「外観事定」という言葉は、人は外観で評価されるということ。よって外観はしっかりとしなければならないという戒めである。言わんとする外観とは、端正な容姿、美人、男前のことではなく、服装等はもちろんのことその人の言動全般を指す。が、この言葉は「他人を外観で評価してはならない」という逆説の含みを持っている。人間は多面的な動物である。
「蓋棺事定」とは、「人の評価は棺桶に入ったときに定まる」という意味である。なるほど、上手いことをいったものだ。生前の評価など宛てにならないという辛辣さがこの言葉に備わっている。一生が終って、棺の蓋を閉じて初めてその人の真の値打ちが決まるということだが、そのようになるにはどのように生きたらいいのか?日々、真面目に生きるということか。
真面目と書けば現代人のほとんどは「まじめ」と読むだろうが、自分は「しんめんもく」と書いたつもり…。「しんめんぼく」とも言う。また、「真面目(しんめんもく)」は「新面目」とも書く。まじめである・こと(さま)。実直。本来の姿。ありのままの姿。真価。本気であること。真剣であること。また、そのさま。誠意のこもっていること。誠実であること。などの意味がある。
ではなぜ、「まじめ」 を「真面目」と書くのか?。「まじめ」は江戸時代に生まれた俗語で、なぜに「まじめ」と言われるようになったかは、さまざまな説がある。「正しい目」ということの"正(まさ)しき目"が、「まじめ」に変化したという説。そして、「まじまじと見る」の"まじ"に、"目"がついて、「まじめ」になったという説などが言われている。
「まじまじ」の"まじ"は、「まじろぐ」の"まじ"で、【まばたきをする】こと。目をパチパチしながら真剣に集中するところや、本気になって目をしばたくところから【本気】や【真剣】などの意味で「まじめ」と言うようになった。漢字の「真面目」は当て字で、明治時代頃から使われている。上に記したように、本来「真面目(まじめ)」は「しんめんもく」と読む。
「面目がたたない」などの【顔つき・容貌】をいう「面目」に、【まさに】という意味の「真」がついたもの。こんにち若者は「マジ?」、「マジかよ」などと「まじめ」を略して言うが、決して若者言葉にあらずで、江戸後期の洒落本(にゃんの事だ)に、「気の毒そふなかほ付にてまじになり」とあり、「まじめ」と同じ【真剣】という意味で使われている。
現代若者の言う「マジ」は、「本当か?」であったり、「マジうまい」、「マジ暑い」など、強調語として使っている。江戸時代からあった「マジ」も時代の変遷でいろいろな意味を持つようになったのだ。振り返ってみるが、自分らの世代に「マジ」という言葉はないし、時流とはいえ「マジ?」というような言葉使いは抵抗があるのか、使ったことがない。
多少長くても。「本当か?」が自然に出る。どうも「マジ」は品のよくない言葉に思えるのだ。後輩や若者が敬語含みに「マジっすか?」というのも、彼らにとっては敬語のつもりだろうが、敬語以前に丁寧語ではないのが気になる。普通の現代用語だから気にする、気になることはないが、昨今は丁寧語が崩壊し、短縮語が多く使われるが、短縮語は短絡語に思える。
すべてとは言わないが、短絡的な言葉になり、やがては常用語になってしまっている。同世代の友人同士で「マジ?」はいいが、目上の人には「本当ですか?」の方が日本語として美しい。女性が使うとさらに品のなさを感じる言葉である。女言葉、男言葉の境界線が失われつつあるこんにち、女性が「マジかよ」と言っても抵抗は無いのだろうが、美しくはない。
家庭の中で女の子が親に向かって「ああ、腹へったー、早くメシ食いてぇー」といっても、「何ですか、女の子がそんな言葉!」という事も言われなくなったのだろう。父親に向かって、「なんなのー、お年玉たったこれっぽっち?シケてんじゃねぇーよ」などと、これが友達親子の弊害であろう。親子は友だちのようでありたい」という親は、それが楽なんだろうか?
