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哲学とは「知」を愛する事 ③

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「すごいね~、根詰めてやってるわりにナイスがない…」、「コメントも少ない」などブログの感想だ。「根詰めて」という言葉、どれだけ言われたことか。逆に人には一度も言ったことがない。なぜなら、「根詰めて」なにかをするって人を見たことがないからで、まあ一生懸命にやる人は数多く見たが、別に賛美することでもない、批判することでもないのは分かりきった事。

人が一生懸命にやるのは自分自身のためにであって、他人が「凄いね」などいうのは余計なおせっかいでしかない。本人が褒められて喜ぶなら、「凄いね」も悪いことではないが、自分に一生懸命な人が他人からの評価をいちいち気にするハズもない。だから、心で思って自身の糧にするべきものだ。思わず「出る」ならいいけれど、わざわざ口に出して相手に伝えるものでもない。

「あんまり根詰めてやると体を壊すよ」などという人間は、本当に自分の体を慮っていってない。そういうのは言い方や言う相手によってわかるもので、「頑張るね~」の方が、「可もナシ、不可もナシ」といった単純な響きに聞こえる。頑張る当事者にとっては「可もナシ、不可もナシ」でいいのであって、他人には関係のないこと。ただ。敬意をはらって、「頑張るね」を言う人はいる。

まあ、「敬意」すらどうでもいいことだが、言う相手に罪はない。同じように皮肉を込めて言う相手にも罪はない。自分がそれを罪と感じれば罪だと思うだろうが、他人の言質を気にするような人は一生懸命さが足りないともいえる。あくまで自分のためにやっているという境地に立つことこそ、真の一生懸命さではないか。境地に立たなくても自らに一生懸命やってるわけだ。

他人の評価であれ中傷であれ、意に介さないというほどに集中するのは楽しい事でもある。それが自分の世界である。「オタク」という人の多くは自身の世界に埋没しているのだろうが、それすら肴にしてアレコレ言いたい人間も少なくない。いちいち人に干渉したい心理というのはコンプレックスの裏返しとみたらいいし、あるいは現状の自分に満足が得れていない人に多い。

ようするに他人に干渉するというのは「不満の捌け口」である。自身に満たされているひとは、他人のことなどどうでもいい。といっても、「無関心」ではなく、他者のアレコレを尊重しているということ。なぜなら、自分は他人でなく、だから他人のことは他人のものである。自己の不満を誤魔化すためもあってか、他人のことに首をつっこみ、おせっかいな助言をするのだろう。

本当に乗り越えるべきは自分のことなのに、それは放っておいて他人におせっかいをやく。「オレのことはいいから自分のことをしろよ」、「余計なおせっかいだ、放っておいてくれ」などと思ったり、口に出して遮ったりした事もあろう。また、自信家の類にも他人に強弁したり、何事かを押し付けたりの傾向がある。自分も若気の至りか、他人のことに口出ししたこともある。

困っている人、悩んでいるに対し、我がことのように考え、対処するのはイイことだと思っていた。「イイ」とは相手のため、また疑似体験としての自分のためという風に捉えていたが、他人のことを自分の考えで「ああしろ」、「こうしろ」といっても、性格も状況もちがってか、自分の様には出来ないものだと分かってくる。それなら、相手の性格を考慮して考えることになる。

それでも本質は「自分ならこうする」という域をでるものではない。そうして行き着いた場所は「自分ならこうするな」ということ。あくまでヒントであって、決して押し付けるものであってはならないが、若い頃は心の弱い相手に対し「強者の論理」を押し付けていた。若さはバカさ…、バカだったと今に思う。他人に関わるのは本当に難しく、解決方法は相手主体でなければならない。

「その場合は、こういう風に言った方がいいよ」といっても、それが本当に名案であっても言えない人もいる。それは妻がよくいっていた。「私はそんな言い方はできません」と、妻だからハッキリいえるのだ。せっかく自分のために言ってくれているのだから、という遠慮がないからで、夫婦というのは長年にわたって寝食を共にするから、そういうった遠慮もなくなるようだ。

「この一言で解決つく!」という言葉ひとつでも、「私にはいえない」のは人と自分の違いである。「そうか、ならば仕方がない」というしかない。そんなとき、明らかに自分と他人の違いを発見させられる。さて、他人にブログのことを言うことはないが、ある苦悩や問題について記した自分のブログを教えることがある。同じ事を口に出して言えばいいのだが、つい横着をするのだろう。

普段は遊び人にしか見えない自分の糞マジメでお堅い文章に驚くのか、「凄いですね」と言われると答に面倒くさい。「凄くないよ」と子どもジミた返しもアレだし、他人の反応に無言でいるのもアレだし、読みたいところだけを読めばいいだけなのに、何かにつけて「アレ」だから面倒臭い。おまけに「根詰めてやってますね」などと言われると、「根など詰めてないわ」と言うのもアホだ。

