卓球女子日本が銅メダルを取った。にしても、卓球は観る側も緊張して力が入るし、気づいたら拳を握っていたり…。狭い卓の上でスピード感溢れる応酬がそうさせる。強いから勝ったのか、勝ったから強いのか、という設問を自らに課す。自分は後者の、「勝ったから強い」とする。理由は、「強いから勝つとは限らない」し、だから勝ったものが強かったとなる。
が、さらなる思考をするに、「勝ったから強い」も正しくない。なぜなら、強いものも負けるし、勝ったから強いとも言えない。終わってみればそこに勝者と敗者がいたというのが、純然たる事実。強い・弱いを定義するランキングはあるが、あったところで勝敗に反映されるとは限らない。勝敗には運など、様々な要素があり、強い・弱いより、「勝者と敗者がいた」。
オリンピック中継は観る。観て結果に一喜一憂する自分もナショナリズムを背負っている。世界的競技はどうしてもそのようになる。国家の威信をかけて戦う者と、国家の威信をかけて送り出す側と、その「威信」が犯罪の温床になっているのは嘆かわしい。オリンピックやワールドカップが、ナショナリズム高揚になってもいいが、犯罪とは無縁の純粋なナショナリズムを望みたい。
宗教もまたナショナリズムの道具。それぞれの宗教が、「我こそ真理」とするのが無神論者には滑稽である。無神論者の視点とはそういうもの。たくさんの宗教がある以上、それぞれの人間の心に、それぞれの神が居るということだ。信者にとって、信仰対象としての神は居なければ困るし、その神を信じることで救われる。自分も子どもの頃、御天道様はバチを当てると思っていた。
親は何かにつけ、「それみたことか!御天道様のバチが当たった」と子どもの不幸を神様のせいにしたりと、躾けにさんざん神様を利用した。自分はある日、神社の本殿前の階段に小便をひっかけ、バチがあたるかどうかを試したことがあった。数日間、恐々とバチがあたるかじっと待ったが、「これ」というバチは何にも当たらなかった。それで神様はいないと実感した。
いろいろ悪い事もしたが、その都度これと言ったバチは当たらなかった。期待しているのにバチが来ないというのも変である。悪さに対してバチを当てないのは、神様の威厳にかかわろう。御天道様が自分だけに寛大である理由もないし、津波や震災や不慮の事故で不幸になる人はバチが当たったということでもない。小学生にして自分は御天道様の不存在を確信したのだった。
天道にあっては何ら天道たる作為はなく、すべての出来事は無作為に発生する。これを自然の摂理、自然の出来事と言って何の問題があろうか。「天道是か非か」という有名な言葉は、『史記』の一文。伯夷・淑斉のあわれな死に様から生まれたもの。悪辣な暴君だった殷の紂王(ちゅうおう)を武力で倒した周の武王に対し、非道だから止めるよう意見した伯夷・淑斉兄弟。
周の支配に対し、「我々は周の食糧は口にしない」として、首陽山で蕨を取って食べ、栄養失調で死ぬという話。この兄弟には何ら落ち度はないはずだった。なぜに天は彼ら善人を見放すのか…司馬遷には理解できなかったのだ。「天道是か非か」は、司馬遷の慟哭から生まれた言葉である。老子も79章で、「天道は親なし、常に善人に与す」という言葉を置いている。
「天は全ての人に公平で、贔屓ということをしない。そして善人の行いというものを必ず見ているので、安心して徳を積めば良い」との意味だが、「天の摂理などない!」とした司馬遷に比べると老子の楽観さが際立つ。司馬遷は、漢の将軍・李陵が匈奴に囚われの身になったとき、漢の武帝の御前会議で諸官が李陵を責めるなか、唯一李陵の弁護を行った事で知られている。
それに激怒した武帝は司馬遷に宮刑を言い渡す。斯くも屈辱刑にあいながら、父・司馬談から委嘱された歴史書の編纂という大事業を前に、恥を忍んで生き延びた司馬遷の「天道是か非か」の言葉は、司馬遷自身の運命に深く関わっている。正義や善が天から見離される以上、是非もない。織田信長は本能寺において、「是非に及ばず」との言葉を残したと伝えられている。
が、この言葉は歴史学者頼山陽の創作である。この場合の「是非」と「天道」は無関係。信長は「是(よしとする)、非(あらざることとする)に及ばず(そこまでする必要がない)」とした。要約すると、「今この場で善悪良否の判断する必要もない」と腹をくくった。和睦も無用、惟任(明智)への非難も無用、攻めて来た以上はともあれ、武将として戦うのみという心情を映す言葉。
家来の裏切りに、怒るでなく、悔しがるでなく、うろたえるでなく、いつでも死に臨む覚悟が戦国武将の生き様である。奇しくもわれわれ後人が信長に代わって、「下天は夢であったか」などと悔しがっている。津本陽氏の、『下天は夢か』を読んだのは30年前、あれで自分の信長観が変わった。強いカリスマ性の信長のイメージを、世俗的、人間的にとらえていた。
富や名誉や地位を失うことは人間には簡単だが、命を失うことを恐れないあの時代の武将たち。何が怖いといえば命を恐れぬ人たちであろう。ヤクザが怖いのは、彼らが命を恐れないからである。信長もそうだが、道半ばで斃れた人の残念さはいかばかりか。今まで作り上げてきた自分の統一性が、夢もろとも壊れるのは耐えがたき事。おそらく信長は自身の油断を責めたろう。
あの場に及んで、自分と世界の構造を理解した信長は、自分に向かって押し寄せる森に対し、何の覆いもなく自らに直接触れてくる森の大群に運命を悟った。寡勢の家来を従えただけの信長に思いあがった点はあったろう、それが油断を招いた。近年、思いあがった政治家が地位を金目当てに利用しながら、金儲けを軽蔑する発言をする。これを滑稽と言わずして何という?
