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乳がんは難しい

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亡くなった圓楽師匠がかつて言った。「何かをやろうとする人はまず健康でなければダメです。ですから体だけは大事にしないと…」当たり前だが、当時50代の自分にこの言葉はピンとこなかった。当たり前の言葉が差し迫って聞こえないのは、自分に差し迫った感がないからだが、圓楽の「死神」は名演の誉高い。「死神」はイタリアオペラが素材の古典落語。

医者が道を歩いていたら財布が落ちていた。医者といえども落ちてる財布は拾うが、周囲は人がいる。医者は諦めて素通りした。そこに坊主が通りがかり、躊躇いなく財布を拾った。見ていた医者は駆け寄って坊主に言った。「ご住職、私が諦めたものを何であなたが拾うんです?」。坊主は言った。「医者が諦めたものは坊主のもの」というオチ。

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粋な語りと豊かな表現の圓楽は、長いこと「笑点」の司会を務め、まさに「笑点」と言えば圓楽、歴代司会者の中で最長の23年である。圓楽の前は三波伸介、圓楽の後は柳亭小痴楽(のちの春風亭梅橋)であった。「笑点」はたまに観る程度だったが、噺家による即興大喜利にはほとほと感心させられた。彼ら頭の構造は東大生より断然上と感じていた。

圓楽もがんを患い、晩年は激やせだったが、がんで逝った有名人は多い。今井雅之、愛川欽也、渥美清、緒方拳、勝新太郎、松田優作、筑紫哲也、阿久悠、千代の富士、仰木彬、大橋巨泉、夏目雅子、堀江しのぶ、 田中好子、川島なお美、中村紘子…。2人に1人ががんになるといわれるが、早期発見、早期治療が功を奏してか、不治の病でもなくなった。

歌舞伎俳優市川海老蔵の妻で、乳がんで闘病中の小林麻央の記事が毎日取り上げられるのは、夫も彼女も有名人であり、また美人でもあるからと思うが、ブログは毎日更新されてうるにしろ、マスコミの取り上げ方は多くないか?どうしても関心の強い記事を主体にするのだろうが、世の中には同じくがんや難病と格闘する多くの「無名の人」がたくさんいる。

女優で舞台や写真集のキャスティングプロデューサーとしても活躍した小栗香織(45)も、現在乳がんで闘病中である。本年2月に告知され、都内の病院で5月18日に摘出手術を受けた。退院した小栗は、「一人では乗り越えられない病気」と家族への感謝を口にした。岩井俊二監督の「Love Letter」に出演したという女優だが、あまり知らない人だった。

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元気そのものだった母親が昨年6月20日に腎細胞がんのため死去し、一周忌を終えたばかりの小栗だが、悪性の腫瘍が見つかったときは手遅れの状態だったという。小栗も40歳を過ぎてからは毎年婦人科検診を受けてきたが、母のことがあったため昨年末に再検査を受けると、左胸に影が見つかったという。年明け2月に精密検査を受け「初期の乳がん」と告知された。

医師から病名を告げられたときは、「涙も出ないほどショックでした」と振り返る。「手術した方がいい」との医師の言葉を信じて5月に手術を受けた。同様に乳房の全摘手術を受けた北斗晶の例もあるが、小林麻央はステージ4ということで手術はできないという。2人に1人ががんという時代にしろ、このところ有名人のがん告白が増えているように思う。

乳がんといえば、キャンディーズのスーちゃんこと田中好子も55歳で逝ったし、声優で、「ちびまる子ちゃん」のお姉ちゃん役だった水谷優子(51歳)も、5月17日に亡くなった。田中好子は19年間の闘病の末だった。田中が始めて乳がんの宣告を受けたのが1992年で36歳の時で、再発を繰り返しながら治療を続けていたのだが、2010年に十二指腸潰瘍を患う。

その治療のために絶食をおこなったことで、免疫力が低下し、乳がんが再発するきっかけになったといわれている。翌年2月には、がん細胞が急激に増殖し、肺や肝臓に転移。それから2ヶ月という早さで、4月に亡くなった。多くの人が驚いたのは、「発症から20年近く経ってまだ再発するの?」ということ、そして、「転移から2ヶ月で亡くなることがあるの?」である。

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乳がんは一般的には、「最初の治療後、10年何もなければ完治」というのが定説である。小栗香織の場合も初期がんにもかかわらず、「完治には5年~10年かかる」と述べている。普通のがんの場合、治癒したかどうかを判断する尺度は通常5年です。5年間の間に再発等の問題がなければ、そのがんは治癒したと見なされるのが、乳がんはそうはいかない。

大腸がんや胃がんは5年目以降の生存率がほぼ横ばいになのに対して、乳がんや肝がんは5年後以降も生存率が下がり続ける。つまり、乳がんの場合は5年間再発がなくても安心できず、10年近く経過を観察する必要がある。乳がんの闘病が長期化するもう一つの理由として、抗がん剤治療の他に、ホルモン療法、分子標的薬などの化学療法が行わる点も挙げられる。

