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Channel: 死ぬまで生きよう!
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学習塾の存在意義と目的 ③

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世の親は幸せの方程式が如く、「勉強、勉強(学力)」と口うるさい。錦織や松山やイチローやボルトがアスリートとはいえ、自身の専門のみで力を発揮するように、「学力」は頭のいい人間の一つの分野でしかない。現在自分は、公民館で2人の小学生と将棋をしながら様々な会話をし、いろいろなことを感じとっている。一人は2年生、一人は5年生。2年生の子はいつも両親と来る。

母は奥まった席に座って、なにやら添削のようなことをしている。おそらく教師かもしれない。父親は子どもの対局中に、席に近づいたり離れたり気を使いながら見守っているのが分かる。付きっ切りだと子どもが意識して力が出せないとでも思っているようだ。2年生にしてかなりの自己中心性格で、親が甘やかせて、気を使いながら大事に育てているのがよく分かる。

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5年生の子は割りと遠くからいつも一人で来る。聞けば親とクルマで来て約2時間後に親が迎えに来るという。棋力は2年生の子が圧倒するが、5年生の子は学業成績を自慢風に話す。現在、塾は公文教室のみで、中学受験はしないという。理由は分らないが、彼の居住地は都心から不便で私立中に通うのは大変であろう。公文の進度はかなり進んでいる。

英語も高校程度、数学も因数分解は終ったと言うから、高校生レベルに間近い。公式を覚える数学は簡単といい、漢字や意味調べの国語は好きでないというから、頭は理数系のようだ。1学年1クラスしかない小規模校だが、成績はクラスでトップらしいことを述べている。分厚いメガネの一見して秀才君という感じで、口数も少なく真面目で物怖じする大人しい子。

自分が親なら、どんなに秀才であってもこういう感じの子は好みにあわず、もっと早い時期からいろいろけしかけ、やんちゃ坊主に矯正したいと、そんな風に思いながら彼と接している。秀才タイプは大人しく控えめなのが多く、中高生でも魅力を感じない。控え目でおっとりより、度胸と行動力がある男の方が社会でモノをいう。ひ弱な秀才は学者なら問題ないのだろう。

それをひっくるめてアスリートは運動能力が凄いというのは違っている。あくまで自身の専門分野において凄いのである。同じように、学力が秀逸な彼は一般的に頭がいいといわれるだろう。それが世間の「頭のいい」尺度である。頭の良し悪しは学力分野だけではないのに、なぜか学力に限定して「頭がいい」という。自分はこの子を頭がいいとは感じない。

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勉強ができる子という見かたをする。計算の速いコンピュータを頭がいいというか?世界屈指の実力の囲碁棋士とコンピュータの五番勝負で、棋士が1勝4敗で敗退した。棋士のショックはいうまでもないが、棋士を含めた誰も、4勝したコンピュータを「頭がいい」とは言わない。人間の能力以上の計算能力を発揮するも、コンピュータは機械であって人格がない。

学力が秀逸な人間を学力の部分では認めるが、彼らが社会の様々な場面・局面で有用な能力や才を発揮し、収穫を上げることができるのかは疑問である。つまり、頭の良さは多岐に渡るもので、東大出が優れた才知で企業戦略ができるという事もない。学力と実務能力は別の問題である。常々「頭の良さ」とは、答えなき問題に明解を出せる人間と考えている。

その場の現実に直面、対峙するとは、過去問を沢山解いて試験に備えるというような、システマティックなものではなく、相手の腹を読むとか、コミュニケーションがもたらす和やかな雰囲気とか、覇権の奪い合いといったその場の駆け引きやがものを言う。その人の知識、経験、洞察力、想像力、観察力など、技術と人間性が瞬時に絡み、溶け合う必要がある。

コンピュータは高い計算能力で瞬時に解答を提示するが、想定外の対応をされた場合、バグを起こして混乱・自滅するようだ。囲碁の5番勝負におけるコンピュータの1敗は、斯くの状況であったらしい。この点は人間の柔軟な知略といえなくもない。「頭の良い」人間の実例として、アラン・ケイの功績があげられる。彼はアメリカ人で1940年生まれの75歳。

