『歩いても 歩いても』は、映画監督是枝裕和の第6作目作品で、2008年6月28日に公開された。町医者の横山恭平の家に15年前に亡くなった兄の命日として、次男の良多家族と姉の片岡ちなみ家族が終結する。恭平宅は姉・弟の実家である。冒頭は母と姉が台所仕事の場面だが、そこを抜け散歩に出かける恭平に、ちなみが「コンビニで牛乳買ってきて」と声掛けするが無視。
母がちなみに、「コンビニの袋をぶら下げて歩くのがイヤなのよ」と囁く。子からすれば、"立ってるものは親でも使え"ということだろうが、連れ合いというのは相手の性格が判っており、嫌がることを強要しない。これも夫婦間のいさかいの原因を防止することでもある。ゴミ出しも洗濯物のたたみも嫌がらない夫もいるが、恭平のような武骨者はいかにも昔の亭主である。
「男子厨房に入るべからず」の時代の遺物ともいえる。自分なども、"亭主に用事を頼むなどもっての他"という世代観でもある。まあ、昔風の良妻賢母というのは、"亭主は家で威張らせておけばよい"という操縦法を身につけていた。近年、男女平等思想がはびこることで離婚が急激に増加した部分はあろう。もっとも夫の言いなりになるくらいなら離婚を選ぶという妻が増えた。
過去や現代に様々な見方があるが、自分は「男が男で、女が女だった時代」、「大人は大人で、子どもは子どもだった時代」との見方をする。自分なりの「良い」価値観をベースにすれば、現代の世相は「悪い」というより、「醜くなった」と感じている。女子高校生が当たり前に化粧を始めるようになったときに思ったのは、「なぜにそんなに早急ぎするのか?」だった。
大人になったらアレもしたい、コレもしたい、そうやって昔の子どもは、したいことを我慢し、してはいけないという自覚で生きてきた。自覚とは言葉を変えると、暗黙の強制だったろう。自分たちの世代は中学~高校と丸刈りだった。これは強制だったが、丸刈り強制は軍国主義の名残と言う、日教組などの人権運動も嵩じて、自分たちの次の年度から丸刈り強制はなくなった。
愛知、愛媛、山口などの保守志向の強い県は、丸刈り強制はなかなか解禁されなかった。自分たちは早く18歳になって髪を伸ばしたいという気持ちも強く、同様に早く18歳になって成人映画を堂々と観に行きたいなどは自然に備わっていた。つまり、「早く大人になりたい」という子どもであって、現代はそれに比べて大人と子どもの境界線がなくなった時代と言える。
例えば女子高生の化粧にして、昔の女子高生が化粧をしようと思ったら、親の鏡台の引き出しから取り出すしかなかったろう。自分用の化粧品を買うお金も勇気もなかったのではないか?今やコンビニで何でも買えるわけだ。周囲も高校生を大人と容認している社会でもある。大人と子どもの差がなくなった理由は様々考えられるが、テレビの影響が大きいのではないかと指摘した。
テレビでダチョー倶楽部のバカ芸を見たとき、こんな大人を真近にみた子どもが、大人をバカにしても仕方がないなであった。ドリフターズのバカコントも子どもからみれば、大人がバカをやっているように見えただろう。自分たちの子どものころに見たクレージーキャッツや、植木等、伴淳三郎、花菱アチャコなどの喜劇芸人は、あくまで「芸」を披露する芸人であったこと。
バカを演じているという認識だったが、ドリフに志村が加わって以降、彼らはどんどんバカに見えて行った。演技と「地」の境が無くなったいった。漫才でバカをやるのも芸であったが、B&Bやダチョー倶楽部のような類が出現したとき、本当のバカが芸人になる時代に思えた。漫才の質は聞かせるからドタバタに変わり、コントもいかにバカげたことをやるかのバカ芸に移行した。
子どもが大人を尊敬の対象と見なくなったのは、子どもが大人を怖がらなくなったことも一因であろう。たしかに厳父慈母という言葉は消え、近所にも怖いおじさんはいなくあった。よその子どもにアレコレいうのは余計なこと、そういう地域社会の教育力が減衰したという社会学の考えである。また、栄養状態もよくなったことで、子どもは子どもといえないくらいに背丈も伸びた。
大人と子どもの差異もであるが、「男が男で、女が女だった時代」を象徴するものは何かといえば、戦後であろう。「戦後に強くなったのは靴下と女」と言われるように、靴下は弾力性のある化学繊維で強く、綿のシュミーズも肌触りのよいスリップとなった。戦後というのは、親父も大人も一斉に沈黙したことだ。つまり、男たちが何も言わなくなったということだ。
一家の親父が戦争を指示采配していたわけではないが、まるでそうであるかのように、偉そうにお前はこうすべきだとか、教訓めいたことを言っていたのに、もう何も言わない。黙っている。それが戦後の男の変貌である。子どもを食わせるために奮闘する母親を黙って見ているだけ…。だから母親は強くなっていった。他人にもできるだけ頭を下げ、これは男にはできないこと。
