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「名人」 なる人、降りる人。

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第74期名人戦七番勝負を制した佐藤天彦新名人(28)が、初タイトル獲得から一夜明けて取材に答えた。以下の言葉が印象的だった。「きのう一瞬、そういう(名人を意識)時間帯がありました。これに勝ったら名人だと、経験したことのない感情ではありました。夕食休憩前ですかね。局面自体はまだ大変だと思っていましたが、少しいいのかなとも思っていました。」

自分の気持ちを素直に表現する世代感覚。33年前に谷川浩司九段が初めて名人になったのを思い出す。史上初の21歳の新名人は、感想をこう述べた。「名人になろうとか、名人を獲ろうとか、欲の深いことを考えなかったのがよかったと思います」。「1年間、名人位を預からせていただきます」。関西棋界の重鎮内藤國男九段は、若き新名人の言葉をこう評した。

「『1年間、名人位を預からせていただきます』なんて言葉は前もって考えていたんやろ。カッコよすぎるわ」。言われてみるとそうかも知れん。「名人になる。名人を獲る」などの気持ちがまったくない、考えないのも不自然だが、いかにも優等生気質の谷川浩司九段らしい。本当の気持ち、正直な胸の内を明かさないのを謙虚というが、これぞ日本人の美意識である。

「謙虚」という得体の知れない情動とは一体何であるか?「謙虚」とは、控え目で、つつましいこと。へりくだって、素直に相手の意見などを受け入れること。また、そのさま。とある。日本人は謙虚な人を好み、謙虚であることが素晴らしいとされることが多い。が、外国ではこのような考えは障害になる。障害の意味は、「謙虚さ」や「遠慮」は役に立たないという。

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理由は、外国人には「謙虚さ」や「遠慮」という発想がないからだ。もちろん、優しい人や親切な人はたくさんいるが、ビジネスの現場などで、「謙虚さ」、「遠慮」を持ち出し、それでより良い契約締結ができたり、越えられそうにないハードルを越えたりなどはないという。つまり、「謙虚」や「遠慮」が伝わる日本人にはプラス、伝わらない外国人にはマイナスとなる。

外国で忘れることができない失敗がある。いろいろ話の途中に外国人が、「自分は気にいってたとしても、妻の好みでない物は選ばない」と言った。「何で?あなたが気に入って、あなたがいいと思うなら誰が何と言おうが関係ないのでは?奥さんの好みをそこまで気にするのか理解できない」と自分がいうと、相手の表情がみるみる変わり、顔がゆでだこのように赤くなった。

頭から湯気はでないが、「お前に言われることじゃない。オレは今まで誰にも手をねじ上げられたことはない!」と面と向かって言う。敵意むき出し状態だ。なぜそんなに怒るのか、さっぱり分からなかった。後で外国人の同僚が、「あんなこと言ったらダメ、絶対に…」と教えてくれた。あちらでは、恋人や妻の一言など存在は大きく、自分は彼の妻を批判したことになる。

「じゃかましい、嫁がなんて言おうがそれが何だ?そんなのカンケーあるめ~!」といえる日本とはまるで違い、このカルチャーショック体験は忘れられない。それにしても今期の名人戦、佐藤天彦挑戦者は本当に強かったし、ブッチギリの勝利であった。若手棋士がタイトル戦であと一歩まで羽生さんを追い詰めたことはあるにはあったが、ここまで圧倒した前例がない。

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佐藤天彦はなぜそんなに強いのか?将棋界の天才と目される羽生の言葉を借りるなら、「天才とは努力し続ける人」である。「天才は1%の才能と99%の努力」と言ったエジソンの言葉のアレンジと見る。佐藤の1%の才能の中身は分らないし、99%の努力も知ることもないが、彼が特異な棋士であるのは以下の事例が示している。プロ棋士養成機関「奨励会」での一件。

プロの棋士になるためには小学生から奨励会で研鑽を積むが、六級から一級までは月2回の例会で1日3局を戦うが、初段、二段は1日2局。三段に昇段すると「三段リーグ」という枠で勝ち星を争い、上位2名が四段に昇段し、正式にプロ棋士となる。現在三段リーグには13歳から25歳までの29名が在籍するが、奨励会規定には以下の年齢制限があり、満たさぬ者は退会となる。

【 満23歳(※2003年度奨励会試験合格者より満21歳)の誕生日までに初段、満26歳の誕生日を含むリーグ終了までに四段になれなかった場合は退会 】。ところが特別規定として、【 三段リーグ戦で、2回次点を取った者はフリークラスに編入することができる 】制度があり、佐藤は16歳のときに2度目に次点をとり、プロ(フリークラス編入)の資格を得るもこれを拒否。

今までこの権利を放棄した前例は無く、「佐藤は自信があるから蹴った」などと言われた。本人は「そうではない」と明確に否定し、理由として、「降って湧いたような権利で、それではプロになるための、"気持ちの面で準備ができていない"と考えていたようだが、おそらく言葉を選んだと推察する。次点でプロになった棋士も大勢いるし、彼らへの配慮と言える。

