「"人生とはアーチのようなもの"という古い考えにわたしたちは捉われている。アーチとは人生の真ん中でピークに達し、その後は衰えていくもの。加齢をまるで病気のように考えている。でも、今では多くの人が、芸術家や哲学者や医者や科学者に至るまで、人生の後半の30年を新たな見方で考えています。それを私は『人生の第三幕』と呼んでいます。
『人生の第三幕』は発展期なのです。青年期が少年期と違うように、『人生の第三幕』は中年時代と異なります。この時期をどうやって上手く過ごすのかを考えなければなりません。年を取ることは何に例えればよいのか、一年かけてこのテーマを研究した結果、年を取るということは階段を上ることだと考えるのが相応しいのではないかとの結論に達したのです。
精神的な成長が、知性や全体的な信頼性に繋がるのです。年を取る事は病気ではなく、将来性のあることです。そしてこの将来性は一部の少数の幸運な人だけのものではなく、50歳以上の多くの人がストレスが少なく、敵対心も不安も少ないことが分かっています。50歳以上の人は違いより共通点に目を向けるし、それらが50歳以上に幸福感を与えているのです。」
人生50年と言われた時代から現代人は30年以上も長い平均寿命を持つようになった。それはただ付け加えられただけのものではない。TEDxWomenで、ジェーン・フォンダは、この人生の新たな段階をどう考えるべきかを問いかけた。TEDx(テデックス)は、米国で開催される招待制のカンファレンス、TEDの精神「ideas worth spreading」のもとに世界各地で発足するコミュニティ。
TEDxのxはTEDのコンセプトを受け継いだ団体である。現在60ヵ国以上にわたる都市でTEDxイベントが実施されている。TEDxTokyoは東京をベースに活動することを目的に、P・ニューウェルとT・ポーターによって創立された。ジェーン・フォンダは1937年アメリカ生まれの77歳で、ヘンリー・フォンダを父に持つ。女優の他に、作家、政治活動家の肩書きを持つ。
幼い頃、実母が父の浮気を苦にして自殺したと知った以降、父との確執が始まった。父はその後も別の女性との再婚・離婚を繰り返した。ジェーンはことごとくヘンリーに背き、ヴァディムとの結婚も父に知らせないままだった。和解したのは彼女がフランスから帰国してからだという。「フランス行きが私を自立させたのです。私は父を克服しました」と後に語っている。
父の行状から屈折した青春期を過ごしたジェーンにとって、父との和解は父娘初共演の映画『黄昏』(1981年)であった。父と娘の確執を取り扱った作品であるが、それは実生活におけるヘンリーとジェーンの不和を思い起こさせるものだった。ジェーンが父親の最後を予感し、父のために原作の映画化権を取得したとされる。実際同映画はヘンリーにとっての遺作となった。
『黄昏』は1981年度の第54回アカデミー賞で、主演男優賞、主演女優賞、脚色賞の3部門で受賞した他、共演のキャサリン・ヘプバーンが自身の記録を塗り替え史上最多となる4度目の主演女優賞に輝き、ヘンリー・フォンダも史上最高齢の76歳での主演男優賞と、記録尽くめの受賞となった。父親の相手役としてキャサリンを推薦したのもジェーンであった。
『怒りの葡萄』や『十二人の怒れる男』など多くの作品に主演したヘンリー・フォンダが、76歳にして最後の作品で念願のアカデミー賞初受賞という快挙である。娘によってもたらされたアカデミー賞初受賞といって決して過言ではない。ところが念願の主演男優賞を獲得したものの、授賞式を健康問題で欠席したヘンリーに代わってジェーンが出席して賞を受け取った。
ヘンリーは受賞式の数ヶ月後の1982年8月12日、子供たちに見守られながら77歳にて死去した。現在ジェーンは父の死去と同じ年齢であるが、3年前の74歳のときに当時の恋人とされる大物プロデューサーリチャード・ペリー氏と4度目の結婚が時間の問題といわれていた。出会いはジェーンが74歳だった2011年、人工膝の関節置換手術を受けた時期で、熱愛の心境を明かしている。
「男性に対して心の底から親密さを感じたことは、これまで一度もなかった。死ぬまでに、それが一体どういうものなのか味わってみたかったの。そしてリチャードに出会った。彼と一緒にいると完全に安心感を得ることができる」と述べている。ジェーンは『素直な悪女』、『危険な関係』などの作品で知られるフランスの映画監督ロジェ・ヴァディムと27歳で最初の結婚をした。
