年寄りの値段ともいえる「老人の維持費」はなんともお高い。赤ん坊にお金がかかるといってもこれほどではないだろう。マンションの裏手で建設中の「ヘルスケアホーム井口」という、いわゆる老人ホームだが、最近はそういう呼び名をしない。「サービス付き高齢者向け住宅」と言う。「ヘルスケアホーム」、「デイケアサービスホーム」などの呼び名もある。
そういえば最近は「老人」という言葉をあまり聞かなくなった気がする。公的機関にあっては、「特別養護老人ホーム」、「有料老人ホーム」、の用語はあるが、民間は「サービス付き高齢者向け住宅」(旧高齢者専用賃貸住宅)に統一している。吉田拓郎に『青春の詩』と言うのがあり、それをもじってというか、パロった『老人の詩』というのがある。以下、歌詞を比べてみる。
「青春の詩」
喫茶店に彼女と二人で入って
コーヒーを注文すること
ああ、それが青春~
「老人の詩」
喫茶店に婆ちゃんと二人で入って
渋茶を注文すること
ああ、それが老人~
喫茶店に婆ちゃんと二人で入って
渋茶を注文すること
ああ、それが老人~
高齢者に安心の生活を提供するサービス付き住宅だが、非常に高額であり、故に儲かる商売なのだろう。裏手に建設中の「ヘルスケアホーム」の利用料金を見てみると、単独入居の場合、18.30㎡の部屋が60,000円、共益費24,000円、食費51,000円、状況把握費18,000円で、トータル153,000円/月となっている。これを高いと見るか安いと見るか、普通と見るか。
高い、高い、非常に高いと自分は見る。何を基準に高いといえば、18.3㎡の居室を民間で借りれば、地域にもよるが30,000円~40,000が相場(共益費込み)であり、食費の51,000円は一日1,700円計算だから、粗食なら半分の25,000円程度で収まる。把握状況まで金を取るのも高齢者ビジネス特有の項目で、とにかく老人というのは、あれこれ金の成る木。
民間住宅で単身生活とは違うというが、一人で寝起きして買い物に行き、自炊もしてテレビ視聴という質素な暮らしをすれば月70,000~80,000円で暮らせるというのが自分の試算。この手のサービス施設のなかった時代の老人は、みんな一人で頑張って生きて来たのだから、昔やれて今できない事はないが、便利&便宜供与にお金を支払う時代の到来だ。
特別に質素・倹約しないでも老人は生活に無理・無駄がないからお金がかからない。自力で動けるなら民間賃貸住宅を借りて一人暮らしの方が安上がりだ。「ヘルスケアホーム」は老齢年金でまかなえるが、こういうところの入所者は贅沢生活者の部類であろう。どうしても介護を要する老人の場合は、別の「特養老人ホーム」があるが、すぐの入居は難しい。
特養=「特別養護老人ホーム」は、介護老人福祉施設とも呼ばれ、社会福祉法人や地方自治体が運営する公的な施設で、要介護が必要なお年寄りを持つ家庭なら、この「特養」と呼ばれる施設を探すことになるが、誰でもすぐに入居できるわけではない。入居の対象となる老人は、65歳以上で要介護1~5の認定を受け、常に介護が必要な状態で自宅での介護が困難の場合。
という条件に加え、寝たきりや認知症など比較的重度の方、緊急性の高い入居が優先となる。そのため入居待ちの方が非常に多く、全国の入居待機者数は約40万人とも言われている。入居までに早くて数ヶ月、長い場合だと10年を要す場合もある。また、「特養」は公的施設で低料金であるため、相部屋になることが多く、民間の老人ホームほどサービスが充実していない。
「う~む…」、これはいたし方ない事かも知れない。かつて高齢者施設は街中にあると嫌がられる時代があったが、今は打って変わって街中に点在しており、誘致をしている自治体も多く、そのあたりは時代の変化である。へんぴなところにあると家族が会いに行きづらいなどの不便さもあり、住宅街で交通の便が良い場所に建築されるのが普通になってきている。
高齢者施設は建設ラッシュである。、自分の居住界隈でも数年の間に4個の「ヘルスケアホーム」が建設開業した。このように日々新しい施設ができるので、よりどりみどりで選べるようになっているのだろうか?答えは「NO」だ。実際に聞こえてくる声は、「こんなに待機が多いとは…」、「こんなに費用が高いとは…」というため息交じりものばかりである。
福祉はビジネスだから仕方がない。誰でも費用が一番安くすむ「特別養護老人ホーム」をまずは第一希望とするのが大半を占めている。しかし、特養ホームの入所待ちは、人口の多い大都市圏なら500人待ちはざらであり、受付時に待機人数を聞くやいなやビックリこいて老人を持つ家族も、入所する本人も気持ちが萎えるらしい。世はまさに老人受難社会である。
やむなく民間の地域有料老人ホームへパンフレットをもらいに行くこととなるが、入居一時金やその後の費用の金額を聞いてさらに腰を抜かす。仕方なく入所施設はやめて、ヘルパーさんに来てもらおうという流れになるが、ヘルパーも24時間来宅してくれないことを知らされる。デイサービスやショートステイなど馴染みのない言葉に翻弄され、疲労をきたす。
