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稲毛殺人事件 ②

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茅野利奈さん殺害事件の続きを書く予定はなかった。が、記事を書いた後に茅野さんの友人から届いたメールを読みながら、彼女の悲しみが伝わってくる。そうした共感もあってか、事件が増幅されて頭の中で廻っている。事件は千葉県稲毛市で4月4日に起こったが、稲毛は朝霞少女誘拐事件の犯人寺内樺風容疑者の居住地でもあり、当初は、「また稲毛か?」程度に感じていた。

遠方の見ず知らずの女性に起こった事件も、知人の友人と知れば感じ方も違ってくる。茅野さんは千葉、友人女性は愛知と遠距離であったが、会って会話をするなどの交流もあれば身近にある。友人・知人が殺害という経験はないが、この記事を書いた後に、友人の茅野さんとの想い出話を聞き、facebook のやり取りのコピーからも彼女の悲痛は伝わってくる。

事件は発生直後に知ったが、知人から被害者の友人であったと知ったのは、4月20日。"こちらはハナミズキが満開、春らしい陽気になりました"と冒頭の花だよりと時節の挨拶が添えられたメールに、事件のことが記されていた。驚きながらも事件の経過を眺めつつ、犯人逮捕を待ちわびた。事件の犯人とされる藤長稜平容疑者の逮捕を知ったのは、4月28日だった。

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藤長容疑者は、本年3月に別の女性の住居に侵入した事件で、4月16日に逮捕・収監されていたという。この時も刃物持参で女性を脅したようで、近隣居住でもある藤長に当たりをつけた県警が藤長を取り調べたところ、茅野さん殺害を認める供述を始めたという。やはりというか、同種の事件において余罪はつきもので、いずれにしても早い展開だった。

ローリングや聞き込み捜査ならもっと時間はかかったろうが、余罪による芋づる的発覚は珍しくなく、短時間で犯人の特定に至る。しかも、捜査中の殺人事件の容疑者であるというのは天網恢恢である。藤長容疑者の自宅の捜査から凶器の包丁も見つかっている。殺人事件における凶器の特定は重要で、血痕検査に使われるルミノール反応は、水で洗われて出なかったという。

つまり、藤長は包丁を持参して茅野さん宅に侵入したことになる。恨みつらみの計画的殺人というより、「抵抗されたことで殺してしまった」との供述で、争った形跡も、抵抗によってできる庇い傷もないことから、不意に襲ったのか、その辺りの状況は不明。ただし、近所であることから茅野さんの動向を把握できる状況にあり、仕事で不在の時間帯も分かっている。

純粋な物取りなら居ない時間を狙うはずで、よって強姦目的の線も考えられるが、包丁持参で強姦に押し入るなど、今どきあり得ない不届きな手口である。藤長容疑者の父親のコメントは先に書いたが、別の知人女性は、「藤長容疑者と事件の1週間後に会った時に、『犯人は逃げてるらしいよ』と話していたと」明かし、藤長容疑者について以下のように述べている。

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「(藤長は)昔からずっとまじめで温厚で、怒ったところを一度も見たことないし、まさかこんな事件を起こすなんて信じられない。4月4日の1週間後くらいに、2~30分会った時、『家の近くで事件があった』、『最近ぶっそうやな』という話をし、『まだ犯人見つかってないんだよね』と言ったら、『(犯人は)見つかってなくて逃げてるらしい、怖いな』って言ってました。

 (犯人が)まさか本人だったなんて。今思うと怖いんですけど(Q:茅野さんに対してどう思う?)言葉にできない。茅野さんのことを考えるとすごく心が痛くて…」。知人女性は、「藤長容疑者の知人として茅野さんに申し訳ない」と話していた。藤長は茅野さんと別の女性宅でも刃物で脅したが、詳しい経緯は未発表で、茅野さん殺害の動機も現段階では自白による。

知人女性の言う、「真面目で怒ったところをみたこともない」という温厚な人間ゆえにか、「まさか」と驚くなどは珍しくない。藤長容疑者に限らずとも、殺人者というのは、いつも我々の身近にいる。包丁持参で女性宅に押し入るという目的が、本当に物取りなのか?なぜにリスクの少ない空き巣でないのか?強姦に味をしめた届け出のない余罪を感じてしまう。

届け出ないのは、おそらく届け出る恐さであろう。届け出たからと言ってすぐに容疑者が逮捕されるわけではないし、その間、犯人に狙われるという気味の悪さや恐さを抱くと考えられる。もちろん、そういう女性はすぐに転居をするであろう。暴力団員などから被害を受けた一般市民が、報復を恐がって被害を届けないのと同じで、届け出れば日夜怯えることになる。

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藤永容疑者の供述は、「借金や遊興費、生活費などで金銭的に困っていた」と、あくまで強盗としているが、若い女性宅に押し入ってみたところで大金ゲットは見込めないハズ。案外、一人暮らしの老女の方が大金を持っていたりする。刃物で脅してキャッシュカードの番号を聞くのもないわけではなく、「闇サイト殺人事件」の被害者磯谷利恵さんがそのケースだった。

それにしても磯谷さんはあのような状況の中で、キャッシュカードの嘘の番号を伝えている。彼女が教えた「2960」は、「2960(ニクムワ)」の語呂合わせであった。これについて犯人たちは、「嘘をいうとは信じられない」とし、母親の富美子さんは、「死を覚悟した状況でお金だけは渡さない。憎しみを伝えたい気持ちを数字に託したのだと思います」と答えている。

