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「女を口説けぬ奴に昇進はない」

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これはソニー創業者の一人盛田昭夫の言葉であり、先人から後人へのプレゼンであろう。「女」という生々しい言葉は企業人にとっての比喩であり、半面現実的な言葉でもある。「女」を「商談相手」、「消費者」、「販売店」に置き換えてみれば、女性を口説くもビジネストークも、説得という点で同じ事。女を口説けない奴が、「女を口説けなくても仕事はできる」と反論する。

結構なことだが、人を説得する話術、交渉術があるなら、逆に女も口説けるのでは?ところがこの分野は"逆もまた真"とならず、それが「女を口説けなくても仕事はできる」に現れている。ナンパが苦手人間の負け惜しみとも取れる。ビジネスマンであれ、そこいらの男であれ、"女を口説かなければいけない"ことはないが、口説けて困ったことなど一度もない。

「ある」は「ない」に勝る。知識をひけらかす必要はないが、知識ある者はない者に勝る。原体験の多い者は少なき者に勝る。お金のある者はない者に勝る。などは、どれも一面だけの指摘で、何かができたからといえ、すべてができる事はない。したがって、何かができて、その事を自慢する人間はケツの穴の小さい人間だ。小さきケツの穴から大物(ウンコ)は出ない。

そういう意味かどうかは知らないが、ケツの穴の小さい人間は総じて小物である。知識や経験、お金がなくとも困らないのはそのとおり。「ない」はどの程度ないのか、どの程度あれば「ある」なのかの定義はない。ようするに、ないならないなりに楽しく生きていけばいいし、あればあったで、どちらも楽しく生きていける。問題は「ある」、「なし」よりも生き方であろう。

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お金がない分際で、金持ちのように生きたいなら不満がでよう。知識欲のない人間が知識があればいい、ある奴が羨ましいと思うなら、さっさとそれをすればいい。そういう人間にとっては努力を要するが、楽しみながら知識を得るような人間にとっては、知識習得など一種の遊びで、努力などとは到底思っていない。自分は今、ウォーキングをやっている。

月平均400kmを歩くが、「頑張っている」とは思わない、努力とも思わないのは好きでやっているからで、やりたくてやらない人間は「凄い」という。やる側にとっては凄くもなくて、道と足があるから歩いている。東大入学者を周囲は「凄い」というが、入った本人は「凄い」ことをやったと思ってはいない。まあ、「自分は凄い」と思うようではダメな人間であろう。

「ダメ」とは、「入学することが目的」と、「入学は目的を叶えるための手段」という人間の差との意味だ。つまり、東大をゴールとする人間はダメとした。まあ、自分の「ダメ」であって、当人が「凄い」ことをなし得たと思うのは構わない。女を口説くのは(必要な)手段、ウォーキングも何かの手段であり、そのこと自体が目的ではない。だから「凄い」などと思わない。

イチローや松井のように自らを高みに置く人間は、他人の「凄い」の評価に動じることはないし、賛辞の言葉にも他人事のような言葉を述べていた。それが彼らを高みへ至らしめるための手段である。話を戻すが、盛田の言葉を真に受ける者と、比喩としての広い視点で思考する者と、同じ人間でもそれぞれ振幅が違うが、盛田の真意はこういうことだ。

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クライアント向けのプレゼンや、大事な商談は誰もが緊張する。成功させたいなら尚更で、意気込むほどに人間は緊張する。だから失敗の経験を持つものは多い。しかし、プレゼンや商談をしっかり決めれば仕事は前に進むし、当然ながら人物評価は上がり、給料も上がる。重要なプレゼンや商談は、会社の利益に直結するし、ビジネスにおいて最重要ポイントとなる。

仕事の基盤となるのは何か?まずは、身振り手振りも交えたコミュニケーションである。人間は言葉の動物で、言葉を生かすための身振り、手振りは、欧米人なら当たり前に身につける表現手段で、それを総称してコミュニケーション術という。思うに、身振り手振りは教えるものでもなく、教えて身につくものでもない。アレは自然発生するものではないかと。

大学の社会学部コミュニケーション学科に、body language(身振り・手振り)の講座はあろう。が、こういうものを教わらなければ身につかない人間は、コミュニケーション能力の弱い人間であろう。ないから身につけるというのは分からなくもないが、身振り・手振りは何かを伝えたいとの強い気持ちから生まれるものだ。よって、教える前の意思の問題である。

