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「滅私奉公」なき時代

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表題は言葉通り、「私事を滅し、公に奉じる」の意味だ。善い行いとして我々の世代には頭に入っている。「公」とは本来的には国家などを意味するが、自分以外の他人と拡大できる。すべてにおいて他人優先と言うではなく、明らかに他人に迷惑がかかる私益優先は認められないとする。誰でも自分のことを優先したいが、他人に迷惑をかけてまではダメということ。
 
これが社会生活の「道理」と思うが、近年は私益優先の色合いが強いのをあちこちで感じる。驚いたのは50代の女性教諭が、長男の高校の入学式に出席するため、自分が担任を務める高校の入学式を欠席したことだ。そのこと以上に驚いたのは擁護の声の多さにである。こういう行動を徹底非難されないかぎり、人間はどんどん自己を優先していくことになろう。
 

人間は誰でも自分がいちばんかわいい。上の行為は、「自分のことを優先するのは当たり前だろ?何が悪い?」という主張だが、社会生活を営むにあたって我慢すべき私事は多い。周囲や社会が批判・非難する「問題行為」は、"我慢すべきが我慢なされない行為"と見る。何を我慢すべきかの主観的判断は人によって違うが、権利義務や公私について思考をめぐらすこと。
 
人前に裸で出ないのは羞恥心が抑止しているからで、「べつに何とも思わない、裸でいいじゃないか」という羞恥心なき露出狂の論理は社会では通用しないのよ。似て非也であるが、個々の考え優先は社会では成り立たないことを端的に示す例だ。「これくらいいいだろう、許されて当然だろう」が、他人になくても自分にあった場合、それは行為される場合が多い。
 
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暴走族や公共の中での私的な振る舞いを若者がやるように、彼らはそれを何とも思っていない。自分の都合で何やっても許される社会だと思っているところが無知である。人には権利は保障されるが、権利を抑えてこそ光る個がある事を誰が教えるのだ?親が教え、教師が教える任を負うのだろう。その教師が「公」を無視して、私事を優先したと言う事の問題だ。
 
こんな教師、自分が生徒なら絶対に認めない。「先生、自分のことを何より優先していいという見本を見せてくれたので、そういう風に行動しましょうか?」と言いかねない。これに対してどう答えるのだろう?エロ教師が噂になっただけでも風標的に教師失格である。自分らの時代にも女生徒と噂になった体育教師がいた。補導担当の熱血教師が、である。
 
噂は膨れ上がり転任したが、それが理由だともっぱらの噂となる。子どもは親や教師の自己欺瞞をしっかり見つめているものだ。言葉に出さないからとタカをくくっているなどとんでもない。昔からサービス業従事者に対する教えとして言われる、「自己の個性の没却は、お客様の個性の尊重である」と言う言葉は。「顧客はワガママなもの」という前提に立てと教える。
 
ある歌手は「お客様は神様」と言った。いかなる不機嫌なときでも彼は笑顔を絶やさず、場を盛り上げ、楽しませ、国民的歌手とまで言われた。今国民的歌手とはAKB48らしい。ファを誘惑し週刊誌に書かれて他の移動させられたバカ女が、1億円近い収入を稼ぎ出す時代である。「バカな政治家を輩出するのはバカな国民である」という言葉はいかにも正しい。
 
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AKBの選挙も同じことかも知れぬ。子どもを取り巻く社会が悪いといえば事は簡単だが、どんな子どもにも家庭はあり、学校では生徒なわけだ。家庭や学校がキチンと機能しているのに「環境が悪い」、「友達の影響が大」という親は責任逃れを言っている。不良といわれる子どもにだって家庭はあるし、ウチは母子家庭、父子家庭、そんなの関係ない。要は親の理念である。
 
「あんな風になったのは母子家庭だから、と言われないようにキチンと教育しなければ」。昔はそんな気丈な母親がしっかりと子育てをやったが、そういう親の心構えがなくなればどうなる?いや、どうなり易い?子ども自らが「どうせウチは母子家庭だから」と卑屈になって、自らダレて行く。そういう甘えを子どもに持たせないために、昔のお母さんは頑張った。
 
親が甘えれば子も甘える。教師が甘えれば生徒も甘える。それが事実であっても無くても、教育にたずさわる親や教師たちは、その理念だけは持っているべきであろう。エロ教師も自己中教師などとんでもない。自制心を要求される職業ゆえ、自分の子どもの入学式を優先するような教師は理念ナシと断罪する。理念とは替りがいるとか業務に支障ないとかの問題ではない。
 