女は子どもを育て上げるため、生きるためなら見境いなく何でもできた。着物を売り、家財道具も売ったりして家を支えたが、男にはそういうみすぼらしいことができない。あの時点で男と女は大きく逆転したのではないか?あの時はただ、「母」が強かったのだけれども、それが今は「女」に変わってしまった。日常性における知恵や発想は、男が女に適うはずがない。
日常を生きるという発想は紛れもない女の発想である。男は能書き垂れて、論理で理論武装をし、敵と対峙する生き物であり、戦の発想である。みんなが「お国のために死ぬ」といっていたが、それが戦後になり豹変した。事実、お国のために死んでいった者たち、あれは何だったのか?そういう訳の分からぬ問いかけをされたこと。それが戦後である。それはまた男の苦悩である。
維新になって、断髪令や帯刀禁止になっても、男は武士を捨てられなかった。士族の反乱といわれた「西南戦争」がいい例である。昭和天皇を守るという大義名分をタテに、指導者の戦争責任問題などを曖昧にしてきたのは、日本人的体質の源泉というのか、客観的に眺めれば日本人の醜さであろう。木戸内大臣が終戦直後に昭和天皇に「ご退位なさい」と迫ったのが印象的。
男はだらしない生き物だと、我ながらに思う。何かにとりつかれたように力(能力)を発揮するが、何もなければな~んにもしないでいれるのがグータラ男。世の利発な女性が、どれだけグータラ男に苦労し、嫌気をさしたことか。「父性の復権」などと、まことしやかに言われる昨今で、元東京女子大教授で経済学者、心理学研究者の林道義は『父性の復権』が評判を呼んだ。
彼は「父性」を、①家族をまとめ、②理念を掲げ、③文化を伝え、④ルールを教えると定義している。「まとめる」のは大切なことで、「家族をまとめるのは女だっていいじゃないか」と仰る女性がいるが、これは。男でなければいけないと林氏は言う。だから『父性の復権』である。家族をまとめる、組織をまとめるに大切なのは、「中心というものを明らかにすること」。
そうした中心の人物なり、理念なりを中心にして全体の組織化が行われていく。戦前は家父長の命令権は絶対で、よきにつけ悪しきにつけ、父親や戸主を中心にして家族がまとまっていた。しかし、戦後は男女平等・親子も平等ということになり、どんどん家族がバラバラになり、最近ではもっぱら家族の絆は薄れ、家庭教育もろくに出来ない親なりが増えているのが現状。
したがって、家庭教育、家族の再強化ということがいま日本の課題になっている。林は地べたに座ったりの行儀の悪い女子を例に、そういう女子の家庭は必ず父親がしっかりしていない。躾もされていない、礼儀がなっていないという共通項を指摘するが、大学で女子学生を密かに生態観察し、20年来研究してきたという。またこういう風潮は「フェミニズム」の影響もあるという。
また、「腰抜け男に、ふしだら女」というキーワードに当てはめて社会を眺めているが、先入観を排除してみても、「腰抜け男に、ふしだら女」を実感する。父性の意味も父性社会の重要性も分かったが、そもそも父性というのは、女子どもがいて、こいつらを守らなきゃ死ぬんだとの思いから自然発生した原理あり、それが今、女子どもを守らなきゃという死活問題がない。
だから父権も男らしさもすべてかき消えてしまった。つまり、女が男を奮起させるのであって、女が主導で父権もくそもない。東日本大震災のとき、押し寄せる津波に妻子を見放して、我先にと逃げた夫に対する批判があった。それで「震災離婚」というのも数件に及んだという。こういうことをいう女性は、おそらく家庭で実権を握っていた妻ではないかと推察した。
尻に惹かれ、少ない小遣いで働きづくめにされ、子どもの教育など一切を妻が仕切って、単なる働きアリの夫であったという実態は提示されていない。ただただ、妻子を放っぽいて夫が逃げたとの批判である。男はダメだと何度もいうように、だから責任を持たせ、依存して男の責任感や能力を引き出すのが女の役割でもある。そんな役割はいい、夫に期待しないという妻もいていい。
父性は夫になければいけないものでもないし、妻にあればいい。母性が夫にあってもそれは構わない。あればいいということ。どちらにあってもいいが、必要なものであるなら、五分五分ということだ。母子共生家庭で育つと、ルール・礼儀知らずの子どもたちが出来上がるし、少なくともそういう傾向になる。それがもっと程度が悪くなると、無気力という症状になる。
タイムリーでいえば、高畑敦子が「子育てを間違えた」と言ったが、事件が起こってそういわざるを得なかった。何もないなら、「母手ひとつで立派に育てた」となる。起こるべくして起こった息子の事件と言うより、起こったことは事実で、母子家庭の子どもすべてが、何らかの事件を起こすとはいえない。林氏もいうように、母子共生家庭には、上記の問題が顕著である。
最初に書こうと思っていたことと、まったく違う方向に行ってしまった。よくあることだが、やはり自分は感性人間である。心にあることを躊躇わずどんどん、速射砲のように書いてしまう。考えてなど書いていない。欠点ともいえるが、修正が難しいなら、欠点を生まぬ方法として「表題」を決めないことも一理ある。が、「歩く」については明日書くことにしよう。