今夏、徳島県のかずら橋に行った際、近くの「琵琶の滝」に寄ってみた。滝と言うものを眺めたのは何十年ぶりか。「琵琶の滝」の名の由来は、昔、平家落人が京の都をしのび、この滝で琵琶をかなで、つれづれを慰めあっていたことから名付けられたと言い伝えられている。高さ約50mらしいが、十メートルくらいまで近づくことができるからか迫力を感じる。
人が滝をどのような気持ちで眺めるのか分らないが、自分の場合は、目の前の滝が何百年、何千年同じ情景を醸し出していたとしても、同じ情景は二度とないだろうと、瞬間というものの不思議さの感慨である。ナイアガラの滝を映像で見ながら思うことはいつも同じ自然の不思議さだ。してその光景を見ながら、鴨長明の『方丈記』の一節を思い出さずにはいられない。
「行く川のながれは絶えずして、しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。(中略) あしたに死し、ゆふべに生るゝならひ、たゞ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人、いづかたより來りて、いづかたへか去る。又知らず、かりのやどり、誰が爲に心を惱まし、何によりてか目をよろこばしむる。そのあるじとすみかと、無常をあらそひ去るさま、いはゞ朝顏の露にことならず。」
【現代語訳】「川の流れは途絶えることはなく、しかもそこを流れる水は同じもとの水ではない。川のよどみに浮かんでいる泡は、消えたり新しくできたりと、川にそのままの状態で長くとどまっている例はない。この世に生きている人とその人たちが住む場所も、また同じようなものである。私にはわからない、生まれ死にゆく人は、どこからやってきてどこに去っていくのか。
また、(生きている間の)仮住まいを、誰のために心を悩ませて、何のために目を喜ばせようとする(そのために飾る)のかということも、またわからない。家の主と家とが、無常を争っている様子は、言うならば、アサガオとその葉についている露と同じようなものである。」 と言っている。川の流れも滝の水も同じこと。二度と同じ水が流れることはない。
鴨長明も自分と同じ気持ちで流れ行く川を見つめていたのだろう。人は死に人は生まれるが、二度と同じ人はこの世に現れない。毎日、毎月、毎年、多くの人が死んで行くが、新たな命も生まれている。人は誰でも死ぬし、だから死は普通のことであるけれども、それでも人は死ぬのが嫌なのだ。明日の12時に死ぬと分ったら、一体人はどのような行動を取るのだろうか?
それこそ人の数ほどさまざまな行為・行動をするだろう。死ぬと言う事をどう捉えるかでその人の人生も変わって来よう。生きる事は死ぬことだ。どんどん死に近づいているけれども、それでも生きる事は生き延びたい事と捉える人は多い。人の人生は、生きた年数で判断されるものではないが、今日と同じ明日が来るかどうかわからないなら、平均寿命も単なる数値。
「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」と言ったのはボーボワールだが、この言葉の意味するところは、「女性のアイデンティティーとは生まれながらのものではなく、社会的に少しずつ押し付けられる約束事だ」という考えに立ち、後のジェンダー論の基礎となった。が、これはエラスムスの「人は人に生まれるのではない、人になるのだ」を模倣したものだ。
自立した個人の自覚を促すもので、教育や「徳」の必要性を説いている。『子供たちに良習と文学を教えることを出生から直ちに行う、ということについての主張』という長いタイトルの著作があり、「徳」の概念をめぐる議論が展開されている。ルネッサンス時期の宗教改革を生きたエラスムスは、「カトリック教会を批判した人文主義者」と批判された。
ピノキオは人間の子どもになるためには「勇気、正直、思いやり」が必要だと教わった。物事の善悪を見極め、嘘をついてはダメだとも…。「勇気」というのはいかにもアメリカ的で、日本人が書けば「協調」となるのだろうか?「協調」は「和」する点で大事なのは分るが、「勇気」は喧嘩をするために大事なのか?なぜ生きて行くうえで「勇気」が重要なのか。
営業出身の企業トップで有名なのはTOTOの張本邦雄会長の座右の銘は、「営業マンは"No"と言う勇気を持て」であるという。ウソを言ったり、ごまかしたりしたら、のちのちまで尾を引く。「一度会社に持ち帰って上司と相談します」などのその場しのぎもダメであると持論を述べる。確かに、「この人は自分で何も決められないのか」と思われるだけでプラスはない。
