1日 28486歩 19370m 90/分
2日 14325歩 9741m 83
4日 24583歩 16716m 88
5日 18319歩 12456m 89
6日 9519歩 6472m 88
7日 10486歩 7130m 85
8日 5179歩 3521m 85
9日 27802歩 18905m 93
11日 15705歩 10679m 92
12日 23702歩 16117m 90
15日 29814歩 20273m 91
18日 21993歩 14955m 92
19日 25467歩 17317m 90
20日 24728歩 16815m 88
21日 16339歩 11110m 93
22日 36656歩 24926m 87
23日 15116歩 10278m 86
24日 9349歩 6357m 85
25日 17514歩 11909m 91
26日 23606歩 16052m 88
27日 19148歩 13020m 85
29日 22391歩 15225m 89
30日 27630歩 18788m 88
31日 13543歩 9209m 82
total 481400歩 327338m
「歩くスピードの速い人ほど長生きする!」と、 これは米国の調査結果である。ゆっくり歩く人は、速く歩く人に比べて、がんや糖尿病、心不全、脳梗塞などの重大疾患になる確率が約3倍も高くなるというが、以前から歩くスピードのが速い自分はがんになったので、「これはいい加減な調査」というのも早計だ。ほかにも、健康と歩く速度に関する調査結果が出ている。
● 高血圧を改善
● コレステロール値を改善
● 糖尿病を予防
● 心疾患を抑制
などだが、なぜだろう? 速く歩くと血管に適度な負荷がかかるので、血管を強くすることができるのだが、「血管を強くする」というのはどういうことか、そのあたりから考えてみる。まず、血管というのは本当ヤワなもので、老化によっても衰えるし、なおかつ生活習慣のアンバランスさ、ストレスなどによっても、血管の壁はもろくなったり柔軟性を失ったりする。
「血管が弱い」とは、血管の壁が弱いということになる。血管に欠陥があるという語呂合わせでシャレてみたが、じつは血管の弱さはある程度遺伝も関係しているとも言われている。ハゲも遺伝なら血管も遺伝であって、ハゲを予防できないように血管も弱くなる体質なら仕方がないのだろうか?いやいや、毛生え薬はノーベル賞級でも、血管は日々の意識によって強くできる。
意識と言っても、「念じるだけ」では強くはできない。その初歩的な運動がウォーキングであるという。ただし、ダラダラ歩きではなく、ある程度意識した早歩きでなければならない。速く歩けるということは、それもある程度の距離ともなると、足腰(骨、股関節、筋肉)も健康な証拠である。老齢になって速く歩けなくなると、血管の老化が進んで病気になりやすくなる。
いつまでも健康でいたいなら、心拍数を上げて血管に適度な負荷がかかるよう、速く歩くことが大切ということになるが、いつまでも、というわけにもいかない。「できるだけ長い期間」と考えるべし。老化は足から始まり、太ももの筋肉の落ちが早い。子どもは一日中でも駆け回っているものだが、歩くことさえ難儀なのか、3歩、5歩あるくのにも大変そうな年寄りがいる。
外見ではわからないが、見るからに足・腰の筋肉や骨が劣化しているのが想像できる。どう劣化し、どのような自覚症状か、までは本人以外には分かりづらいが、速く歩けないお年寄りを見ると、自分もあのようになってしまうのか?などと思ってしまう。最近ふと思ったことだが、「ラジオ体操」というのが、こんなに大変な運動であるというのを実感として知った。
手を挙げたり、跳んだり跳ねたり、腰を折ったり、体を回したり、子ども時代には、こんなのが運動と思ったこともなかった「ラジオ体操」である。そのことだけでも体力が低下しているのを思い知らされるのだった。「ラジオ体操」は年寄りにとって非常に優れた健康維持運動である。さて、血管に戻るが、血管は体の隅々に大事な酸素を補給するパイプラインである。
毛細血管というのもあるくらいに、動物の細胞というのは、血管から主に酸素などの栄養補給を受けている。マンションの排水管でも大規模修繕工事の際、簡単に取り換えられるよう、現在は埋め込み式はほどんどないが、人間の血管は取り換えを前提にしていないし、体の中にあって普段見ることは不可能だ。すべての動物は、生命維持の多くのものを体内にしまい込んでいる。
だから、自動車と同じように外観が美しいのであろう。消化器系、骨格器系、筋肉系、神経系、循環器系、内分泌系、生殖器系などと分かれており、それに合わせて内科、外科、脳神経外科、耳鼻咽喉科、歯科、肛門科などの専門医が看板をあげている。ふと思い出したが、子どもと昔ピアノをやっているときに、実はピアノの先生というのはオールマイティでないことを知った。
一口にピアノ音楽といっても、バッハ、ヘンデルやハイドン、ベートーベンなどは古典派、ウィーン古典派ろ分類され、ショパン、シューマンのロマン派、ラヴェル、ドビュッシーなどの印象派とは様式も構造もまるで違う音楽である。古典派と印象派というのは、内科と耳鼻咽喉科くらいに違っており、印象派が好きなピアノ教師は、古典派の音楽はトンチンカンである。
古典には古典の音法というものがあり、モーツァルトをショパンのように弾かせる発表会に遭遇して驚いたことがある。それほどに街のピアノ教師というのは、資格も試験もいらないし、片手間にやれる職業であるのだと気づいた。「バイエル」といえば誰でも知る子どもの初級ピアノ教則本だが、「赤バイエル」、「黄バイエル」の二冊はピアノレッスンの王道であった。
