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哲学とは「知」を愛する事 ⑨

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様々な哲学者がいるが、「パスカルの原理」として物理の教科書に出るあのパスカルが、哲学者であるを知ってビックリ、アルキメデス以来の早熟の天才ぶりを発揮するパスカルの才能は多分野に及んでいた。「我思うゆえに、我あり」と、「人間は考える葦である」と、これはもう世界中の誰もが知っているように、どちらも同じ程度に有名な哲学者の言葉である。

「天は人の上に人を作らず…」の言葉は、世界的周知というより、日本だけで有名な言葉であろう。パスカルといえば『パンセ』、近所に「パンセ」という名のパン屋があるが、パン屋さんでない『パンセ』について書いてみる。その昔、『パンセ』と『リルケ詩集』を貸してくれた女性がいて、彼女はうんこなどしないような清楚顔だった。が、借りても読まないままに返却した。

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ああいうときにバツが悪いのはどちらであろうか?貸した側は貸した著作について感想とか、いろいろ話をしたいのだろうが、借りてもパラパラめくった程度で読まない側も、それなりに気まずい。そういう場合にどう言って答えるかは人によって違うようで、自分はどういったのか覚えていない。「ぜひ貸してよ、読んでみたい」と、所望して借りた本なら、まだしもである。

望みもしないのに、「これ読んでみて…」ほど迷惑千万なことはない。言い方にもよるが、言い方よりも行為そのものが命令であり、押し付けに他ならない。「お願い、これを読んでください」と言われても、読まざるを得ないが、親のトラウマか、命令を何より嫌う自分である。よって、断れなくて悩むくらいなら、断り方を大事にした。コツは気まずそうに断らない事。

日本人は相手から無理に何かを言われて、断る時に気まずい思いをするが、何故なのだろう?と、その原因を考えたことがある。普段、考えないこともアレコレ深く考えてみると、おかしなことが多かったりする。なぜ、見栄を張るのか、自慢するのか、言い訳するのか、嘘をつくのか、このようなことを考えることで、人間の矮小さを理解すに及ぶ。「なんだかちっちぇーな」である。

つまらぬことでヤキモキする人間はなんと滑稽であろうことか。と、そのように思えただけで、考える前より大きくなっているハズだ。あとは、行動に移せば、「免許皆伝」である。「自分で考え、自分で知って、何でも自分でやってみる」。これがケペル先生の教えである。他人から教わったり、指示されたりでなく、自分で考え、自分でやるから熱心にやれるかも知れない。

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何事も自ら主体的にやるのが「良い」に行き着くが、指示待ち人間が量産されたこの頃だ。自ら行動の前には、「自らで考える」が必要となる。こういう基本的で当たり前のことができるようになれば、人間関係の悩みや、おぼつかない自分自身においても、思考すれば答えが出、行動によって完結することになる。考えただけでは解決されない。やはり行動が答えを出してくれる。

「殺人はなぜ許されないか?」と、唐突に問われて答えに窮する者はいるが、一度足りとて思考したことがあるなら、答えはストックされている。いろいろな答えがあるが、単純に「法的に許されない」というのも立派な答えである。なぜなら、「法的に許される」殺人もあるからだ。たくさん殺さば英雄となり、それが戦争である。「なぜ戦争は人を殺しあうのか?」も難しい問いだ。

が、命を張って守ろうとするものを排除しなければならないから、殺す必要が生じる。降伏する者を殺してはならないとなっているが、捕虜など足手まといだからと殺してしまう人間の狂気性、それも戦争だ。戦争においても法の規定がある。ハーグ条約(ハーグ陸戦条約)は、戦争における陸戦の法規慣例に関する条約だが、第二次大戦中の広島・長崎の原爆は明確な条約違反。

アメリカの言い訳は、「日本が『国家総動員法』を発令したことで、日本人全員が軍人だと解釈した」などと言っている。つまり全国民が軍人なら非戦闘員などいない。よって無差別爆撃はおろか、原爆も許されるという弁証法が成り立つ。条約違反は明確であっても、戦時国際法はお互いに違反した場合、その違反を追求しないというのが戦時下の慣例である。

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日本も中国の便衣兵にはかなり苦労をさせられた。便衣兵(の用語は日中戦争に関連して主に使用される言葉)とは、一般市民と同じ私服や民族服などを着用し、さも民間人ごときに偽装して、各種敵対行為をする軍人をいうが、これは明確な国際法違反であり、捕虜となったとしても裁判にかけられ処刑される。南京事件、南京事件論争にはこの便衣兵のことが問題になっている。

日中戦争さなかの1937年、日本軍の南京陥落の際、「南京安全区」に逃走した中国兵を、日本軍が「便衣兵」として多数摘発して逮捕・処刑した。便衣兵の摘発が適格であったかなど論議あるが、歴史学者の東中野修道(1947年10月19日 - )は、「日本軍は便衣兵の厳正な摘出を行い、捕虜の資格が無い便衣兵のみを処刑したが、これが曲解されたものが南京大虐殺である」と主張している。