介護保険ができて約15年、その名称は国民の間に浸透してきたが、一般に保険というのは事故が起こった場合に被保険者を救済するもの。例えば健康保険は、病気になったら安価な金額で医者にかかることができる。年金保険は、65歳になったら生きている限り年金支給される。このように保険というのは、困った時に助けてくれるものなのという考え方。
ところが、介護保険に限ってはそうなっていない。介護保険はこのまま高齢化が進むと財政が持たないため、なんとか老人福祉を持続させようと考案された制度であって、もともとが収容人数を増やそうとする制度ではない。だから、費用の安い「特別養護老人ホーム」の数はなかなか増えないし、施設は増えても、今までのように収容人数が増えることはない。
なぜなら、厚労省が強硬に個室化を推進したため、一人当たりの必要面積が多床室に比べて2倍になった。介護保険制度自体は定着しつつも、良くも悪くも中身が年々変わって行く。なかでも介護度が低い人のサービスは特に大きく変わるし、しかも内容が分かりにくい。本来は高齢者が使うサービスであるにもかかわらず、利用者は置いてけぼりの状況である。
超々高齢社会の日本。厚生労働省のデータによると、2000年に156万人いた認知症患者は、2010年には226万人、さらに東京オリンピックが開催される2020年には292万人になると予測されている。自分のその中の一員になるのか?ウンチを壁に塗ったり食ったりするのか…。そんなみっともない、と言ったところで病人だから罪はない。病人と言うのは人を殺しても免罪される。
今や85歳以上では4人に1人が認知症であるいわれ、寿命が延びたことを喜んでいいものやら、の時代である。そんな自分の親や自分が要介護状態になったとき、役立つのが介護保険である。誰もみなそうだが、尻に火がつかないと介護保険のことなど詳しく知ろうとしない。緊急時や、その兆考が親に現れて初めて勉強するが、それでいいだろう。いや、そういうものなのよ。
だから、詳しく知るためには、知ろうとする人が自ら勉強するしかない。いづれにしてもお金がかかると言う事。「老後の資金」ということで若い時分から節約して、本気で老後資金を蓄えて置く時代になっている。近年は昔のように「終身雇用制」の確立した時代になく、厚生年金を35年、40年かけたと言う人はどんどん減ってくる。となると当然年金額が少なくなる。
だから「老後の資金」。人間の運命は皮肉だからしっかり蓄えた人、あるいは資産家だから長生きするとは限らない。これについてはなんとも言えない。誰も自分の寿命を知る事はできないのだ。どうせ長生きできない、したくないから金は残さない人が天寿を全うしたりする。「いつかは死ぬ。それが摂理だ。与えられた寿命を生き、それが尽きたら去る。」
生を受け、やがては死ぬのが人間のプロセス、定めである。そこから出された答えが今を全力で生きることだが、そこに注釈をはさむなら、無謀にお金を使わないで楽しめる事はある。お金は残しておいて困る事はない。たとえ自分が早死にしても、残ったものが感謝をするだろう。金なんか墓まで持っていけない、じゃんじゃん使え、という時代ではなくなった。
それだけ老後に金がかかる時代になったのだ。我々があの世に持っていけるのは、過去の経験から得た記憶だけだろう。それを思い出という。やんぬるかな思い出とは自分一人だけが楽しむもの。たしかに、目の前に思い出を共有できる子や配偶者がいるのは望ましいが、物欲に振り回されず、貴重な思い出を胸にしまって持っていく。それが冥土への旅立ちである。
周囲の評価を気にせず、自分らしく生きれば最高の人生か。自分を生きたという意味でだ。評価というのは所詮その人の思い込みにしかすぎず、だから人の思い込みに躍らされる事もない。批判とて同じことよ。自ら蒔いた種は自ら刈り取る事も大事なこと。他人のせいにしたところで、他人は刈り取ってはくれないのだから、刈り取らせようなどしないこと。
「自己責任」という言葉は、自分で行為した事の責任は自分にあるとの考え方が根本にあるが、そんなの当たり前だろうに。自分の行為が自分以外の誰の責任であるのか?そんなはずがない。「寿命があるからこそ、人生は素晴らしいのだ」と、言葉だけでなく、本当に心からそう思える日がいつ到来するのだろうか。心構えとは、ある種覚悟であり、「心の準備」である。
いつ死んでもいいように、構えと準備ができている。といえるほどになりたいものだ。「こうなったのはあいつのせいだ」みたいなことをいう人間はいる。その言葉は人間にはつきものだから言ってもいいが、できたらポジティブな形で言いたいもの。自分は、「今の自分があるのは母親のせいだ」と思っている。「せい」とは恨みではなくご利益のことを言っている。