作家が読者をバカにしているようなもの。民主主義社会の政治家は、その票を大切にすべきだが、彼らは選挙の時だけ平身低頭をやる。2期も続いた東京都知事の金をめぐる不祥事、さらには都議会議員の内情を報道で知ると、彼らは一体どのような権利があって、自分たちが都知事や都議会議員でいられると思っているのか?国民も都民も自らの幸福を追求している身である。
国家も自治体もそうした民衆の幸福追求に対する努力に応え、何を守るべきか、どういうことをしてはならないか、という規則を制定し、順守すべきであるが、こんな小学生でも分かりそうな原則を理解できない政治家が多過ぎる。民の幸福追求に尽力しない、そんな気概もない政治家であるなら、せめて道徳は守ってもらいたい。自分たちを縛る規律を忘れて欲しくない。
宗教家は教義を守ってこそ宗教家足り得る。縛りのきつい戒律もあるが、それが宗教である。神を信じない無神論者であれ道徳は守る。もちろん、宗教家とは隔たりのある道徳だが、自立自尊の精神で生きている。「長寿の道は『自立自尊』から」、という記事があった。「長寿であるためには、まず、好きな時に自由に行動できる身体的活動力を維持してなければならない。
その健康づくりの基本は、正しい姿勢で歩くこと」と医師が記している。「自立」とは字の如く、「自らの力で地面に2本足で立つ」とする。さらには、物事に対して独自の判断ができ、自分を信じる「自尊」の人。「自尊」とは、自主性の尊重を意味し、既存の宗教、思想、学問に とらわれることなく、自分の耳目にて得たものを自分の智慧にて判断できる「個の完成」とする。
人は老いては乳児と同様、他人の手を必要とする。この世はまさに介護社会であり、当然にして高齢者の行く末と言われている。が、尊厳ある死というものは、自尊心のある生き方から生まれるのではと愚考する。つまり、「よく生きること」即ち「よく死ぬこと」。たとえ介護を要したとしても自らの足で立ちたい。本人に立ち上がる執念がなければ、介護は死に向かう道である。
二人に一人ががんで死ぬといわれる昨今だ。それならそれでいい。芸能人をはじめ、多くの人ががんで世を去った。が、長々と何年も生きた屍ごとく、高齢者介護施設になどで命を長らえたいとは思わない。死を悟った時、渾身の力を振り絞って自らの足で立ち上がり、周囲に「ありがとう」と礼を述べて死にたいものだ。人の手はできるだけ短い期間、病との闘いに限定したい。
あと、老人に大事なのは水である。老人の肌が飢饉の地面のようにヒビ割れ、かさつくのは細胞の水分の減少による。成人の体水分率は60%と言われている。体重60kgなら36kgが水分だが、高齢者になると40%に減少する。 したがって高齢者は、常に水分の補給が必要となる。水といってもミネラル分を多く含んだ良質な水がいい。とりわけマグネシウムの摂取が良いと言われている。
水分は生体反応の場であり、細胞内ではマグネシウムが多く、300以上の酵素反応(ミトコンドリア内)に関与している。よって、水に溶けたマグネシウムを摂取することが最も効率のよいマグネシウム摂取法となる。単純な水道水よりもミネラルウォーターに照準がいくということ。何の基準でミネラルウォーターを選ぶかだが、水には硬水、軟水という硬度があるのは今や周知されている。
硬度とは、水1,000mlの中に含まれているミネラルのうち、カルシウムとマグネシウムの合計含有量を表した指標の事。WHO(世界保健機関)の基準では、硬度が120mg/L以上の水を硬水、120mg/L未満の水を軟水とする。フランス産の超硬水「エパー」は硬度1849、「エビアン」は硬度304、日本産で有名な、「日田天領水」は硬度30、長年自分が愛飲する、「六甲のおいしい水」は硬度30である。
硬水のメリットは、①ミネラルが豊富で、ダイエット・スポーツ時のミネラル補給に適している、②妊婦さんのカルシウム補給に良い、③パスタを茹でる時やお肉の煮込み料理に適している、などが挙げられる。が、日本の水が軟水ということもあり、いきなりミネラル分が高い硬水をたくさん飲んでしまうと、人によってはお腹を崩してしまう可能性もあるので、徐々にすべきであろう。
軟水のメリットは、①口当たりが軽くてまろやか、②飲みやすい、③のどごしが柔らかい、④赤ちゃんの授乳に適している、⑤だしを使う和食に相性ピッタリ、⑥お茶や紅茶などの香りをより引き立ててくれる。「六甲のおいしい水」は、ミネラル含有率というより、緑茶と紅茶を水出しで飲むのに、最適であったからで、水の違いは、お茶の水出しで知ったということだ。
犯罪とミネラルウォーターと、何の関係もないようだが、関連する事件があった。世界で最も住みにくい都市とされるバングラディッシュの首都ダッカのホテルに宿泊した日本人が、激しい腹痛・下病・発熱に襲われ、病院に運び込まれた。検査の結果は細菌性の食中毒で水が原因という。飲み水はミネラルウォーター以外飲んでいない。不思議に思いホテルに戻ると謎が解けた。
部屋に用意されているミネラルウォーターのボトルをよく見ると、キャップに一度開けられた痕跡があったという。恐らく、ホテルの従業員が空のボトルに水道水を詰め、正規のミネラルウォーターとすり替えていたようだ。ダッカは砒素による汚染が問題になっていたこともあったが、5つ星のホテルとはいえど従業員にとって、外国製ミネラルウォーターは高価なものだった