枝は自分の苦しい立場を打ち明けずにいられなかった。郷里に旅立つ朝、野枝はすべてをふり捨てて、辻とともに上野竹の台で開かれていた青木繁の遺作展に出かけた時、上野の森で辻から骨も砕けんばかりの抱擁を受ける。それが野枝の奥に潜む女に火をつけることとなる。

野枝は沸き立つ血を抑えることはできず、一端郷里に帰ったものの、夫を捨てて東京に奔った。そうして染井の辻の上に転がり込む。あからさまな野枝の行動は、女学校に波紋を起こす。学校長は辻に、「伊藤に尽くしたいのなら、辞表を出してやってもらいたい」と迫り、辻は学校を辞職、野枝との恋愛を選ぶ。辻は後にこのころを回想してこう述べている。

「昼夜の隔てなく二人は情炎の中に浸った。初めて自分は生きた。あの時、僕が情死していたら、如何に幸福であり得たことか」。男と女の欲情、繁殖外情交というのは、大脳前頭葉の異常発達が生んだ。生殖のためならず、結合力としての性を獲得した人間に、動物のような繁殖のための交尾期がない。この点において動物と人間は交尾目的を異にした。

姦通罪が存在した旧憲法下にあって、夫のある野枝は収監覚悟の行動である。辻は29歳、野枝は17歳であった。姦通罪は必要的共犯として夫のある妻と、その姦通の相手方である男性の双方に成立する。また、姦通罪は夫を告訴権者とする親告罪だが、告訴権者である夫が姦通を容認していた場合には、告訴は無効とされ、罰せられないものとされた。

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二人は「姦通罪」で摘発されそうになるが、野枝の叔父の取りなしにより、籍を抜いて事なきを得る。二人の間に子どもが2人生まれたが籍はいれていない。後に辻は野枝の従妹と浮気をし、一時は関係が悪化するが、辻との関係を繋ぐために籍を入れる。結婚制度を否定する野枝は、不倫だ愛人だの叩かれて動じぬばかりか、「姦通罪」に憤慨する女であろう。

1912年(明治45年)上野高等女学校卒業して、郷里に帰るも夫を拒んで上京し、辻潤と同棲を始めた野枝は、10月に青鞜社員となり編集に参加する。『青鞜』は、生田長江が平塚明(後のらいてう。当時25歳)に女性だけの文芸誌の発行を勧め、日本女子大学校の同窓、保持研子、中野初子、木内錠子、物集和子が発起人となり、1911年(明治44年)9月創刊した。

『青鞜』と野枝の結びつきは、らいてうに送った身の上相談がきっかけだった。野枝はペン字でびっしり、切手三枚もの分量の手紙をらいてうに送る。生い立ちから始まり、性質、境遇、強制結婚の苦悩を訴え、最後は肉親に反抗しても自らに忠実な行動をとるとの決心を述べ、近日中に是非らいてうに会いたいと結んだ。数日後、らいてうは野枝を自宅に招いた。

この時の事をらいてうは自伝に書いている。「その黒目がちの大きな澄んだ目は、教養や聡明さに輝くというより、野生の動物のそれのように、生まれたままの自然さで見開かれていました。話につれて丸い鼻孔を膨らませる独特の表情や、薄く大きい唇が波打つように歪んで動くが、人口で装ったものとは反対の、実に自然なものを身辺から発散させています」。

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野枝はらいてうに励まされ郷里へ引き返す。が、またも周囲から攻め立てられて家出を繰り返すしかなかった。らいてうは野枝に旅費を送るなどし、援助を惜しまなかった。野枝は夫方に野枝の学費を弁済することで離婚を認められる。以後野枝は、らいてうの編集補佐として辻宅から、「青鞜社」に通うことになり、らいてうは野枝に月10円の手当を支給した。

野枝は『青鞜』誌上に発表した作品で一躍スターに昇りつめ、ジャーナリズムは、「新しい女」の称号を『青鞜』同人に奉じ、既成道徳の破壊者などと悪意に満ちた記事を書き立て、これに便乗した女性教育家どもが『青鞜』を攻撃する。らいてうは、『中央公論』誌に、「私は新しい女である」を執筆し逆襲する。新人の野枝も、「新しき女の道」を執筆する。

1912年(明治45年)4月の第4号は、姦通を扱った荒木郁の小説『手紙』のゆえに発禁となり、女子英学塾(後の津田塾)の津田梅子は、塾生が青鞜に関わることを禁じ、らいてうの母校である日本女子大学校(後の日本女子大)の成瀬仁蔵も、「新しい女」を批判した。1913年(大正2年)2月号附録中の福田英子の所論が、社会主義的であるとしてこれも発禁にされた。

『青鞜』を攻撃する世論を受けて立つらいてうのこうした姿勢は、「青鞜社」社則の改定につながった。第一条にある、「女流文学の発達を計り」という文字が、「女子の覚醒を促し」という文言に代わる。これは、今後『青鞜』が、婦人問題研究の方向を目指すことをハッキリと宣言したことになる。『青鞜』の流れは野枝をますます奮い立つできごとだった。

