「父心」、「子供心」、「女心」、「男心」、「親心」について能書き垂れてみたものの、「母心」については書けないでいる。自分に母親はいるが、「母心」という御利益は預かり知らぬところで、だから書けない。母心って、"指圧の心"か?御利益と書いたが「母心」とは愛である。母の愛を供与をされないで育った自分はどこか性格的な欠陥があるはずだが、自分の事はなかなか分らない。
母の愛に包まれて育っていたなら、自分はどんな人間になっていた?それを体現することは不可能だが、米国の精神分析学者E・H・エリクソンは、乳児期の発達課題を「基本的信頼」と呼んだ。「自分は見捨てられていない」、「ここにいていいんだ」、「自分には価値がある、受け入れられている」という基本的な信頼感を、乳幼児は求めていると指摘する。
エリクソンの「基本的信頼」の考え方は、英国の精神医学研究者ジョン・ボルビーの「愛着理論」に通ずる。ボルビーは、44人の非行少年の生い立ちを丹念に調査したところ、その子供たちは例外なく6歳ぐらいまでの幼児期に親に捨てられていた。ボルビーは親に捨てられるという別離体験が、思春期の子供の行動系を歪ませるという説を打ち出し、「愛着理論」の出発点となる。
非行に走った子どもの母親が、「子育ては精一杯やった」と言うなら、この母親は自己不在である。その子に相応しい育て方をしたか?いや、していない。もし、していれば、自分と子どもに心の触れ合いがあるはずだ。相手をしっかり捉えていない、あるいは見ないでなされる献身は表面的には優しくみえても、表面的であるだけに何の意味はない。時には有害でさえある。
「ぼく、生まれてきていけなかったの?」3歳になる息子がある日布団の中で突然、母親に言った。子どもは何を言い出すか分らない。母親は驚いて「どうして、そんなことを言うの」と聞き返した。息子はこう答えた。「だって、ママはいつも子どもを育てるのは大変って友達と電話で話してる。子どもがいて自分の自由な時間がないって。ぼく、お母さんに迷惑をかけているの?」
ママ友同士の他愛ない会話でさえ子どもはこのように思ったりする。子どもの精神の健全発達のためには、少なくとも一人の養育者との親密な関係が必要であり、それが欠けると、子どもは社会的、心理学的な問題を抱えるようになる。逆に、養育者を信頼し、愛着への欲求を満足している場合は、幼児は不安を忘れ、自分の遊びに集中したり、周囲のものに好奇心を抱く。
これが幼児の知能的な発達をもたらす。ボルビーの説が紹介されると「3歳までの子供は親と一緒にいることが大切」と、乳児院や小児病棟に母親の付き添いや担当保母の制度を導入するなど、大変革を起こした。現在『愛着理論』は世界的に定着している。イギリスの詩人ワーズワースは、「子どもは人の父である」と言った。どんな子どもに育つかでその子の将来が決まるということ。
完全に真実というわけではないにしろ、幼年期が人間の基礎的期間として重要なのは判っている。愛情の欠けた人というのは、自分自身のもっとも基本的な欲求において挫折させられた人だろう。愛情を知らなければ愛することはできない。親から愛されずに育ったひとは、愛情飢餓感から他者への愛を求める傾向にあるといわれるが、自分の場合は反動形成にあるかも知れない。
というよりも、得れないくてもいい、得ている確信があまりもてない風になってしまったのかもしれない。つまり、他者からの愛の供与は求めない、なくてもこちらからは与えて見せるということか。他人から物をもらうのが好きでないのは、愛は物ではないという、疑いなき本当の愛を求めているのかも知れない。愛に対する欺瞞と用心深さなのか、自己心理分析は分らない。
『愛を乞うひと』という映画は見終わってショックだった。母親から愛されないで虐待を受けながらも、それでも親の愛を求める子どもが余りにイタイケだった。自分は「もういい、母など要らない」と自らに言い聞かせ、親にも公言したが、親は踏ん切りがつかなく、ありとあらゆるやり方で抱き込もうとした。映画の主人公は、遂に母の愛などもう要らないとケリをつけ、哀しく泣いた。
最後に母親に会い、これが今生の別れと思うに至った時、バスで大泣きした娘の心中は理解できた。幼少期の我が娘に愛の欠片も見出せなかった母は、成人した娘に心を通わせることの出来ない歪な人間であるのが分かった。母に憎まれていたわけでも嫌われていたわけでもなく、このひとは心から人を愛することのできない、氷のような人間であったと、それを悟った涙に見えた。
