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「ブログが怖い」という ④

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〇〇「今、フェイスブックのコメントですごく落ち込むということはほとんどないですね。週刊誌もそうですが、特にネット上で自分に関してものすごいことが書いてあると、以前は、『なんで全然知らない人にこんなことを言われなきゃいけないんだろうな』と落ち込むことはありました。ただ、自分がどれほどの人間かというのも分かっているので、自分の実力以上に持ち上げられるほうが怖いと思っているんです。

だから、批判的なことを言ってくれる人たちは、自分の中ではバランスを取ってくれている人でもあると思っていました。こういうことを言われるとこんな気持ちになるんだ、とわかったことは、私にとっては学びです。若い人、特に子どもたちの中には、そのことで傷つき、いじめられ、自殺してしまう人もいる。実際に自分も書かれてみないとその気持ちは分からないじゃないですか。

そういう意味では学びになります。今はそれほど落ち込むことはなくなりましたけど、以前、ひどいことを書かれたのを見たときは落ち込みましたし、泣いていたこともあるし…。それをどうやって解消していたかって言われると、「うーん、どうだったんでしょう」って思いますね。主人に『ひどいことを書いている人がいる』というと、『そんなの見るからいけないんだ』って(笑)。

発言の主は安倍昭恵さん。安倍首相夫人である。ネット上の批判に落ち込み、泣いたこともあるそうで、そうした沈んだ気持ちをどうやって解消したかについては記されてないが、見ず知らずの人から批判やひどいコメントを書かれたとき、「自分がどれほどの人間かというのも分かっているので…」と彼女は言うが、人には自尊心がある。自分がどれほどの人間であっても腹は立とう。

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そういう慰めで解消できるならいいが、そうもいかないだろう。自分は言われなき誹謗・中傷コメントには、「バカかこいつは?」である。そう思うのは当たり前では?見ず知らずの人間の書いたものが気にいらないと文句を言われても、そんなの知ったことではないし、「勝手に吠えてろバカもん!」と思うのが自然ではないか?人はそのように思わないのか?

思わないから落ち込み、傷つくのではないのか?口に出して言わなくとも、腹で思えないのか?自分は争うのが好きではないが、腹で思うのも口に出すのも同じことだと思うから言葉にする。人の意見に対してキチンとした言葉で異論をいうならともかく、「バカ」、「死ね」の発言は普通じゃないだろう。普通じゃないからイカレてるし、それを率直に言えば「バカ」である。

人に「バカ」というのは躊躇われるというが、確かに乱発はよくないし、滅多なことでしか言うべきではないが、それでも言わないという人を別段立派とは思わないし、そういう立派な自分でいたくない。「バカを言うな!」、「何をバカなこと言ってるんだ!」という言葉があるように、「バカかお前は!」というのは、「何バカいってるんだ!」を省略したもの。

そのくらいに呆れたということだから、いいんではないかと自分で思っている。「バカ」は呆れの言葉。「インターネット上の匿名コメントに傷ついたことはありますか?」というアンケート調査がある。30代の男女限定で300人に問い、21.3%が「傷ついたことがある」と回答した。男女別に分けると、男性は12.7%、女性は8.7%と、男性がやや多い結果となった。

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が、どんなコメントに傷ついたのかの質問には、女性の方が悲惨であるのは、感情的になる女性は悪口上手かも知れん。女性の場合は特にQ&Aサイトのようなところで被害を受けやすいようで、確かに、発言小町の質問はしばしば炎上しているという。被害の例は、「質問自体を否定されるような回答を書かれた」、「"こんなこともわからないの!"と、バカにしたような回答」。

さらに女性の場合は匿名をいいことに、コメントで言いがかりをつけられる傾向がある。「ブログに“こいつは犯罪行為をした”というコメントをつけられた」、「イラストサイトを公開していたとき、パクリだと言いがかりをつけられた」など、いずれのケースも事実無根。インターネットという誰でも見られる環境で、このような書き込みをされるとブログを止めたくなろう。

男性の場合でもっとも多かったのが誹謗中傷。中でも「“死ね”と書かれた」という回答が多い。他には、「婚活していることを書いたら“おまえには無理”と書かれた」、また、「真正面から傷つけられるより、関心なさそうなコメントに傷ついた」というのもある。そんなんで傷つくのか?だが、人が傷つく度合いは分からない。女性の粘着度に比べ、男の方がサッパリしている。

