人が言ったこと、書かれてあること、などを無批判に、額面通り受け取る人がいる。強姦致傷と報道された高畑裕也の内容を、テレビでは芸能人コメンテータが尾ひれをつけて非難する図式が目立った。報道が事実ではないらしいと分かったとき、高畑をクソミソに言った奴らは誰一人として謝らなかった。坂上忍は、「だって報道を信じるでしょう?」と言い逃れする。
「報道を信じた自分が迂闊だった。高畑敦子さんにも祐太さんにも申し訳なかった」となぜ謝罪しない?「悪いのは報道で、信じた自分に罪はない」という事だろうが、「それを軽率というんだ、バカモン!」。奴らは批判の本質を知らないようで、だから被害者を庇い、加害者を責めるという無難に終始する。批判とは否定することではなく吟味すること。
被害者といえども腑に落ちない点があれば批判は向くが、被害者を擁護していれば世間を敵に回すことがないと、高畑ばかりを攻撃するバカ芸能人ども。何度もいうが、批判は吟味であって、たとえ報道であっても、額面通りに受け取らないことが大事。芸能人コメンテータが保身で糧を得ているし、それが分かっている以上彼らを責めても仕方がないが。
したがって彼らの発言は、耳に入れても仕方がないし、真に受けるべきでないし、テレビは観ない方がバカにならないで済む。坂上や東国原の品性なき発言の醜悪さ、また炎上を意図したかの如き発言は、テレビ局側の利害からすれば大歓迎であろう。テレビ媒体というのは、良くても悪くても視聴率がとれる。可もなし、不可もなしというのがダメなのは業界の常識である。
批判は吟味でも、発言は事実であるからして、間違いの責任は謝罪という形で取らなければならない。人を叩く前に、疑問を見つけてそれを問題にすべきだが、所詮は同じ穴のムジナである。「他人の不幸は蜜の味」といわんばかりか、疑問段階から誹謗・中傷の嵐は、子どものイジメである。埼玉・朝霞の中2少女の行方不明事件においても、彼女の行動は不可解であった。
が、批判怖さにだれもが被害者擁護のみに終始するが、芸能人なら許されよう。大雑把にいうなら、人間は大体次の3タイプに分けられる。①ものごとを無批判に、額面通りに受け取る人。②額面通りに受け取らない人。③人(発信者)や周囲状況によって受け取り方を変える人。基本はいずれも自己保身であろうが、学術論文などは、批判的に読む種のものだが、これも他者批判という類の自己保身である。
上記した人間の分類について、ダニエル・カーネマン著、『ファスト&スロー:あなたの意思はどのように決まるか?』は、人間がどのように意思決定し、どのように間違えるか、のメカニズムが解明されている。人間の脳には2つの思考モードがあり、一つが、「速い(ファスト)な思考」、もう一つが、「遅い(スロー)思考」。著者は前者を、「システム1」、後者を、「システム2」と名づける。
たとえば、「1+1=」という数式だが、義務教育を終えた人であれば、瞬間的に答えが分かる。これが、「9×8=」になると、瞬間的に分からない人が芸能界にいるようだ。芸能人がバカというのではなく、「おバカ」代表としての芸能人は珍しくない。キャラであれ、「おバカ」をやるための「おバカキャラ」を自負する芸能人は、頭の悪さを競う業界トップであろう。
「34×12=」となると、普通の人でも瞬間的には分らないし、暗算でやれといわれたら、じっくりと頭を使うことになる。ソロバン経験のある人は別にして…。このとき、前者で働いているのが、「システム1」後者で働いているのが、「システム2」であるという。これらのことを踏まえて、人が言ったことや、書かれてあることについて上記した3つのパターンの人のタイプ別詳細を考えてみる。
1.無批判に、額面通りに受け取る人。
言われたことをただ行う人は、いわゆるシステム1で大半を処理しようとする人ではないだろうか?大部分の人はこれに当たる。
言われたことをただ行う人は、いわゆるシステム1で大半を処理しようとする人ではないだろうか?大部分の人はこれに当たる。
2.額面通りに受け取らない人。
何かにつけ一言物申す人。思考をしている分立派であるが、こじらせるて、批判のための批判を繰り返している、というタイプもいる。
何かにつけ一言物申す人。思考をしている分立派であるが、こじらせるて、批判のための批判を繰り返している、というタイプもいる。
3.人や状況で受け取り方を変える人。
いわゆるツボを押さえる感度のいい人が多く、これを悪用して「いじめ」を行うこともしばしば。思考をしないのを、「馬鹿への道」だとすると、人間はちょっとでも馬鹿でいたい(楽をしたい)と思いがちだが、このちょっとずつの、「馬鹿の積み重ね」がとんでもないことを引き起こすこともあるようだ。日本人は空気で動く、という側面もあるようだが責任の主体が無い。分類はしてみても、どれがいいとは言い難い。