とはいえ、平の分際で勝手に値引きができるはずもなく、そんなことでもすれば、「バカヤロー!安く売るなら誰でもできるわ、ボケ!」と上司に大目玉を食らう。となると、断固値引きせずに商談をまとめるのが営業マンの手腕。値引きナシで契約とって、上司に怒られるはずがない。張本氏はそういう営業をして実績を上げた。決して安易な値引きをしなかったという。
それが、「できない事は"NO"と言う勇気」である。「長いおつき合いを望むなら、理由とともに"できないものはできない"と明確に伝えたほうが相手の信頼を得られます」と会長は言う。最近はアドラーがブームで、『嫌われる勇気』という本が売れている。本の構成は、アドラー心理学を提唱する哲人と、アドラー心理学を認められない青年の会話で成り立っている。
精神科医アドラーは「トラウマ」の存在を認めていない。人は過去に心を痛めた事はあるだろう、それが今の自分に影響しているという事実もあるかも知れない。しかし、それが自分の考えや行動の決定事項とはならない。『嫌われる勇気』が売れる理由は、日本人が自分の考えや気持ちを優先できず、無意識に周囲の人に迎合、振り回されているからではないか。
アドラー心理学の根底に、「トラウマだから仕方ない」ということではない。悩んでいる子羊に安寧と癒しを与えてそれでオワリと言うでもない。臆病な自分がもう一歩を踏み出す「勇気」が欲しい人のための心理学だ。『嫌われる勇気』というタイトルは、嫌われたくない人のためのタイトルである。自分と違う価値観を持つ人に嫌われるなどあって然りと思っている。
それで嫌われたとしても、そんなケツの穴の小さい程度の人間になど嫌われて本望だ。自分と人と価値観が違うなど当たり前と思えないのだろうか?だからケツの穴が小さいという。「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」キャパのなさ。価値観と人間性とは別の問題だが、混同するなら仕方がない。確かに臆病な人間は、自分が「できない」事を「したくない」と言って見栄を張る。
「できない」ではプライドに差し障るのだろうか。それならいっそのこと「できない。勇気がない」と言って、笑われた方が「コンチクショー」となるのではないか?そういう風に自らに素直に生きた人間の方が悔しさがバネになっていろいろ身につくものだ。自尊心が傷つかないように、ズルく、姑息に立ち回る人間は、努力しない、啓発しないから臆病のまま。
「協調」は自分を殺せばやれる。我慢すれば済むことだが、「勇気」はそんなものじゃない。「勇気」を身につけたいといって、自分を殺せばできる「協調」と違って難しい。「勇気」を身につける方法はあるのか?極論すればない。思い切ってやってみる以外にない。命まで取られるわけじゃないと自らに言い聞かせ、自己愛とおさらばするしかない。
自己過保護であり過ぎたから勇気が身についていない。子どもの頃に母親に「勇気があるならやって見なさい、男でしょう?」と一度でも言われか?いわなかった母親を責めるより、その言葉は父親の専売特許。なぜなら、社会にあっては勇気を必要とする場面がそこら中にあるのを知っている男の言葉。それを母親が身を乗り出して庇っているなら、どうにもならない。
ふやけた意気地なし男が多いのは、そこも原因かと思っている。ある日突如に勇気が身につくわけではない。だから、問題なのは勇気を封じ込める親の言葉だ。ピノキオに「勇気」をと言ったアメリカとそんな言葉を子どもに発さない温室育ちの子どもの差だろう。こういう相談がある。「勇気を身につける方法、自分の気持ちを把握する方法 勇気や決断力がありません。
頭の中で考えて考えて、結論が出ても、動き出せずに投げ出してしまいます。人に気持ちを伝えることも苦手です。プライドが高いのかもしれないです。伝えられないときもあるし、そもそも自分の気持ちがよく分からない、ということも多いです。改善するための練習方法などあったら教えてください。」
まあ、自分が失敗したり間違えたりは、誰にでもごく普通に起こることだと認めることが先決だだろう。失敗や間違えたりが自分にとって許しがたいというなら、行動しないことが最善となる。行動しなければ失敗も間違えたりもない。行動しないための理由付けに勇気や決断力の無さを言っているに過ぎない。勇気がなくとも、決断力がなくても行動する事は出来るのだ。
