広島カープが25年ぶりの優勝を決めたのが9月10日の東京ドームだった。監督も選手もファンも一様に地元のマツダスタジアムで決めて欲しかったが、そんなに上手く行くはずもないし、他球場で決まっても地元ファンのために胴上げはしない、胴上げは15日のマツダスタジアムまで取って置き、選手同士によるビールかけのみと前もって球団より発表されていた。ところが…
優勝の瞬間、中心選手の黒田や新井の感極まる涙に象徴されるように、それほどに優勝の感激を皆が感じていた。そして、選手が緒方監督を囲むと監督は宙に舞ったのだ。やはりというか、胴上げのない優勝は考えられないし、球団は他球場での胴上げを規制したのではなく、カープファンに最初の胴上げを見せたいとの親心であった。しかし、そんな制約が現場の選手には通じない。
緒方監督に続いて黒田が、黒田に続いて新井が、宙に舞ったのをカープファンの多くが涙を流して喜んだ。直後に知人らから電話やメールが舞い込む。第一声はいずれも、「おめでとうございます」。やはり、「おめでとうございます」という言葉が自然でふさわしいのだろう。そういえばコアなファンである三女の夫も電話で、「おめでとうございます」であった。
緒方監督は東京ドームのカープファンに向けて、「おめでとうございます!」と口上を述べていた。監督がファンに「おめでとうございます」は変でもあり、変ともいえず、なぜ緒方が「おめでとう」といったのかを考えてみた。やはりというか、産みの苦しみに耐えて子どもを産んだ女性にかける第一声が、「おめでとう」であるように、カープの優勝も産みの苦しみであった。
難産の末の優勝である。緒方監督は、「本当に25年間、長い間お待たせしました。ファンの皆さま、おめでとうございま~す!」の言葉で両手をあげた。「ファンの皆さま、ついにやりました!」との誇った言葉より、「おめでとうございます」の方が謙虚に感じられる。ファンが選手に、「おめでとう」は普通だが、選手がファンに、「おめでとう」は、緒方ならではの言葉である。
これまで数々の監督の優勝後の言葉を聞いたが、ファンに、「おめでとう」の言葉は初めてであり新鮮だった。15日には地元マツダスタジアムで優勝セレモニーが行われたが、その前日の14日にマツダ社員寮殺人事件が発生した。広島カープは正式名称を広島東洋カープといい、その理由は1968年、東洋工業(現・マツダ)社長の松田恒次が筆頭株主となりオーナーに就任したことによる。
球団の苦しい台所を、県民の募金などでまかなってきた広島カープが、広島東洋カープとなったのは違和感があったものの、市民球団としての体裁を保ちつつも、東洋工業をメインスポンサーとする松田家私有の同族経営球団となる。現在マツダはカープの34.2%の株式を保有する筆頭株主でメインスポンサーだが、経営にはタッチしていない。残りはマツダ創業家一族が保有する。
マツダに関連する事件として、2010年(平成22年)6月22日には、マツダ本社工場で乗用車の暴走による通り魔事件が発生した。これによって、1人が死亡、11人が重軽傷を負うという悲惨な事件となった。加害者は6ヶ月契約の期間社員としてマツダに入社、同年4月1日から同工場でバンパー製造業務に当たっていたが、2週間後の14日になって自己都合退職した。
仕事上の恨みからマツダに復讐しようとしたと供述している。前置きが長くなったが、今回の事件は9月14日午後、マツダ社員寮内で発生した。社員の菅野恭平さん(19)が消化器などで殴打されて殺害された。広島県警広島南署捜査本部は24日未明、菅野さんを殺害し現金約120万円などを奪ったとして、強盗殺人容疑で同じ寮に住む同僚の、上川傑(すぐる)容疑者(20)を逮捕した。
上川容疑者は菅野さんと同期入社で、いずれも同じ寮建物の7階に住んでいた。勤務する部署は異なるが、事件当日は2人とも夜勤明けだった。菅野さんはこの日、3カ所のATMを廻り、計約120万円を口座から引き出したが、いずれも上川容疑者の車に同乗しており、寮に戻った後に殺害されたようだ。殺害に使用された消火器は寮内の備え付けの備品で、血痕や傷が残っていた。
広島カープ優勝に沸き立つ県民は、マツダの社員寮内の同僚殺人事件に驚いた。捜査本部によると、同日午後2~3時ごろ、寮近くで菅野さんが上川容疑者の車から降り、コンビニのATMに向かう姿が防犯カメラに映っていた。上川容疑者は事件後も通常通り勤務していた。捜査本部が23日朝から任意で事情を聴いたところ、菅野さんを殺害して現金や携帯電話を奪ったことを認めた。
ネットには、「広島は怖いところだ」の声もあるが、こういうバカはどこにでもいる。それにしても同じ寮内の二人が、同じクルマに同乗してATM巡りをした直後の殺害なら容疑者はすぐに特定される。殺して金を奪って逃げ隠れする種の事件ではなく、金目当に殺したというより、もめ事か何かがあったとみるのが妥当ではないか。金はついでにもらっておいたのだろう。
事件発生は14日、逮捕が24日というのは、捜査に時間を要したというより、広島カープ優勝に沸き立つ県民を思って報道操作をしたのではないか?各所に設置の防犯カメラや聞き込みなどから、容疑者はすぐに特定したはずで、あとは容疑者に逃亡されないよう厳重にマークしていたハズだ。マツダはカープの筆頭スポンサー、犯行場所がマツダ社員寮内、加害者はマツダの社員である。
