「OD問題」といわれる未就学博士で(ODとはオーバードクター)、一科目が半年で20万円程度のアルバイト講師のこと。20年前くらい前なら、「博士課程修了」といえばエリート中のエリートだったのが、昨今の情勢は、「できる学生」から早めに就職していき(学部卒4年で就職する)、博士課程まで残る学生というのは、何らかの課題を抱えている人々ということらしい。
真偽の程は不明だが、そんな噂が飛び交うほど文系エリートは変貌した。「OD問題」が新聞紙上に姿を現したのは、2008年秋、札幌の学会である。当地の若いドクターが、「OD問題」のビラを配り、"われわれをどうしてくれるのだ"と切実に訴えた。1967年に物理系の学科ができたある大学では、教官定員はアッという間に優秀な人達で埋められ、空き定員はない。
その後にもいろいろな方面から就職の照会があるが、ない袖は振れず、如何ともし難い状況である。誰でも大学に行ける時代にあって、"大学院は就職先が決まらない学生の受け皿"とまで囁かれる時代になりさがった。なぜ、こういう時代になったのかは、大学進学者が多すぎるからである。なかでも、「Fランク高校」の生徒たちは就職せずに「Fランク大学」に進む。
誰がつけたかFランク大とは、"低偏差値すぎて誰でも入学可の無名底辺大総称"である。これは情緒的な言い方で、正しく(かどうかは知らないが世情言われているのは)「河合塾の実施する模試で合否判定が困難な大学を、Fランク大と呼び、模試で判定結果が出てる大学はFランク大と呼ばない」。関西では関関同立、関東では日東駒専以下をF大といったりする。
ちなみに関関同立とは、「関西大」、「関西学院大」、「同志社大」、「立命館大」をいい、日東駒専とは、「日本大」、「東洋大」、「駒沢大」、「専修大」のこと。どれも立派な大学だが、ネットの群集には糞呼ばわりされている。まあ、2ちゃんねるにたむろする人間は、他人を肴にして酒を呑むという精神年齢の低い幼稚な集団だから気にすることもない。
大学進学ということを考えてみた場合、テレビのキー局、レコード会社、旧財閥系の商社などに入社するには、東大、京大、早慶級の大学を卒業しないと相当難しいという実態はあるが、これらは大学を就職予備校と考えた場合であって、本来的な大学の目的意義は、自ら学問する場であろう。その事がないがしろにされ、学歴=就職となっている現状も問題である。
だからと言って、東京早慶以外の大学すべてが2ちゃんねるで汚く罵られるような存在ではない。就職は大事だし死活問題かも知れぬが、こういう汚い社会にになったのも、大学が就職目的になったからであろう。大学に行けばとりあえず何とかなるという保険は有効なのか?シャープ、ソニー、東芝、パナソニックといった優良企業の牙城が崩壊したこんにちである。
大学の呼称・蔑称には昔からさまざまあった。古いところで、カンポンキン(関西大、日本大、近畿大)、新しどころで、在京私大をMARCH(明治大、青山学院大、立教大、中央大、法政大)と呼ぶ。他にもいろいろあるようだが、ネット時代に入ってあちこちから人が集まれば良いことは面白くない、悪口合戦や人の不幸は蜜の味という人間の倒錯心理が見える。
ハンドルを茶化したりされるから、ハンドルさえも均質にするという周到さの、脆弱で傷つきやすい人間が、たむろして大学名だけでバカ呼ばわりする嘆かわしい時代である。自分はツイッターを好まないが、短いセンテンスを吐き出すように言う2ちゃんねらーを好まない。要旨のみ大事とされる合理主義にあって、脈絡のある文章には書き手の人格が香り立つ。
我々のような旧人は、そういうものを大事にしてきた。文や言葉から人の匂いを嗅ぎ取って生きてきた。それを感じない超短文は、メールにしろ何にしろ、人の香りが感じられない。目に見えない相手であっても、人は機械ではないし、あくまで人と認識したいなら、人によって書かれた文を感じたい。生きた文字ではなく機械の文字であるがゆえに、そこを大事にする。
我々は手紙世代である。自分は経験がないが、雑誌等には「文通希望」、「ペンパル希望」の呼びかけがあった。なぜそれをしなかったかといえば、近くに相手はワンサカいたからである。昔、レナウンのCMソングに、「ワンサカ娘」というのがあったが、そうそう、あちらこちらに女はワンサカいたのだった。旅は道連れではないが、ナンパはただの声掛けである。
外国映画にありがちなその日に出会った男女が、自身の気持ちを偽ることなく自らの刀を相手の鞘に収めるなどまさに日常であろう。「伝家の宝刀」などという言葉は英語にないし、あるとすればポーカーで「Ace in the hole.(エースは最後の切り札)」が近い。そんな風に勿体つけ、出し惜しみしても仕方ない。そこに鞘があるなら抜き、後は元の鞘に収める。
