10月 425974歩 291133m
11月 468475歩 322635m
2月 458508歩 311674m
1月 427959歩 295002m
2月 396480歩 269597m
3月 441295歩 300095m
4月 549318歩 373403m
5月 567095歩 381612m
6月 453428歩 308253m
7月 481400歩 327338m
8月 488053歩 331877m
9月 374830歩 313886m
11月 468475歩 322635m
2月 458508歩 311674m
1月 427959歩 295002m
2月 396480歩 269597m
3月 441295歩 300095m
4月 549318歩 373403m
5月 567095歩 381612m
6月 453428歩 308253m
7月 481400歩 327338m
8月 488053歩 331877m
9月 374830歩 313886m
TOTAL 5,533,175歩 3,826.5km
歩きも歩いた1年間。何事も区切りをつけた方がひと段落する。したがって、1年間ご苦労様のアルキメデス。いや、アルキメデタシである。初めの一歩は積もり積もって5,533,175歩、総歩行距離は3,826.5kmは、日本列島縦断である。これだけ歩いて何かご利益があったのか?自覚がないのでわからない。足の裏の筋の負傷だけが、確実に起こった事だ。
アスリートに故障はつきものだが、一般人ウォーキング愛好家でも過度の運動がたたれば故障はする。結果的に過度な運動だったというしかない。残念だが無理をせず、養生して治すしかない。「ウォーキング」なんてのは何の変哲もない、「歩く」という日常動作である。ランニングなどに比べると運動強度が低く、高齢者でも無理なく始められる。
それが油断となるのだが、ネット検索すると、あるわあるわ、ウォーキングにおける様々な事故やトラブルの多さからして、ウォーキングはれっきとしたスポーツであり、正しく行わなければトラブルも生じる。回避するための注意点も書かれてあるが、自分は回避も何もしなかったようだ。筋肉の炎症程度で症状も軽く、少しの期間安静にして置けばいい。
実施前の注意点としては、①当日の体調を留意、②足にフィットした靴、③(可能であれば)通気性・伸縮性の高い服装。実施中の注意点として、①低血糖(朝食前の歩きは注意)、②水分補給、③靴ずれ、水ぶくれ。実施後の注意点は、①ストレッチ(筋肉を伸ばす)、②身体的トラブルのケア、③汗を拭き、着替えを、④バスタイムケア(筋肉をほぐす)。
やはり継続するためにはトラブル回避である。身体に良いと言われているウォーキングでも、身体を壊してしまっては論外である。たかがウォーキングはされどウォーキングであり、決してあなどってはいけない。罹患した足底筋膜炎は、正しく治療をおこなうと早期に回復するようで、今後は自らへの暗黙の挑戦心を止め、気楽な歩きを心掛ける。
また、こじらせないためにも正しい治療を心掛け、できるだけ早期の回復を望みたい。足底筋膜炎完治の基準は、①どんなに歩いても痛みがない、②足の裏を指で押しても痛くない、③足の裏のつっぱり感もない、④足を地面につく時に痛くなりそうな怖さもない。ということで、現在の足の状況は酷使がたたってか、上記のすべてに合致している。
で、今回は1年区切りということで、ウォーキング自体は中止はないが、歩数や歩行距離をカウントするブログ記事は止める。数字はやりがいに寄与するが、数字以外にもやりがいはある。偏差値世代が数字の魔力に縛られるように、おそらく自分も、無意識の数字奴隷になっていたのかも知れん。確かに、数字というのは具体的であるし、あるがゆえに魔力となる。
何においても、自分を客観的・冷静に眺めることは必要であり、それを促すようにと足底筋膜炎が機会を与えてくれたのだと。罹患した足底筋膜炎は、突然痛みが起きたわけではなく、毎日のケアがなかった事も大きく関係している。足の裏は毎日使い続ける場所であり、その分、疲労が溜まりやすい。完治した後もケアは続けるようにと記されている。
「継続は力」というが、治癒も力である。肉体的、精神的な力が合わさってこそ、真の「力」となる。自らに問い続けるのも力、答えを見つけるのも力、見つけた答えを実行するのも力である。思考力、判断力、実行力、意志力、精神力などの言葉は、誰が考えたのか、上手いことつけられている。それらどれも持ち合わせておきたい人間の能力である。
さて、表題に書いたように自分は、「スーパーな男」である。「スーパー」とは、凄まじく、とてつもない能力を持った人間との意味だ。アメコミの、「スーパーマン」は、その自信と自負に満ち、だからわざわざTシャツに「S」を入れている。言うまでもないあれは、「スーパーマン」の頭文字のイニシャルとみる。が、スーパーマンと自負するってナルシなのか?