結果主義を打破し、何かを起こすこと、そういう行動を自身で評価すること。とにかく、何もしないで能書きをたれたり、理屈に逃げたりではなく、行動そのものを賛美する。行動しない自分をヘタレのオカマ野郎と蔑むこと。「勇気」とは結果ではなく、行動だからである。ある事を行動できなかったら、閻魔様にチンチンちょん切られると自己妄想を抱くのもいい。
「勇気」が無いというのは、自らを安易にしていること。だから、「勇気」を持つために少しくたばってみる、傷ついてみる、笑われてみるなどのプライドや自己防御、自己保身を捨てること。結果を考慮せず、「ダメもと」の精神でやる。そういう気持ちになるといろいろ身につく。筋肉と同じように、勇気は鍛えることができるというが、開き直るのも「勇気」となる。
学者の考えはこうだ。自分を変えるために勇気を学ぼう。今の自分を変えて一歩前に踏み出すには「勇気」というものの「本質を知る」ことがポイントであり、「困難な状況に立ち向かう行動意志」を強化することができれば、誰もが人生の成果を得ることができる。勇気とは、英雄やカリスマだけのものではなく、ごく普通の人が学ぶことができるものであるとする。
サイエンス(科学)により「行動意志としての勇気」を身に付けることで、何かを生み出したり、達成することができる。我々が想像している一般的な「勇気」とは、こんなイメージであろう。例えば、英雄たちがリスクをかえりみず勇敢に困難にぶつかって行く姿や、あるときは、命がけで仲間を窮地から助け出す。あるいは、自分より強い敵に戦いを挑んでいく。
勇気とは物語の登場人物のような神秘的、カリスマ的なものではなく、「行動意志を強化する」ことと「恐怖をコントロールする」ことで、ごく普通の人でも身に付けることができるものだと教えている。また、勇気を身につけるということは、自分の弱さを認め弱さに立ち向かうことだとも教えている。(林衛著『勇気とは何か -勇気の本質について学ぼう-』より)
「ボーイスカウト」とは、世界規模の青少年団体の名称で、20世紀初頭にイギリスの退役軍人ロバート・ベーデン=パウエル卿がイギリスの行く末を懸念し、将来を託すことのできる青少年の健全育成を目指して創設した。「スカウト(Scouts)」とは、「偵察」、「斥候(patrol)」の意味がある。わが国は海に囲まれた国ゆえか、1951年に「海洋少年団」が創設された。
それらには無縁の子供時代であったが、当時の月刊雑誌『少年』が「少年探偵団」を集っていた。「少年探偵団」とは、江戸川乱歩の明智小五郎シリーズに登場する探偵団で、子どものみで構成されており、名探偵明智小五郎を補佐する役目を担う。応募して、団員の証しであるBDバッジが送られてくる。団員は、いかなることにも屈せぬ勇気を持たなければならない。
だからか、廃墟や廃家などを探検するのが任務であった。一種の自己暗示であろう。昔の男の子はそういう遊びから勇気を身につけた。元服を終えた若武者の初陣での「武者震い」のような、男の子はやせ我慢をしながら逞しさを備えていく。「怖い」なんて言葉は最大の恥辱であった。かつて武士の子というのは、そのように教育され、意識を備えていくのだろう。
武士の家庭に生まれたから武士らしいのではない。「人は武士に生まれるのではない。武士になるのだ」。環境が人を作る。親の力、家庭環境によって子どもが多大な影響を受けることを、子どもが生を受けた瞬間から親は真剣に考える必要がある。自分の経験でいえば、確かに自己教育力に委ねる部分は大きいが、それは感受性の強い子どもに限定されるようだ。
知的好奇心を感じる子は、限られた子、知識のある子であるが、昨今はその割合が少なくなってきた。何かを解明しようと言う子が少ない。昔は手品の種を教えて欲しい子がたくさんいたが、今の子は「ふ~ん」でオワリ。食らいついてこないのは、「知的好奇心を外に出すのを抑えるというデータがあるが、知識の豊富な子にその程度の事はバカにされるという恐れがある。
世相への関心もない、他者への興味もない、これらが感受性の欠落で言葉を変えると「しらけ」ということか。五木寛之は現代の日本で、「悲しみの希薄化が進んでいる」と嘆いている。「怒り」と「悲しみ」という二つの感情に着目する時、悲しみの文化が陰を潜め、怒りの文化に移行してるのか?他人を見下し、土下座させて心地いい人間が増えている。
嘆かわしいことだが、なぜこうなのか、こうなったのか、あらためて時代の特質について思考を深めてみたい。