前回述べたウォーキング後に喉を潤す愛飲の炭酸飲料とは、「Ceres 100% Sparkling」。後味の悪い炭酸飲料にあって、100%果汁は後を引かない。瓶入りなので紙製にくらべて冷えもよく、意匠的にもオシャレ感が漂う。白ブドウ、赤ブドウ、リンゴの3種類がある。ノンアルコールだが発酵臭があり、ドライバーの方やアルコールダメな方に良いとある。
100%果汁でスパークリングといえば、以前は「BEL NORMANDE」だったが、750mlの大瓶は一人では飲みきれないのが難だが、コルク式なので2~3日は炭酸風味は残るし、この商品は炭酸が抜けても美味しい利点がある。日本酒やビールの銘柄を決めて飲む人、何でもいいという人に別れるが、自分はジュースは決めて飲む性質なので、それまでは口に合うものを探す。
コーラは当初コーラの実(kola nuts)から抽出したほろ苦い味のコーラ・エキスを用いていたことに由来しているが、現在ではコーラの実は含まれていない。Fantaも無果汁で、かつて果汁入り炭酸飲料はなかった。あったとしても果汁100%などは考えられず、美味しいものを飲める時代になった。言い替えると口が肥えた、さらには贅沢になったということか。
100%といっても、近年はノンシュガーに保存料ナシをうたったものも多く出回っているが、砂糖に代わる人工甘味料入りのものも少なくない。2007年に発売された「コカコーラゼロ」は砂糖をゼロに、砂糖の200倍の甘みがあるアセスルファムカリウム、スクラロースを砂糖の代用とし、炭酸ガス圧を強めに設定されている。まあ、人工甘味料のしつこい味はなじめない。
スクラロースは砂糖の600倍の甘さを持ち、砂糖のように体内で炭水化物として消化、吸収はされないために生理的熱量はゼロ。また、24時間後にほぼ100%が代謝・分解されることなく排泄されるため、血糖値やインスリン値にも影響を与えないばかりか、非う蝕性で、虫歯の原因にならないことが報告されている。世界各国で安全性が指摘され、日本でも1997年に認められた。
のど越しに炭酸は不可欠で、喉にくる刺激がたまらないのだが、コーラとビールの咽喉超しの違いはある。コーラは強炭酸飲料、ビールは弱炭酸飲料であるから、喉にくる刺激の強さが違う。とってビール小瓶を一気飲みはできても、コーラの一気飲みは難しく、一発芸として確立されている。ビールのCMは「のど越し」を言うが、コーラのCMで「のど越し」は言わない。
下戸の自分はビールの「のど越し」は分からないし、ノンアルコールの炭酸飲料で十分のど越しを堪能するが、ビールについてはこういう記述がある。「『ビールは喉で味わうもの。舌で味わうものではない』という可哀想な話はあちこちで耳にするが、のど越し最優先のビールなんて、アメリカンラガーかドライくらいで、普通ビールは味を楽しむものなんですけどねえ。
味もへったくれもないスーパードライや、第三のビールばかり飲んでるからこんな風潮になってしまうんでしょうかねえ。つくづくスパドラの功罪は大きいと実感させられます」。こういう意見もある。「『ビールはのど越し』と言う人間は、まず間違いなく日本の大手ビールメーカーのビール以外飲んだ事がないハズ。味や香り、口当たり等一口にビールと言っても千差万別だ。
なのに日本の大手ビールメーカーは3桁に及ぶビールの種類のうちたった一つしか造ってこなかった阿呆だ。また、ビールにのど越しだけを求めるとか白痴以外の何者でもないし、酒が飲める、「ビールなんてただ苦いだけだし嫌い」なんて言う、人生の99%損してると断じざるを得ない」。と言い切る。ビールだけで人生の99%なら、まるで下戸は100%損をしているのか?