Fランク大学は必要なのか?なぜ存在するのか?そこに「Fランク高校」があるからだ。「Fランク高校」の生徒でも大学に行くご時世である。本当は就職する方が社会のため、日本経済のためだが、ともあれFランク高校というのは、なにせ不良品生徒が多い。「F」とは不良の頭文字ではないが、就職したところで続かないし、すぐに辞める子が多い。
となると、「Fランク高校」進路指導担当の教師たちは、「Fランク大学」への進学を進めているという。保護者も「Fランク高校」に入学した時点で大学進学など諦めていたが、入れる大学があるならと目の色を変える。生徒もすぐに働くよりは、もう4年間遊べるわけだ。大学で勉強するなど毛頭ないそんな学力で、おまけに経済的にも無理をして行かせる。
結果、「F」の学生には多額の大学ローンが残る。就職できたとしてもいいとこブラック企業。『Yの悲劇』はエラリー・クイーンの小説だが、こちらは「Fの悲劇」である。槍玉にあげらる罪深きは、的確な就職指導をせず、安易に進学を奨めるFの教師であろう。教師だけが悪いわけではないが、諦めていた大学に飛びつく保護者の気持ちも分からなくもない。
「うちの子は頭悪いので、手に職でもつけた方がこの子のため」と、昔の親は毅然としていたし、教師も同じ考えであった。理美容師に大工に左官などが彼らの進路であった。どうしてこういう時代になったのか?先ずは考えられるのが、日本人の横並び意識と、多少のバカでも塾にさえ行けば、ある程度の学力は確保できるという劣等生の受け皿システムがあること。
高校全入時代はひと昔前、今や大学全入時代などと言われている。現に高卒者の大学進学率が5割、その他浪人や専門学校等も含むと実に7割以上が高校を出ても働かずに「学校」を目指す特殊な社会である。大卒者は増えても、大卒後の就職先の数自体はここ20年変化はない。これは、多くの学生が大学などに進学してるのに働く先が増えていないということだ。
つまり、「出口のない学び」が受験産業によって大量に創設されたということになる。塾や予備校は金さえ出せば誰でも入れるが、中には超有名大学希望者には、入塾試験を行うところもある。塾の威信もあってか高い学力がないと入れない。これは特殊なケースで、普通はどんなバカでも拒まない。バカは勉強しなかったからバカなのに、彼らも大学を目指して入塾する。
5月11日、東洋経済オンラインに【高学歴で低年収、33歳女性の明るすぎる貧困】という見出しの記事が配信された。「明るすぎる貧困」とは妙な日本語だが、何を意味するのだろう。神奈川県の工業地域に、家賃6万円の1DKアパートに居住する彼女は、9年前に大阪大学大学院修士課程を卒業後に上京、一部上場メーカーの商品開発部に勤めたときからここに住んでいる。
部屋の中に入ると、カーテンは閉めっぱなしで薄暗い。部屋の掃除はしていないようで、フローリングの床にはゴミやホコリが何重にも積もっている。備え付けのベッドの周りや部屋の四角には洋服や新聞、書籍が散らばり、足の踏み場がないほどだった。「掃除機の音が怖くて、掃除できないんです。あの大きな音は、なにか男の人に怒鳴られているような感じがするから。
たまに掃き掃除くらいはしますけど、収納がないので全部は片付けられないし」と彼女の言い分である。掃除機の音が「男に怒られているよう」というのも妙な感覚だが、奇麗好き女性なら掃除機を使わなくとも埃が積もるなどはない。足の踏み場もないという部屋の有り様からして自堕落な女性のようだ。取材の日時は分かっているし、それに合わせて普通は掃除をするだろう。
現在は非正規で食品工場に勤める彼女の平成28年3月分の給与明細の内訳は、支給総額17万円ちょうど。各種社会保険と所得税で2万8700円が控除され、差引支給額は14万1300円。「非正規なのでボーナスはなく年収は200万円。29歳で新卒入社の会社を辞め、介護職になりましたが、そこはすさまじいブラックな施設で、長時間労働に加えて残業代が支給されず、パワハラもすごかった。
辞めても他に行き場所がなく、我慢をしていましたが去年の暮れに限界を超えたので辞めました。いろいろ仕事を探して、やっと見つかったのが今の工場です。給料は安いけど、介護のときみたいにブラック労働がないのでいいです。みんな優しいので続けていけそうです」と彼女はいう。これが、「明るすぎる貧困」かと。高学歴に蓋はできないが、蓋をすれば明るく居れる。