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渡辺竜王 vs 三浦九段

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誤解は人間社会にあっては常に生まれる。恋人のあの一言が、相手の真意とはまったく別の理解で疎遠になる。愛が終わったと判断する。これを誤解というが、世界中に誤解がもとで別れた恋人は、星の数ほど存在するのではないか?経年で再開した二人が、当時のことを話し合えば、「そうか、そういう事だったのか」と晴れて誤解が解けたりする。

誤解は信頼関係を瓦解させる。瓦の一部が崩れると、屋根全体が崩壊するように…。今期竜王戦は本来なら渡辺明竜王に三浦弘行九段が挑戦することになっていたが、諸般の理由で、挑戦者決定3番勝負で三浦九段に敗戦した丸山九段が、規定により繰り上げで挑戦することとなった。丸山九段にすれば願ってもない、まさに「漁夫の利」挑戦となった。

普通の神経の持ち主なら、たとえこれで竜王のタイトルを取っても、どこかしっくりしないものがついて回るだろう。規定といっても、三浦九段に病気とか事故とかのアクシデントがあったというならその限りでないが、今回のような不明瞭かつ問題のある裁定による繰り上げは、丸山九段においてもどこかしっくりしないものを感じていると想像する。

なぜこのようなことになったのかについての結論をいえば、危機管理の甘さである。それが問題を大きくしたことになる。すべては初動にかかっているといえるほどに、「始めの一歩」が大事であるのに、連盟側はキチンとした説明もないままに、「第29期竜王戦七番勝負挑戦者の変更について」と題した以下の文面を連盟ホームページで知らせた。

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こんなことでファンが、世間が納得するとでも思ったのだろうか?今に思えば、対局者変更理由を発表しかねる事情であったのは分かるが、それにしても理由を明記しないで事が済むわけがない。なぜ、このような事態になったかといえば、竜王戦の開幕は3日後に迫っていたからであろう。あまりにも早計な決断をしたことが、後の問題を大きくすることになった。

キチンとした理由が発表できない段階なら、キチンとしたことが発表できるまで時間をかけるべきだが、理由も告げずに対局者変更を通知すれば事は収まると思ったところに、将棋連盟のお粗末さがある。竜王戦を主催する読売新聞社の了解を得られたからと、簡単に、安易に考えた理事会の無能さを晒してしまった。これについては的確な書き込みがある。

新規事業開発コンサルタント後藤洋平氏は本件について、「組織のインシデント管理」という視点で今回の連盟の対応を、「あり得ない」と批判をしている。「インシデント管理」とは一般的には、何か望ましくない事象が発生したとき、組織的にそれにいかに対応するかということで、本件の対応のターゲットは、三浦九段、将棋ファン、メディアに対してである。

後藤氏のいう連盟の、「インシデント管理」の問題点は、「だれが、何のために、なぜ一連の処置を実施しているのかという『基準』が曖昧になっている」と指摘をする。事は三浦九段への不正ソフト利用疑惑に対するそもそもの初動において、そこから発生した休場絡みのトラブルの公式発表対応が、全くなされなかったことに対し、世間の大きな反響があった。

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連盟にはこの点の想像力が欠落していたようだ。もちろん、三浦九段に対する渡辺竜王の疑念というだけでは、彼も納得しないであろうとの認識も甘い。何にしても3日後に開幕を控えての慌てぶりが最大の問題である。「急いては事をし損じる」という慣用句通りに、急いたことで連盟は大きく事をし損じてしまった。つまり、二次災害を暴発させてしまった。

二次災害とは、不安な心理と根拠のない噂などからもたらされ、「インシデント管理」はそういった二次災害を食い止めるためになされるものである。だからこそ、危機に直面した組織のリーダーは、確実かつ必要な情報を、迅速に発表し続けることが重要となるが、的確なリーダーがいなかったことになる。連盟は三浦九段に期日までに休場届を出すよう求めた。

が、三浦九段が提出しなかったことで、12日に上記処分を突如発表した。一方的に出場停止を言い渡された三浦九段は、数日間無言を通していた。ファンや棋士も、もし本当に潔白なら、スマホの通信ログなりなんなり提出して、積極的に自らの疑惑を晴らすアクションをとるべきではないか。動きがないのはやはり後ろめたいことがあるのではないか、という向きもあった。

ところが、18日になって突如三浦九段サイドから積極的な情報公開の動きがあった。文書とNHKでの単独インタビューが公開され、不正がなかったとの反論を行なった。特に、NHKによるインタビューは、「竜王戦辞退を申し出たとする連盟の主張は正しくない」との主張がなされ、これは連盟が出場停止処分とした根拠も揺らぐ内容で、騒動を予感させるものだった。

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これに慌てたのか当初連盟は、「不正使用がなかったことについて、三浦九段側に納得できる説明がなかった」としたが、三浦九段による公式な発表があった時点で、「ヒアリングは尽くした。不正使用はなかったと考えており、来年からの対局で疑念を晴らしてほしい」と、本来なら除名に相当する姿勢を軟化させていたが、その後の三浦九段の、「不正はなかった」という主張である。