また、「(口座のお金は)『家を建てる』という約束事を(1歳時に亡くなった)主人に代わって叶えるために、娘がこつこつ蓄えたお金であり、絶対に渡したくなかったと思う」と話した。これについて心ないネットバカが、「命を取られても絶対にゼニは渡さないケチな名古屋人」などと茶化す。磯谷さんは安易に人の言いなりにならない、気丈な性格に思われる。

イメージ 5幾度もハンマーで殴られ、ほとんど虫の息状態でありながら、必死に助命を懇願する磯谷さんには婚約者もいた。彼女はどれだけ生きたかったろう。幾多の殺人事件を耳目にしたが、余りに酷いこの事件はどうしても頭から離れない。母親の富美子さんは、「人を殺した人間は死刑を前提で考えて欲しい、加害者と被害者に差があり過ぎる」の言葉が痛く突き刺さる。

磯谷利恵さんに話が移行したが、茅野利奈さんも41年の儚き人生だった。自分は茅野さんの友人女性に以下のメールを出した。金ヅチで何度も殴られ、ロープで二人の男に首を絞められ、ビニールテープでグルグル巻きにされるという、利恵さん殺害方法は、凄惨を極めるが、利奈さんとて死ぬなどやりきれないはずだ。人は誰も他人の意思でなんか死にたくはない。

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利奈さんは、りなっこちゃんという愛称であるらしく、友人女性は以下のように茅野さんの人となりを記している。「りなっこちゃんは写真のようにナチュラルな雰囲気の子で、落ち着いた穏やかな話し方で気配りのある優しい子。りなっこちゃんは年下なんだけど、ほわっと包み込んでくれるような暖かさがありました。

当時、りなっこちゃんと私には母との関係という共通の悩みがあり、そのことから私はりなっこちゃんに心を開き、遠くに住みながらも近くに感じる友でした。会えば、いろんな楽しい話も尽きず、駅のホームで電車を何本も見送り、ベンチでずっと話し込み…。

りなっこちゃんの事件を知ってから、どんなにりなっこちゃんのことを考えても涙が一滴も溢れない自分が不思議でした。でも、今日初めてわーわー泣きました。固くしていた気持ちが崩れたのかなんなのかわかりません。」

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病死や事故死も悲しいけれど、殺人というのは何と無慈悲であろうか。人が人の命を強引に奪い取るって、世間は、「事件」とひとくくりに言うが、肉親・知人の命が他人にいとも簡単に奪われたら、「事件」などと悠長に言ってられないし、言われたくもない。これはもう、とんでもないことである。人が人の命を奪うようなとんでもない事が、毎日起こってしまうのか?

そこがいまいち分らない。人は命で出来、命で動いてることくらい知ってるだろう。ネジやゼンマイで動いているのではない。どうして人の命を静止させるようなことをする?自分がされたくない事は人にはするなであり、肉親遺族の気持ちは絶対に許せないだろう。「こんな死に方をするために産まれたわけでも、生きてきたのではない!」と悲痛な叫びが聞こえてくる。

人は人の不幸の上に自分の幸せを置いてはいけない。他人の金品を奪ってまで自分が幸せであるべきでない。他人を犯してまで快楽を得てはならない。他人の命を絶って自身が生き長らえてはならない。これら、言葉にすればごく当たり前の文言だが、当たり前が分からず、教育もされてない人間が蔓延る世の中をどう凌ぐ?犯罪者を見つけて罰を与えるだけで解決しない。

犯罪のない社会は作れるのか?どうすべきなのか?分かる事もあり、提案もあるが、実践する前に確実に分かると自信を持って提示できるものではない。よって文字にすべきものでもない。それを求めて検索すると、【 犯罪のない社会を目指すために、社会復帰を促し再犯を防ごう 】なる政府公報があった。が、これは再犯防止キャンペーンのスローガンだ。

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藤長容疑者もそうであるように、快楽と安易を求めて精神的に破滅してしまった若者の、やりきれない退廃と沈黙のなか、自分たちは敗れてしまったのだという心の傷。彼らが倫理を守り、心にハリのあった時代は、すでに遠く翳んでいる。「良い子だと思います」、「どうしても命にはかえられません。できるなら私が死んでかわりに、できるのでしたらそうしたい気持ちです」。

肉親としての藤長容疑者の父の言葉は痛々しいが、息子を思う気持ちに変わりはない。凶悪犯といえども人間だ。正しく裁き、正しく処罰するしかない。「息子は悩んで家出した」と父は言う。人間が自分を軽蔑して、情熱など持てるはずがない。底知れぬ泥沼に落ち込んで行く若者を、どこかで誰が食い止められるか?自分は自分だが、多くの中の一つの自分である。

自分を多くの中の一人とし、一つの人生と突き放して、距離をもって見つめてみること。自分が自分を客観的にみることだ。そうすることで、バカげた劣等感に長く苦しんでいたことも見えてくる。不必要な劣等感であったことも分かってくる。そうすれば悲劇的な人生も喜劇に見えたりもする。そうすることを勧めたい。そんなとき、自分は観客でもあり、役者でもある。

犯罪なき世の中の実現について、自らの体験を元に具申した。自分が死なずに生き延びたのも、犯罪者となって収監されなかったのも、苦しき問題に対して、もう一人の自分が、どのように自分を始末していくかを見ていたからである。おそらく、そのことによって自分は救われたのだ。

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