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Channel: 死ぬまで生きよう!
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アイドルいう受難

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東京都小金井市のアイドル刺傷事件。この手の事件にはどこかしこ安易が見える。本人、イベント開催側、マネージメント側が、距離の近さという安易さを売り、それに対する誤解や思い込みが犯罪者を生む。被害者はアイドルだが、本格的で完全防備の身辺警護付き大手プロダクションアイドルとは格段に違う。危険と背中合わせの手弁当持参の地下アイドルである。

アイドルを目指す少女は応援する親も含めて、今も昔も少なくない。オーディションやスカウトはハードルが高いだけに普通の中学生、高校生が、寝て起きたらアイドルになっていたというのは、まさに夢物語。そういったアイドルと手弁当アイドルでは、待遇・処遇がまるで違う。ただ、後者はファンと距離感が近く、ファンにとっては夢物語で、それが問題となる。

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「安易さが犯罪を生む」例として、1億円のダイヤを展示する場合、常時ガードマンに監視させるなどの防犯をする。簡単に盗まれるようなら、ダイヤは展示室から消えるし、それが犯罪だ。怪盗ルパンでも至難といえる防護体制があれば、誰も"盗む"などを考えないというように、価値あるアイドルは費用をかけて守るが、地下アイドルにそれはない。

地下アイドルとは新しい語句で、メディア露出もない狭い地域でLIVEやイベントを中心に活動するアイドルをいい、差別語的ニュアンスがあるため、ライブアイドルという言葉を用いるが、差別といっても価値の大小の区別だから仕方がない。コンサート会場のステージにおいても観客と仕切られ、アイドルに近づくことも出来ない厳重な警備がされている。

少女たちはなぜアイドルを目指す?これは愚問だろう。売れなければまともな収入もないアイドルは厳しい世界である。が、そんな彼女たちをアイドルに誘う動機は、自己実現における向上心や努力とは別物の虚栄心であろう。売れなければ悲惨という意識も思考もなく、親の全面的バックアップを得て、自らの感情に忠実にアイドルを目指す。

愚問としたのは、虚栄心の固まりで出来ている女性は、生活の糧を得る目的以上に他人から注視されたり、ちやほやされることが無常の喜びである。たとえ安いギャラであっても、ステージに立たせてくれるなら、文句もいわずどこにでも参じる。生まれつき可愛い子はみなの注視の的になるから得である。自分もそうなりたい、なれたらいい。きっとなれる…

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そういう思いがアイドルを目指す根底にある。芸の道は厳しい。たった一握りの人間がスポットライトを浴び、多くの人間は陽の目を見ずに埋もれ、消えていく。が、少女たちの自己顕示欲は、そんな現実などものともしない。地下アイドルという負い目などは少女にはこれっぽっちもない。そんなのは世間の言葉であり、彼女たちの自負は紛れもないアイドルである。

多くの中から選ばれ、世間に認められ、あげくにお金もざっくざっく手に入るという。とにかく売れさえすれば、高級ブランド衣類も、高級マンションにも住める。特別な技能・才能はなくても、売れさえすればいい。アスリートのような技術向上の努力も不要で、売れるためのもっとも大きな要素は可愛いこと。もしや自分もそれに合致しているのかもしれない。

そういうナルシシズム幻想が少女をアイドルに向かわせる。単純に考えれば、誰もがなりたい、なれるもんなら…。という理屈だが、誰でもなれる、簡単に…。それがこんにちの地下アイドル量産時代の背景にある。そこらの普通の少女が国民的アイドルにとの前例も多い。主宰側はウハウハ、ガッポガッポ、笑いが止らず、更なる柳の下の泥鰌を求める。

応募する少女たちに主宰者側は、彼女らの夢を叶える社会的責任と胸を張る。たとえ売れずとも「娘を食い物にされた」と、意を唱える親もいない。AKBに代表される普通の少女たちが国民的アイドルになれる時代は、少女たちに一層拍車をかけた。この20年、30年間で時代は大きく変わった。その事をアイドルのスキャンダル事件で実感する。

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1983年6月、「ニャンニャン事件」と呼ばれる芸能界を震撼させるスキャンダルが起こった。ターゲットは当時、「わらべ」の一員でもあり、人気の絶頂にあった未成年の女性アイドル高部知子である。事件というのは、当時15歳の彼女が、「ベッドで二人仲良くニャンニャンしちゃった後の、一服」を掲載した写真が、写真週刊誌『FOCUS』に掲載されたことに端を発する。

「ベッドでニャンニャンしちゃった後の、一服」という表現の意味は、ベッドで裸体の上に布団を掛けた状態で、煙草を咥えた様子を捉えた写真からして、当然ながらセックス後を髣髴させる、「仕事語の一服」画像と誰もが想像させられた。高部は女優としての力量を高く評価され、第二の大竹しのぶといわれていた、その矢先の大スキャンダルである。

高部が主人公・不良少女役を熱演したテレビドラマ『積木くずし~親と子の200日戦争』は、最高視聴率45.3%という驚異的数字を記録した。次いで主演予定だった劇場版の『積木くずし』も、クランクインしていたが、この一件で高部は降板、代役が立てられた。当然にして高部が起用されていた三菱鉛筆、ハウス食品、牛乳石鹸のCMは急遽中止となった。

彼女が通学していた堀越高校を無期停学となり、謹慎処分も受けた。「ニャンニャン写真」を『FOCUS』編集部に持ち込んだのは18歳の少年で、事件の3カ月前に、テレビドラマ、『積木くずし』のエキストラとして出演した際に高部と知り合った、高部の3歳年上の元交際相手だったという。動機は金銭目的などではなく、実際、少年は謝礼を一切要求しなかった。

