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地震・カミナリ・火事・オヤジ

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4月14日21時26分に起こった熊本県を震源とする地震第1波は、広島県内全域で震度2~1であった。気象庁以外の震度観測点に記録された震度1は、長野県諏訪市、岐阜海津市、大阪府大東市、同岸和田市、兵庫県豊岡市、和歌山県美浜町でも観測された。最東の長野と広島で同じ震度1とは驚きである。熊本市⇔諏訪市の直線距離(航空距離)は768.4km。

ブルーで示した運転距離なら1052.1kmとなる。クルマで約13時間、歩行だと7日を要する。7日で行けるとは意外だが、24時間ぶっとうしで歩いた場合で、休息も睡眠も必要だから倍以上はかかる計算だ。江戸時代の人は大体1日30km程度歩くので、東海道(江戸・日本橋~京都・三条大橋)492kmは、16日かかる計算になるが、これはあくまで数字上のこと。

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同じ30kmの距離といえど、年齢や脚力の違いで速さは異なる。「東海道53次」の意味は53宿あったことになり、当時の宿場は約2里半(約10km)に置かれていた。53泊で行く者もいれば、1日3宿分を歩けば約18日で東海道を歩いた計算になるが、途中には大井川など大きな川があり、いわゆる「川止め」もあったり、数字どおりにはいかない結構大変な旅であった。

歩くのが唯一の交通手段であるなら文句をいう者はいない。当時いわれた、「お江戸七つ発ち」とは、夜明け早々に江戸日本橋を出発して、明るいうちに次の品川宿まで歩くことを言った。男の足なら1日40km~50km歩く剛の者もいれば、か弱い女性でも20km~25kmを歩いたとされる。歩く旅は疲れるが、周りの景色の変化を味わう楽しさもあって、その事は歩いてみれば分かる。

9月から始めたウォーキングで30kmを歩いたのは6度。平地はさほどでないが、登り坂は足腰よりも心肺機能がこたえる。「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」と昔の人は詠んだように、箱根峠は東海道最大の難所だった。身軽な旅人ばかりとは限らず大きな荷を背負っている人は、馬子を雇う。それが、"馬でも越すが"という言葉に現れている。

 ・9月25日   32.148km       372分
 ・11月4日   31.798km       339分
 ・11月11日   33.577km   375分
 ・12月25日   32.586km   354分
 ・1月2日     34.498km       375分
 ・2月3日     31.713km       341分

最大の難所が箱根峠とはいえ、雨風でも根性があれば超えることは可能だが、どうにもならないのが大井川であった。氾濫も多く「暴れ川」と言われた大井川に橋はなく、旅人は川越人足の手で渡してもらう。季節により流量も異なり、大雨の後などは「川留め」といって、渡河禁止となった。20日以上足止めされることもあって、旅人は日数、宿泊費ともにかさむ。

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ならば橋を架ければよさそうなものだが、「江戸時代、軍事的要害となる川には橋を架けさせなかった」ということもあるが、そればかりではなかったようだ。大井川は、河床が砂礫層なので当時の技術では杭を深く打ち込むことも難しく、架橋が困難で非現実的だった。そこに交通量の増加と幕府の街道整備政策が重なって、川渡しの専門の公営企業「川会所」が生まれた。

産業が皆無のこの地域において(茶栽培の発展は失職した川越し人足の開拓による明治以降である)、「川越し」は一大産業となり、人々の生活を支えた。特に大井川は、参勤交代時に多くの大名が通過するためその収入は莫大であったといわれている。そんなわけで、「川会所」の収入は年間八千両を超える、当時としては破格の巨大企業にまで成長したのだった。

国家公認の独占企業というのは、廃止しも改善も至難であった。渇水時でさえ旅人の一人渡りを禁じたり、仮橋の架橋すら認めなかった。川会所側の主張「東照宮(家康)の御意向」が、一人歩きして要害説を生み出したと勘繰られる。が、「徒渉し制度」は幕藩体制に完全に依存していたため、幕府の求心力の低下で制度は揺らぎ、大政奉還後は瞬く間に崩壊した。

現在でも架橋による漁業補償、渡し船業者への保障などは不正の温床になりやすく、当然にして既得権益あるところに、地元選出の政治家や首長が暗躍することになる。本四架橋においても、全体事業費の三割ぐらいは漁業補償に消えてしまった。小泉政権や麻生政権で文科相や国交相を歴任した前衆議院議員中山成彬は、歯に衣着せぬ物言いで日教組などと対峙した。

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彼は、「成田反対はゴネ得」という言葉を吐いたが、それが事実・現実であれ政治家が口に出す言葉ではなかった。不用意な言葉は政治家にそぐわないが、そもそも「ゴネ得」という言葉は何を意味するのかの明確な定義はない。中山大臣も意味を説明していないが、「ゴネ得」とは「ごねる」と「得する」の連結造語。これを裏側から読むと「ごねれば、得する」という意味になる。

「ゴネ得」名人は子どもである。特に幼児が親に何かをねだる時に「ごねる」の効果は大きい。辺り構わず、「ワアーワアー、ギャーギャー」泣き叫ぶ。親は周囲に対しみっともないから子ども言うのことをきく。子どもは勝利によって味をしめ、「ごねる」を身につける。子どもの「ごねる」の対処法は、放っとらかしてその場を立ち去ることだ。子どもは親がいなくなるとさらに泣く。