何かといえば「ウチのオヤジは上目線で見やがる」という子がイカレテルと思うのは、親が上から見るのは当たり前だろう。昨今はお友だち教師も生徒に人気があるようだが、教師と言う名が時代の変遷で「対等師」に、略して「対師」になるのではの懸念含みの昨今だ。まあ、自分の孫は大志であるが…。敬語というものは躾で育まれるものではないように思う。
相手に対する自然なリスペクトから引き出されるものではないか?ところが、生まれながらに友だち親子状態でであると、最も身近な人に対する敬愛心が根づかず、それが社会の目上の人一切を対等に見てしまうような子どもになる懸念を抱いている。テレビではいい大人がバカ丸出しなら、世の中の誰かに敬愛心を育む土壌がなく、そういう顕著な若者を見る。
普段から儒教的な「長幼の序」を意識しない欧米の親子であっても、ここぞという時はそれこそ全身全霊・本気で怒るが、日本の友だち親子にはそれがない。子どもを本気で怒るというのがどういうことか分っていない父親が多い気がする。本気で怒るとはどういうことか?本気で怒った方がいい場面には、「権利を守るため」と「自分を奮い立たせるため」がある。
が、奨励されるべきは、「本気さを伝えるため」ではないだろうか。これを自分は多用した。自分はどちらかといえば強権むき出しにして怒らない方法で指導するのがイイと思っている。が、ここぞという時には、半端なく怒りをぶつける。そういう場合には相手が怒られたことに効果があると感じる場合にそれをやる。つまり自分の怒りは常に理性的ということ。
言い換えると「怒ったふり」である。だから、出てくる言葉は冷静で的を得ている。感情まかせにトンでもないことをいう親は、怒るだけバカを晒しているし、それは子どもや相手に見下げられているものだ。「成長して欲しい」、「この事は何を於いても分からせなければならない」と、そのように感じたときは、本気度を示すために本気で怒る(ようにみせる)。
世の中には怒れない人がいるようだが、これは逆説的に言えば、ギャーギャー怒れるしかできないのと同じこと。ギャーギャー怒ることしかできないのが何ら効果がないのは、「本気で怒っている」ことが相手に伝わらないからだ。スピッツが吠えているのと同じにしか見えない。親子であれ、人間関係であれ、相手に対して重要なのは、本気さを伝えることだ。
「怒り」にはその効用がある。怒られる側の心の持ち方一つで、喜怒哀楽の中で最も互いの実在感を共有できる。喜んだり、褒めたり、なだめたり、楽しくすることの実在感よりは比べものにならないくらいに信頼感を抱ける。ただし、効果的に怒るというのは難しい。怒ったことでダメになった、すべてが失われたという経験者もいるだろう。こういう言葉がある。
『誰でも怒ることはできる──それは簡単なことだ。しかし、正しい人に、正しい程度に正しい時に、正しい目的、正しい方法で怒ること、それは簡単ではない』(アリストテレス)
『うれしまぎれに、軽はずみな承諾を与えてはならない。酒の酔いにまかせて、腹を立て怒ってはならない』(洪応明:中国明代の思想家)
『私は怒っても、その人間を憎むことはしない。偽りのない気持ちを相手にぶつけることが大切だ』(本田宗一郎)
『人間の器量はどの程度のことを怒ったかによって測れる』(ジョン・モーリー:イギリスの政治家)
『人間の器量はどの程度のことを怒ったかによって測れる』(ジョン・モーリー:イギリスの政治家)
牛山喜久子と言う美容家はこういう名言を残している。「微笑みのシワは美しく、怒りのシワは醜い」。子どもの頃にどこかで読んで、怒る母に「あんまり怒るとシワが増えるで」と言ったことがある。先日も正月早々から、預金額が減っていると妻を詰り、警察を呼べと騒いだらしい。自分は妻に、「相手にせず、何でも右から左に流してろ」と申し渡している。
「盗んでないです。警察を呼びましょうか?」と返せば、「身内の恥だ、呼ばんでいい」と、ああいえばこう、こういえばああは変わらない。「年寄りの冷や水」とは言ったもので、 老人が冷水を浴びるような、高齢に不相応な差し出がましい振る舞いであって、これは老人への冷やかし言葉であると同時に警告でもあるが、そんな警告など耳に入れるはずがない。
明晰な善き老人は、これら老人に関する諺や慣用句をたくさん知り、それに合致しないよう振舞う老人であろう。「老害」、「老いの繰り言」、「老い木はまがらぬ」、「老いては子に従え」などのネガティブな用句の他に、「老いたる馬は道を忘れず」(経験豊かな人は判断が適切)、「老当益壮」(老いても、ますます盛んな意気を持ち困難にも立ち向かうべき)などがある。