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いかなる理由であれ、とりあえずプロの資格を得た以上、プロになって研鑽を積めば強くなれるわけだが、それを捨てて三段リーグに残ったのは、佐藤の美学もあるが、自身に対する叱咤とモチベーションの高め方、それらは総じて自信といっていい。それ程に鬩ぎあいの厳しい三段リーグで、次点で四段はまさに棚ボタ…。結果で言うわけではないが、結果が示している。

それくらいの人間だから名人になれるのかも知れない。将棋には7つのタイトルがある。序列的には最高賞金額の「竜王」が上位であるが、これは強ければ誰でもなれる。アマ枠があって、アマチュアでも半端なく強くて勝ち上がれば竜王になれる。名人はそういうわけには行かない。プロ棋士となり、CⅡ⇒CⅠ⇒BⅡ⇒BⅠとクラスを上げ、A級入りすることが大前提だ。

天才集団のA級リーグでトップになって初めて名人挑戦権が得られる。昔から「名人は選ばれし者」とされ、強くなければ名人にはなれないが、強いだけで名人にはなれない。名人になれし者は、そういう星の下に生まれ持った人間であるという。80年の歴史の中、たった13人しか名人になっていない。自分たちには分らないプロ棋士の名人に対する思いであろう。

飯野健二七段は昭和49年に四段昇段後に一度もCⅡクラスから上がったことなく、通算445勝544敗の成績で2011年に引退した並の棋士である。0.449の勝率が物語っているが、彼は6級で奨励会に入会した以降、三段昇段までは各昇級昇段に1年以上をかけることなく順調に昇った天才少年だった。三年で二段昇段は羽生、谷川、森内と同じスピード。佐藤天彦は5年弱を要した。

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その飯野は後年、このように心中を漏らす。「棋士を志す者なら誰でも名人の称号を目指します。たとえ一度でも名人と呼ばれるなら、数年の寿命と引き換えても何の悔いはありません」。三流棋士の切ない思いだが、名人とはそういうものであるらしい。佐藤の初タイトルが名人だが、かつて初タイトルが名人というのは森内がいた。が、彼は6年前に名人挑戦者になっている。

その時は羽生名人に惨敗した。佐藤は名人初挑戦で羽生を圧倒して名人位を獲った。そんな佐藤新名人について思ったことは、彼は名人になりたい派というのではないと、自分には映った。名人になりたくない者など棋界にいるはずがないが、世の中には大きく分けて、「なりたい派」と「やりたい派」がいるようだ。「なりたい派」とは、社長になりたい、政治家になりたい。

あるいは偉くなりたい…、だから頑張る。ところが、「やりたい派」というのは、やりたいから社長になった、名人になった。それほど強靭な願望と言うのは傍目には見えないが、自然とその地位に誘導される人。たしかにこの手の人はいる。明らかに後者の方が地位に相応しく幸せにもなれる。「なりたい派」の代表は舛添都知事であり、明らかに彼は都知事に不向きな人。

より自分らしさを追及した仕事ができる人に、「やりたい派」が多い。自分も若き頃は「やりたい派」だった(意味が違う"やりたい"であるが…)。佐藤新名人は、「一年間名人を預からせていただきます」などの殊勝な言葉はいわなかったが、何のタイトルであれ、奪取より防衛が難しいという。名人戦は終ったばかりだが、来年の挑戦者への期待、それを受けて立つ天彦。

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待ち遠しいわ。ところで、公民館で将棋を指している小学3年生のY君が低学年の部で「こども名人」になった。といっても、全国大会ではなく地方であるけれども。お父さんから「今日は○○さんに何か言いたいことがあるんじゃない?」と促され、恥ずかしそうに「大会で優勝して名人になった」と照れくさそうに言った。「すご、今度から名人と呼ぶね」と自分。

負けてはベソをかき、目を真っ赤にして涙を流すYくんの心中は察することはできないが、勝負とはいえ、相手を詰ますときはつくづく将棋は残酷だなと思う。子どもに勝って嬉しくはないが、勝ってやる気をなくさなければいいと思いながらフォローをする。益になるならいいが害になってはダメ。負けてばかりで嫌になる子どももいるが、Y君がそうならない事を願う。

子どもは素直で正直だからいい。「名人」と呼んでも、「そんなんじゃないです」、「自分は強くないし…、たいしたことないです」などの、野暮な謙遜がない。選ばれし自分の境遇を素直に認め、それに浸っているし、悪知恵を働かさない。本当の謙虚というのは、自分自身を素直に認めることかも知れない。他人にむやみに迎合せず、誤解されても気に留めない。

そんな子どもたちを見ていると、大人の裏の世界が妙に汚く思えてくる。上っ面の謙遜の裏に見え隠れする傲慢は隠せないものだ。謙虚で控えめな人を、そのまま間に受けると恨まれることもある。大人の世界はなぜこうも澱んでいるのだろう。子どもと接していると、失われたものや汚れた自分をハタと気づかせてくれる。

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