連盟と三浦九段の言い分の違いからして、一体何が起きているのかという話となりつつあった。世間やファンは、三浦九段のインタビューや文書から、明確な証拠もないままに勝ち取った挑戦権を奪い、年内の出場停止処分を科した連盟に強い批判が向いた。 が、この時点ではまだ、連盟が明確な証拠を持っているのでは?という推測もなされていたようだ。

その後の動きは省略するが、本件は自分なりにいくつかの問題点が感じられ、それについて考察を行う。まずは、水掛け論的な、「言った」、「言わない」がなぜ発生するかである。10月23日の記事にも書いたが、連盟は、「疑義がかかったままでは対局できない」と三浦九段が発したといい、三浦九段は、「栄誉ある竜王戦の挑戦者として対局拒否なんかするわずがない」と反論した。

同じように渡辺竜王は、「疑念がある棋士と指すつもりはない。タイトルを剥奪されても構わない」と述べたと島理事から発表されたが、これについて渡辺竜王は、「(三浦九段を処分しないなら)竜王戦は指さない(出場しない)。タイトルを剥奪されても構わない」などと発言したとされることについても、事実ではないと、メディアのインタビューに答えている。

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録音でもしておかねば、人間は時々の都合で発言を修正する。つまり、「言った」、「言わない」という問題が連盟と三浦九段、連盟と渡辺竜王の間で起こっている。正確な表現がどうだったかを検証はできないが、「言ったこと」を後になって、「言っていない」というのは良く起こること。その理由は、三浦九段と渡辺竜王と連盟と、言葉の齟齬があったのではないかと、自分は考えている。

こういう問題はしばしば起こりやすいことを前提に、齟齬とは、「物事がうまくかみ合わないこと」。 「食い違うこと」。「ゆきちがい」。の意味で、人間と人間の主観のぶつかり合いから必然的に起こる。どちらかに不利状況が傾いた場合、自己を正当化したり、言葉で上手く誤魔化そうという算段を講じようとして起こる。それほどに言葉は曖昧であり、多様に解釈できる。


三浦九段の言い分は先のブログで指摘したが、渡辺竜王の「言ってない」発言を分析する。まずはこの発言。「三浦さんを処分してほしいとは全く言っていないですし、ファンの皆さんや棋士の間にも本意とは違う形で間違って伝わってしまっています」。これは事実であろう。「三浦を処分してほしい」など言えた義理ではない、こんなキツイ言葉を…。

ここに渡辺の打算を見る。連盟が三浦九段を処分したのは、「自分の要望ではない」と言いたいのだ。本心は要望していたとしても、それを誤魔化すために、あえて口にしていない言葉(三浦を処分してほしい)ではぐらかす。ならばどう言ったのか?らしき言葉や心情的ニュアンスは伝えてるはずだが、「三浦を処分しろ」と言っていない事実を強調することで非難をかわす。

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次に、「(三浦九段を処分しないなら)竜王戦は指さない(出場しない)。タイトルを剥奪されても構わない」という発言。これを渡辺は事実ではないとした。「事実でない」と言ったのか、「そんな言葉は言ってない」と言ったかは分からぬが、報道では、「事実でない」となっている。「言ってない」と、「事実でない」の言い方は似て非なり、大きくニュアンスは異なる。

自分は、「悪人だ」というのと、自分は、「善人ではない」というのとニュアンスが違うように。「言ってない」は断定である。「事実でない」は、何を事実とするのかを曖昧にする。そもそも発言したとされる語句が、一文字違っても事実でないという事になる。起こったこと、発したこと、言葉の選び方、どれが「事実でない」なのか?「言った」、「言わない」はこうしたアヤから発生する。

例えば三浦九段は、「疑義がかかったままでは対局できない」という言葉は報道通りなら、「対局しない」とはまるで違う。前者は「できる状況にない」との意味であるが、「対局しない」と解せば後になって、「言っていない」となる。「将棋を指さない」と、「将棋を指せない」と同じように、発言者のニュアンスは異なる。普通なら、「指せない」という保険をかけた言葉を使うだろう。

渡辺も同様、「疑念がある棋士とは指せない」と言った可能性が高い。これも、「指さない」ではなく、用心深く、「指せない」と言ったかも。他の言葉で考えてみる。「行けない」と、「行かない」の違いと同じこと。「今日は行きません」、「今日は行けません」は大きく違う。差し障りのない言葉はいうまでもない、「行けません」で、多くはこちらを使いたいだろう。噛み砕いていえば以下の通り。

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「行けない」…自らの意思に反して事情、理由、障害などがある

「行かない」…自らの意思。キッパリと。

どちらも、「指さない」ではなく、「指せない」と言ったと自分は考える。そう言ったか、どうかは正確な判別できないが、そういうニュアンスであり、毅然と、「指さない」と言ってないというなら、心情は理解に及ぶ。まあ、渡辺は姑息なズル男である。三浦から丸山に変更になった時の渡辺の発したコメントを読めば、誰が見ても彼がそれを喜んでいるのが伝わってくる。

「三浦さんを処分してくれとはいってない」とは言ってないであろう。が、処分を喜んでいる渡辺が、そういうニュアンスでいたことは誤魔化せない事実であろう。それを分かっている連盟があえて渡辺を責めることはないが、人間のズルさ、汚さ、醜さなんてこんなものよ。言葉を持たない動物に比べてはるかに不純である。「言葉は心を隠すために与えられた」という言葉どおり。


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