「自分の子どもの教育をキチンとできないで他人にできるはずがない」と詭弁を吐く擁護者がいた。バカげた詭弁を弄してまで権利主張をする時代になったことが嘆かわしい。わが子の入学式に出席するどこが教育?「母は公仕事の従事者だから、自分の入学式には出れない」と子に教えるのが教育であろう。親の分別を子は理解するが、我が子可愛さ余って入学式が嬉しいバカ親。
 
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農業、漁業、なんの仕事でも、働くことの大切さを分らせる。公務員ならなおさらなのに、公務員が甘えるなどとんでもない。親の働く姿は美輪明宏の『ヨイトマケの唄』の世界観。自分なら即効で学校に飛んでいく。本人、校長に掛け合い、自己都合で教育理念を歪める教師は担任を降ろせと進言する。して、私益優先選択を生徒の前で謝罪させる。それがケジメだ。
 
甘えを許すと人はどんどん甘えるから行動するわけで、「みなさん、スミマセンでした」と過ちを認めてこそ良い教師である。これは自分の経験からして、そういう教師はたとえ過ちを犯したとしても生徒の心に残る教師となる。その生徒が大人になり、何歳になっても、大人が子どもに謝罪した事は大変意義のあることだ。それが教育ではないのかね~。
 
先日挙式を済ませた三女がこんなことで新婚早々の大喧嘩をしたと聞いた。夫の友人が一日前に欠席のメールを入れて来、その理由が妻が産気づいたからだと言う。まさかの理由であるが、三女は全員出席を見込んで、式の翌日に引き出物を出席者宅に宅配を決めていた。ところが、出席しない友人に引き出物が届き、であるのに何の音沙汰もないという。
 
三女は怒りを夫にぶつけた。「何で、どういうこと?引き出物を返してとは言わないけど、何の連絡もないってオカシクない?お呼ばれじゃないけど、前日キャンセルだし、引き出物も受け取ってお礼の連絡もないって、非常識な友だちだね~」としつこく問い詰めたら夫もキレて、「言えばいいんだろう、言えば…。今から電話するよ」と投げやりになったらしい。
 
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確かに三女の言うように、夫の友人は非常識である。が、三女には、「全員出席を見込んで、翌日宅配というのは軽率だ。とりあえず参列御礼のハガキを出し、10日以内に引き出物を届けますということにしなかったのはこちらの落ち度。だから、欠席者に引き出物が行くようになってしまった。まあ、それでも常識ある人間なら気持ち程度の祝儀はするだろうけど。」
 
夫は言えばいいんだろうとキレたというが、まさか「引き出物届いたのに礼もない、祝儀もない」みたいなことを言えるはずもないが、三女が責め立てたから買い言葉的になったのだ。三女は止めたというが、常識のアルなしを言う前に引き出物を届けるのが早かったことは失敗で、急いで届ける物でもない。「7000円もしたのに」とこぼすが責任がない訳じゃない。
 
三女の友人関係は概ね50,000円の祝儀であったが、夫関係は30,000円だったことも火種になった。一切を自分たちが企画し、取り仕切ったので、祝儀を充てにした部分もあったろう。「夫の祝辞の挨拶者には一万円のお礼を包んだから、実質二万円ってことよ」って言う。「祝辞の挨拶者にお礼を出すのが慣例なのか?そんなのは名誉なことじゃないのか?」
 
時代は変わったんだと、そういうことらしい。余興者にも同様にお礼を包むとなっているらしい。祝辞も余興も名誉なことなのに、出演料(お礼)を渡すなど理解に苦しむが、挙式はこうあるべきという情報が蔓延し、それを踏襲せねばいけない時代のようだ。好意な友人に「祝辞を頼む」、「余興を頼む」では済まない時代のようだ。ほんに出演料には驚かされた。
 
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それにしても、妻のお産の立会いで、前々から準備された挙式を反故にするという。付添いは奥さんの希望ではと娘はいうが、それほどに私益優先の世なのだろうか。これを私益と言わないのが今どきの夫婦なのか…。「わたしのお産などより、友人の式に出席するのが筋でしょう?男なら友達の顔を立てなきゃダメよ」そういう考えこそが自分の言う良妻である。
 
自分もその考えが正しいと思うし、それを後押しする妻の言葉こそ「内助の功」と呼べるものだ。もし、「あなたはわたしの出産より、友だちの挙式の方が大事なのね」など言う妻ならうんざりだ。根底にあるのは友人を祝いたいだけじゃない、キャンセルをすれば迷惑がかかるじゃないか。宿泊キャンセルなどの違約金条項は、その為に設けられている。
 
身勝手な私益優先はシコリを残すゆえ避けるのが賢明だ。「公」を侵害してまでの私益優先は間違い、と叫ばれる社会にするためには我慢が必要である。思い出されるのは、【妻の出産の為に1億円を捨てた!】との見出しで話題になったハンター・メイハンというプロゴルファー。もし、そこら日本人妻が1億円ふいにしてでも出産に付き添ってくれというなら立派だ。
 
