「女はブサイクでいい」というのは、ブサイクを奨励しているのではない。それは男も同じこと。実は、「女はブサイクでいい」の中に、省略された言葉があり、全文を記すと以下のようになる。「自分が願う容姿に生まれてくることはできないし、生まれ持った容姿を怨んでもしょうがない。容姿が悪いことを根に持たず生きて行くのが大事なことではないか。
美人を羨むよりも、美人に負けない何か、美人が持ちえない何かを女として掴めば、きっといいことはある。女はブサイクでいいは、負け惜しみでなく、評価する人に出会えば間違いなく輝く女となろう」。男が女を恋人として選ぶ基準は、「一に容姿、二に容姿、三、四がなくて五に容姿」。という男がいても何らおかしくない。そんなのはそれぞれ男の勝手であろう。
「美人に生まれた女性は得をする」というのは巷で言われているし、誰もが簡単に納得する言葉であろうが、そこでちょっと考えてみる必要がある。「そんなこと考える必要がどこにある?美人は得だし、ブスは損なのよ」というのは、まあ小学生なら仕方がないが、成熟した脳を持つオトナなら考えて損するものはない。何事も盲信はよくないのだから。
盲信がなぜよくないかは、他人の意見に右向け右に過ぎないからだが、自分にも頭があるなら人の価値観に染まって生きることもあるまい。日本人の非個性は付和雷同に殉じることである。他人の考えに無批判に同調したり、迎合したり、そういう人間は、「考える葦」とは言えない種の人間だろう。なぜそうなるか?なぜそうするのか?自分の考えに自信がないからだ。
だから金魚のうんちのように本体にくっついたまま浮遊している。あれってオカシイと思わないか?現象的に視覚野に入らないからといって、金魚のうんち人間はオカシイに決まっている。「こころ」とは思考だ。思考は脳に宿っている。記憶、感覚、意識、情緒、これらはみんな脳の中の出来事だ。女性を美人と思うのもブサイクと思うのも脳が判断する。
判断するのは構わんが、少し幅を広げた思考をすべきと自分はいいたいのだ。「お前の脳は、女性を美人かブスかの判断しかできない、イカレた脳なのか?」と、これは実際に友人に言ったことがある。その時なんて答えたか覚えてないが、美人かブスかが女性の価値を決める絶対基準ではないと言いたかった。バカか利口かが人間の絶対基準でないようにだ。
高学歴の有無が人間を判断する絶対的基準ではないようにだ。お金持ちか貧乏かが同じくそうでないようにだ。まだまだ沢山あるが、そんな風に、一面=全面とするような人間は正直いって間口の狭い人間だろう。間口というのは玄関の入り口のこと。狭い間口から大きな家具は入らないように、間口の狭い人間が大きなものを収納できるわけがない。
様々な体験をした自分は、彼女を結婚相手に見初めた友人の言葉に衝撃を受けたことがある。見初めた女性は美人ではない。自分も美人でない女性と割と多く付き合ったが、友人から、「何であんなんがいいのかさっぱりわからん」などと言われた。男は率直に物を言うし、だから言われて憤慨していたら男なんかやってられんし、率直を別段何とも思わない。
「何であんな女がいい?」は、実は率直ではない。率直なら、「何であんなブサイクな女がいい?」というべきだが、同じ意味を感じるなら率直である。「俺がいいと思うからいいのよ。顔しか見ないお前には分からんだろうな?」と、これは自信たっぷりの自分の思いである。普通こういうことを言われて、つまり自分の彼女を貶されて、頭にくるやつもいようが、人はそれぞれだ。
何で自分が気にいってるものを他人が同じようにいいと思ったり、気にいらねばならんのだ?と、これが自分という人間の思考の本流である。この考えはおそらく小学生時代から根づいていったのではないか。よく言われたのが、「親をそんな風にいってはダメだろう?」、「一人しかいない親は大事にしなきゃ」と、この儒教的な文言は腐るほど聞かされてきた。
どうして自分の糞母親のことがこいつらには分からないのだ?と思っても、ほとんど同調する友人はいなかった。成人になって小学校のある同級生が、「お前とオカンは一生争うだろうな」といったのは覚えている。唯一肯定的な考えだったからだ。彼は親が子への過去の軋轢の謝罪をしない限り、親子は和解しないという考えをもっていたが、ほとんどの親は子に謝罪などしない。
なぜなら、「何を謝罪することがあろう、自分は子のためを思ってしたことだ」そういう考えにしかならないからあ。子どもが自分から乖離していくのを、親のせいと反省し、謝罪するには、子どもが殺人など社会的犯罪を起こさない限り、親は分からないない。どんなバカ親でも、子育てに正しいという認識を持っているが、自分を客観的にみれないで何を気づくであろう。
親が子どもに、過去の許されざる行為を謝罪すれば、子どもの心は晴れる。どんなことでさえ許せる。それが血を分けた親子というものだ。他人は許せじとも肉親は許せる。親子という関係は永遠だし、逆転することはないが、自分などはとっくに精神的逆転している。子どもを育てる時は親の思考が中心だが、今は多くが子どもの考えを規範にする。
