「フリーセックス」という言葉をはじめて耳にしたのはティーンエイジ期で、ハイティーンだったと記憶する。「11pm」か何か深夜番組で、あの頃はドクトル・チエコや奈良林祥といった人たちが、ブラウン管で活発な「性」談義をしていた。二人は性評論のパイオニア的存在で、押し入れの隅にかくまわれていた純潔教育世代の性意識の偏見解消に尽力されていた。
性表現は文化に関係するようだ。セックスなどという言葉を口に出すことさえ躊躇われた時代に、深夜放送のテレビは、「フリーセックス」などと軽々しく言う。ティーンエイジャーにも関わらず当時のわれわれは、「セックス」はいけないことだと思っていたし、奈良林やドクトルチエコらにこそ偏見があった。日本は性に閉鎖的、北欧はフリーセックスの国などと煽る。
フリーセックスの意味も分からず、その言葉の意味からとにかく誰とでも自由に行うことだと考えていたし、それは道徳的に間違っていると思っていた。おそらく女性は結婚まで処女でいなさい、男性は女性を大切にしなさいという「純潔教育」の刷り込みである。セックスは不浄なもので愛こそ美しいとの考えになびいていたし、男も女も湧きあがる性の抑制に苦悩していたろう。
道徳的規範の順守と、本能に目覚めよと語り掛ける先進的な性の評論家、巷には恋愛賛美の純文学と臆することのない性描写なる猥本、淫本が出回っていた。そんな時に、坂口安吾の一文に触れた。「春本を読む青年子女が猥セツなのではなく、彼等を猥セツと断じる方が猥セツだ。そんなことは、きまりきつているよ。君達自身、猥セツなことを行つている。自覚している。
それを夫婦生活の常道だと思つて安心しているだけのことさ。夫婦の間では猥セツでないと思つているだけのことですよ。誰がそれを許したのですか。神様ですか。法律ですか。阿呆らしい。許し得る人は、たゞ一人ですよ。自我!肉体に目覚めた青年達が肉体に就て考へ、知らうとし、あこがれるのは当然ではないか。隠すことはない。読ませるがよい。人間は肉体だけで生きてゐるのではないのです。
肉体に就て知らうとすると同じやうに、精神に就て、知らうとし、求めようとすること、当然ではないですか。(中略) 露出だの猥本などというものは、忽ち、あきてしまうものですよ。禁止するだけ、むしろ人間を、同胞を、侮辱しているのです。そういう禁止の中で育てられた諸君こそ、不具者で、薄汚い猥漢で、鼻もちならない聖人なのだ。人間は本来もつと高尚なものだよ。
肉体以上に知的なものですよ。露骨なものを勝手に見せ、読ませれば、忽ちあいて、諸君のやうな猥漢は遠からず地上から跡を絶つ」。思春期時期に読んだ文は、壮年期に読んだ同じ文章と、その内容はすこぶるほどに異なる。どう読んだかの記憶よりも驚いたという実感だった。安吾の文は思春期の年代には理解されないだろうし、自分もそうだったが、どことなく背中を押す。
それが当時の読解力である。われわれの時代にあった規範というものは、今、眺めてみると古文のようにしか見えない。おぞましいほどの道徳規範は、若者を袋小路に閉じ込めるものだったのか。たまたま、自分の家庭は、自分を育てた母親が規範や権威ではあり得なかった。父親は母親のヒステリーに恐れてか、一年中寡黙な人であったゆえ、規範というに影響はなかった。
したがって同類連中のなかでも自分は、規範を失った類だったかも知れぬ。立派な親ならその言葉には茄子の花如く、万に一つも無駄はないが、言うこと為すことがトンチンカンの母親は、バカにする対象だったが、それでも親と言う傲慢さと虎の子的権威と対峙しなければならない。今にして思うに、戦うエネルギーというのは大切だった。当時は大切どころか必死だった。
そのせいでか、アイデンティティを得、失うこともなかった。自分の実在感は、目上の母親を否定することでしか得ることはできなかった。だから戦ってよかったと思っている。戦わずして自由など得れようものではない。母親はことごとく自分の価値観の前にはだかった。恋愛の邪魔までするというような息子に対する強烈な独占欲、これは愛情というより支配でしかない。
母の言うことの反対をやることがすべてにおいて正しいという法則を見つけることになった。昨今の傲慢な親の大半は同じであろう。親の言うことの反対を生きること即ち親のエゴに抗うことである。即ちそれは自分を実在させ、自分を生きることである。親が子の自由な生き方を望まないのはなぜだろう?親子ほどの年齢の違う(変な言い方だが)子を見くびっているからだ。
親が子を見くびることなく自主性を尊重する西欧と、子は親の所有物との概念に蹂躙された日本との違いは如実に感じる。日本の親は、子どもが親の言いなりになることを望んでいる。坂口安吾もそういう厳父を持ったことで、権威に抗わぬ人間を矮小とした。「親などヘタレ」だと実際に思っていた。即ち彼は、いいもの、よくないものを見分ける理性があったということだ。