「私は女優として成功を遂げ、経済的にも豊かでしたが、自宅のドアを閉めた途端に自分の声を無くし、男にかしずき、男を喜ばせたいという一念に取り付かれていました。知らず知らずのうちに女性蔑視の習慣に取り付かれ、それが体の芯まで蝕んでいた。フランスで時の人だったロジェとの結婚は、"ああ私も価値のある人間なんだ"と自讃していました」とジェーンは言う。
ロジェとの結婚生活は8年で終焉、帰国して35歳でラディカルな政治家トム・ヘイドンと再婚する。ヘイドンとは17年の長きであったが結局離婚し、54歳にしてメディア王デッド・ターナーと三度目の結婚をする。「テッドは私に自信を与えてくれました。それは彼と別れてから気づいたんです。以降、私にアレコレ指示・注意しなくても自分の判断は間違わない程に成長した」と。
そういう履歴を持つ彼女が74歳にして4度目の結婚をサプライズするはずだったが、あれから3年、その後どうなった?リチャード・ペリー氏を恋人に迎えた頃は、「74歳にして、これまでで最高に充実したセックスライフを送っているわ。若い頃は抑制する気持ちの方が強くて、自分が何を欲しているのか分からなかった」と74歳のばあさんにして過激な発言である。
ジェーンは60歳のとき、これからの時間を自身の最終章とし、第三幕目の結果を出そうと思考した。たとえ最初の二章がバカバカしいことの連続であっても、最後には大切なものを残して行きたいと言う事のようだ。テッド氏と結婚しアトランタに住むようになった頃、10代の少女たちの妊娠・出産が多いのを目にしたジェーンは、「思春期妊娠防止キャンペーン」を始める。
運動が巧を奏し、妊娠率が30%下がったことで、テッド氏と離婚した後も元夫婦ということで運動は続けている。「前の二人の夫と比べてテッドはとても親切でした。親切っていいですよ」とジェーンは言う。そんな彼女の74歳で結婚を考えるというのは自分には理解できない。出会ってから同居を始めて現在も続いているようだが、二人の愛についてはこう述べている。
「今はただ彼に愛されているというだけで幸せなの。彼からは何も要求されませんし、こちらも何も求めません。愛情だけで充分。人生の終わり近くになってそういう愛を見つけました。これまでも、それなりに努力はしていたのですよ。人間って、自分が何を欲しいか知ることが第一ね。ここまで長い長い時間がかかりましたけれども…」。この言葉はよく理解できる。
特に、「彼からは何も要求されませんし、こちらも何も求めません」というくだり。これが男と女の愛の本質ではないかと感じている。相手も求めない、自分も求めないのは、何も物質的に満たされているからと言うのではない。何十万、何百万のジュエリーや衣類などをむしろ求めないのがセレブであろう。彼らは求めること以上に吐き出すことを大事に考える。
ボランティア精神は「富の分配」にある。お金持ちばかりが富み、吐き出さなければ富は一極集中する。特にアメリカの象徴といえるニューヨークは、全米から世界中から、人々は夢を抱いてやってきた。頑張ってつかもうとする夢が大きい分だけ実現の確率は低くなり、勝者と敗者の間の落差も大きくなる。浮かぶ瀬の高さと沈む淵の深さ、光と影が交錯するカオスの世界。
人的奉仕という社会活動としてのボランティアもあるが、アメリカンセレブのよる富の再分配も同様である。労働奉仕、物的(金銭的)奉仕、それぞれに役割がある。お金を出せないひとは汗をかけばいい、労働を捧げる時間の余裕なき人はお金で償う。ケツの穴の小さい小金持ちが、家や車や骨董品を見せびらかせているだけではセレブどころかガメツイ守銭奴であろう。
ジェーン・フォンダは長いこと鬱を抱いていた。「40歳代のころ、朝目覚めて最初に考えることは、すべて悲観的なことばかり。私は怯えていたし、自分が偏屈な年寄りになろうとしているのが分ったのです。ところが、人は老齢期にかかると外側から見るのとは対照的に、怖れは弱まるのです。加齢を美化したいのではありません。老年期が実りと成長の時期にあるということです。」
彼女のいう、「老年期が実りと成長の時期」と言うのも頷ける。誰でもそうではなく、そのように仕向ける者はそのようになるということ。主体的な学びは若い時期など比べ物にならないだろう。主体性を持って学ぼうとする意欲こそが真の「学び」の本質であろうが、それが何故か若いときにはできない。若いときには性欲、物欲、欲望が多すぎるからだろう。食欲とてそうだ。