上川容疑者は容疑を認めており、菅野さんと会話をしている途中で、「腹を立てた」などの供述をしている。事件後、上川容疑者は多額の現金を自分の口座に入金していたというが、こういう犯罪者の頭の具合というのか、自分の口座に現金を入金するという厚かましさもそうだが、捜査の手が自分に及ばないとタカをくくっているのか、それすらも考えないのか、信じられないバカである。
人を殺して県外に逃げても(国外となると司法権が及ばない)捜査の網にかかるほどに優秀な日本の警察である。同じ寮内、同じフロア、事件前にクルマに同乗していた、これで捕まえられない警察は勤務中にパチンコや昼寝でもしているんだろうが、分かってもいいと見越した犯罪というより、無思考で判断力のないバカというしかない。上川容疑者はどうやら妻子もちのようだ。
出身は愛媛県で、相当にクルマ好きということもあって、広島の自動車製造メーカーに単身の寮生活と見受けられる。交通違反であれ万引きであれ立小便であれ覗きであれ自転車泥棒であれ、犯罪を行使する際は、まずは見つからないことが大前提である。見つかればやばいし、しょっ引かれてアレコレ面倒なことになるわけだし、わざわざそんな面倒を好むものはいないだろう。
妻子持ちならなおさらの事。こんな風にすぐにキレる人間は周囲の状況がどうであれ、キレたら頭が真っ白になるから盲目である。1990年代の後半だったか、中学生によるナイフ殺傷事件が頻発、"キレる中学生"が社会問題化したことがあった。これは学校性ストレスに回収しきれない深甚さを有していたが、報道が事件連鎖を誘発する部分は間違いなくあったろう。
が、もっとも根本的な要因は、共同体社会で成り立っていた日本において、その三本柱であった、「家族共同体」、「学校共同体」、「地域共同体」が空洞化し、自分を肯定してくれる「居場所」がどこにもなく、失われたことであろう。1997年に発生した酒鬼薔薇事件(神戸連続児童殺傷事件)の少年Aは、自身を≪透明な存在≫と表現した。彼の居場所は家庭・学校・地域になかった。
人間は大抵において、他人との社会的交流の中で、肯定され、承認されて、自尊心や尊厳を獲得する。ところが、社会の中で一度も他人に承認された経験がない不幸な少年たちにあって、彼らには二つの選択肢がある。一つは、まだ得たことのない承認を得ようと、他人の期待に過剰適応するタイプで、当時人気のあったアニメ「エバンゲリオン」を支えたアダルトチャイルドたち。
もう一つは、「承認なんてイラネーよ」とばかりに、他人との社会的交流から完全離脱するタイプだ。前者は「社会的」で無害であるが、後者は、「非社会的(脱社会的)」で有害であろう。子どもに充分な承認を与えられない社会は、「脱社会的」な人間を生む。子どもを承認せずに批判し、非難するだけの親は、絶対に子どもに承認されることはない。それが反動というものだ。
そうして時代はネット社会へと移行する。ネットという共同体は得意な人間関係を生み出している。家庭でも学校でも地域でもないインターネットを支える仮想共同体が、子どもたちに新たな承認を与えてくれる場であるのは間違いない。人に誰でもある「承認欲求」を知らないどこかの人が与えてくれるのである。与える側の意図は言うまでもない。「ブタもおだてりゃ木に上る」。
家庭や学校や人間関係から承認を得れず、浮いた少年・少女たちが、ネットという身近な場で様々な被害に合うのは、その子だけの罪ではないが、親も教師も自分たちの問題と気づかない。かつてのような共同体が崩壊し、頼れなくなった社会にあっては、個人が個人として、他人を承認し、承認される時代になっている。子どもたちはどこからも得れない承認欲を満たされ心地いい。
ブサイク女がネットではちやほやされるのも、容姿が見えないからである。ちやほやしたい側の男は、これまたリアルで女を口説く自信も度胸もないわけで、こうした男女の利害が一致し、新たな出会いの場を生んでいる。ネットで女性はリアルほど選別されないのは、女に無縁のしがない男が多かったり、もしくはネットの尻軽女をこますネットナンパ師であったりする。
いくらでも引き合いのあるネットの女は、10人でも20人でも男とメールやその他のSNSでつながりを持とうとするが、ネットに参じる必要のないモテる女性は、逆に10人の男から一人に絞ろうとする。リアルにおいては日々交際対象の異性と出会い、すぐに仲良くなることなどあり得ないが、ネットでは毎日でも異性をゲットできる。それが高じて男を選別するわがまま女性が多くなる。
出会いの少ないリアルでは、何とか一人の相手を大事にしようとするが、苦労もいらずに相手を見つけられるネットで女はつけあがる。引き合いが多いと誰もが自分がいい女だという錯覚をしてしまう。よって、リアルからネットに居場所を映した女は、誰でも女王様気分を味わえる。便利な社会であり、一生懸命に女を口説いた男にとっては斯くも不思議な世界である。
「人が人を承認しあう社会」においてネットは有益であろう。が、その反動として女性がわがままになるという「負」の要素もある。これはまあ、リアルでモテすぎる女もわがままなのがいるから仕方あるまい。掲示板やチャットの常連の多くは無職やプーやモテないくんであったり、特にチャット中毒者は、他にすることが何もなく、つまらない実社会の不満のはけ口になっている。