人と自分は違うのだから、相手が凄いと思うこともこっちはただの遊びなのだからと、そういう事は多い。「100人の女とやった」を、事実を越えて自慢風に受け取る奴もいたり、「凄い」と本気で言う者、嫌味でいう者もいる。「凄くはない、遊びだ」などと返そうものなら誤解を受ける。面倒がたたってか、自分の事は話さないに限るとなる。人は自分と違い、こちらの意図など伝わらない。

自分の事は何につけても言うべきでないというのが希薄な人間関係の王道である。どのように受け取られるか分かったものでもないと認識すべし。ブログは発信であるが、自身のためとするのが最善のようだ。「ナイス」がこない。「コメント」がこないなどに一憂していると自分のためが大義名分となる。書く事は調べる、調べるは知る、よって書くは知る、との三段論法が成り立つ。

また、「知る」は自己満足のお遊びである。公然とやることで「知る」の共有という点でお遊びも広がっていく。先にデカルトは「知のデモクラシー」を目指したといったが、彼がこのことを発見したのは、「良識はすべての人に公平に配分されている」である。大人も子どもも、若者も老人も、男も女も、日本人も外国人もであり、彼はまた「合理的精神」という言葉を多用する。

「合理的精神」は「知のデモクラシー」を実現するためのもので、「合理的」とは、すべての人が同意できるという意味であって、それこそがデモクラシーの原理である。また、彼は「知のデモクラシー」の原理を、著書の出版にあたって実践した。『方法序説』の最後に読者に対し、「反対意見のある者はそれを出版社に送ってくれるなら、対する答弁とあわせて出版する」と書いている。

実現には至らなかったが、これが単なる思いつきでなかったことは、後の『省察』という著作において試みを本格的に実行しているのが判る。『省察』、神ならびに人間の精神と身体の区別について述べた著作だが、当時オランダに隠棲中だったデカルトは、パリ在の親友の神父に送り、当時の著名な哲学者に読んでももらうことを依頼した。彼の真の目的は、批判を仰ぐためであった。

『省察』はさまざまな人に回覧され、本文と反論と、反論に対するデカルトの答弁が合わさって出版される。あらかじめ反論と答弁のついた哲学書など例がなく、これほど読者からの質問に答えようとした哲学書もない。これぞデカルトの「デモクラシー」精神である。彼は隠棲し姿は見せなかったが、知識をできるだけ公開し、多くの人びとの批判に委ねられることを目指した。

デカルトは、『方法序説』第六部で、「私が発見したことはどんなささやかなものであれすべて公開したい。そして、有能な人びとが私より先に進めるよう、それぞれ好みと能力に応じて必要な実験に協力し、人々も自ら得た知識をすべて世間に伝えて欲しい。こうすれば、後人は先人が終えたところから始められ、皆が力を合わせれば一人が行うよりもはるか遠くに進めることができる」と記した。

今では何でもない文章だが、当時は知識の独占体制の強い時代で、科学者の共同研究など考えられなかった。科学の共同研究機関としての科学アカデミーが、ヨーロッパの国々に作られたのはデカルトの死後であるが、彼の「知のデモクラシー」の一環としての共同研究と情報公開の提唱は先駆的なアイデアであった。多くの人が『省察』に反論を寄せたが、その一人にパスカルがいた。

隠棲しなければ情報や知識を公開できない時代、デカルト得た正しい知識や「知のデモクラシー」は宗教的権威の前に民衆に理解されなかった。地動説を提唱したコペルニクスの著書は禁書目録に挙げられ、異端の説を唱えただけで処刑された者も多い。デカルトの母国であるフランスにおいても、パリ大学が認めない説の擁護や教授したものは死刑とパリ最高法院を布告していた。

デカルトは、「知のデモクラシー」に悪戦苦闘し、哲学論争から聖書の権威を傷つけたとして裁判沙汰になる。その過程でデカルトは隠棲先のオランダ人女中に子どもを産ませたことが暴露され、「デカルトは行く先々で子どもをこしらえた」、人里離れた所に居住するのはオランダ人の愛人との密会を隠すためなどと言われた。彼は生涯独身であったが、子どもを産ませたのは事実である。

迫害され、醜聞の十字砲火を受けたデカルトは、コペルニクスやガリレイのように、あまりに時代の先を行き過ぎていた。デカルトの終焉の地はスウェーデンである。反体制的なデカルトも遂には真理の後だけとなる権力を必要とし、スウェーデン王室のクリスチナ女王からの宮廷士官に応え、北の国に旅立つ。ベーコンは、「知は力なり」と言ったが、デカルトは、知は力を必要とした。


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