立派というのは他人の結婚式と自分の出産を天秤にかけ、自分を優先したのではないな、と理解できる点で立派と断じた。要約すれば、他人事ならいいということではなかったといえる。私益と私益のぶつかり合い、そういう中で1億円を捨てても夫の愛を確かめたと解する。ゼニカネではない女の美しい心情が汲み取れ、それに呼応する男もまた素敵である。
 
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メーハンは世界ランキング22位の31歳。前日まで通算13アンダーで2位以下に2打差の単独首位で、ツアー通算6勝目を目指していた。カナダ・オープンの優勝賞金額は100万8千ドル(約1億円)。メーハンは第3ラウンドのスタート直前、妻のカンディさんの陣痛が始まったとの連絡を受け、途中棄権することを即決。カンディさんが待つテキサス州ダラスに向かった。
 
「さっき興奮する知らせを受けた。妻と私の第1子が分娩室に入ったらしい。結果的に棄権することになってしまったが、大会には心から感謝の意を表したい」とコメントした。行動も素敵ならコメントも立派である。どうも我々とは人間的スケール感が違うし、真似るとか模範にするとか、そういう問題というより、人間の本質的な心の在り方に思えてならない。
 
三女は現代人だからか、「わたしも出産の時は夫にいて欲しいし、奥さんの気持ちはわからなくもないけど、前日のドタキャンで出席ナシに引き出物を受け取って何の連絡もないことに腹が立つ」と、これには同意する。引き出物云々は別にしても、友人なら心を込めて祝儀は渡したいものだ。同様のケースはあるかも知れない。ネットにはこういうのがあった。
 
イメージ 9「3月に結婚式を挙げたのですが、結婚式前日に招待した友人から『インフルエンザに罹ってしまったので式を欠席したい』と連絡があり、欠席となりました。引き出物は1週間前までしかキャンセルがきかず、余らせておくのも勿体無いくらいの気持ちで渡したのですが、友人から『遅くなってごめんね』と、ご祝儀3万円を頂くことになりました。
 
後で母にその話をしたら、『引き出物をお渡ししたのが、ご祝儀催促みたいに受け取られたのではないか』と言われ、変に受け止められていたらどうしよう…と今になって心配になってきました。差し上げた引き出物自体は7000円くらいのものです。(カタログ5000円、紅茶1000円、菓子1000円)半返しとしてプラス1万円くらいのものをすぐに送るべきでしょうか。」
 
と、これまた殊勝な人もいるものだ。感染の可能性のあるインフルエンザで挙式を欠席するのは当然として(出産についても個々に考えはあるだろうが)、自分的には夫がいなくても子は生まれる。だから、妻が「大丈夫、わたしは頑張るから挙式に出て!」という言葉が光るのだ。出席しなかった(できなかった)こちらの相手は、ごく常識的な人間である。
 
挙式とはいえ、旅館の宿泊予約と同じ契約ごとであり、出席してなくても、お料理や引き出物に費用がかかってくる。いかなる理由があるにせよ欠席で迷惑をかけたと思う心があるかないかという人間性の問題だ。それが友人・知人関係の大事なところ。見知らぬ旅館なら問答無用のキャンセル料は当然だろう。まあ、伝染病にての欠席は自己の都合とはならない。
 
文句をいう筋合いの問題ではないし、挙式側がかぶってしかりと感じる。ここが旅の宿と友人との違いである。祝儀を頂く側は申し訳ないと思うし、欠席側もすまなかったということになろう。これを日本的な「謙譲の美徳」と表し、マナーとして最も美化されていいものだ。が、自分と相手に同時に兼ね備えているのが素敵なところで、片方に無い場合が多い。
 
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人間関係で最も難しい部分だ。相手だけに常識が無いと不平や不満の原因になる。そういう相手に対してどうするかが懸案となる。離れて行くのが自然な応対ではないか。「あんなバカは相手にしない」、「あんなバカとはもう付き合わん」などと、相手を変えられないなら自ら去っていくのが妥当である。それが親であっても、子であっても、友人であっても何らかまわない。
 
「怒り」は外に向くだけでなく、「自分に腹が立つ」という怒りもある。相手を見切る絶交もあれば、自らを見切る絶交もある。何も人と仲良きだけが人生じゃない。楠正成は11歳の長男正行に、「天皇を守ることが父への孝行」と説いた。尊氏に破れた父正成の首が届けられ、後追い自決をする正行に、「父上の遺訓を忘れたか」と懇々と諭したのが母である。
 
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