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三浦九段 「新たな声明文」の是非

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三浦弘行九段が7日、改めて疑惑を否定する内容の文書を報道各社に寄せた。自身のスマートフォンの調査を解析会社に依頼し、将棋ソフトを使用した形跡がないことが裏付けられたなどと主張する内容で、疑惑を、「単なる憶測に基づく誤った事実」として、出場停止などの処分の撤回を求めている。今の時期に取った三浦九段の行動に正直驚いた。

同時に、「これはどうだったのか?」という疑問も沸いた。三浦九段の問題を彼自身がどのように行動しようとも(おそらく代理人と協議の上でのことと推察する)、それらは三浦九段の利益に適うという前提であろうが、一般社会で考えた時に、調査は相手(今回の場合は日本将棋連盟)に委ねて結果が出るまでじっと待機すべきもので、これが代理人の戦略なら意外である。

「金持ち(真実保有者)喧嘩せず」ではないが、三浦九段側はとりあえず連盟の選任した第三者委員会の調査を待つべきである。そうして、委員会の調査結果に疑義があった場合に、改めて異議を申し立てる。別の実例でいうなら、裁判所が調べを行っている最中に、容疑者の代理人が事件の独自調査結果を提示するというのと似ており、これには疑問符がつく。

「ペンは剣より強い」というが、真実は強く、動かしがたく、怖れる必要はない。三浦は第三者委員会の裁定を待てばいいんだし、自身の調査で潔白を事前に証明した焦りとも受け取れる。自身の調査は第三者委員会の結果がクロと裁定された以後でもでき、効果的にはそちらが高い。なぜなら、委員会が連盟に沿った裁定を下すのでは?との疑念は衆目の一致するところ。

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にも関わらず、事前に潔白証明は、第三者委員会に対し、間接的に「潔白」を促そうと受け取れ、批判も出るだろう。自身が無実であるなら、すべては善い方向に流れていくわけだから、何を焦ってこのような行動をとるのか分からない。穿った見方をするなら、「本当はクロではなかったのか」さえ感じられる。真実は強いが、真実をより真実らしく見せる行動には嘘が混じる。

なぜ彼が今の時点で彼が動いたかをイロイロ推測した。分からないから推測し、推測すれども真実は分からない。が、推測しない事に頭は、「ぽっか~ん」で冴えないままである。現代文の教師が口を酸っぱく言った。「とにかく読め、何度も読め、分かったようで、実はその答えは違っている」といったが、深く読み込まないでとにかく、答えを出そうとするものだ。

「読み込む」という意味が正直分からなかったし、それ以上に何度も読むのが面倒くさいのだ。だから、「文中の、『それら』とは何を指しているか」という設問の、『それら』を安易に見つけようとする。これでは学問の深みに至れない。文中の、「それら」が何を指しているかを解ったところで、何の役に立つのか?これは、学童期の子どもの共通の疑問であろう。

「子どもに、『こんなこと勉強して何の役に立つの?』と言われた時、『こんなことも出来ないお前は何の役に立つの?と返すのが最強』とかいうのを聞いて、心底アホかと思った。まさか親や教育者が本気にはしないと思うが、こういう一言は容易に知性を殺す」。と、批判した人がいた。「知性を殺す」というより、上記の返答は筋違いであるのは間違いない。

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勉強(知識)は将来、どんな風に自分に生かされるのかは、その知識を必要とするときに始めて実感する。398円の20%引きという値札を、いくら割り引かれているのか考えないで購入する現役の大学生がいた。「なぜ?」と聞くと、「レジで分かるから」という。「それはそうだが、購入する前にいくら得なのかを頭で考えないのか?得得感みたいなものを…」


なぜ考えないのだろうか?そんな素朴な疑問であったが、追及して分かったことは、398円の20%引きを、実は計算できなかったというのを知り、「得得感を考えないで買う」そのこと以上に驚いた。この現実は一体何だ?「80円は400円の何パーセントですか?」という百分率って、小学校で習うハズだ。が、いろいろ考えると、そんなことを知らないで何も困らない。