「ここまでやるのか!」母親に恋愛を否定されたときに思ったのは、これ以上自分の障害になる奴は殺してしまおうとまで考えた。それほどに異性を恋うる感情と言うのは強烈である。その時の感情をたまに思い出すが、あの恋愛が実っていたなら今の自分はなく、いったいどういう自分であったろうなどと、歩きながら自問するが、「たら」について明確な答えは見つからない。いにしえの文学者、哲学者、詩人は、「恋愛とは、人間の両性の間に営まれる、もっとも美しく、かつ難しい愛の行為である」と述べている。美しいの主観はそれぞれだが、難しいという実感は多くが経験したことだろう。そんな恋愛をさらに現実的で冷酷な見方をすれば、「人種の保存という超個人的目的のために、何者かが人間の両性を結びつけているのであろう」。
そのことで病みがたい執着とほとばしる性の衝動に駆り立て、個人としての男女を熱狂の渦に埋没させる。これを残酷なる自然のカラクリという見方もできる。残酷というのは、個対個のぶつかり合いを生じさせるからだ。はじめはいいと思っていたものが、だんだん悪くなるのは、はじめにいいと思っていたことが間違いなのか、いいものが経年で悪くなったか、いずれかであろう。
離婚というものが、ある場合においてはどんなに必要なものであるか、少し考えれば誰にも分かることだが、離婚はざらにあることでもないし、ざらにあることのようでもあり。「ざら」の基準は難しい。「一生」という約束事が、誰にとっても重荷と言うわけではないが、他人と過ごす一生がどれほど苦しく負担に感じる人もいる。別にそう感じる人が悪いわけでもあるまいが…。
人は冷ややかな視点でみる。互いが愛し合い、理解しあい、尊敬しあい、そんな二人が、互いに相応の注意をはらうならば、何の重荷を感ずることなしに日々を過ごし、いつしか生涯を閉じるであろう。理解が行き届かず、互いが侮辱しあったり、口を閉ざしたり、即ち愛が消えた以後も、惰力や情実でつながる一生もある。それを善とせず、二人を助けるのが離婚であろう。
もし、制度としての離婚がなければ、相手を殺めたりの悲劇が増大するだろう。よって離婚に至った者を他人が色眼鏡で見るのはまちがっているし、離婚した者はわがままで、ふしだらで、忍耐力もないなどの非難はすべきでない。離婚を理解できる人間こそが、離婚のネガティブな部分をカバーして婚姻存続に役立てられる。浮気で離婚が嫌なら行わないか、周到に行うか。
確かに熱烈なる恋愛で結ばれた二人であっても、愛の消滅や理解の欠乏、子育てにおける価値観の相違から冷たく、未練なく別れてしまったその後で、当初のバカげた情熱に誤らされたものと互いを侮辱しあうのは、いかにも見苦しい。問題は結果ではなくプロセスにあったということをそっちのけで、自己を正当化してみたとしても、この場合「自己」は二名である。
昔から、「結婚と恋愛は別」といわれるが、恋愛して結婚するなら恋愛と結婚は同じでないか?確かにある種の結婚は、恋愛を土台にするし、結婚後も継続している事実もある。が、このような言葉で自らの離婚を戒めた女性がいる。「私は結婚と言うものにまったく盲目であった。40歳を超えていながら、相手の言葉の意味は理解しても、相手の気持ちはまるで考えなかった。」
確かに言葉には、「意味を伝える」だけではなく、「気持ちを伝える」要素がある。労をねぎらう言葉に、「おつかれさま」というのがある。意味は考えなくともわかるが、この言葉に果たして気持ちがこもっているか、それとも社交辞令的に発しているか?"やはり労をねぎらう"言葉なら、気持ちで伝えるべきだろう。意味だけ伝わって喜ぶ人間もいるにはいるが。
「ごめんなさい」も「ありがとう」も、気持ちより社交辞令的に使われることが多い。飲食店や衣料品、雑貨店などの商売用語でも、片手間なバイトが「いらっしゃいませ」、「ありがとうございました」の意味だけ伝えるところがある。注文した商品と別のもの押し付けられ、「頼んだものと違う」とやり取りの最中、「こんな店には二度と来ない」といえば、「来なくていい」と言った店。
後にも先にも、こんなことを言われたお店は初めてである。どっちもどっちといった言い合いはあるが、100%お店のミスを認めない理由を自分は理解しがたかった。VAN系列の、「加盟店からの返品を受けない」という規約からのゴリ押しとしか考えられなかった。無理をいう客はともかく、商売というのは善意な顧客を怒らせて何の得はないことを、客の立場から経験した。
離婚後に反省した女性の言葉は美しい。後に西川史子が離婚したときも同様である。つまり、西川も結婚というものに盲目であったということだろう。彼女は結婚する前に、相手にたくさん要求を突き付けたが、自分が満たされたいという要求はともかくとして、相手が自分に満たされなければ婚姻は継続できない。西川は要求ばかりで結婚が上手くいかないのを悟ったのだろう。
自分の要求も大事だが、相手の愛を得ることは、自分の欲求以上に大事である。西川は、「(元夫が)家を出ていきたいということは、やっぱり私がいけなかったんだと思いますね」と反省を見せた。離婚原因を言葉一つ、あるいは言葉50で語ることはできないが、結婚生活に対する互いの価値観の違いは、現実路線に徹してキチンと話し合うこと。結婚は夢物語ではないんだから。