難しい哲学用語を排除したデカルトの真の目的は、自らの掲げる真理を広く多くの人々に受け入れてもらえることで、そのために「知のデモクラシー」を主張したが、良識や理性がすべての人に備わっているそのことに人々が同意するだけではうまくいかなかった。誰にも理性があるといっても、人殺しはなくならない。正しく導くといっても従わぬ者もいる。
首に縄をつけて説教を聞かすわけにもいかないし、無理やり塾に押し込んでも学力が伸びない子どももいる。デカルトは良識や理性が何であるかについての意見の一致の必要性を感じるにいたった。なぜなら、理性の働き方が異なれば、真理(理性が認識する)も異なる。すべての人が備えている理性とはいえ、理性の共通のはたらきを突き止める必要があった。
そこに至るデカルトの道は平坦ではなく、54年の生涯の半分以上をそのことに費やした。彼が10歳から8年間学んだラフレーシ学院での教育は、一言でいえば「スコラ哲学」で、「スコラ」とは学校を意味する。当時、スコラ哲学はカトリック教会が支配し、ラフレーシ学院もカトリック教会最大の組織であるイエズス会によって』設立されたものだった。
教会が公認した学説を擁護し、伝承することがスコラ哲学の目的で、「哲学は神学のしもべ」という言葉に代表される、「知るためには、信ぜよ」がモットーだった。ところがデカルトがスコラ哲学から得たものは、「知るためには、疑え」という教訓だった。デカルトは書物からの学びを見限り、「世間という大きな書物」から学びを得るために旅にでた。
「私は、自らをもとにして、すべてのことを判断してかまわない」と悟ったデカルトは、当時ヨーロッパで勃発した三十年戦争もあって、オランダで軍隊に従属、軍隊とともにヨーロッパ中を移動した。何も戦争が好きだったわけでなく、当時は軍隊に入ることが金をかけずに旅行をする有力な手段で、自衛隊に入ってクルマの免許を取るようなものかと。
デカルトは軍隊を離れて一人旅もしたが、足跡はオランダにはじまり、ハンガリー、ポーランド、オーストリア、イタリアなど、ヨーロッパ全域にまたがり、当時としては有数の旅行家である。生まれ故郷から一歩も出なかったカントとは対照的で、散歩しながら思索したのがカントなら、デカルトはベッドに横になって考えた哲学者といえる。
毎朝5時起きのカント、にたいして、デカルトが寝床から起き上がるのはいつも昼ちかくだった。すべてを書物から学んだカント、書を捨て街に出たデカルトだが、「世間」という書物からも「確実な認識」を彼は得ることができなかった。国や社会によって文化も違い、人間の考えも矛盾し、すべての人間を納得させられる共通の概念は何一つ発見できなかった。
書からも世間からも何も学ぶことができなかったデカルトが辿りついたのは、自分と言うかけがえのない伴侶だった。どれほど遠くに行っても必ずついてくる道ズレは、自分と言う港であった。そこでデカルトは、自分自身を徹底的に研究する決心をしたが、それは物事の真理を発見できるように、自らの精神を磨くことでもある。一体どうやったのか?