乳がんはがんの大きさや広がりの度合いを示すステージよりも、むしろどのようなタイプの乳がんなのかによって、予後や治療方針が左右される。ステージは初期でも、全身にがんが広がってしまっているケースもある。化学療法は基本的に、特定の腫瘍をターゲットにするのではなく、全身に広がっている可能性のある腫瘍をターゲットとするもの。

確認できている腫瘍を切除した後も、現段階で確認できてはいないが、どこかにあるかもしれない腫瘍への治療を継続するという。乳がんの中には女性ホルモンによって増殖するタイプ、HER2過剰発現によって増殖するタイプなどがあり、そうしたタイプに該当する場合においては、手術後の化学療法の種類も増えるし、そのことで治療期間も長くなる。

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しかし、これは治療の手立てがそれだけ多いということであって、乳がんの治癒にとっては良いことだ。むしろ、どのタイプにも当てはまらず、有効な治療の手立てがない場合の方が問題となる。小林麻央の場合は、有効な治療手段を選択できない、「トリプルネガティブ」ではないかと推測されている。「トリプルネガティブ」について、以下に詳しく説明する。

乳がんを増殖させる要因の代表的なものが3種類(エストロゲン受容体、プロゲステロン受容体、HER2)あり、それぞれに対応した治療薬があるが、「トリプルネガティブ」は3種類のいずれにも属さない乳がん。ぴったり合った治療薬がなく、乳がんをコントロールしずらい。国立がん研究センターは、「核酸医薬」という乳がんの新しい治療薬の治験を開始した。

この新治療薬治験の1人目の対象者は、鎖骨下リンパ節転移(局所腫瘤)のあるトリプルネガティブの乳がん患者で、2015年6月30日に最初の投与を行ったとされる。もし小林麻央が「トリプルネガティブ」の局所進行乳がんだとすれば、治験がはじまったばかりの新しい治療薬の対象となり、彼女がこの治験に参加したのではという予想は考えられる。

彼女はブログでがんの痛みについて語ったことがある。これまで痛み止めを飲むことに抵抗を感じていたけれど、今は無理をして我慢する必要がない思っているという内容で、「そのときの痛みから解放されていく"和らぎ"が今でも忘れられません」と9月4日に書かれている。自分も尿管結石の痛みを経験したが、これは、「痛みの王様」と言われている。

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その時に「ボルタメンサポ」錠という座薬を挿入するのだが、これがまた何とも言えない痛みの解放感がある。爽快感といってもいい、脳や精神がハッカのように爽やかに洗われるという表現が近い。痛みが起こらない場合でも試したいそんな感じになる。9月20日のブログで彼女は肺と骨に転移のある、ステージ4のいわゆる末期がんであることを公表した。

一般的にがんが骨に転移した痛みは想像を絶すると言われる。したがって、使用した痛み止めはおそらくはモルヒネだった可能性が高いく、これは彼女が抵抗を感じていたことからも想像できる。また、骨転移が最も多いのは乳がんと肺がんともいわれている。小林麻央の経過報告を読むのは忍びなない。人が死と闘っているのを我々はタダ見るしかすべがない。

「美人薄明」という言葉はどうして生まれたのだろう?語源的には、「美しい人は、とかく病弱であったり、数奇な運命にもてあそばれたりして、短命な者が多い」といわれるが、それが事実なら言葉は必然的に生まれたものだが、自分はそうした統計的な事実とは別の、美人の短命はあまりに悔やまれる、儚さが一層強く感じられるという意味もあるのではないか?

自殺した美人の顔を見て、「なんでこんな美女が…、もったいない。どうせ死ぬのなら、死ぬ前に一度…」みたいなことをいう男は多い。確かに美人の死はそのような、希少価値としての思いを抱かせるのだろう。「ブスが死んでも何とも思わんのか?」と突っ込めば、「思わんね~。思うわけないだろが」と、にべもない。「お前も同じだろう?」と…

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振られると正直に答えるしかない。女優は観賞用としての美人であり、観賞するもの。人の命は美人もブサイクもかけがえないが、「こんな美人が、なんで自殺を…、その前に…」は、男の好む下世話な話ということ。2014年1月20にがんで他界した元四人囃子で、音楽プロデューサーの佐久間正英も、13年4月にスキルス胃がんと診断された後、僅か10か月の生であった。


死に直面した時の人の言葉は、凝縮されたその人の生き様に例えられる。小林麻央は、「私はステージ4だって治したいです!!! 5年後も10年後も生きたいのだーっ!あわよくば30年!いや、40年!50年は求めませんから」と、強い思いを吐露していたが、男である佐久間はそのような言葉はいわなかった。言わなくても生きたい思いは、ひしひし伝わってくる。

同じ人間だからである。小林のように口にする人にも、内に秘めて言葉に出さぬ人であれ、我々は何もできない。声に対しても、声なき声に対しても、一様に念じるしかすべはない。自分の意志とは無関係に死を強要されるというのは、「運」というしかすべはない。運で命を左右される、だから「運命」と言う。念じても「無」であるからして、だから、「無念」という。

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