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将棋指しにバカ多し

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長いこと将棋をやっていると多くのバカに遭遇する。と言ってみても、自分も将棋を指す以上、同類バカではないのか?みながみなバカというのではない。そういうバカを批判をし、「自分はこういうバカにはならんぞ!」という戒めがあれば、バカの類にはならないでいれるはずだ。バカの側から見れば、自分はバカに見えるのかも知れないが、それは別に構わん。

バカの類から見たバカというのは、バカでないので気にすることはない。将棋をやらなければ温厚で、紳士的な人が、将棋となると豹変するのはどうにも解せない。人の豹変でよくいわれるのは車の運転がある。普段は怒ったり声を荒げたりがない、穏やかな性格の人がひとたびハンドルを握ると、荒っぽい運転をしたり、他の車に暴言を吐いたり、やたらスピードを上げたり…

運転中は普段と別の性格を持っているようだが、車の運転で性格が変わるのはなぜ?心理学的にいえば要因は2つある。1つ目は、危険なことをしているときの身体的な変化によるもので、車の運転という、ある種の危険な行為をしている最中は、血圧が通常よりも上がり、戦闘態勢に入っている。そんな状態の中で、人はちょっとした出来事にも過剰な反応を示すという。

その結果、怒ったり臆病になったりと、普段とは違う一面が出る。2つ目の要因は、外づらと内づらの存在が影響しているといわれる。人は日常生活の中で我慢している社会的な顔と、他人のことなど全く気にせずに行動するプライベートな顔を持っている。これら2つの顔のギャップが激しい人ほど、"表と裏が違う人間"といわれる。車の運転はその一つの例に過ぎない。

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様々な面で表裏の食い違いをみることで、驚いたり、事によっては人間不信になったりする。有り体にいえば、社会的・道徳的に優れているように見える人ほど中身は怪しいということになる。言い方を変えると、表面(おもてづら)のいい人ほど、裏の顔の別の面が強調されやすい。巷でよく「麻雀やると人が変わる」など言われたし、自分も経験がある。当然、将棋もそうだ。

ようするに勝負事をするとき、その人の裏の顔(実は本心)が見えるということだ。車の運転は勝負事ではないが、ハンドルを握ることは勝負事と同じ戦闘モードである。昔、上司と麻雀をやっていたとき、ちょっとした事で、「もう止めた!」山を崩して帰ったが、残った者は一様にシラケムード。それ以降はその上司を誘う事はなかった。よもや彼も誘ってもらえると思ってはない。

将棋をする中でもいろいろな場面に遭遇したし、他からもいろいろ聞きもしたし、その度に将棋指しにはバカが多いなと感じたりもした。感じるだけではない、「そんな人間にはならんぞ!」と戒め、我が身を引き締める。長いこと指すこともなかったが、60歳を越えてシルバー領域に入ると、公民館や「老人憩いの家」などの福祉施設に顔を出せる有資格者となる。

昔取った杵を披露する近々であるが、年をとっても、「バカ将棋指し」がいるのはなんともやるせない。そういう事もあってか、子どもと指すのを好む自分だ。子どもに「バカ将棋指し」という類はまずいない。負けて泣く子はいても、見苦しい言い訳をしたり、強がりをいったり、さほど棋力もないのに自慢したり、そういう無様さや惨めさは子どもには皆無である。

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麻雀にしろ、将棋にしろ、なぜ人から嫌われると分かってる行為を繰り返すのか?車の運転にしたって、彼女や愛妻を助手席に乗せていても、構わず性格を荒げ、前の車との車間距離を詰めて煽ってみたり、追い抜かれた車に対して大声で暴言を吐いてみたり、同乗者が不安になるほどスピードを出してみたり、周りから嫌われると分かる行為をやってしまうバカ。

こういう性分は、車も将棋も麻雀も、すべてひとくくりにできる要素を持っている。その人が、『常に勝ち負けにこだわって生活している』からである。周りの車に負けたくないという意識、あるいは他の車の様子から、周囲が自分をバカにしているのではないかという劣等感が原因となっている。将棋も麻雀も、他のスポーツ競技もまったく同様に考えていい。

イケメンアスリートであれ、美人アスリートであれ、普段と競技中の顔は当たり前だが別人となる。もちろん性格も違うというか、闘う者としての顔に変えざるを得ない。が、プロの競技者は、その熱く滾る性格を競技だけに埋没させ、普段は現さない鍛錬をしている。ボールを壊すプロボーラーはいないが、テニスのラケットを壊したり、ゴルフのクラブを折ったりはある。

