2015年が明けた。2015年の扉を空けたとも言う。自力で空けたのではなく勝手に空いたのだから、「2015年の扉が空いた」が正しい。時間は勝手に進む。容赦ないし、待ってはくれない。「時間よ、止まれ!」というのはマンガの話。時間が止まれば人や車が止まるシュチが笑える。人は時間と共に生きている。時間が積み重なって「老」となり、やがてその人の時間は止まる。年始めは「老」について…
御年85歳の母は意地悪い性格が災いしてか、同居する妻を困らせてばかり。先日は大阪の叔父貴(母の弟)から電話があり、会って話したいという。妻に理由を聞くとくだらないいざこざがあり、大阪の叔父貴のところに電話をかけろと指示したらしく、夜も遅い時間なので叔父貴は就寝中であったという。「迷惑をかけた」と妻は言うが、80歳過ぎてもヒステリーが改善しない母には困ったものだ。
この場に書くのも躊躇われるようなくだらないことも多いが、なにかにつけて「思い立ったら吉日」という短絡さ、思慮のなさは遺憾ともし難い。人を疑うが、自分にかかる疑いを極度に嫌う人間で、その種の人間を自分は善人ぶる悪人と定義する。悪人は、自分が悪人であることを極度に嫌い、いかにも善人でありたいのだ。自らを悪人と気づかず、疑うこともないのが悪人の特質である。
こういう人は多い。悪事を働いて後に逮捕・収監されて取調べを受ける際も、悪人はシラを切り通す。自分の行為を悪と思わない、そのような悪事を自分がやるはずがない、という思い込みと自己正当化。行為の事実さえ脳から葬ってしまっている。嘘をついているが、本人は嘘などついていないと思い込む人間を説き伏せるのは困難極まる。自身を外から見ようとせず、一切を内側から眺めるなら、人は誰も己の行為を正しいと感じる。社会のルールや決まりを破る事は誰にもあり、自分は横断歩道の赤信号を守らないのを特技にしている。決して難しい特技ではないが、右も左も見通せて車の往来がないのに赤信号で止められることを納得できない。安全のための規則ならいいが、こういう時の信号は全く無能状態である。
単にそれが規律というなら、規律そのものがオカシイ。身の安全を守っているというより、バカな信号機でしかない。まあ、これも道徳的な人は「マチガイ」というのだろう。道徳的な人はそれでいいし、自分は「道徳的でない」というより、「合理的思考」と思っている。守るべき規律や規則はあるが、合理的に守る意味のない規則を守らせるのは正しくなく、自分は正しい行為を選択する。
自分は幼少期の子どもにもよく言った。「信号機なんかバカだろ?車が多い時は安全を守ってくれるから有り難いけど、車も来ないまったく安全なときにも赤信号であるのはオカシイくないか?自分の注意力や判断力を大事にした方がいい」。規則を破るのを怖がる子どもは実行しなかったが、そこいらあたりがいかにも子どもである。既成の教科書を否定せよと進言する父であった。
居もしない(と思うなら)神や幽霊を妄信するより、疑うことから何かが始まる。信じるためには信ずるに値する合理的な理由が必要で、そういうものは理性的思考で得られるものだ。「神様はいる~」、「幽霊はいる~」と唱えたり、思ったりは簡単だが、当たりもしない占いを、たまたま当たったと喜ぶは利口でない。利口=賢いと混同されがちだが、利口は口が利く(口が上手い)という意味もある。
また、利口は要領よく抜け目のないこと。の意味もあり、賢い、頭がよいだけの褒め言葉ではない。「利発」は「利口発明」を縮めた言葉で、頭の回転の速い、役に立つこと、有益なさまの意味がある。「発明」とは、今までなかったものを新たに考え出すこと、である。「利口」と「賢い」は違うといったが、まあこれは自分的に思うこと。有り体に言えば、賢くても利口でない人間がいるということ。
勉強や学問が堪能な子を賢いというなら、 一休さんのような、その場の現実に即した答えを出せる人間を利口と区別する。いかに学業優秀といえども口が利かないと、人を説得できない、女も口説けない。そういう人間は腐るほどいる。斯くの人間の持ち場は学者であろう。専門は専門、専門外は専門外なのだ。そのように区分けすると、市井で利発に生きる人と学者はまったく別物。
ノーベル賞受賞者にしろ、王、長嶋、具志堅、アントニオ猪木、何か一つのことで優秀だった人を、他の事も絶対優秀なはずだという思い込みは当てはまらない。石原慎太郎が偉大な作家としてボキャブラリーはあれども、政治家に向いていたのかは疑問だ。自己顕示欲が強い彼はお山の大将で居れた首長退任後は、弱小派閥の存在感のなさに嫌気がさしたと思われる。