「うーむ」分からない。酒が飲めなくて損をしたとの実感はない。ただ、飲めなくて申し訳ない(飲める相手に対し)、済まない(同)と感じることはただあった。やはりというか、飲む場というのは人間関係の必須の舞台であって、そういう場に飲めない者がいる意味は基本的にないように感じる。「飲めなくても食べたらいいんですよ」と気を利かせてくれるが、飲めるにこしたことはない。
まあ、飲める人間にすれば飲めない人間を、ついバカにするような言動はしばしば体験したが、そのようにバカにされようと、バカにされたと思ったことはない。これはもう体質の問題なのだが、飲める人間は、「鍛えられた(訓練させられた)」みたいな言い方をよくする。だから、飲めないのは単純に「鍛えられていない」、「鍛えられ方が足りない」などの思うのだろう。
何にしても人をバカにするような人間というのは、自分が他で別の面でバカにされているので、ここぞとばかりに下戸をバカにするのだろう。と、思っている。あることを自分が出きて、出きない相手をバカにするのなら、バカにする人間は何でもできるスーパーマンでなければならないことになる。現実に雑巾一枚縫えない者が、縫える者からバカにされてよいということになる。
自慢する、威張る、バカにするなんてのは、いわずもがな幼稚な人間である。飲む相手にいろいろな弁解をしたものだが、こんな風にも言ったことがある。「自分は酒がダメで、代わりに素面癖が悪いので、注意した方がいいぞ。酒を飲むと、せっかくの素面癖がダメになってしまうんだ」。これをまともに受け取る奴もいたりで、飲めないけど気をつけろ、などはオモシロイ。
「何で酒を飲むんだ?」これはいろいろな人間に聞いてみた。返ってくる言葉の100%が「酔いたいから」である。したがって、アルコールゼロのビールは飲まない、アルコールゼロの日本酒、ウィスキーは飲まないというより、そんなものはない。「酔いたいから飲む」、その意味は気持ちが和やかになる。嫌なことが忘れられるなどだが、言い替えると「酒に逃げている」ことか。
「酒を飲まなければ気分が和やかになれないものか?」というのも下戸には不思議である。何かにつけて酒の力を借りたい、借りようとしたことがない下戸にとっては、むしろ酒は迷惑なものでしかない。無用の長物である。お酒を飲むと動悸が激しく、ただしんどいだけの者からすれば、酒を飲んでいい気分になるというのは嘘みたいな話。では、下戸は嫌なことを何で忘れるのか?
思い出してみるに、確かに嫌なことを早く忘れたいということはあった。その場合に、嫌なことがどうして自分にとって嫌なことなのか、なぜそれを嫌だと思うのか、などと「嫌の原因」を考える。これは逃避ではなく、正面から立ち向かうことになる。酒の効用はわからないし、実際問題、考える方がオモシロイ。これしか方法はないが、ある下戸は「そういう時は寝る」と言っていた。
酒を飲むのも、寝るのも一時しのぎで、根本解決とならない。考えても解決しない難問もあるにはあるが、「逃げる」という発想はなかった。「思考」は下戸に与えられた問題解決の方策なのかもしれない。同じように、酒は飲める人間にとっての方策であろう。かつて阪急ブレーブスに今井雄太郎という投手がいた。彼は1970年代から80年代にかけて活躍したエースである。
彼はノミの心臓と言われた。当時の阪急は投手王国といわれ、米田哲也、梶本靖郎、山田久志らはそろって主戦級投手だった。そんな中、今井が二軍で好投して一軍に上げてもらっても登板機会も少なく、チャンスを与えられてマウンドに立つと、打たれた過去ばかりが頭をよぎり、結果を出そうと気負ってしまう。「今井は一軍のマウンドではアガる性質」と言われ始めた。
そんな今井に先発が任されたある日だった。試合前、梶本隆夫投手コーチに呼ばれ、今井は紙コップを差し出されてこういわれた。「これ飲んで行け」。中身はビールだった。当時のことを今井は、「投手コーチの梶本さんがビールの入った紙コップを持ってきて、飲めと言うんだ。500mlだったかな。断ったんだけど、『どうせ、この試合が最後なんだから』ってコーチ。
酒は強く、『これくらいなんてことない』と思って飲んだ。そしたら違ったんだ。マウンドに上がったら、心臓がドキンドキンしてなぜか、『キャッチャー、早うサインを出さんかい!』と 強気になれた。結局、7回まで投げて勝ったんだな。実はその後も2~3試合飲んだ。そのうち、飲まずにマウンドに上がっても平気になった。勝ち星を重ね、自信が付いてきたんだね。」
自信というのは恐ろしい。酒にはこういう効用もあるのかと。「酒と泪と男と女」という曲がある。詞・曲とも河島英五になり、彼はアルコール依存症ではとの噂があった。48歳で世を去り、死因が肝硬変であったこと、酒をこよなく愛していたことで、そのように言われたが、アルコール依存であったとの明確な証拠はない。長女あみるの結婚式に参列した後急逝した。
忘れてしまいたいことや
どうしようもない淋しさに
包まれたときに男は酒を飲むのでしょう
飲んで飲んで飲まれて飲んで
飲んで飲み潰れて眠るまで飲んで
やがて男は静かに眠るのでしょう
どうしようもない淋しさに
包まれたときに男は酒を飲むのでしょう
飲んで飲んで飲まれて飲んで
飲んで飲み潰れて眠るまで飲んで
やがて男は静かに眠るのでしょう
酒が好きな英五が書いた詞ならこれが酒を飲む理由であろう。亡くなる2日前のライブが最後の仕事だった。前日に体調を悪くし、病院に運ばれるも既に手遅れの状態で家族に看取られ、彼は静かに眠りについた。「肝硬変」とは、慢性の肝障害の進行によって、肝細胞が死滅・減少し線維組織によって置換された結果、肝臓が硬く変化し、肝機能が著しく減衰した状態。