氷はいつしか融けて水になるものだが、過去を水にながそうとの一念を胸に母を訪ねた主人公であり、我々も過去は過去として、母と娘の融解を期待したが、「融けない氷もあるんだ…」と、母の心は怖ろしいほどに凍りついたものだった。血を分けた親、自分を産んでくれた母は、もはや永遠に心を通わせることの出来ない人だと分ったときの悲痛な涙である。
娘の心は残念、無念であった。「残念」とは「念」の残った状態を言う。「無念」とは「念」の無い状態を言う。非情なまでに娘に心を融かさない母の心情も理解できた。幼少期に娘を殴る蹴るのトラウマは、加害者側にも消えて残らないのだろう。過去の自分を過ちを恥じ詫びる人間もいるが、それすらできない母への絶望感が、母との離別を決意させた哀しい映画である。
こういう心ない母親もいれば、近年はいささか子育ての本質からズレた対処をする母親もいる。実際に目撃した事も多く、そういう親は自身が同じような家庭に育ったのだろう。例えば、子どもが転んでひざ小僧を擦りむいて泣き出したとき、母親がバッグからチョコレートなどのお菓子を出し、「これをあげるから泣くの止めなさい」と、これが今時の躾なのだろうか?
子どもにとっては膝の痛みをなんとかしたい、そこに配慮や心配や、そういった愛情を向けるべきところなのだが、お菓子を上げるから泣くのをやめなさいというのはそうなんだろうか?子どもの親に対する感じ方は、泣きやめば褒められる。泣き続ければ叱られる。これをどう解釈していいのか?物の豊富な時代の子育て手法として、親も自身の親から伝授されたのか?
以下の事例もある。高校も塾の成績もいいし偏差値も高いからと、医学部受験を塾の方から勧められる。これは塾側の都合(宣伝)も大なりで、進路を偏差値で決めるケースは特別珍しいことではない。とにかく希望の大学に入学できればいい。医者という職業に憧れるとか、好きだというよりも、医者になれば経済的に有利という考えもある。そして医者になってみると、「病人ばっかりで嫌になる。つまらない」と愚痴をこぼす。当たり前だろう、医者なんだから病人しかこないのは…。医者でありながら病人を診るのがつまらない」って、「?」というしかない。なまじ学力がありながら"自由"を享受できない人間なら、成績は悪くても自由にいきる人間の方が人間らしい。「自由」とひと口にいっても、主に3つに分けられる。
「世間からの自由」、「経済からの自由」、「未来からの自由」といったところか。「世間からの自由」というのは、他人の目を気にしないということ。「あんなことしては笑われる」、「カッコ悪い」などと世評や他人の目が気になる。「経済からの自由」とは、経済的な豊かさは重要だが、経済というのも"満足"を得るための手段に過ぎない。まずは好きな事をやってみる。
お金がかかっても好きならやったらいいし、たまたま好きなことにお金がかからない事もある。本当に好きなことなら上手になり、収入を得られるかもしれない。が、それを目的にするのは好きなことが嫌いになったりするから一長一短だ。「未来からの自由」とは、何やら資格を取って将来に役立たせようという発想だが、実はこの考えは今を楽しむ意識が薄れ、義務的になる。
好きでもない資格をいくつ取ったとしても、自己満足でしかない。おカネが稼げるかどうかは二の次、三の次で、好きなことに生きた方が人生楽しだろう。即物主義的思考はバブル崩壊後に「清貧の思想」へと移行した。現在のような、苦しい不況にあえぐ時代こそ、心や絆、個を大切にすべきかと。無理して、見栄を張って、子どもを私立に入れたい時代は減衰しつつある。
「親心」も不況には敵わないのか、大学中退者も激増しつつある。「大学でてそんな仕事やってるんか?」などと言われっぱなしの時代もあったが、近年は就職戦線は持ち直しつつある。50年前は、うちの息子は頭悪いから調理師でも、大工、左官にでも、娘は美容師にでも、看護婦にでもという時代に真の「親心」を見る。塾などない時代、子どもの学力を知るのは親であった。