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「パーソナルコンピュータの父」の異名があるケイは、幼少期からクイズ番組で神童ぶりを発揮したが、3歳から文章を読むなど才能を見せていた。彼はこのように言う。「私は幸か不幸か、3歳のときに流暢に読めるようになっていた。だから1年生のころにはたぶん150冊ぐらいの本を読んでいた。そして、私はすでに先生が嘘を言っていることを知っていた」。

高校、大学は反抗的態度をとったことで退学となり、ロックバンドでギターを弾いていた。彼は21歳で空軍に入ったが、コンピュータの適正試験で「天才的」スコアを出して合格。あまりに優秀につき、軍の援助でコロラド大学で学ぶ機会を得た。1966年にユタ大学大学院に入り、1968年、パーソナルコンピュータを先取りした「ダイナブック」のコンセプトを発表。

1972年にゼロックスのパロアルト研究所に入り、研究員の傍らパソコンの原型となる「アルト」を開発した。それを見たアップルコンピュータのスティーブ・ジョブズがいたく感動し、マッキントッシュのデザインはアルトの直接的な影響を受けてできあがった。多くの人間が「できるわけない、彼は頭がイカれている」と見向きもしなかったパソコンである。

ケイは来日時の講演で、未来を発明する際、「新しいものの見方」がいかに大切かを熱っぽく語った。彼の有名な言葉に、「Point of view is worth 80 IQ points.(ものの見方はIQ80ポイント分に匹敵する)」というのがある。「単に賢いだけでは、なにもなし遂げられない」。知能が高くても、「普通の考え方」をしている限り、普通のことしか思いつかない。

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だからだめなんだ、と。ケイに言わせれば、大人になるということは普通に考える癖をつけてしまうこと。そのプロセスは、学校に入るところから既に始まっているといえる。ケイは自身の体験からこのような理念を持っている。「子どもの教育には二つの条件だけ揃えばいい。一つは字が読めるようにすること。もう一つは話のわかる大人がそばにいること。」

話の分らない大人や、画一的な価値観を押し付ける大人は、子どもにとって大いなる障害である。大概の親は、勉強して頭がよくなって、いい学校に行って、いい会社に入って、それで食いっぱぐれがないし、それが幸せの方程式だと思っている。子どもは何も言わないで放っておくと、勉強もしないでゲームばかりで遊ぶだけだ。それなら早くから塾に押し込めば安心だと。

彼がゼロックス・パロアルト研究所で、6年をかけて現代のパソコンの原型となるアルトを開発。そのとき彼は、「子どもの感覚」を重視した。彼は、子どもが大人よりも「革新」に近いところにいることを知っていた。「大人は新しいもの、新しい考え方をとりあえず拒絶する傾向があるが子どもはそうじゃない。今迄見たこともないようなものも受け入れる力がある。

子どもたちの要求は容赦ない。「もっと早く」、「もっと綺麗に」、「もっと自由に」、「もっと、もっと…」それについていくだけの技術を開発していくほうが、大人の「常識をわきまえた」要求に応えるよりも技術者にとっては、エキサイティングな研究だった。皮肉にもケイの意見が正しいことを、彼らの研究に出資したゼロックスが身をもって示した。

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同社はケイの開発したパソコンでなく、周辺機器として開発したレーザープリンターだけを商品化した。そのことで、5~6兆ドルの市場を失った。パソコンは当時、大人たちの感覚では「新しすぎた」ものだった。大発明や大発見は誰にでもできるものではないが、可能性は天才や超人でなくても誰にもある。それこそがケイの言う「Point of View(物の見方)」である。

ケイの言葉、「賢いだけでは何もできない」は、実際そのとおり。何かをするでなくとも、最高学府を出たと自慢するくらいはできるから、そうさせてやればいいのだが、自慢は自信なき人間の常套句である。親に牛耳られ、勉強が最高の幸せなどと不自由を強いられていた子どもが、ある日突然、何かのきっかけで自由に開眼したというケースは数多く耳にした。


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