「文藝春秋」誌には、『蓋棺録』といって直近に死去した著名人への追悼文集がある。1984年から始まってもう30年経過した。2013年8月号の『蓋棺録』には、2014年の大晦日のオオトリで歓喜した松田聖子を育てたサンミューックプロダクション会長の相澤秀禎氏が載っている。彼は多くのアイドルを手塩にかけて育てた「名白楽」で、2013年5月23日、83歳で没した。
サンミュージックの最初の専属は現千葉県知事の森田健作であった。その彼が始めて相澤社長(当時)の前で挨拶した時、「オー、ユー。いいじゃん、頑張れよ」と激励した。その異様に明るい雰囲気に森田は、「まずいところに来てしまったかな」と思ったほどに明るく前向きな相澤だった。森田を『夕月』っで映画デビューさせ、桜田淳子の活躍が経営を軌道にのせた。
さらには、松田聖子、早見優、岡田有希子をデビューさせ、都はるみを引き抜き、酒井法子のデビューを仕掛けるころには、日本有数の芸能プロダクションになっていた。相澤は森田を「輝きと爽やかさ」、桜田を「清潔な笑顔」、松田を「驚くべき反射神経」、酒井を「小柄な身体に横溢する生気」と評していた。が、相澤は煮え湯を飲まれることもあった。
桜田の統一教会入信後の集団結婚。松田も早見も路線対立で去っていく。岡田は恋愛問題で悩み自殺。酒井は覚醒剤で逮捕の末、止む無く解雇。華々しい成功の裏で「子どもたち」が引き起こす事件について、「親」としての責任も問われたりした。たくさんの子どもを持ちながらも、その一人一人に目を届かすなど至難であるが、責任はどうしてもついて回る。
松田や早見の事務所離脱に驚く事はなかったが、1986年4月8日、岡田有希子の投身自殺に世間は驚いた。それも白昼、新宿・四谷のサンミュージックが入居するビルの屋上からである。彼女の死に触発された若者が後追い自殺が相次ぎ、国会では江田五月が青少年問題として採り上げ、当時の文部大臣・海部俊樹に対策の答弁を求める事態にまで発展した。
桜田の統一教会合同結婚式、酒井の覚醒剤所持・逮捕という時系列だが、これらにもそれぞれ驚かされた。宗教の事も覚醒剤の事も分らんし理解できないが、新興宗教に入信している芸能人は多い。ゲンを担ぐ職業だけに、ご利益を求めるのだろう。覚醒剤もまさに芸能界汚染の元凶といわれるほどに、アレコレ名前があがる。人がやるなら自分も、という甘えが見える。
1976年9月に大麻容疑で逮捕された井上陽水は、「自分は酒が飲めないので、くつろぐためにマリファナを吸った」と自供したという。よくもこんなオコチャマ的な言い訳をするもんだ。「酒が飲めない」は余計だろう?酒が飲めないのと大麻と何の関係がある。拙者は酒は飲まんが大麻は吸わん、煙草は吸わんがちちは吸う。これは相手にも喜ばれる善行だ。
「文藝春秋」の『蓋棺録』には、故人の悪口はあまり書かれていない。「蓋棺事定」に照らしての『蓋棺録』だからでもあろう。悪口を書かねばならぬ故人は取り上げなければいい。誰にでもイイこと、ワルイことはあろう。が、「蓋棺事定」の本質はワルイことに蓋をすればイイ人になるとしたものだ。「故人を悪く言うものではない」というのが巷の礼儀だ。
自分も母について、彼女が仏になれるよう、死後にイイことを書いて見たいものだが、それを探すのが至難であるだけに、今くらいから探す必要ありだが、はて…。ないならないでいいが、自分的には悪口は書いてはいないつもりだからスタンスは変わらないだろう。昨今、有吉といえば絶頂人気の有吉弘行だが、30年、40年前に有吉といえば佐和子だった。
こんにち佐和子は阿川佐和子か。有吉佐和子は1972年に『恍惚の人』を書いた小説家。彼女は岡田有希子が自殺する2年前の1984年に他界した。「恍惚」とは、物事に心を奪われてうっとりするさま。意識がはっきりしないさま。の意味で、sexにおける「恍惚の表情」も同じ意味。青江三奈は『恍惚のブルース』(1966年)でデビュー、80万枚の大ヒットとなる。
有吉の『恍惚の人』は遠まわしな言い方で、端的に言えば「ボケ老人」のこと。老人がいつも「恍惚=うっとり」した表情で縁側に座って何時間でもじっとしている風情が浮かぶようだ。彼女には「老い」をとりあげた作品が多く、自らの「老化」を語るとき「以前は一度辞書を引けばすぐ覚えられた英単語を忘れるようになった」ことを挙げている。
忌憚なき発言が信条の一風変わった個性を持ち、彼女の独尊的「暴走」ぶりに激高した明石家さんまが「死ねババア」とまで口走り、有吉はその2ヵ月後に本当に死んでしまった。享年53歳というから、老人を経験しないで逝った有吉の『恍惚の人』は、高齢化社会の到来を早々と警告した作品である。和歌山県出身の彼女には、『紀ノ川』という名作もある。