ジェーンの言う、「人生の第三幕」最終章をどう生きるか。ダラダラ生きるのも悪くはないが、圧倒的な実在感を抱いて生きるのもいいだろう。そのためには自分が向かうべき方向を見つけなければならない。第一章、第二章を振り返り、自分が辿った道筋を知ることが大事であった。自分とは一体どういう人物だったのか?自分とは一体何者だったのかを知るべきである。
親や教師や友人が自分のことをどのように見、どのように語っていたのか。親や教師や友人という枠をはずして、親とはどういう人間だったのか。教師とは、友人とは、自分の周囲にいる人間はみな人間としてどういう人だったのか。「温故知新」の諺どおり、それが今を知る手がかりになる。あの時のあのことに心を傷めたことは、実は自分とは何の関係もなかった。
親の強権や傲慢であった。そういった、自分のせいでないことに拘っていたことがどんなに多かったか。それを今、大人になった自分が、大人の考えで思考し、整理し、結論づける。そのことが自分を解放することになる。映画『グッド・ウィル・ハンティング』のラストで繰り返された、「It's not your fault」という言葉。親から悪い子と烙印を押され、傷ついた過去は誰にもある。
それを大人の思考で見ると、悪いのは子どもではなく実は親の欲求であったりする。子どもが親の欲求の犠牲になる必要などないのに、子どもと言う弱者が親と言う強者によって歪められていく。ルソーの言うように、子どもの心を歪めるほとんどの要因は親であろう。自分と自分の過去の関係性を変えることが、自分の過去を変えることとなる。過去は変えられる。
ジェーン・フォンダも同じようなことを言っている。「人生の第三幕の核となる目的は、必要に応じて、過去との関係性を変えることなのだと思います。認知研究によると、過去との関係性を変えることができると、神経学的にも変化が現れ、脳内に新たな神経経路ができる。長年に渡って過去の出来事や人に否定的な対応をしていると否定的な神経回路が作られるのです。」
さて、「人生の第三幕」に差しかかって、何をやるかの前にやらなければならないのは、自分の過去を故(たずね)て見ることだ。そこから新たな自分と過去の関係性にしっかり向き合うことだ。「先ず隗より始めよ」の言葉の意味とは、大事を始める時には、まず手近なことから始めるとよいと教えている。大人の視点で眺めた自分の過去に過ちはあるはずだ。
行為の過ちではなく、誤った認識を持ち続けたそのことへの惜別である。過去は変えられる。必ず変えられる。過去を変えることで今も変わる。ジェーン・フォンダも同体現者。自分は母に、彼女は父に嫌悪感を抱いていた。自分はメンタルを患わなかったが、彼女は長いこと鬱に悩まされていた。が、こんにち逞しきはメンタルを克服し、世界狭いと活躍する彼女である。
心の持ち方、気持ちの改め方で、人は斯くも変わるという見本のような人である。77歳にして何と言うスピリットであろうか?彼女には辛気臭いの欠片もない。これほど「老い」をポジティブに考えるジェーン・フォンダは、多くの老齢者の見フォンダ。女性に限らないハートの若い男はいるね。気持ちが若いと若造りしなくても自然、若さは出ると思う。
VANヂャケットの創始者石津謙介が、日本の若者に与えたスピリットはそれかも知れない。アメリカ東海岸の名門私立大学を「アイビーリーグ」といい、その学生ファッションをアイビールックといった。石津は1959年にアメリカにいって、これはカッコイイと早速日本に持ち帰り、売り出したところ、デパートの紳士服仕入れ担当から、ケチョンケチョンに言われた。
例えばボタンダウンのシャツに関して、「襟にボタンがついてるなんてどういうこと?こんなボタン取ってください」といわれる始末。「あちらではこれが人気なんですが…」、「ここは日本ですから…」とにべもない。トラディショナルって、流行じゃないし、流行なんかない。親から子、子から孫へとツルを伸ばす観葉植物アイビーのように、連なって伸びて行く。
VANショップ多治見の代表橘浩介さんは、今年息子が自分が32年前に成人式で着た同じVANの赤いブレザーで成人式を迎えたという。なんと素敵なことではないか。このブレザーは、また息子の子どもが成人式に着るとかなれば微笑ましい。これがトラディショナルの原点かも。そういえば昨年暮れ、靴を大人買いした。まだまだ熱いぜ、てやんでぃベラボウめっ!