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バカの論考

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暴走老人についてもう少し論考する予定だったが、舛添都知事の会見もあったことで、思考がそちらに釘付けとなり、急遽タイトルを変更した。バカについて論じるとはいえ、バカが多岐に及ぶこともあって総論になりやすい。男はバカ、女はバカ、若者はバカ、老人はバカ、親バカ、学者バカ、釣りバカ、バカ殿、バカ芸人、バカ正直、バカ力…、そしてバカ知事。

総論とは、内容を全体的にとらえたもので、具体的にいえば、「或る大枠があって、原則としてその枠当てはまる共通のことや一般的なことを述べるもの。一方各論とは、総論を基礎としつつも当該枠の中で特定の部分にしか当てはまらない事柄、あるいは特定の部分においては総論が当てはまらない旨を述べるもの。よって、「バカ女」と書いて怒るのは、「バカな女」。

「親バカ」と言って文句を言うのは、「バカな親」。他人を名指しでバカというのは気がひけるものだが、そのように表現しなければどうにもならない人物に出くわすことがある。今回の論考対象となるバカ知事とは、舛添要一東京都知事のこと。人を名指しでバカというのは気が引けるといったのは、思っていれば済むことで、それを口に出す必要があるのかないのか。

普段の日常生活において、面と向かって他人をバカ呼ばわりすることはそうそうないが、文字会話だとできてしまうのは、卑怯といえば卑怯。「腹で思っていれば口にださなくてもいい」は理解できるし、そうする場合が多いが、「腹で思っているなら、口に出そうが出すまいが同じ事」という考えもある。そういう人は素直に、正直に自分のスタンスを相手に伝えるようだ。

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が、口に出す人を一概に正直者と限定するのも違うだろう。自分の場合は、意思の表明は親切だと思っている。ただ、「あいつは嫌いだ、どこもかしこも全部嫌い」の場合あれば、「あいつは嫌いだ。でもいいところ(好きな部分)もある」場合もある。他人はともかく自分について言えば、「お前を嫌い」と思っているのは、口に出さなくても分かるが、言われた方がいい。

「口に出さなくても分かる」といっても、推測であって実際にいわれる方が確かな情報である。先日、将棋の場で、「いい年こいてつまらん人だね、あんたは」と言ったのは、「お前なんか将棋をすな!」と言われたからで、いくらなんでもそこまで言われることはない。そう言わなければ黙っていた。後で隣の人が、「あの人は偏屈だから、相手にしてはダメ」といった。

「こっちが黙っていれば、一人でゴチャゴチャ言うのもバカらしくなって止めるんだよ」と言った。それは確かにそうだが、自分は腹を立て、頭に来たから言葉を返したのではない。何を言っても相手が理解するとは思わないが、「いい年こいて子どもじゃないか!」くらいは言うべきと思った。分からせるためではなく、バカにバカといわなければ、相手は真っ当と思うからだ。

橋下徹が森永卓郎を、「バカコメンテーター」というのは、ホリエモンが他者に、「あんたはバカ」というのとは違う。ホリエモンはむかついて人格否定言葉を投げているが、橋下はあくまで、「コメンテーターとしてバカ」と言っているのがわかる。人格否定というより、職種を問題にしている。コメンテーターに向かない人がコメンテーターなら、それはバカと思うだろう。

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将棋を趣味とする人間に、「お前は将棋をするな」というのは、筋違いなバカである。「ワシはお前とはしない」というなら何の問題もないただの選択。そこに意を唱えるのも文句をいう筋合いもない。隣で自分を諭した人にはそこが分らないから、「そうですか」と相槌を打っておく。橋下が森永に、「よくそんなバカなことが言えますね」は、明らかに呆れた物言いである。

森永は橋下に対して、「よくそんなことがやれますね」といい、彼は、「バカ」という言葉は使わなくても、橋下を批判している。問題は批判を論理的に反論された森永が、同じように論理で反論すればいいわけだが、それができないからバカコメンテーターといわれる。情緒で批判するのはバカでもできるゆえ、橋下は森永の職業的資質を問題にするだけのこと。

橋下市長という権力者を監視し、物をいうのがジャーナリストやコメンテーターの仕事であり、橋下はそこに不満を抱いているだけのこと。ホリエモンは青山繁晴に対し、思わず「バカ」と言ったが、そこを突かれたときに、「すみません、言葉が過ぎました」といえないところがコドモである。彼がどんなに頭がキレても、人を束ねて上に立てる人間ではない。

一匹オオカミで自由に発言するなら彼の領分だろうが、頭に血が昇ったときに出る侮蔑語の種類や、使い方が橋下より幼い。橋下も言葉を選ばないが、言葉使いが荒れることがないのは、法廷という神聖な場を仕事とするからであろう。ホリエモンが弁護士なら即退廷だ。人は馬脚を隠せるものではない。人をバカという自分ブログを読んで、バカと感じる人も多かろう。