「ゴネ」て泣きが、不安で恐いからの泣くにシフト。「ゴネ」る子どもに親は無視して消え、店員に迷子として確保されるまで放っておく勇気が必要。店内放送で呼び出され、子どものところに行ったときの子どもの安堵した顔は躾の勝利。躾は中途半端では効果がない。それが最善と判断したら徹底し、体を張ってやる。「ゴネ」が通用しないと感じた子どもは二度と「ゴネ」ない。

こういう力強い母親は今の時代には望めないが、父親ならできる。別に迷子になったからって死ぬわけではない。誘拐されることもない。「迷子」になった不安は子どもにとって最大である。だから効果が大きく、効果のない事はいくらやってもダメだ。母親の甘さ、心配症、不安はわかるが、教育効果を望むなら、そんな不安は取るに足りないものだと認識すべし。

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「もっと遊ぶ~」と、公園で親に従わない子どもはよく見る光景だが、置きっぱなしてさっさと帰ると子どもは泣く。泣いてわがままを通そうとする。だから無視するのが親の勝利。子どもから駆けてくるまで頑張れば勝ち。親を奴隷に従えるのではなく、親は自分の確実たる保護者であるという危機管理意識を植え付けるために親は頑張る。強く逞しい子を望むなら。

自分の我欲を捨てれば、子育ての大事な部分が見えてくる。それを捨てて客観的に対処すればいい躾ができるはずだ。「親バカでして…」などの都合のいい言葉は虫唾が走る。オヤジは怖いものであれ。地震・カミナリ・火事、同様に。それらの自然災害は無慈悲であるが、オヤジの怖さは慈悲である。父の慈悲、男の慈悲とは、先を見越した慈悲であって、「今でしょ!」ではない。

昔の父も決して子どもに嫌われたいなど思っていなかったろう。が、子どもに好かれたい、子どもに嫌われたくないより、優先するものがあったはずだ。昔にあったものは今でもあるはずだが、毅然とできない以上、そこに目が行かない。あるいは、妻の顔色を伺う、妻に遠慮して、男の真価を発揮できない。できないではなく、しようとしない。すれば喧嘩になるだろうから…。

子どもの教育を母親主体で牛耳った家庭が多い昨今で、そんなへタレ亭主なら、今さら権威を与えても無理であろう。それなら母親が子どもに理知で接していけばいいし、そのためには子どもを取り囲む上での間違いを発見することだ。手をかけ、甘やかせるのは5歳まで、その時期を過ぎても子どもに同じに接していいはずがなく、改めなければ育児崩壊の可能性は大。

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人間は動物と違って、正しい育児が分らない、行えない「変種」な動物。だから育児に失敗するわけだが、どこの国でも共通するのは、高度経済成長と育児崩壊がセットになって起こっている。韓国・中国でも日本と同じような轍を踏んでいる。育児崩壊が恐いのは、後の人間形成が崩壊することにある。「正しい育児」が分らないのに、「誤った育児」が判るはずがない。

指摘してくれる人もいない。確実なことは、物体の歪みが無理な力をかけることで起きるように、人間形成の歪みも無理な圧力をかけることで起こる。よって、子どもに無理な力をかけないように配慮すればいいが、高度経済成長により文明時代の子どもの精神疾患や異常を正す「人間形成医学」を知るはずもなく、失敗に気づいたとしても、失敗から抜け出すのは困難を極める。

登校拒否になった以上、無理に学校に行かせるべきでないが、幼少時期から我が子が登校拒否になるなど、どの親も想像だにしない。登校拒否になるような子どもは、どのように育てられた結末なのか、についての文献や調査結果を目にすることが大事では?登校拒否児にならないための教育をあえてする親はないが、登校拒否にならない教育はある。

やはり、強く逞しく育てることが大事かと。子育ては親の質に左右されるから、せめて文献などに目を通し、親は自ら質を高める努力をする。幼少時期における人間の能力獲得の基本は、①子どもが親を真似て能力を身につける。②親といっしょに行動して、体験を身につける。③親に教えられて能力を身につける。言葉を介して能力を身につける事は幼児期に不向きである。

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言葉ナシで動物は子どもに教えるように…。子どもにとっての最大の矛盾は、親ができないことを子どもに要求することだが、その意味、意義、価値を子どもが自覚すれば問題はない。見つけられないかぎり親に批判的になる。となると親は、その子がそうであるか、どうであるかを的確に判断すべき。父親の基本は、自分ができないことを子どもに要求しない。

母親の基本は子どもに漠然とした夢を託す。よって子どもに対する要求の拡大が顕著となる。父親と母親で子どもを育てる生物は、すべてにおいて父と母の役割が分担されているように、人間も同様でそれぞれに役割がある。母が父の役割を否定し、母の役割を否定する父もいる。それが子どもに大きく影響する。現代はこういう家庭が多くなったように感ずる。

何もしない夫への悪口が多いのは当然にしても、そうなった理由が、「私の子どもに触れないで!」というものがなかったか?「もう子どものことに口出ししない、お前が好きにやれよ」となってしまったと意固地になった夫は、母親の過保護に批判的だったようだ。さまざまなリスクやストレスを与えて、子どもの自己解決を試したい男にとって、過保護などは目も当てられない。


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