いわゆるツボを押さえる感度のいい人が多く、これを悪用して「いじめ」を行うこともしばしば。思考をしないのを、「馬鹿への道」だとすると、人間はちょっとでも馬鹿でいたい(楽をしたい)と思いがちだが、このちょっとずつの、「馬鹿の積み重ね」がとんでもないことを引き起こすこともあるようだ。日本人は空気で動く、という側面もあるようだが責任の主体が無い。分類はしてみても、どれがいいとは言い難い。
道を歩いていたら見知らぬ人が、「10万円あげるから黙ってついてきない。」というので、信じてついて行ったら、本当に10万円くれた。という確率はゼロに近い数字ではないか?これはまあ、自分の推測だが、ゼロと思う人間はついて行かないが、多少確率が上がる人ならついて行くかも。自分のことは分かるが他人のことは分からないので、ついて行く確率は不明。
人からおカネを貰うメリットについては思考は無用だろうが、人が人におカネをあげる理由やそのメリットついて思考はするだろう。相手が述べるなりでちゃんと理解できれば不思議ではなくなるかも知れない。が、「タダより高い物はない」という故事を知る人、用心深い人、おカネが余ってかえる人なら、やろうと言っても貰わないのでは?道行く人がいきなり、10円上げます、100円上げますなら貰っとく。
欲しくはないが、変わった人だなと、相手の顔を立てる意味もあって、川やゴミ箱に捨てはしない。ところが、1000円、10000円となると受け取らない。理由は変わった人を超えて気持ち悪い。最近、この手のスパムメールは、ほとんど毎日来る。「作業ナシで毎月130万稼げる」、「あなたの口座に200万、300万振り込まれます」などもある。そんなうまい話は人に勧めず自分でやれよ」と速攻削除する。
当たり前だろ、こんなのを読む時間が惜しい。しかし、手を変え品を変えてはいるが、この手のメールが増えるという現状は、呼応して返信したり、話しを聞きたい人が少なくないと推察する。「溺れるものは藁をもつかむ」といった心境か、収入がすくなく生活に困っている人が"ダメ元気分"で反応するのではないか?常識的に考えてあり得ないが、金銭的に困っている人は、常識よりも信じる方に傾くのだろう。
人は「ゆとり」がないと常識の基準値がだんだんと下がってくるようだ。固定電話時代に、電話帳から無作為に選んだ顧客に、営業マンから投資の勧誘電話があった。「絶対、儲かります。あなたにとってこんないい話はないです」などと、お決まりの言葉で誘う。忙しいときは無造作にガチャンと切るが、からかい半分に相手をすることもある。例えば、「そんなにいい話なら自分でやれば?」にどう答えるのか?
「いい話」、「うまい話」と、これらは興味をひかせるための導入言葉であって、そんなものが世の中にあるはずがない。仮にあったとしてもリスクは伴う種のものだが、世の中にはそうしたものにクビを突っ込む人が多いのもまた事実である。純粋な「投資」ありが、「投資詐欺」も多い。もちろん「投資詐欺」であって、「ちょっとおかしいんじゃない?投資詐欺じゃないの?」と問われて認めるバカはいないだろう。
大嘘で顧客を丸め込むセールスマンの口説き文句が、「私が嘘をいう人間に見えますか?」で騙されたと聞いたことがあった。確かに顧客に嘘をつきながら、「私が嘘をつく人間に見えるか?」は、嘘を嘘でなくする良い言葉である。顧客が「そう見えるね」と言わないのを見越した、また顧客が嘘ではないか?と訝る気持ちを逆用した言葉である。セールスが何を言おうが、嘘をつくものだと思っておけばいい。
セールスマンてのは、自分のことしか考えない職種だろう。異論はあるかも知れんが、ある意味必要ないものを無理やり売りつける仕事だから、顧客の身になったらそりゃあ売れるものも売れんだろう。だから顧客は自己防衛をしなければならない。「No!」が言えない、「断るのが苦手」という人は、最初から話をしないことだが、「買わなくてもいい。話だけ聞いて欲しい」というセールスマンもいるから要注意。
「まあ、話だけでも聞いてあげよう」という善意が相手の術中にはまる。話を聞くだけのつもりがいつの間に、「自分のことを思って言ってくれてり」となればしめたもの。彼らは、話すことで人間関係を作るし、情に訴える話術を得意とする。悪辣なセールスマンでなくとも、「あなたのためにこんなに時間を費やした」などと、恩着せがましい言葉で恩を売る。
断りにくい原因は様々あるが、①いい人と思われたい、②相手の身になってしまう、③断った時の相手の反応が怖い、④お金がないと思われたくない、⑤なんとなく相手を喜ばせたいなどなど、一般的な人間関係の機微と大差がない。逆に断るためには、「人間関係を作らない」、「相手の都合を無視、自分の都合だけで判断する」。相手もこちらの都合を考えないのだから…
断って気まずい雰囲気になろうが、その代償として金銭を用意すべきでない。気まずかろうがなんだろうが、こいつらはあちこちでそれを味わっているし、セールスという職業に身を投じているなら、煮え湯を飲まされるのも勉強であり、嫌な思いも味わって当然で、顧客に責任はない。そのように論理的に考えてみるのもいい。とにかくいい人ぶらない事。それが最重要。