今回の選挙における石原のやり方はいかにも彼らしい体面作りである。そもそも次世代の党は存在意義もなく、今回19議席から2議席に激減したのを事前に把握していた石原は、自らの賞味期限切れと比例区上位でしか勝ち目のないのを察知、比例東京ブロック最下位の9位で立候補という形で落選の口実としたのは明々白々、そこまで国民はバカじゃない。
あの程度の体面なら大人気ないというしかない。11月14日の会見で案の定、「老兵は死なず。ただ消え行くのみ」という言葉を引用したが、100%落選確実の選挙に出馬し、供託金600万円をドブに捨てるのは如何なものかと。彼にそういう優しさ、配慮がある人間なら不出馬引退宣言をすべきであった。600万くらいは自分の引退花道への御祝儀という意識だろう。
自分はかつて石原慎太郎を敬愛していた。それは敬愛する加藤諦三氏によるところが大きい。東京都政が共産党に牛耳られていた1971年、革新美濃部都政に対抗して誰を推すかという時に、3年前の参議院選挙で初当選した石原の名が候補の一人として上がっていた。その時、自民党も共産党にいたる多くの政治家が「彼はタレントではないか」と鼻であしらった。
都議会議員においても、東京都知事選で"おふざけ選挙"などあってはならないと断じた。そんな政治家を加藤諦三はこう批判した。「政治家が選挙民と国民をバカにして、思い上がっている民主主義国など世界のどこにあろうか。自分らの票は政治を分った人の票であり、タレントの票はそうではないということだ。(中略)すべての票は民主主義社会の一票なのだ。
その票をバカにすると言う事は、選挙民をバカにすることであり、国民をバカにすることであり、少なくとも民主主義社会の政治家としては許されない。僕みたいな評論家といわれる人間が、石原慎太郎をバカにするというのは許されても、政治家が彼をバカにするのは断じて許されない。(中略)民主主義とは国家の制定する規則に国民一人一人が自由に要求を出せる事。
国民一人一人が、国家の政治決定にあたって自分自身の経験を尊重させること、ここに民主主義の意味がある。そうでないなら、少なくとも政治家より理論に通じている学者の方が、多くの投票権を持っていい。政治家が一票なら学者は十票、というようなことがなされなければならない。つまり、政策決定にあたって、自分自身の経験を尊重させる意味である。
自分自身の経験は、まさに自分自身にしか分らないということなのである。そして、自分自身の経験を価値あらしめるがために、言論・出版の自由があり、集会の自由があり、そういうことがない限り、言論・出版や集会の自由も、思想の自由も、さして意味をもたない。宗教家は宗教を重視するが、神を信じない人間は道徳について、宗教家とは意見を異にする。
そうした人間たちが様々な経験をし、それに基づいて思想の自由と言う事が出てき、それを討論することで一つ一つの政策が決定されるのが民主主義である。これを否定しようとするならば、民主主義を口にして立候補するのは止めた方がいいのである」。これは加藤氏の『思い上がる政治家』と題した論評であり、いたく感動を受けた。革新美濃部都政は3期12年に渡った。
美濃部都政以降、鈴木俊一が4期16年、青島幸男が1期4年と続き、1999年4月23日より、2012年10月31日までの4期を石原が務めたた。その石原氏が任期を2年半も残して国政に打って出るとは呆れもしたが、結局橋下人気にあやかっただけのお茶を濁して終った。党より自分の面子優先の石原氏は、選挙期間中に引退を表明するなど有権者の投票意欲を減じさせた。
都知事時代の天罰発言も、週に数日しか登庁しない彼を知る者は冷ややかであった。そんな石原氏が2011年以降の国政でやった事は、長男伸晃氏への配慮、三男宏高氏への側面支援、四男延啓氏の風除けという記事に頷く。次世代の党が壊滅的状況となった今、彼の最後に成し得た仕事が石原ファミリーの「安堵」だとしたら、晩節は褒められたものではない。
ネットに乱立する「石原都政13年の功罪」を読むと、王手飛車をかけられても王より飛車を大事にする石原氏、彼は2年前から詰んでいたと自分は読んだとおりの醜態であった。タレント集票力を政治家に揶揄された時代の政治家を批判した加藤諦三氏は、その後の驕る石原氏をどう見たのか。石原氏にはエッセイ集『孤独なる戴冠』があり、その中に以下の一文がある。
ヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」の冒頭のエピグラムの一文だ。「キリマンジャロは標高6007メートルの雪に覆われた山で、アフリカの最高峰と言われている。その西側の頂は、マサイ語で「ヌガイエ・ヌガイ」即ち「神の家」と呼ばれるがその近くに、干からびて凍りついた一頭の豹の屍が横たわっている。このような高いところで、豹が何を探していたのか誰にもわからない。