「好きな事をやれて生きて行く」のは幸せなことだろう。仕事に限らず、人は好きな事をやれると思うのだが、「好きなことが何か分らない」そういう若者は困ったものだ。高齢者にとっての幸せな社会とは何だろうか?かつては子どもや孫に囲まれた日々団欒であったが、最近は親と同居する子どもは少ない。近年、高齢者の幸せとは、日々の楽しみと誇りを持てる社会。
時代小説の名手といわれた藤沢周平は「普通が一番」が口癖だったという。藤沢の長女である遠藤展子は、『藤沢周平 父の周辺』(文藝春秋)の中で、父周平を「偉大なる普通人」という。藤沢の小説には上級武士よりも下級武士、権力者よりも非権力者、操る者より操られる者の視点によって書かれているものが多い。それは藤沢自身がそういう普通人であったからだ。
「父の口癖は『普通が一番』でしたが、普通を続けることがいかに難しいかと言っていました。今日の幸せが明日どうなるかわからない、何が起こるか分らない、だから何も起こらず普通でいられるのはとても幸せなことなんだと。私がああしたい、こうしたいというと、そんな不満ばかり言ってないで、今ある幸せを見つけなさい、とよく言われました」と展子は言う。
展子が失恋して家で泣いてばかりいたことがあった。「そんなある日、父が散歩に誘ってくれたんです。父が前を、私が後ろを歩き喫茶店に入りました。そこで父は、「実は昔、お父さんにも結婚を約束した人がいたんだけど、叶わなかった」と。そして、「人生、思い通りにならないが、お母さんと結婚して展子が生まれた。そのお母さんが亡くなり、今のお母さんと出会った…。
寡黙な父でしたがあの時は『親心』をひしひしと感じました」。藤沢は1997年1月26日、肝不全のため東京の病院で逝去した。藤沢の遺書の冒頭の一行に、「展子を頼みます」と書かれていたという。前妻の子とはいえ、一人娘を何より思いやる気持ちが最初に現れていた。周平が69歳で逝去したとき、展子は34歳であった。自分の父66歳で逝去、自分は31歳であった。
親は子に何を託しながら死んで行くのだろうか?臨終の場に自分はいなかったが、子を残して親は去っていくのが宿命である。その場で思うことといっても、「まあ、元気で暮らせよ」くらいしかないだろうが、34歳の娘に「展子を頼みます」という遺書をしたためた藤沢の生真面目さ、自分にはそんな発想はない。が、現在こうして日々ブログという遺書を綴っている。
熱い「親心」もあればキツい「親心」もある。杉村太蔵は6年間通った大学を中退し、就職活動も上手く行かず実家に帰ろうと父に電話をしたところ、「働かないなら死ね!」と叱責されたという。このひと言で尻に火が付いた杉村は就職活動を開始。書類選考や面接で何度も落とされながら、ようやく時給800円の清掃員の仕事につくことができた。
つまり、杉村も父から社会に放り出されたのだ。「今では父に本当に感謝しています。父のひと言がなければ、今のぼくはなかったかもしれません」と振り返る。餌を与え、寝る場所を与え、一日中家でゴロゴロのニートの親は、我が子が可愛くて仕方がないのだろう。社会では通用せずとも、家の中では何ら問題ないニートの息子を養う、これも親心である。
「いちばん悪いのは彼らの親です。食べるもの、寝る場所があれば、働かなくても済んでしまうわけです。これは家庭で取り組むべき問題です。親は一切の援助をやめて、子供を社会に放り出すべきです」と杉村は言う。その通りだし自分も同意見だ。が、杉村や自分が言わずとも、そういう親ならさっさとやってるだろ。杉村の父のように、「働かないなら死ね!」と、深い親心で言うだろう。
自分だって働かない子どもを家になど置いておくはずが無い。結局、ニートを作っている親は、緩く甘いから自宅にニートが存在しているわけで、だから他人がいくらニートの親に正論説いても無理だろうよ。あとはニート予備軍の息子らを持つ親がどうするかだろう。どちらの「親心」がよいのかを、シッカリ親は考えてみることだろうな。それしかないよ。
さてと、身体が年をとれば必ず精神も年をとるというわけではない。若々しい心を保っている人は多いし、どちらかといえば自分もその部類である。なぜそう思うかといえば、周囲はみんなじじむさい連中が多いからだ。そうはいっても20代、30代の若者からみれば、充分すぎるくらいにじじむさいとは思うが、年齢とは心の有り様、心の姿勢だと思っている。