「いじめ」という言葉自体は、誰が聞いても「悪」であるが、「いじめ」がなくならない原因は、個対個より多数が個をいじめる場合が多いからだ。つまり、集団の論理が反映され、多数が個を圧する快楽の方がより大きいからだろう。快楽とは欲望の満足だが、幸福は快楽ではない。幸福とは主観的であり、快楽は客観的である。主観は個々で異なるように、幸福の価値も変わる。
快楽は人間の本能である。いじめが快楽となるのは、「人より優位に立つ」、「人をひざまづかせられる」という快感であろう。人に苦痛を与える快感は、人間の誰にも潜んでいる。可愛い子がいじめられるケースは妬みである。可愛く生まれたというだけで自分とは根源的な差異となり、ならば相手をいじめること、苦しめることで気分を晴らす。これを妬みという。
人を妬む女を悪女と言っていいが、世間で言われるところの「悪女」というのはどこか違っている。例えば、中島みゆきの歌の歌詞にあるような「悪女」は、「男を惑わせる女」のイメージがある。頭がいい、謎めいている、決然とした、などの意味合いも悪女に含まれている。実際に、「悪女」を辞書で調べると、「性格の悪い女」、「容貌の醜い女」とある。世間に生きる自分もこれには驚いた。
前者はともかく、「容貌の悪い女」をかつては悪女といったようだ。他にも、「残忍」、「冷酷」、「意地悪」という要素もある。歴史上にも、「悪女」と言われる女は多く、西太后は真っ先に思いつく。映画『ラスト・エンペラー』でジョン・ローンが中国最後の皇帝溥儀を演じたが、彼を皇帝に任命したのが西太后である。彼女は50年に渡って清を支配し、あげく滅亡へと導いた。
確かに西太后は横暴な専制君主だったが、男社会に敢然と立ち向かった勇気ある女性でもあった。「以後、再び女性に国政を任せてはならない」という彼女の遺言は、男どもへの痛烈な皮肉であった。日本には、「三大悪女」と呼ばれる歴史上で有名な悪女が存在する。源頼朝の妻北条政子、八代将軍足利義政の妻日野富子、豊臣秀吉の側室淀殿とされている。
頼朝に強い執着心を持つ政子は、頼朝に愛人がいるとわかったときは嫉妬に狂い、部下を使って愛人の家を破壊した。権力欲も強く、頼朝死後は尼将軍として幕府を支えた。日野富子は、色恋沙汰ではなくお金の面で、「悪女」と言われている。応仁の乱の際、多額の金銭を貸し付けた他、米の投機で現在の価値で70億円ほどの資産があったと言われている。
たくさんの側室を持った秀吉は子を得ることができず、「種なしでは」と言われていた。ところが淀殿は2人も秀吉の子どもを産んでおり、鑑定法のない時代だけにこれはいかにも怪しい。第一子であった鶴松が亡くなり、世継ぎがないため甥の秀次が養嗣子となるが、淀殿が第二子を出産したため、邪魔になった秀次は無理やり出家させられ、最後には切腹させられた。
これには淀殿の意思があったという説もあり、事実ならとんだ悪女である。世の中には実にいろいろな女性がいるが、悪女とは出会いたくないし、関わりたくもない。葛西りまさんが受けた壮絶ないじめの内容を知り、今は中学生というガキであるけれど、こいつら将来どんな悪女になるのか?である。相手の容姿の悪さを寄って集ってで責めるなど、いかにも女らしい。
りまさんは手踊りで日本一になったが、「ブサイクなあんたがそんなことで自慢してるんじゃないよ」と、そのことをターゲットにされた。自分以下の人間が目立つことが癪にさわるということだろうが、他人の優れた何かを認められない、認めようとしない性格は、家庭で培われたと推察する。こういう家庭の親は、他人の悪口ばかり言ってるのではないだろうかと…。
他人の悪口大好き家庭に育つ子どもが、悪口好きになるのは自然なことで、嫉妬深く、他人の優れた資質を認めない、金持ちを妬むなどの多くの価値観が親の主導のもと、家庭の中で共有されていくのではないか。心の健康でない親から、その不健康さが子どもに感染するのも分かる。いじめの解決方法は、「反抗する」、「耐える」、「逃げる」の三つではないか。