「自分がバカなのに、他人をバカといっていいの?」。これは全然問題ないが、人にバカと言われたくないから、人にも言わないという選択は構わない。それも自己保身であろう。「自分はバカだから」というのを素直に思うのはいいが、人を批判する時は、「自分もバカ」の方がいい。意味の違いは、「自分はバカだから批判する」と、「人を批判する自分もバカの類」。

とまるで違う。バカだから批判するのではなく、批判する自分もバカである。の違いは分かる必要がある。もっとも、「自分はバカばっかやってます」という言葉も、そんなことをいう人間は好きになれない。そんなことを公言して自身の器の大きさを見せているのだろうが、「お前がそう思うならそうだろう」と肯定してやる。否定してくれるのを期待して言うなである。

過度に謙るのは強い自尊心の現われであり、「いやいや、お前はバカじゃない。ちゃんとやってるよ」と、言われたい心がミエミエだ。女の世界なら構わんが、こういう男の世界は存在しない、認めない。また「お前はバカなんだよ」と威張った言い方もダメだ。「どうだい、オレは…」と威張るその性恨じたいが、すでにバカである。自慢は自信のなさに過ぎない。

「バカとは何か?」は、いろいろだからその都度、その事象を指して言う場合が多い。ただ、バカとは知識がない、モノを知らない、学力がないを必ずしも意味しない。それを指していう場合もないではないが、学歴も、性別も、年齢も、収入も、地位も、そんなものは関係ないバカもいるからだ。常に自分の利益や幸福のことだけを考え、相手のことを考えない人がいる。

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それ自体がバカというより、そういう人は当然にして嫌われる意味においてバカであろう。相手を自分の利益の手段としか見ない人間はバカというよりクズである。バカは直る見込みはあるが、クズとはゴミクズのクズであり、ゴミ箱行きだ。嘘をつく人間も以下の意味においてバカであろう。「嘘をついて得することがあっても、それはほんの一時のことである」。

バレない嘘もあるが、だからと言って自分の嘘がバレない保証はない。むしろ、嘘はバレるものだと考え、身を節し、嘘がバレれば他人は二度と自分を信用しなくなる。その事で失う物の方が大きい。だから自分は嘘をつかないようにする。と思う人は居るだろう。それがその人の人格の土台になっているが、カントにいわせるとこういうふるまいは道徳的ではない。

なぜなら、「嘘をついてはならない」という道徳の掟は、「理性」に由来するものであるべきとカントは言う。上の考えは、「嘘ついたら地獄で閻魔さまに舌を抜かれるよ」と同じ種のものであるからだ。「妻にバレたら離婚を言われるので浮気はしない」のも同じ。「酒気帯び運転の罰則が厳しいのでやらない」も同じ。カントは一切を理性の支配下におきたいのだ。

カントのいう、「嘘をついてはならない」を理性の支配下におくというのは、「騙しあいの横行する社会が、安楽で望ましい生活をもたらすことはできない」ということ。したがって、「嘘をついてはならない」という命令は無条件の「理性の法」である。哲学者というのは、中でもカントにおいては厳格なまでに理性に従わせるのは、法が絶対で神聖なものとする。

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我々はカントの言葉を鵜呑みにはできない。我々の社会道徳とカントの道徳の間には、埋めきれない溝がある。我々の道徳は、社会生活のために必要な嘘はあり、方便としての嘘は認めている。つまり、「円滑な社会生活を送りたいなら、○○せよ」といった形の、条件付きの命令から成り立っている。カントの理想は皆が理性の支配下にあった場合に有効である。

舛添知事が、自身の犯した行為について、口先だけの反省はするが、実体を明かさないことで法的、道義的責任を逃れようとしている。果たして逃れられるかどうかは、一部の逃さない人間の怒りと行動にかかっている。つまり舛添は、「怒りの人間など大した数ではなかろう」と読んでいる。日本人が欧米人に比べて憎悪心の希薄な人種であるのを知っている。

「昨日の敵は今日の友」、「人の噂も75日」、「和を以て尊しと成す」といった日本人観はいかんともし難い。「元少年A」の手記出版の記事にも書いたが、『良心をもたない人々』を書いたマーサ・スタウトの言う、怒らない人も良心を持たない人と同種である。我々市民社会の場で、軽度な交通違反から万引きから、ゴミ屋敷、騒音おばさん、ゴミ不法投棄など。


あるいは、イジメを見ぬふりをする校長、エロ教師、給食費を払わぬ保護者、政治資金でパンツやパジャマを購入する知事もいたりと。それを怒らないのは、皆が同じ事をやっているからで、だから本気で怒れない。議員の多くが叩けば誇りの出る身分であり、政治資金規正法がザル法であるのも知っている。どうして、自分たちを律する法を作らないのか?

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