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軽い気持ちで民放のテレビ局に写真を持ち込んだところ、すぐに取材が始まり局の上層部からリーク写真をネタの番組企画が潰され、さらに暴走族や暴力団から嫌がらせを受けるようになり、そのことで自衛のために持ち込んだと少年は、『FOCUS』編集部に語っていたという。そういう事もあって、写真をリークした少年はストレス性胃潰瘍で入院。

さらに同年9月4日、茨城県東茨城郡の林道で、自動車の排気ガスによる自殺死体で発見された。「ニャンニャン事件」の「ニャンニャン」は、「性行為」と定着しているが、当時『FOCUS』誌が「ニャンニャン」としたのは、記事を執筆した記者が「セックス」という言葉を使いたくなかったためと、もう一つ、「ニャンニャン」は高部のオノマトペである。

高部は、テレビ番組「萩本家の愛娘」3人で構成されたユニット、「わらべ」の長女・のぞみ役としてリリースしたシングル、『めだかの兄妹』の曲中、彼女はソロパートの歌詞フレーズ、「ニャンニャン」(猫の鳴き真似のオノマトペ)を担当していた。事件直後に高部は番組に電話出演して謝罪し、高部は「欽どこファミリー」を、とりあえず謹慎するという扱いとなっていた。

それが2ヵ月後に元交際相手が自殺したため、遺族に配慮するという理由により完全に降板となり、「わらべ」からも除名、萩本からも「破門」の烙印を押されることとなる。以降、「わらべ」は残りの倉沢淳美、高橋真美の二人だけの活動となった。無期停学処分が解けた後、高部は学業に専念する姿が女性誌に小さく取り扱われることがあった。

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芸能活動の謹慎が解けた1984年、1年3ヶ月ぶりにTBS系の連続テレビドラマ『転校少女Y』の主役で本格復帰。1984年11月にはシングル『雨の街』でソロデビューし、岡村孝子のバックアップを受け、ソロ・アルバムも発売したがヒットには繋がらなかった。高校卒業後、22歳で幼馴染と結婚し、芸能界を引退。2人の子供をもうけたが数年後、離婚。

その後再婚するが、再び離婚する。2000年に慶應義塾大学文学部哲学科通信制へ入学し、2006年に卒業。その後、東京福祉大学(通信制)精神保健福祉士養成課程修了。国家資格を取得した。「自分のように不器用な人に寄り添いたい」という思いから、精神保健福祉士の道を志した彼女は、2児の母と精神保健福祉士の活動の両輪で生きている。

「わらべ」の一員倉沢淳美は、「わらべ」解散後ソロデビュー。直後の1984年4月8日、札幌市で開催されたサイン会会場で、サイン会終了後にファンの見送りと握手をしているところ、サイン会に参加していた男から突然、刃物で斬り付けられ右手首を約6cm切る傷を負った。犯人は26歳の会社員で警察の取調べに対し「生意気だから切った」と供述した。

「わらべ」のもう一人、たまえこと高橋真美も、「わらべ」解散後の1985年にフォーライフ・レコードよりソロデビューを果たす。現在も主にテレビ番組のレポーターを中心にタレント活動を続けている。ふくよかだったアイドル時代から13kgのダイエットに成功した彼女はその著書、『みんなに黙ってダイエット』を1995年に出版。別人のようなスレンダー体型である。

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高部の「ニャンニャン事件」から29年後の2012年6月、元彼氏を名乗る男がAKB48指原莉乃との肉体関係と写真を週刊誌に暴露した。人気絶頂のAKB48スキャンダルにファンも衝撃を受けた。彼曰く、「彼女は超肉食系で、初めて彼女の家に遊びに行ったとき、指原は僕より一つ年下なのにマセていて、『何でずっと下見てるの?』、『もっとこっち来なよ』。

って僕の手を自分の太ももの上におきました」。というコメント付きである。これから飛躍だっただけに、指原のショックはいうまでもないが、『災い転じて福と成す』という言葉が、これほど生きた時代もなかろう。指原はあの一件でHKTに転勤になったが、さらには指原はあの一件で押しも押されぬ有名人となり、アイドルとして最高の稼ぎ手となっている。

同じスキャンダルでありながら、不遇の時代にアイドルとして生きた高部知子と、社会がアイドルに寛容な時代に、アイドルを生きる指原莉乃の対比を見るに、アイドルの系譜の変遷には、どうも社会全体の緩みが大きいようだ。時代の変遷と共に、人間の感覚が変容するのを身近に感じる。川本三郎はその著、『感覚の変容』のあとがきに以下記している。

「ここ数年、風景(ランドスケープ)という人間社会の背後にある広大な空間に心ひかれてきた。それはあるときは宇宙であり、あるときは廃墟であり、あるときは深い森だった。(中略) いままで重要だと思われていた現実的なもろもろなことが消えてしまい、そのあとに背後にあった風景がゆっくりと姿をあらわす。広大なランドスケープがひとりきりになった個に接近してくる。

『ヒトとヒト』の関係性が後退し、『ヒトと風景』のより無機的な関係性が静に見えてくるなかに身をまかせたい。ランドスケープのさらに遠くにあるものを見たい」。ヒトがヒトをヒトとして捉えない時代、ヒトがヒトを風景のように眺め、接するという時代の潮流を肯定的に捉えているのか。ヒトがヒトをヒトとして捉えない、ゆえにヒトはヒトをいとも簡単に刺し殺す。

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