「死ぬ」は「逃げる」であるが、究極の逃げは何としても避けたい。解決方法を見いだせない子どもにとって、絶対的味方の親を引き出せない理由は、いじめ側が、「ちくり」といわれる行為を阻止をするからであろう。苦しみを誰かに相談する、それが教師や親であるのがなぜいけない?「ちくる」という言葉には抵抗があるが、「ちくり」奨励社会は、健全な社会であると考える。
いじめがなくならない大きな理由は、喧嘩を解決する際に第三者の仲裁が必要であるように、当事者間では難しい。二人の力関係が1:1であっても、いじめ側が味方を一人増やすと2:1、さらに一人加えると3:1、さらには4:1と、これでは勝ち目はない。いじめられる側も味方が欲しいが、多勢のいじめっ子に対抗して助太刀に立ち上がる友はいない。
路上の喧嘩においても、見知らぬ第三者の仲介が入ると、喧嘩を吹っ掛けた側の怒りが仲裁に入った第三者に行くことがある。「何だよお前は、カンケーねぇだろが!」と、ボコボコにされたり、あおりを食うが、誰も好んであおりなど食いたくはない。いじめられっ子の味方であった友達が、なぜかいじめ側に加担するのは女子によくある事例である。
「あんた、なんであんな子の友達なわけ?」などと、友人を剝がして孤立させる。いじめは傍観者であっても、いじめ加担者といわれるが、いじめっ子に加担する勇気をどこで身につける?いじめに強い関心を抱く親が、生活のなかで時間をかけて子どもに啓発していく。そうまでしないでも、いじめ好きにならない子はいるが、手は打っておく方がいい。
「あおり」を怖れて傍観するのは情けないが、「触らぬ神に祟りなし」というのは、宗教的バックボーンのない日本人的人間観というのか、「風見鶏」傾向が強い。関ケ原の戦いを傍観しながら、どちらについた方が得か、それが人間であろう。正義感の強い人はいるが、やはり利害を考える。そんな大人が子どもに「義」を教えられるハズもない。
我々の時代には「勧善懲悪」をうたった漫画や小説などが多く、子どもたちはそういうヒーローに憧れ、勇気を授かった。時にやせ我慢をしながら悪に対抗するが、足はがくがく武者震いである。が、なんにしても「やってみた」ことで自信を得たものはある。近年は多様な価値観が蔓延し、ヒューマニズムや勧善懲悪が欺瞞であることを見抜く時代になった。
悪に埋もれず、悪におもねず、正しいことを堂々主張する時代に、「ちくり」などの言葉はなかった。それが、「何をいい子ぶってんだ?」、「だから優等生ってのは困るんだよ」という時代に移行した原因はいろいろ考えられる。上にあげたヒューマニズムが欺瞞として捉えられたのも要因である。理性は決定の後に生まれる。ならば行為はすべきである。
それによって確信を得るが、行為しないで理性を標榜する人間が多くなった。これは、社会及び人間関係が複雑になって来たからであろう。戦後になって民主主義が導入され、過渡期を経て根付いてきたことを示している。複雑な社会とは、国家統制時代から自由主義社会への変貌を言う。自分らの時代、いじめは級友が監視し、すぐに教師に告げられた。
これが健全な社会であったと考える。孤立した子は親とか教師とかに助けを求めようとするが、「ちくり」が助けを制止させられる。「ちくり」が個々にとっての共有悪となっているからだ。当事者同士で解決すべき問題を、第三者(それも被害側の全面的味方)に要請は卑怯となる。いたぶる相手を孤立させ、第三者に助けを求められたのでは都合が悪い。
これがいじめる側の論理である。悪は制されるべきだが、いじめを悪と思わぬいじめっ子は、制される理由すら分からない。他人を苦痛に陥れる「いじめ」は悪であるが、いじめは楽しいという人間には、何らかの病理が存在するはずだ。子どもを病気にする一番の原因は親である。それ以外には浮かばない。原因がハッキリした病気の治療は簡単では…