いや、事実であろう。彼の能力は常人に比べて半端でない。だから、謙遜することもなくナルシズムに酔うこともなく、自慢するでもなく、事実として、「スーパーマン」を自負している。日本にも月光仮面や七色仮面、まぼろし探偵、ナショナル・キッドなどのスーパーヒーローがいた。が、彼らは一様に日本人としての奥床しさか、マスクで顔を覆っていた。
となると、同じように顔を覆うバットマンやスパイダーマンも外国人にしては奥床しいということか。ならば顔を隠さないスーパーマンの堂々ぶりは特筆ものだ。あれくらいの能力と利他性を有するスーパーマンなら誰もが喝采である。さて、自分のことをスーパーマンと自称できる人間がいるのか?いや、ここにいるではないか、と言いたいが実は違う。
思わせぶりに、「スーパーな男」と表題したのは遊び心であって、本当は、「スーパーの男」が正しい。「スーパーな男」と、「スーパーの男」の意味の違いは誰でもわかろう。で、「スーパーの男」とはなんぞや?「スーパーの女」という映画はあったし、観たし、あれは、「スーパー(に勤めている)女」を描いたものだ。「スーパーの男」もそれに近い意味である。
略さずにいうと、「スーパー(大好きな)の男」が正しい。ということで、スーパーマンではなく、ただのスーパー大好き男。おそらく、同じ感性・趣向を有する同士は、老若男女を問わずいるハズだ。以下は戴いたメール。「よその土地に行くとスーパーに行ったりするのが楽しみです。そこに住んでる人たちが日常使っているしょうゆとか味噌とか買うことが多いです。」
「みそ」、「しょうゆ」とは「料理の鉄人」か。自分はさすがに調味料は見ないが、スーパー好きの理由は、ところ狭しと置かれた商品類。まるで子ども時分の、「おもちゃ屋さん」を思い出す。必要なものだけを買いに行っても、「何か(珍しいものは)ないかな」と、ついつい時間を食ってしまう。スーパーとは己の童心をワクワクさせる、バラエティーに満ちた楽しい場所である。
男の遊び心というのは、ノーベル賞学者であれ、脳科学者であれ、高名な文学者であれ、そこいらのオッサンであれ、人を選ばないし、留まらない好奇心の賜物である。寺山修二が民家の家屋を覗いて、「住居不法侵入」捕まったことがあった。別にいいではないか、浴室を覗いたわけでもあるまい。脱法行為ではあるが、作家の好奇心と公表は控えてもよかった。
警察というところも、今回の高畑逮捕は甚だしく勇み足である。任意同行で双方から詳しく事情を聞くべきであったろう。しかるに警察というところは、有名人、著名人の逮捕で名を挙げたいというところでもある。「悪いことをして謝って済むなら、警察はいらないんじゃ!」という慣用句があるが、「警察はいらない」をソックリ群馬県警は持って行け。
少しばかりの嫌疑で、詳しく事情も聴かず、不当逮捕で人の一生を棒に振っても警察は「お上」の傲慢さか、それなのに謝罪することはない。警察というのは、上から目線の典型であろう。自分も、「上から目線」と言われることもあったが、下から目線でスカート覗くのが好きだというのを知らない輩どもの無知と一笑に附していた。上から目線で得るものなどない。
「上を向いて歩こう」という歌は、悲しみの涙をこぼさないためで、まあ、二階から目薬を入れるようなもの。下を向いて歩けばおカネを拾う確率は高く、上を向いて歩くより実利はある。先日歩いているときに、スーパーの駐車場にせんべーのように潰された1円玉が落ちていた。可哀想に押し潰されたアルミの硬貨が、自分を見つめているではないか。
拾って汚れをはたいてポッケにしまって、交番には届けない。届けたらなんていうだろな~、などと想像するが、こういう場合、警官の第一声は想像できない。こういう場合は逆に考えるといいのよ。自分が警官ならなんていうだろうか?「一円ですか?犯罪とならないので、どうぞお持ち帰りください」というかもしれない。どうせ相手も冗談で届けているんだろうし…。
ところで自分はいくらなら警察に届けるのだろう?ちょっくら想像してみた。財布でなくナマ札として、千円かなら「No!」。1万円も「No!」。だいたいそんなお札が単独で落ちているなどあり得ないから、適当に答えている。ただし、財布なら金額にかかわらず迷わず届ける。財布にはキャッシュカード、クレジットカード、免許証などあり、これらはおカネより大事である。
別に千円、一万円、届けてもいいが、ネコババしたいというより面倒くさい。子どもなら拾ってうれしいおカネだろうが、1万円拾って得した気もなければ、いい気分になることもない。まあ、ちょっぴり罪悪感を抱きながら使うだろうが、行きたくない理由は警察が好きじゃないこともある。自分は、「面倒くさい」という言葉を禁句にしているが、こういう場合は正直面倒くさい。
さて、近所のスーパーで最も近いのがイオン系、「Max Value」で徒歩10分。同じくらいに行くのが徒歩2000歩の、「Aruk」と、2500歩の、「アルパーク天満屋」。同じくウォーキング的に適度な距離の、「ゆめタウン廿日市店」が徒歩で7000歩。いずれもアバウトの歩数。「ゆめタウン五日市店」は頻度が少ない。「Aruk」以外はポイントカードを作っている。
「Max Valur」においてはお馴染みの、「waon」カード。「アルパーク」は天満屋カード。「Aruk」でカードを作らないのは面倒だから。天満屋カードは1000円のポイント券が発行されるまで半年要すが、「ゆめタウン」ポイント券(一枚500円)は、現在60枚ほど貯まってる。有効期間2年間なので、間際になるまで使わない。理由は単純、貯めるのがオモシロイから。
男は単純である。おカネは使うためにあるがせっせと貯める人がいて、聞けば、「貯めて使う」といい、最終目的はやはり「使う」にある。自分はコイン(百円硬貨・五百円硬貨)を収集(貯めて)している。いずれは使うのだろうが、目視でどんどん増えていくのは、高層ビルが作られるのを眺めるようにオモシロイ。同様にポイント券も、どれだけ貯まるかを楽しんでいる。