すべては競技中の所作である。冷静沈着といわれるフェデラーさえ、ラケットを壊し、ゴルフ世界ランキング3位のマキロイが、クラブを池に投げ捨てた事もあった。もちろん彼らは自身と格闘している。格闘技の極めつけボクシングで、故意の頭突きや肘打ち炸裂もある。1992年世界統一ヘビー級タイトルマッチでは、ホームズのホリフィールドへの肘打ちがあった。


最近あった「バカ将棋指し」を紹介する。ある公民館で、初対面の人から別のところ(H館)に誘われた。後日覗いてみたが、どこに行っても人と人が向かい合って将棋を指している光景に変わりはない。すると、そこで出合った初対面の人が、「自分が主催する将棋クラブに是非来て下さい」と誘われた。「子どもはいますか?」と問うと、「いえ、老人ばかりです」という。

気のりしないままに後日覗いてみた。自分をAとし、初めて顔を出したH館にいたB、H館で出会ったクラブ主催者をCとする。Cはここにはあまり来たくないので、自分で主催したといい、Bについてをこのように言った。「私はBとは指さない。前はやりましたがポンポン指すし、口も悪いので指さなくなりました」。前に記したが自分はBの早指しに合わせている。

その時Cは、ここでは白髪のDに気をつけた方がいい。性格が悪いです」。と言葉を置いた。Dが誰がわからない。自分の知る白髪の老人はいたが、一度指した印象では人格者の感じであり、まさかその老人とは考えもしなかった。人の好き嫌いは自分に当てはまらない場合が多く、気にも留めなかったが、その白髪の老人と二度目に対局したときに事件は起こった。

年は75~80歳くらいの白髪老人はさほどの棋力がないのは前回分かっていたが、長幼の序ということもあり、「若いものから行かせて頂きます」と自分が先手を持った。2番連続で勝ち、緩めないから大差であった。そこで自分は、「負け先で行きませんか?」と言った。相手は頷くこともなく改めて駒を並べたが、なかなか指さないので、「お先にどうぞ!」と促した。

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すると、「そんな事は言われんでもわかっとる!いちいちうるさい奴だな!」と喧嘩越しに言う。言葉に驚いたが、少し間を置いて意味することが理解できた。ようするに、この老人は自分が先手を指すことが気に入らない。確かにひどい負け方をしたが、それは勝負だから文句はいえない。が、せめて自分が後手であることが相手より上位と言うプライドを保てる。

そういうくだらない事だったと判断した。老人は、「いちいちうるさい奴だ!」といい、さらにこうたたみ掛ける。「いちいち人に指図をするなら、もうお前とは指さない!」そういいながらグダグダと言葉を続ける。「お前みたいなわきまえのない人間は将棋なんかするな!わかったか!」。バカげた言葉にむかつくことはないが、ここまで言うなら言わねばなるまい。

「頭は白髪を生やしているが、なんだいその言い方は?いい年こいて、いう事はまるでハナタレ小僧じゃないか?人に指図するなと言っておいて、オレに命令するんか、バカタレが!」と大きな声だが、怒り声ではなく冷静に返す。相手は予期せぬ言葉にか、自分の目から顔をそらして言った。「とにかくお前とはもう指さん」。「それは別にいい。嫌な相手と指すこともない。

だからと言って、"お前はもう将棋を指すな!"とは誰に向かっていってるんか?ガキじゃあるまいし、考えて物をいえよ」。自分は怒り口調でいわないのを心掛けている。喧嘩ではないし、冷静に論理で攻め立て、相手の返答を待つ。喧嘩は汚い言葉の応酬となり、犬も食わない無様な罵り合いとなる。見る側からすればいい加減バカであり、論理で攻めたてる方がクレバーだ。


老人は何もいえずに席を立った。汚い言葉の言い合いなら続いたろうが、売り言葉に冷静に対処されれば、この手の人は言葉が続かないのが分かっている。自分も言葉を発しながら、なんとつまらん人間がいるものかと情けなくなる。年の功とは言ったもので、年長者は尊敬の対象としたいが、これではあんまりだし、「バカ!」という言葉も無意識にでる。

汚い言葉を口にしたくはないが、目の前で起こっていることがあまりにバカげているからである。こんなことで臍を曲げ、怒りをぶつける人間がいること自体バカげている。今後、相手がどのように接してくるのか分らないが、こちらは平常心だし、後日顔を見れば、「やりませんか!」と声もかけるが、相手がどうでるのか?事が起こったあとの興味でもある。


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