軍隊と戦う資格のあるものは軍隊だけとの規定があるが、偽装兵を使った戦術は大きな効果を狙うというより、捨て身のゲリラ戦術で、ベトナム戦争時のアメリカ兵も偽装したベトコンに悩まされた。女も子どもも爺も婆も、民間人の恰好をしていながらいきなり発砲したり、手榴弾を渡されたり、こういうことをされると当たり前に人間不信となり、もはや誰でも戦闘員に見えてしまう。

平穏な社会でも法を守らない人間が、戦争という狂気世界にあっては何でもオーケーである方がむしろ自然であろう。一切を理性の支配下に置きたいカントがもし、今の時代に生きていたら、不倫ブームをどう捉えるであろう。彼は徹底した禁欲主義者であるから、ガリガリの理性主義を背後に論を立てるのは分かるが、快楽主義者においては一瞥されるのがいいところだ。

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あの時代の人がそのまま現代にタイムスリップしても発狂するのではないか?まあ、ニーチェはあの時代において発狂してしまった御仁である。物が溢れ、レジャーやアミューズメント施設が溢れる昨今、禁欲主義などは時代遅れも甚だしい。誰もが快楽志向、快楽主義であろう。確かに一定の秩序に従って事物を整える能力を広義の理性と呼び、我々は理性的秩序への嗜好を持つ。

あの時代のカントにとやかくいうべきでないのかも知れない。「欲望にとらわれた生活よりも、理性の法に従うのが好き」という人間も少なからずいる。だが、カントは自らの見解を「道徳の言説」と語るところは問題であろう。カントは「嘘をつくのは道徳的によくない」と同様、「不倫は道徳的によくない」という。「そんな不自由な…?」であるが、それがカントのいう自由。

カントは、「道徳の掟(道徳法則)」によって自由を律することこそ真の意味での自由とした。これは我々の思う自由とは大きく隔たっている。我々の自由とは、「自分の行為に対して外的な障害が存在しないこと」である。カントは自由をはき違えているというしかない。しかし、カントの考えは少し後のヘーゲルやフィヒテらに大きく影響を与えた。ヘーゲルはいう。

「やましい心には、義務や掟としての正しさの形は、死んだ冷たい文字として、また、束縛として感じられるものだ。それは、この心が掟のなかに自己自身を認識せず、したがって掟のなかで自由ではないからである」(『法・権利の哲学』序文)。ふ~ん…。こんな考えなどは理解はできても、とうてい背負いきれるものではない。ヘーゲルなんざ、屁ーでるといいたい。

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かくの、「道徳の掟」などというのは、まさに快楽や自己の利益の追求を放棄しろと迫るだけでなく、幸福追求すら認めていないではないか。確かに自己の利益や幸福ばかり考える人間はいる。間違いなくそういう人は嫌われるし、平気で嘘をつく奴は不愉快極まりない。フィヒテも「それをするのがお前の利益だ。しなければ幸福になれない。そんな言葉に耳を傾けてはならない。

自分は不正なことをしなかったゆえに良き運命にあやかれると意識を抱くがよい」などと言っている。立派な言葉だがこれは、『フランス革命に対する公衆の判断是正のために』のなかで述べたもので、いかにも情熱家フィヒテらしい。立派な人は立派過ぎて、一応承っておく、くらいしか言葉はない。さするに我々は、学童期において、校長先生の言葉すら耳に入らなかった。

が、新興宗教の教祖であっても、下半身を否定しないが、カントは正面から否定してみせる人であろう。カントは徹底したガチガチ人間である。パスカルはどうか?彼はデカルトやカントが行った神の存在証明はしていない。「キリスト教神学者」の肩書もあるパスカルは、神の存在について確率論を応用しながら、論理学的思考実験「パスカルの賭け」が知られている。

パスカルにとって神の概念はあまりに畏れ多く、異なる秩序に属するものであることから、神の存在など論理学的に証明できる次元にあらずとの考えであった。したがって、同時代のデカルトが行った哲学的な、「神の存在証明」の方法論を否定した。パスカルの一家は、パスカルが23歳の時に信仰に目覚めたが、教育熱心な父は、彼が少年期に一家を引き連れパリに移住する。

パスカルは学校に行かず、自然哲学やアマチュア科学者の父から、英才教育と知識を授けられた。家庭で英才教育を受けた。むか~し、映画監督の羽仁進がパスカルの影響なのか、娘の未央を学校にやらず、学校教育を否定して話題になる。未央は、5 - 7歳をパリで、9 - 11歳をケニアで過ごすなど、家庭のみで教育を受けるなど、ホームスクーラーの先駆けともいわれた。

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1651年にパスカルの父は他界するが、妹の一人は修道院に入る。パスカルは一時期社交界に出入りし、人間に関心を示すが、31歳の時に再び思考への意識を傾ける。2年後、イエズス会の乱れた道徳観を非難、議論を巻き起こすもキリスト教擁護書(護教書)の執筆に着手、様々な思索のメモ書きを多数残す。体調を崩したパスカルは書物を自力で完成させられなかった。

39歳の若さで死去したパスカル。彼のノート、メモ類などは死後整理され、『パンセ』として出版されることになる。『パンセ』の別名は、『キリスト教護教論』といい、人間の空しさや人間の偉大さを述べた部分と、神の存在や奇蹟などの宗教的テーマを扱った二部に分けられている。前者の人間論はしみじみと味わい深いが、後半の宗教論で多くの日本人は躓く。



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