世の中には、教えないものを身につけている人間がいる。年端もいかぬ少女が、ド演歌を情感込めて歌うのを聴くと、「あんな色艶をどうやって身につけたんだ?」と、不思議に思う。さまざまな分野でそういうことはあり、束ねて「才能」もしくは、「生まれ備わった感性」という言い方をする。盛田が女にもてたかどうかは知らぬが、彼が真面目であるのは伝わっている。

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銀座のクラブで女性を口説きまくったというより、仕事に一身を捧げた人に見える。その盛田のコミュニケーション術の極意とは、「(商談相手を)恋愛対象だと思い、口説くつもりで話をする」と述べている。初対面の人でも30分話すだけで、相手に"また会いたい"、"話を聞きたい"と思わせる話術こそが、「世界中にソニーが進出できた強みであった」、と語っていた。

自信に裏付けられた自負であろう。女を口説くときに原稿を持って臨むバカはいない。本当の心の想いを伝えたいなら、面と向かって自らの思いを伝えることだ。そういった真心が伝わり、相手もそれに順応する。これは「説得する話術」というより、「(相手が)納得する話術」と上位にランク付けて場数を踏んだ。本に書いてあるマニュアルなど読む気も起こらない。

著者が自分に合った方法を述べているだけに過ぎず、性格の異なる他人が真似をする意味はない。自分に合ったもの、オリジナルティーが大事で、そんなものは自分が自分が見つける以外にない。さらにいえば、それらを見つけ、習得するために大事なことは、ピッチャーの投げ込みやバッターの素振りを見ても、頭で覚えるより、体に沁み込ませること。

量をこなす、場数を踏むこと。対象の性格、指向性、価値観が違うように、バカの一つ覚えが通用するはずがない。対象に合わせた最善の話し方は、場数を踏む以外に身につかない。それが自信となる。膨大な過去問を解いておけば、どんな問題に対応できる自信がつくようにだ。が、過去問習得は悲しいかなマニュアルで、あれを勉強というなら、学力とは「受験学力」を言う。

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受験学力の本質とは、パターン化されたテストの研究を(予備校などが)し、それを金を取って学生に売る。創造性もなにもない無益な作業を強いられる。生徒の学力を伸ばしてテストを受けさせるという本来の勉強は陰を潜め、テスト研究で得たテクニックを学力と称し、テスト対策を予備校が担う。短絡的だが現在の受験制度においては効果的で、これを受験学力という。

つまり学力とは、テスト研究、テスト対策を模した能力に過ぎない。テストが形式に縛られているのは受験産業従事者なら誰でも知っている。それを生徒に悶々とやらせるわけだが、こういう作業を強いられる人間は、どこかが歪んでいても不思議でないし、ならないに越したことはない。そのためには、大学を受かったら無用の受験学力などはすべて忘れること。

オカシな話しよ、忘れるために膨大な勉強を、わざわざ金を出してする何ともバカげた受験システムである。忘れるためにする勉強が勉強といえるのか?国家行政の中枢を担う人間もそこに気づきながら、受験改革諮問会議のメンバーが大学教授なら、大学の存在を貶めるような改革はない。塾など一掃し、無試験入学で何が困るといえば数兆円の受験産業だ。

引退したテレビショッピングの勇、「ジャパネットたかた」の高田明社長もあることを実践している。それが何かは社長の次の言葉にある。「女性を口説くときと同じトーン、魅力的でしょ?といった眼で商品を紹介すると、主婦たちの心に刺さり、購買意欲が高まる」。彼はそのことを経験で突き止め、それを意識して実践した。カメラの前の聴衆の存在を意識して成功はなかった。

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目の前には自分が口説く、「ただ一人の女」を想定し、その事で相手が揺さぶられるかどうかが重要であった。本田技研創業者、本田宗一郎は多くの企業経営者の中でも、最も愛され親しまれたカリスマリーダーである。彼もこういう言葉を置いている。「芸術でも技術でも、いい仕事をするには、女のこと想像できないとダメなんじゃないかな」。注釈はないが、この比喩が意味するものは何か?

思うに男にとって、「女は美の極致、必要性の最たるもの」と考えられる。男が女性の裸体を描く衝動が物語る。盛田、本田、高田ら、社会に大きなインパクトを残す偉人、企業人達に共通して言えるのは、たった一人の好きな女を揺さぶる事にいかに頭を使っていたか。物怖じせずに相手に立ち向かい、いつの間にかリードする側に…、ナンパや商談の奥儀である。


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