ところが近年、バイエルを使ってピアノの練習をしているのは日本くらいで、海外では、「バイエル」という単語自体通じない。日本のピアノ教師も「メトードローズ」や「カバレフスキー」などのフランス、ロシアものを使う教師も目立ち、バイエルはピアノ人口減少とともに死語となりつつある。理由は一言でいうと、お堅くて面白くないということらしい。
つまりバイエルを嫌う指導者がおおくなり、「バスティン」や「バーナム」といった商品でテクニックを学ぶ教材に移行しているという。が、実はバイエルはドイツ古典の香りが充満する素晴らしいものだと思っているが、今の指導者は、フランス物、印象派物をかじった人が多く、それが古典派嫌いが顕著となり、バイエルは嫌いという図式になっているのではないか。
ある指導者はいう。「昔は、つまらないと思っても習いに行く以上は練習するのが当たり前との意識がありました。でも、今の子は面白いことしかやらない…」。この言葉にこんにちのピアノレッスンの現状が集約されているのか。もっとも、音楽は楽しいのが一番だが、テクニックを身に着けるのと楽しいは別で、それをごっちゃにした教則本が主流というのも分かる気もする。
昔も今もピアノを弾く技術を身に着けるのは大変だが、「面白くなければテレビじゃない」というスタンスで視聴者を伸ばし、それがまた視聴者を飽きさせることになったフジテレビのかつての光芒路線を思い出す。話を戻すが、動物の基本は「動いてナンボのもの」であり、動かないのは健康に良くないということになる。動かなければ血流の勢力も低下し、循環が悪くなる。
毛細血管なんてホントに細いもので、しょっちゅう切れたりします。すると、本来血腋が行き渡るはずのところの細胞に栄養が到達しなかったりする。健康はもちろんのこと、女性にとって美容に良くないことが分かる。身体や肌の細胞に必要な栄養分を運ぶ血液の機能が低下すれば身体中の細胞の元気がなくなって行く。それはまた、人間の活路を奪っていくことになる。
毛細血管が弱ってぶっちん切れてもアオジができるくらいでさほど影響はないが、太い血管がブッチーンと切れると、脳卒中や心筋梗塞に陥るといった率も上がる。それでなくとも生活習慣の悪害(飲酒、タバコ、暴飲暴食など)によって、血管が弱くなっている場合は、内臓にも負担がかかっていることになるので、なおのことガンなどの病気にかかりやすくなってしまう。
などなど、あえて書かなくてもあちこちで言われていることだが、血管が弱くなることで何ひとつ良いことはない。かといって、血管が弱いかどうかなんて、ABI測定や PWV測定をしないと分からない。機会があったら調べてみると良いかも知れない。血管がつよくなると間違いなく血の巡りが良くなり、血管の壁も丈夫になることで、内から外からのショックにも強くなる。
男はどうでもいいが、女性にとっては肌や栄養がスムーズに行き渡り、ハリとツヤのある老化知らずの元気な肌が形成されるという。これはもう、シワやたるみの改善にも一役買っている。つまり、肌美人は血管美人であるという。ウォーキングと併用して、血管を強くするには、良質なタンパク質を摂ることが推奨され、最新研究では、内皮細胞の強化がいわれ、注目されている。
"内皮細胞"とは、血管の収縮や拡張を担っている。ただし、タンパク質の摂取の仕方には問題もある。肉ばかり食べていると、良質と言えない脂肪分を摂取したり、消化不良を引き起こす。そのため、肉以外の魚や卵、大豆食品でタンパク質を摂るのがいい。これらにはビタミンB群(B1、B2、B6、B12、ナイアシン、葉酸など)も含まれ、新陳代謝を促進するので美肌効果もある。
魚のEPAなどはコレステロール値も抑えてくれる。と、健康志向に何がいい、かにが悪いを言い出すとキリがない。あまり神経質になってもストレスが多くなれば逆効果。よって、知識は頭の片隅に置いておき、あとはバランスのよい食生活を心がけ、生活習慣を改善したり、身体を動かすことに力を注げば良いというのが結論。歩くのが生活習慣になればこの上ない。
自分のウォーキングのきっかけは、尿管結石であった。結石が10mmを超えていたこともあって、医師は超音波による結石の粉砕を進めたが、「重力に伴って下に落とせばいいんだろう?だったらやってやろうじゃないか!」ということだった。医師に抗ってというわけでもないが、医師はそう感じたようだ。「10mm以上の石が自力で出たケースは聞いたことがない」という。
「お前はそこまでいうか?そんなに手術をさせたいのか?」権威に反発せよとビートルズが教えてくれたんじゃ。若者は好きなことやってイイんだと教えてくれたんじゃ。馬は若くはないが、彼らの教えて心にしまってある。まあ、それは理屈であって、自分の体は自分のものだ。一人の医師のものではない。やってみる価値、努力する価値はあろう。石はでたが続いている。
続けている、というより続いているというくらいに、いまでは歩くことが意識外の行動になっている。いつまでやるのか自分でもわからないほどに半端ない距離を歩いている。理屈はどうとでもつけられるが、効果の問題というよりレジャーである。つくづく思うは、自分は根本的に遊び好き人間である。いかなることも遊びに変えて楽しんできたし、今も、楽しんでいる。
「A」を何でもいい。達成でもいいし、成功でもいい。ならば、以下の公式は成り立つはずだ。A=X+Y+Z。 「X」は働け、「Y」は遊べ、「Z」は沈黙。 遊びに言い訳はいらない。黙ってやれ、言い訳は決していうな。