そのあたりは定かでない。デカルトの凄さは、書からも世間からも学ぶものがないと見切った点である。書からも世間からも学ぶことばかりの凡人にとって、どれほどデカルトが凄かったかがわかろうというもの。先に、「他人が他人を凄いというおせっかい」といったが、デカルトやイチロー当たりになると、それはもう額面以上に「凄い」という他に言葉はない。
山本晋也という映画監督がいた。彼にはタレント、俳優、リポーターの肩書きがあるが、最近とんとみないので、死んだのかと思いきや存命のようだ。彼の口癖は「凄いですね~」で、流行語にもなった。さほど凄くないものでも「凄いですね~」という彼はリポーターに向いていた。そんなカントク(愛称)には芸能人喧嘩番付で最強との噂がある。
デカルトの残した手記によると、彼は次々に見た夢を「衝撃」として残している。他人が見た夢と言うのは、その話は信じることができても実感はできないものだ。最近見た夢(おそらく1か月内外と思う)で、自分ですら何でこんな夢を見たのか理解できない不思議な夢を話す。英国のエリザベス女王から電話が入った。「軽自動車の新車が欲しい」という相談電話。
自分は女王に、「新車は止めた方がいい、新古車なら未使用であるにも関わらず39.8万円で売ってます」という内容。何でエリザベス女王?何で軽自動車の新古車?他人はおろか、自分でも不思議な夢だが、やはりというか、夢の布石はちゃんとある。英大衆紙「サン」が「英国のEU離脱をエリザベス女王が支持している」と報道したことに抗議という報道。
新聞業界の自主規制審査機関「独立新聞基準組織」(IPSO)に不服を申し立てた。ということだが、女王が特定の新聞に対して行動を起こすのは異例中の異例で、それほどに女王が今回のことを深く不快に思っているかの表れである。が、今回の不服申し立ての動きは、「王室は決して文句を言わず、決して言い訳しない」の合言葉とは大きく異なるからだ。
穿った見方をすれば、よほど本心を突かれたものと推察するが、日本の天皇陛下が、東日本大震災の後に、「原発はよろしくない」と言った程度のスキャンダルである。なぜ、軽自動車の新車を買う相談電話で、自分が39.8万円の新古車を勧めたかといえば、ウォーキングでよく通過する「サコダ自動車」という軽自動車専門店に、39.8万円の値札が並んでいた。
こんなに安い?とビックリし、唖然としたのが深層にあったようだ。エリザベス女王と、サコダ自動車に対する特別な感慨が夢に現れた。デカルトの彼の夢の衝撃体験は『方法序説』にも匂わせている。彼の手記には、「驚くべき学問の基礎を発見した」と記されている。その事と夢がどう関連しているのか、本人以外は分らないが内容は以下の四つの規則。
1.自分が真であるとハッキリ認めたものだけを判断の根拠とすること。
2.問題をできるかぎり小さな部分に分けて考えること。
3.単純なものから複雑なものへと、順序正しく進めて考えること。
4.何ものも見落とさないように、関連する事柄を完全に数えあげること。
このような規則が威力を発揮するのは数学の世界で、所詮は真理認識のための練習問題に過ぎない。彼は哲学上において何も発見しておらず、あの有名な、「我思う、ゆえに我あり」という哲学原理の発見は、それから9年の歳月が必要だった。その間デカルトは、たまにフランスに帰るものの、ほとんどの日々は異国の空の下、気ままな旅行者であった。
就職もせず、相当の遺産を受け継いでいたデカルトは、その利息で一生を保証されていた。そんな中でも彼は夢の衝撃による強烈な使命感もあって、真理の探究者としての日々を止める事はなかった。「哲学する」といっても、我々のような凡人は、歩きながら薬局の看板の「ぢ」という字を、なぜに「じ」ではなく「ぢ」とするのか、くらいしか考えない。
それでもアレコレ頭がめぐって楽しき時間である。偉大なる哲学者の本を読みながら、偉大なる哲学者たちが残した文言、例えばデカルトが、ニーチェが、カントらの言葉を通して、どのような自分自身を発見するかということに他ならない。ニーチェや安吾を読むことで、長年で積み上げられた言葉や、ちっぽけな考えがどれだけ壊され、新たに生を得たことか。
昨日の自分は昨日の自分でしかないという、新たな挑戦的な言葉から崩壊しては蘇生という断続的な営みのなかで人生の終焉に向かうのも喜びである。ポケモンGOに熱中する若者が増加中だが、すべてを忘れさせる玩具に夢中になるのは何故だろう?「与える害」、「得る害」は、売春と似て判別不能である。与えるから得るのか、得たいから与えるのか。
結局ゲームも売春も、「与える害」、「得る害」ではなく、「与える利」、「得る利」と、害悪が効用に変わってしまう。だから止められない、だから止められない。これは懐かしい食材でいうなら、「かっぱエビせん」である。100円でかっぱエビせんは買えるが、かっぱエビせんで100円は買えない。お金でゲームは買えるが、ゲームはお金を生まない。
スマホのゲームは無駄以外ナニモノでもないというのは、やらない人の論理である。やる側は「これほど楽しくオモシロイものはない」である。二極化論理は平行線だが、なぜゲームに熱中するかは生産性の否定ではないか?生きて行けるだけ食べれればいい、ポケモンに熱中するその国の生産能力が落ちるとの懸念、若者の多くがキリギリスになるのか?