安倍昭恵さんは首相から、「そんなの見るからいけないんだ」とたしなめられたが、政治家にしろ公人というのは、悪口なんか気にして勤まる仕事ではないだろう。したがって気にしないコツというのは、「見ない」ということで、これに限る。人間いかに強い精神力の持ち主といえど、延々悪口ばかりを垂れ流されるってのは耐えられるものではないし、嫌なものだろう。

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そうなるると、もう面倒くさいからかかわらないでおこう、いちいち批判に反論なんかしないでおこう、相手にしてもしょうがないからと、大人ほどそういうスタンスを取るが、これも一種の諦めであり、逃げでもあろうが、決して逃げるのが卑怯でも悪いことでもない。『君子危うきに近よらず』というように、これが大人の振る舞いってやつかもしれない。

ブログの悪口コメントなどは、延々とではなく、一過性、一時的のものだから、それくらいやり過ごすのも、大人のたしなみである。「大人なんだから」、「大人だから…」、「そうとも、自分は大人なんだし」などと、呪文のように言い聞かせるのもいいかも知れない。自分のように、「バカかこいつは」などと思えるならいいが、それも多分に年代的なものもあろう。

思う、思えるのではなく、「そうしか見えない」わけだから相手も惨め。何度もいうように基本は、「自分は自分の書きたいことを書く。人にとやかく言われる筋合いはない。真っ当な批判意見ならまだしも、誹謗や暴言の類は真っ当なバカである」。これは正論だろう。子どもっぽい罵りもあれば、笑えるコメントもあるから、それはそれで楽しめばいいかと。

まあ、「バカ」というのは、決めつけというより、「バカに見える」であるから、気にせずに使っていいのではないか。相手の醜態を「バカにみえる」のは、正直な視点だし、自分を偽ることもないだろ。「バカ(に見える)」とは、学歴やら老若男女やら、富裕などには何の関係もない。一流大学でて、一流企業に勤めて、法外な収入を貰っていても、バカに見えれば仕方がない。

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ま、ネットはその辺が分からぬから誰にも公平という点でよい。何も好んでバカを探してるわけでもないし、バカを探すのはそれこそ大変だが、突如現れ出でたるバカを眺めるはサプライズか?他人を見下して悦にいる者、他人をコケおとして自尊心を満たす者、そんな風に生きて面白いのか、なんなのか。バカに遭遇したときのなんとも溜息交じりのやるせなさ。

橋下氏もやるせない気持ちで相手を、「バカ」と言っている。他人をバカ呼ばわりして自分を持ち上げるなどと、下等でくだらん行為など望まぬ人間にとって、バカに出会うことはやるせなさである。他人を軽視する性向の人もいれば、他人に敬意を払って交流を図る人もいる。どのような態度で他人と接するかに正解はなく、各々が自分なりの接し方でやっている。

「人にバカと言わない理由が自分が何ほど?」と思うなら結構だ。が、「人にバカという時は、少なくともその問題について自分の思考が勝る」と思うのは驕りでも何でもない。「バカ」という言葉を封印するのはひとつの考え、ひとつの生き方で、絶対的に正しいということもない。基本は他人軽視で人と接する人間が、「バカ」と言わないのは、常時思ってるからだ。

それを「軽視」という。「何でお前はこうもバカなんだ?」そういうやるせなさが伝わるとき、その人は人間らしく映って見える。将来なり得る自分を「可能自己」というが、通常、可能自己にはポジティブな面、ネガティブな面がある。批判は自分を作るゆえに、批判精神は必要だが、協調も必要で、一方だけに偏るのを「クセ」といい、「ひと癖ある」などと代名詞がついたり…

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他者軽視の基本心理とは、自己肯定感を求めようとも求められないことから派生する。自分にそれなりの自信を持つなら、他人を見下したりの必要はない。本当にホンモノの自己肯定というのは、長い年月をかけた本人の努力の賜物であって、ゆえに安定したものであろう。自分の確固たる経験に基づかない弱い自己肯定感は、主観的だし、不安定なものであろう。

世の中にはホンモノとニセモノが同居している。美味しくて味わいのある料理は手間暇かけてつくるが、最近は便利さもあって、レトルト主婦が多い。本当に美味しいものが好きな人は、必然的に料理好きになろう。好奇心の塊が学問好きになるように、アスリートの子ども時代は飛んだり跳ねたりが好きだったように、絵本やマンガ大好き少年がマンガ家になるように…


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