友人たちと楽しく会話し、素敵な彼氏と熱い恋愛もできる。「百分率もできない女は彼女にできない」とは言わないし、彼女が将来レジ打ちのパートを始めても何にも困らない。自分はそのように考え、自らを納得させた。モー娘やAKBがどんなにバカ女でも多くの人から愛される。現代社会はそれでいい、それでやっていける、すべては機械がやってくれる。

人間よりも正確に、しかもより速く計算をしてくれる機械。なんという便利な時代であろう。そんな時代に生を受けた人間に、「そんなこともできないんか?」と、咎める方がどうかしてる。と、さらなる納得を強めた。これが現代人と共生する老人のたしなみであろう。「398円の20%引き」などの計算どころではない、社会の到来はもう目の真ん前に来ている。

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囲碁・将棋などの複雑なゲームの計算までしてくれる時代。それが今回の、「棋士がソフトで次の一手をカンニングしている」という問題だ。オフィスがOA化の時代になった時、工場が産業ロボットを使いだしたころ、人は不要になると言われた。一家に子ども4人、5人の時代から、少子化に移行したことで、企業の人員不要はさほど問題ではない。

産業構造と社会のバランスが取れているのかもしれない。動物界の弱肉強食の実態が自然淘汰の原則にマッチしているのと、どこか似ている。アレはアレで、コレはコレでいいのかもしれない。将来は囲碁・将棋棋士もコンピュータと遜色なく対戦できる、強い棋士だけ以外は不要になるかもしれない。ソフトを使ったと文句をを言い出す最高位のタイトル保持者。

ソフトは使用禁止という問題以前に、棋界最強がソフトに慄く時代という図式である。気が変わった。書いていて気が変わってしまった。最初は三浦九段のソフト使用潔白問題について、彼の新たな、「処分撤回声明文」について所感を述べるつもりだったが、止めた。気が変わったのは、398円の20%引きが出来なくても困らない時代を肯定したようにである。

我々はこんにちよりも、もっと機械と人間の対局を切望するようになるのではないか?これも新しい時代の将棋の楽しみ方である。人間対人間も魅力だが、力の衰えた棋士の棋譜はほとんど見ないが、彼らは将棋連盟から食い扶持を得ている。が、人が人を気に食わないから、相性が悪いからと蹴落とすなどの愚行見聞きするのもうんざりだ。機械は人を選ばない。

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遅刻しない。欠勤もない。就労時間に文句も言わず、失敗を咎められて立腹しない。もっとも機械の失敗は人間の入力ミス。徒党も組まないから労働組合を作って団体交渉もしない。まさに機械はいいとこずくめである。人間である以上、人間の集団である以上、さまざま問題や軋轢はあるだろう。が、事の善悪は厳しく問われなければならない。それが人間の決めたルール。

ルール以外にもモラルという問題もある。森雞二九段(70)がA級に昇級したその年、名人挑戦者になった。まさに飛ぶ鳥を落とす勢いの彼は、若気の至りもあってか、口も達者で放言も半端でなかった。「(将棋)の弱い奴でも食えてるってのがおかしい。将棋界はぬるま湯で、甘い。敗者には一銭もやらなくていい」と発言し、古豪先輩棋士たちから顰蹙を買った。

あのとき森九段は、心から反省しなかったろう。発言は心の吐露であって、言葉は訂正しても心は変わらない。こんにち彼の成績は、2014年度、26戦5勝21敗(勝率 0.192)、2015年度、23戦4勝19敗(勝率 0.174)である。先の発言は、1976年度、51戦38勝13敗(勝率0.745)当時である。「騏も老いては駑馬に劣る」。「騏」とは、一日千里も走るすばらしい馬である。

「駑馬」とは、足ののろい駄馬。転じて、平凡な馬・愚かな馬のことをいう。勝率2割を切ったかつての騏も、今は連盟互助会の一員として食い扶持を得ているありさまだ。現状に感謝をしつつ、かつての驕った発言も反省しているだろうし、古豪諸先輩から叱責された意味も理解を得ているはずだ。何手も先を読む棋士も、我が人生の先は読めないもののようだ。



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