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小説で自己表現したいという女性たちの欲求、女性による女性のための文学雑誌として登場した『青鞜』が、女性開放思想雑誌として展開した後も原動力となったのは、5人の女子出身者による小説で自己表現したいという欲求であった。おりしも経営難を知って発行元を買って出た岩波茂雄(岩波書店の創業者)の好意をよそに、らいてうは戸惑いもあった。

それが立ち消えたのは、「新しい女」嫌いの岩波の妻の反対であったという。女を敵にするようなフェミニズム運動は成就しないが、フェミニストが救済するのは、実は「女性」ではないのである。女性という動物は、「目標」でまとまれず、即物的な利益によって団結すると言われる。男は社会全体の秩序を好むが、女性は自分とその周辺の平和を望む。

辻家では姑から嫌味を言われ、夫からも小言が多くなる。習俗に反抗して辻と結婚したはずだったが、いつの間に家庭の妻という習俗の奴隷になったと野枝は感じ始めていた。ひと回りも下の野枝の肉体に溺れ貪り、情死も厭わぬとの辻の思いはどこに行ったのか、飽きてくればただの女でしかない。野枝はそんな家庭内の鬱憤を晴らすかのように、『青鞜』にのめり込む。

大正三年ころには実質上の編集責任者であった。そうして翌年ついに、らいてうからもぎとるように『青鞜』を譲り受ける。『青鞜』はらいてうの母の資金援助で始めたが、もはや創刊時の5人の発起人全員が去り、あげく、「全部委せるならやるが、忙しい時だけのピンチヒッターは断る」などとのぼせあがった野枝に、嫌気がさしたらいてうは、『青鞜』から離れる決心を固める。

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後にらいてうは、「野枝は野心まる出し」と、このときの事を批判している。かつては身の上相談にも乗るなど、野枝を気づかい、援助もしたが、そんな9歳年下の小娘に、『青鞜』を乗っ取られた心境はいかばかりであろうか。野枝はそういう女である。編集者としてすべてを仕切ることとなった野枝の『青鞜』だが、あてにしたらいてうの原稿がもらえず、部数は下降するばかり。

野上弥生子や山田わからが執筆者として奮ったが、経営は苦しかった。それでも果敢に貞操問題や堕胎、売娼制度など女性を巡る社会問題を論争し、自身のプライベートや事件を小説や編集後記に書きこんでいた。1915年(大正4年)6月号は、原田皐月の「堕胎論」が発禁となる。現在、堕胎は罪ではないが、「堕胎を罰することは不条理」とした原田の思考は先進的すぎた。

中絶は己の心身回復のための医療行為で、なぜ女性だけが処罰を受けるのか?妊娠のもう一方の責任者たる男はなぜに処罰されない?これに正しい答えを述べる者が存在するのか?確かに、男を処罰をするということの問題はなくはないが、処罰を模索するより、女性を処罰しないのが妥当である。そんな折、『新潮』6月号に中村弧月による、「伊藤野枝論」が掲載される。

「私は生まれてからあなたのような優れた人を見たことが有りません」。という言葉ではじまる思い切った讃美論である。が、弧月よりもっと以前に野枝に注目していた人間が大杉栄である。大杉は自ら主宰する雑誌『近代思想』で、弧月より1年も前にエマ著『婦人解放の悲劇』を訳した野枝評がある。大杉はその中で、野枝とらいてうを比較してこう述べている。

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「らいてう氏の思想は、既にぼんやりした或所で固定してしまった観がある。僕は氏の将来よりも寧ろ野枝氏の将来の上に余程嘱目すべきものがあるやうに思う」。大杉は大逆事件後の2年後の1912年(大正元年)、管野スガの内縁夫荒畑寒村とともに『近代思想』を創刊したが、これは文芸批判や文明論の陰に隠れて、社会主義の拡販・宣伝を狙ったものだった。

大杉が若き野枝に近づいたのは、社会主義「冬の時代」を突破すべく日本のエマ・ゴールドマンを必要としたからである。野枝は辻との結婚生活の退屈さを癒すためにエマを読み漁っていた。エマ・ゴールドマンは、ロシア生まれのユダヤ人女性で、早くから新思想に目覚め、17歳でアメリカに渡るも、自由と平等の新天地と夢想したアメリカの現実に落胆。

労働者を圧迫し、女性には従属と自己抹殺を強いるアメリカの現実に辟易したエマは、アナキズムに奔る。自ら労働に従事し、過激な雄弁でアジテータとして活躍、運動に加わる。迫害や病気に耐え、結婚と離婚、投獄の劫火を幾度もくぐり抜け、それでもエマは一筋の道を貫き通した強靭な女性である。エマは野枝の理想であり、大杉も野枝にエマを重ねていた。


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