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妥協の下手な日本人 ③

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「妥協が下手な日本人」という表題を置きながら、そのことを説明してないではないか?という向きの人もいるかもだが、間接的に書いたつもりでいる。つまり、欧米人が「妥協」を悪としない代わりに日本人は「妥協」をネガティブに考える。自分も含めて「妥協」を良い意味に考えない日本人が多いのではないか?妥協するというのは譲るということ。

譲るは我慢すること。と考えてはいないか?今は違うが、若いころは妥協なんか死んでもしたくなかった。妥協するのは敗北という気持ちが強かった。相手が自分を騙し、騙したことを納得せよと一方的に押し付けられたことが多かった。これらはすべて親から強いられたことで、こういう親の意向・動向が、妥協を嫌う自分の性格を作りあげたのかもしれない。

母親は約束を守らぬ人だった。その時は守らぬ理由を考えなかったが、今はそれがよくわかる。つまり母親は、子どもを自分の支配者と定めて見くびっていたのである。だから、約束したことは何があっても履行すべきだという考えはまるでなかった。子どもからすると舐められていることになる。「この嘘つきばばぁ!」と、母には何度も悪態をついたし、罵ったことか。

「約束は守るべきもの」、「嘘をつくのは信頼関係をなくす」と、こういった人間の基本的なあり方を親が教えずして誰が教えるものがいる?それに比べて叔父貴(母の弟)は京都に居住していたが、中学や高校入学時には欲しいものを買ってやるといい、自分は高校入学前のお正月に、「エレキギターとアンプ」と叔父貴に伝えたら、本当にそれが送られてきた。

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欲しいものを手にした感動もあったが、3か月前に交わした約束がちゃんと守られていたというのは、子どもにとってサプライズな出来事である。ギターなんか弾いたこともないし、当時エレキギターというのは、不良の代名詞でもあり、エレキ追放運動の最中であった。当然ながら母親はエレキギターに腹に据えかね、「勉強の邪魔」と何度も隠したりした。

どうして親は子どもが大事にするものを取り上げたりできるのだろう?それほどに親は自分の都合によって子どもを苦しめ、追い詰めなければならないのか?親の都合など子どもに関係あるか?そんな自立心が反抗心ととともに増幅されていった。今でも携帯やスマホを取り上げる親は多いが、こういう行為は子どもを一個人として尊重しない親の傲慢と認識する。

叔父貴が世間的に悪いと言われるものを何を躊躇うことなく与えてくれるのは、叔父貴がかつて不良であったからである。子どもの頃から札付きの悪であった話はいろいろ耳にした。理由は親(自分からみて祖父)が厳しい人だったからだと推察する。中学を卒業した叔父は、大阪に家出したという。飯場で食いつなぎながら高度経済成長の波に乗っかった典型である。

叔父貴がどういう経緯で建設会社の社長に上り詰めたかを知ることはないが、結果がそれを示していた。また叔父貴のスゴイところは、自分がクルマの免許証を取るには取ったが、未だ発行されてないのをおそらく知りつつ、確認もせず、クルマに乗りたいと懇願する自分を茨木市の建設現場に連れて行き、バン(商用車)の前で「これに乗って京都まで帰れ!」という。

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クルマの免許を取り立ちの頃はどれだけクルマに乗りたいか、そういう気持ちを忘れた人も多いだろうが、自分なんかは客観的に見てモロにそうであったと推察する。叔父貴はおそらくその気持ちを感じ取ったのであろう。どうして茨木から京都の自宅まで帰れたのか、そんなに地勢感があるはずがないが、乗りたい一心で「大丈夫」と言い切ったのだろう。

叔父貴の行為を時々思い出すが、まさに危険極まりない自殺行為である。もし、交通事故でも起こそうものなら叔父貴の責任は言わずもがなである。叔父貴自身が無鉄砲な行為をしてきた人間だからできるのだろうが、18歳の自分は、クルマに乗れる喜びで満ち溢れていた。何とか京都の自宅に辿り着いた自分だが、あとわずかというところで事故をした。

90度の狭い直角コーナーを右折するところが、そこに電柱が邪魔をしてアレコレ挌闘したものの、半クラッチを処理できず激突してしまった。叔父貴宅からほんの数十メートルという油断もあったかもしれないが、このことから実に多くを自分は学んだ。信じるということの素晴らしさ、その一語に尽きる。広島に帰って叔父貴に正直に詫びと感謝の手紙を出した。

免許証を持っていないと分かっていながら、ゆえに追及もせず、甥の切なる願いを叶えてやろうとの叔父貴の思いである。当然にして違法であるが、「何かあったら自分が責任を取ればいいのだ」と、そういう強い気持ちは、18歳の若僧に充分に伝わったし、なぜにそれが出来たかといえば、若き頃の叔父貴が手に負えない札付きのゴロツキであったからだろう。