母を殺したいほど憎んでいた。が、母の言いなりにならなかったことで、自分を作ったことだけは自信を持って言える。しかし、母がもし慈愛心に満ちた人であったなら、自分は別の人間になっていたはずだ。見えない架空の自分が果たしてどんな自分かは分らない、分らないだけに今の自分が好きである。されど、本当は優しい慈愛に満ちた母であって欲しかった。
これは偽らざる気持ちである。母に優しく接することのできない自分は、生涯の悔いだと思っている。どうせなら、親子が仲むつまじくあるのが本来の親と子であろう。そういう不幸を持ったまま互いは人生を閉じるだろうし、心残りはお互いさまだ。悔いも人生の産物である。良い人生と悪い人生を足して人生であり、良い人生から悪い人生をマイナスする事はできない。
すべてをプラスに加え、悔いも含めて良かったであるべきだ。「後悔」と言う言葉がある以上、過ぎた事への悔いは誰にもある。が、せっかくの悔いなら生かすこと。起こったすべての悪い事は学びの対象となっている。すべての良い事は歓びの対象となっている。人は一人で生まれ、一人で死んで行く。誰かに見守られてもいなくても、死ぬのは一人である。心中とてそうではないか。
心中は二人で死ぬのだというの錯覚、やはり死ぬのは一人である。その場に二人いたというだけだ。集団自殺も同じこと。100人いても個体は個体。無差別殺人犯が、誰かを殺して自分も死のうと思ったという。自分が死ななければいけない無情感を人を巻きぞいにすることで満たそうとする。自分が死ぬのがバカげて損な気分がするから、人にも味合わせてやれという倒錯心理。
それくらい、人は死に怯えている。それが証拠に無理心中を図り、相手が死ぬのを見て恐怖を抱く。あげく死ねなかったという無責任。無差別殺人で暴れまわって結局自分は死ねない。一人で死ねない奴が数人殺して死ねるはずがない。何が道連れだ。この小心者めが。一人で静に死ぬる子たち、大人たち。勇気もあるだろうが、その勇気を生に使ってみるといいのに。
理研の笹井氏や長崎・高1の父親のような、責任と自死の問題は善悪を超えた人の選択であり、批判の対象にすべきでない。自殺を「悪」とする宗教倫理も、所詮は「教義」という決め事。責任を取っての自死は、弱き哉人間の美しさではないかと感じる部分もあって、ゆえにか彼らの死を断罪できない。人の究極の責任の取り方は自死ではないかと多角的に思考した結論だ。
「死で償うことが責任の取り方の1つになるのでしょうか?」という問質がネットにあった。それには7つの回答があったが、すべて責任を取ったことにならないであった。逃避という指摘が多いが、人は人で自分は武士道的責任の解釈にある。もっとも大事な命を捧げるのは、理屈抜きの明確な責任の取り方であろう。命だけではない、家族も財産も過去も未来も一切を捨てるわけだ。
「責任はきっちり生きてとるべき。それ以外は逃避」という意見が多い。「究極の無責任」という人もいるが、解雇のことをなぜ首切りといい、「お前はクビだ!」というのか考えてみよ。会社や上層部からクビを切られない甘い体質に、自らの首を切って奉ずるのが自殺である。自らの生命、愛する妻子、過去の一切、未来の一切を捧げて詫びるなど、なまじできることではない。
嘘偽りの謝罪言葉に比べてこれが正直でないなら、何が正直であるのか。「責任の取り方として間違っている」というなら、上司から「お前はクビだ!」というのは行為としてすべて間違っていることになる。「もうちょっと、別の責任の取り方があるでしょう?」と上司に言ってこらえてもらえるのか?ダメ社員に告ぐ。「クビをかけて仕事をしろよ!」
赤瀬川源平が亡くなったのは昨年10月24日、つい先日という感じである。享年77歳は男の平均寿命を3歳下回っており、よって長寿とはいえないだろう。「心はいつもアバンギャルド」が口癖の彼は、前衛美術家の肩書きをもっていた。遊び心に富んだ彼の常人離れしたユニークな発想からして、得体の知れない人物と言う印象が自分の最初の赤瀬川評であった。
その彼が1998年にエッセイ集『老人の力』(筑摩書房)というのを出版したところ、これが何と筑摩書房はじまって以来最高のベストセラーというから、おそるべし老人パワーである。いかに老人人口が増えたかということであろう。高齢化社会が進む中で、赤瀬川は老人への新しい視点を提供してくれた。即ち彼の言う「老人力」とは、「忘れる力」である。
旧来の「耄碌(もうろく)」や「ボケ」は、人間が成熟することで身につく力であり、「ゆとり」、「遊び」をもち「肩の力を抜いて」生きることの大事さを、赤瀬川らしい軽妙な筆致で説く。いかにも彼らしい逆転の発想で、物忘れすることを「忘却力」と言い換えるような遊び心である。同著では、老いをネガティブに考えず、マイナス視せず、余裕をもって晩年を生きろと…。
「老人力」にちなむの逆転の発想は、実は赤瀬川が中心となって発足した「路上観察学会」の活動から生まれた。「路上観察学会」の合宿で藤森照信が赤瀬川の物忘れの多さに突っ込んだことから、発想の転換で思いついた。"老人力ブーム"について赤瀬川は、「暗くない対し方が欲しいという人々の気分にピタリはまったのかな」と語っている。