「多く」であって、「一切」でないのは、まだまだ親からみれば若輩として甘い部分があるからで、そういう時は身を乗り出すも、些細なことはヒレ従っている。彼らは別の所帯を持つ親離れした一個人である。親子関係といえども、20歳過ぎれば人間関係を基本とすべきである。少し脱線したが、友人が恋人を結婚相手に選んだ理由に驚いたと書いた。
それは、「料理の味付けが母親の味だった」といった事である。そんなテレビドラマのようなことが実際あるのか?「おふくろの味」って本当にあるのか?我が身に置き換えて回想すれば、母親の味ってのは、お正月の「お雑煮」くらいしか思い立たない。醤油味ベースにアナゴ、大根、人参、牛蒡を入れてごった煮の濃ゆい味の雑煮は、唯一母の味として継承している。
母子関係といっても、自分の親、自分の子のことしかわからない。自分の場合、親を大事にし、気づかいし、やさしい言葉をかけあう母と息子は、児童文学や小説でしか見たことがない。よって、「母の味を醸す女性」には驚くしかなかった。彼女は料理がすきで、太刀魚やサバの煮つけを食べたことがある。醤油ベースに生姜の味がピリリ、甘み加減はまさにプロ級であった。
改めていうが、彼女はブサイクな女である。が、彼はそんなことはどうでもよかった。結婚式の来賓祝辞に、「新婦にお願いがあります。旦那様の三つの袋を大事にしてください」というのはしばしば耳にした。一つは「お袋」、一つは「胃袋」、そして「玉袋」。お袋、胃袋はともかく、玉袋が宴席を湧かせる。今どきこんな祝辞を述べる時代ではないが、かつては定番だった。
お袋(姑)をいたわる優しい女、まあ、これは言葉通りにはいかないことが多いが、そこは祝辞である。胃袋を大事にとは、美味しい料理を堪能させるとの意味。玉袋はしっかりと頬ずりをし、哀願し、よき子宝にめぐまれんために…。そんな意味だが、注釈がないので人それぞれに受け取るだろう。女の優しさは姑を大事にするなど、自分の場合は夢にも思わない。
姑とは格闘してもいいから支配されないようにして欲しいとの思いが強かった。女の家庭料理は、確かに男を虜にする。料理上手を貶す男はまずいないし、男は女性の手料理に心を動かされることが少なくないが、果たして現代女性がそういう意識を持っているかは疑問である。おそらく少数派であろう。美しく着飾って男に取り入れられたい、あるいは性技などを重視したり。
それが離婚の多さに反映すると言い切れないが、手料理に対する女性の意識の低下は間違いない。未婚女性の4人に1人は料理をしないと言われており、これについて、「旭化成ホームプロダクツ株式会社」が、20~30代の有職者女性500名を対象に行った、「料理」に関する意識調査で、夕食を自炊する頻度がゼロと回答した女性は全体の25%にのぼった。
この現状を母親が憂えることもなく、社会が啓蒙していくということもなく、企業はこの現状を利潤に直結させんと、レトルト食品の開発に勤しむだけだ。企業の社会的責任などは死語、唯一料理学校のみが、「お料理上手は女性を救う」と頑張っている。本当は、「お料理上手はブサイク女性を救う」というコピーにすべきだが、それでは反発を買うであろう。
何事も正直・本音がいいとは限らない。「あなたはブサイクだからエステに来た方がいい」という勧誘方法は女性向きではなく、「あなたは美しい。もっと美しくなりませんか?」でなければならない。男なら、「来たれ!デブにおさらばしたい男!」でいいのだろうが…。実際、料理が女性を救ってきたように、ブサイク女性もなにか特技や技能を持てば、十分美人に対抗できる。
なにも技能でなくとも、やさしさ、愛嬌、といった部分であれ、近年の甘え男への癒しに寄与するかもしれない。美人は「勝ち組」、ブスは「負け組」などと勝手な思い込みをせず、親もブサイクな娘に対しては何か暗示のようなものをかけるとかも大事である。田中希代子(1932年2月5日 - 1996年2月26日)という伝説ピアニストがいた。彼女の父は娘にこういったという。
「お前は一般女性と比べても決して器量がいいとはいえない。社会で自立して生きて行くためには、何か技能を持った方がいい」。父は厳寒の冬でさえ誰よりも早く起き、ピアノの部屋の暖をとって娘を起こす。希代子は父の言葉を素直に受け入れ、ピアノの研鑽に努力した。その甲斐あってピアニストとしての登竜門である3大コンクールに入賞する。
ジュネーヴ国際音楽コンクール(第14回1952年)、ロン=ティボー国際コンクール(第5回1953年)、ショパン国際ピアノコンクール(第5回1955年)入賞は、日本人初入賞者として知られる。不幸にも彼女は30歳代後半に難病により引退したが、その後は後進の育成に努めた。現役時代から当時の皇太子妃(現美智子皇后)から慕われたピアニストとしても知られている。