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叔父と甥の関係であったが、もし親が我が子を大きな人間にしたいなら、親は大きな気持ちをもち、また実行して見せるべきであろう。「あれはいけません」、「これはダメです」という親は、臆病な子どもを育てているようなものだ。自分が知ったのは、叔父貴の無鉄砲な行為の中に、言葉には出さない男が男を「信じる」というとてつもない輝きであった。

人を信頼するというのは、そのことで何があっても自分が責任を取るという事である。仮に甥に何かがあったとしても、叔父貴という人は「免許を持っていないのは知らなかった」などという人ではない。免許証は取得はしたが、発行されるまでは所持とはならないし、この場合の刑事罰については、「免許不携帯」ではなく、「無免許運転」となる。

こんにちでは免許証は即日交付となるが、4~50年前はなんやかんやで、自動車教習所の卒業証書を持参して、自動車運転試験場に出向き、学科は免除で実地試験を行う。そこで合格すれば県知事に免許証交付申請をする。して、手元に免許証がとどくまで、正確な記憶ではないが、約2週間くらいのタイムラグがあった。今はコンピュータ処理で簡単である。

叔父貴の人間的大きさは叔父貴の息子にそのまま受け継がれている。残念ながら自分がこの一度限りの事柄で大きな人間になったなどはないが、この時の叔父貴の人間的な大きさは鏡として頭にしまってある。叔父貴は1932年(昭和7年)生まれで、同世代には、小田実(同7年)、大島渚(7年)、五木寛之(7年)、野坂昭如(5年)ら、焼け跡派と呼ばれている。

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戦中派世代でもあるが、今後、こういう太っ腹な人は出てこないだろうな。子どもを取り巻く環境も育て方もまるで変っている。昔が良くて今が悪いというのではないが、男の子を、「太く、強く、逞しく」育ててみたい、なんていうのが実際に言われてるのだろうか?「芸能なんてのは実業じゃない。我々は虚業でおまんま食っている」と、これは小沢昭一。

これはこういう問題提起もしている。「人間がみんなで一緒に豊になるのがいいことなのか、それとも、豊かな人と、そうでない人がいる矛盾した世の中を、だから創造力が生まれるんだと肯定するのか。あるいは、一転、みんながそろって適当に貧しくなるという第三者の道を、今こそ考えてみる必要はないのか」。小沢の問題提起の意味を探ってみた。

右を向いても左を見ても同じ人間の集団にあっては、一見貧富の差がなくていいように思うが、それだと上をみたり下をみたりの必要がなく、様々な違いから生まれる創造力は起こらないということだ。貧富の差を矛盾とするなら、「なぜ?」は必然であり、発想力も湧いてくる。みんなそろって適当に貧しくなるというが、社会や国家はそれを目的としない。

ならなぜ小沢はそれを「第三の道」と思考すべしとしたかといえば、焼け跡派世代特有の考えとして、皆が貧乏であった時代はみなが心豊かであったといわれている。例えば以下の光景はどこにもあるものだった。育ちざかりの幾人の子どもが「ごちそうさま!」と手を合わせるまで、母親は自分の茶碗にご飯をよそわない。なぜか、考えればわかろう。

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6人兄弟の一番上のお兄ちゃんは、米を研ぐのが仕事だった。かまどで炊くのは火加減が難しいので、男の子の仕事は米研ぎまでだが、米がないという事情を知る立場にいる。だから、妹・弟たちのことを考え、お兄ちゃんは食べないでいる。貧しさは、人をこんなに変えるのだ。貧しいからお互いに助け合って生きる。近所で味噌や醤油の貸し借りもあった。

ご馳走を自分だけで独り占めするようなことはしない。よそ様のところでお菓子を頂戴すると、紙に包んで家に持ち帰る。みんなで食べようと…。お母さんにも食べてもらおうと…。生活は貧しくても温かい心をもって皆が生きていた。「生活は貧しくとも、心が貧しくない」といわれた時代。今の子どもたちに、「心の貧しさってなに?」と、問うても答えは浮かばないのでは?

ならば、皆が貧しかった時代の子どもは、「心の貧しさってなに?」について答えられるのか?答えは「NO!」だと思う。自分たちの行為や心豊であるなどと誰も思わないし、当たり前の、自然の行為であるからだ。元来、「心の豊さ」なんて自覚できるものではない。同様に、「心の貧しさ」もである。自覚しなくても豊かであり、自覚しなくても、「貧しい」。だから怖いのだ。

人の行為の多くは無意識になされる。無意識は内面においては意識下されている。だから怖いのだ。意識化の指導者は親であることを、親さえも意識していない。だから怖いのだ。どうすればいい?小沢の言うように、皆がある程度の貧困を体現しない限りは、人間には分からないだろうと、ある種の諦観である。観念で分かるというのは、真に分かってはない。

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「戦争はよくない」、「人殺しはよくない」と、観念で分かっていても、本当に分かることは「戦争をしない」、「人を殺さない」ことであるように。我々は行動しなければならない。行動は、「決断」によって生まれる。よって、行動をするためには、観念支配を捨てる、観念の具現化を強く感じれば、行動は必然となる。行動は、「決断」であり、決断は、「捨てる」ことでなされる。


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