かつて見たこの小説の映画化されたフイルムの中で、主人公はパリのカフェの馴染みのバーテンダーに酔ってこの謎をかける。バーテンダーは考えた挙句、「多分、何かその豹だけに匂った匂いを嗅いでそこまで上がっていったのだろう。間違った匂いだったかも知らないが」と答える。バーテンダーのその答えは多分正しいだろう。豹は我々だ。青年はその豹でなくてはならぬ。
豹が一人嗅いで伝っていったのは、彼自身の個性だったのだ。たといそれが結果として間違っていたにしろ、彼はそれをそこまでたどっていった。高い山の頂まで、勇気をもって。そしてそこに彼を待っていたものが凍死であろうと、彼は「神の家」を極め、地上のいずれよりも高貴な死の床を得たのではないか。それこそが彼の得た孤独の戴冠だった。
この病んだ時代の密林の中で、我々は捨てられた腐肉のをあさる麓のハイエナであるよりも、高みに凍えて死ぬその一匹の豹でありたい。…1966年」。加藤氏は石原氏の『孤独なる戴冠』のこの言葉を引用し、「たった一人で歩いていかなければならないのだ。男とは、山頂にあるのが凍死であると知っても、雪の中をただ一人で歩いていかれる人間をいうのだ。
山麓の"あいつはバカだよ"の声を背に、誰にも理解してもらえない孤独さを抱きしめても、なお一人で登っていく人を男というのだ」。とこそばゆい一文を捧げている。加藤氏は一貫して石原擁護の姿勢を崩していない。個人的な好き嫌いはあってもいいが、少しばかり気になって石原―加藤の利害関係を調べてみた。「東京都青少年問題協議会」というのがある。
その委員名簿に会長石原慎太郎、副会長加藤諦三とあった。なるほど、二人はウマがあうのか昵懇のようだ。友人ならクサしたりすることもなかろうし、石原氏もわざわざ自分を批判する人間を委員に選ぶはずもない。とまあこういうことだが、敬愛する加藤諦三氏が、石原シンパであったとしても、これで自分が加藤氏へのリスペクトを止める理由にはならない。
ともかく石原氏は政治舞台から消えた格好だが、繰り返すも次世代の党の比例名簿9位という出馬はやることが子どもじみているし、これが彼の美学と言うならあまりにも幼稚でありすぎる。自分の引き際の事ばかり、党の存続がどうなるなどこれしき頭にない。石原の「オレが、オレが…」の人間性も見えた。人間は引き際を間違えると無様になるが、それを超えて滑稽ですらあった。
引退会見で石原氏は、「肉体的な条件もあり、迷惑をかけてはいけない。老兵は死なず、消えていくのみだ」と述べた。自分の母も周囲に迷惑をかけても気づきもしないに比べると石原氏の方が利口である。石原氏は1932年生まれの82歳、母は1929年の85歳の同世代だが、「迷惑をかけている」と感じる理性に比べ、感情ばかりの母にそのことを望むべくもない。
父は1983年に67歳で世を去った。30年以上も前のことだが、昨日のことのように覚えている。同居したのはわずか18年足らずで、0歳~7歳くらいまでの記憶は皆無である。母が自分を独り占めをしていたのだろう。母の見境のない子どもの占有が、父親の出番を削いでしまう。こんにち、子どもを自分だけのお宝であるが如く、独り占めする母親の思慮の無さ。
その見境ない態度に男は益々子育て意識から遠のくことになる。そうしたあげく、「あなたがこの子のために何をしたというの?」と、慈悲ない言葉を突きつけられたときの虚しさよ。女が子どもに入れ込むのは分からなくもないが、そのことが夫を子育てから遠ざけてしまう。奪い合いもよくないが、独占もよくはない。「協力」という文字は入れ込んだ母親には難しい。
思い出すのは父が、母の目を盗みながら接してくれたこと。ヒステリーを発症させない気遣いであり、男の子に言葉は無用、父の寡黙な愛情は伝わっていた。怒りの種類は二つある。声を荒げた怒り、心静かに嵐が収まるのを待つ怒りである。同じように愛情も二つある。積極的に関わる愛、心静に見つめるだけの愛。後者は点数稼ぎをしない愛。それが男の愛の本質か。
人は生まれるとき、壮絶な一声を上げるが、人が消える時は静かに消えるべきであろう。その人の存在感は残された者が感じるもの。だから静かにしていればいい。最近は世が複雑になり、葬儀を近親者のみで密葬と言うのが多くなった。葬儀のスケール、参列者の多さを競うのがバカげたことだと気づいたのだろう。義理や本意でない参列者など呼ぶこともない。肉親の愛で送ればよい。
人は様々なことを競い合い、つばぜりあい、しのぎあい、そういったあげく本当に大事な何かに気づくのかも知れない。そういう中にあって、肉親に嫌われるような人というのは、少なからず問題があるということだ。好かれようとして無理をすること自体が傲慢であり、故に嫌われてしまう。人に好かれる人は、決して自身に無理をしないし、他者に無理を強要しない、平常心の人なのかも。