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Channel: 死ぬまで生きよう!
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Uの近況

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Uは死んだ。1月31日の23時30分頃である。Uはもうこの世にはいないし、死んで近況もないだろう。いや、そうではない。Uがいなくなっても、Uの遺族である妻がUが残したアレやコレやを、Uになり代わって整理に大わらわである。生前は知らされていなかった借金発覚、その返済を取り継がねばならない。3月6日には、少し早めの49日をとりおこなった。

Uには40歳になる一人息子が現在鳥取県米子市に家庭を持っている。3月11日にU宅に自前のカレーを持参で伺った。妻のMさんは、Uの死後に知ることになった借金を返済することになるが、保険ナシ、預貯金ゼロでは多難であろう。父親の保証人分、友人の保証人分はUの個人的借金でないだけに妻もやるせない。10年前から返済に追われるUの苦悩が伺われる。

築33年の一戸建住宅のローン残債は、強制加入の生命保険で相殺となる。後はUから妻に名義変更が必要だ。現在自宅は、金銭債権(借金)の執行保全のため仮差押えとなっている。仮差押えは一般的には債権取立て訴訟後に、裁判所が認めるものだが、裁判を起こす余裕がないほどの緊急性がある場合に、臨時の手段として裁判所の許可を得てに相手の財産を一時凍結する。

家庭のある身で、個人的な人間関係の保証人になるのは、絶対に止めた方がいい。債務者は連帯保証人があるのをいいことに、債務完済の努力をしない。連帯保証人が肩代わりすることになれば家族に迷惑がかかる。頑張って払っていた矢先の突然死であった。Uも死ぬなど思ってはないが、思っていなくても死は突然に訪れる。それで一切の負債が妻子にのしかかる。

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死ぬ者も辛いが、残された者も大変である。妻子が債権放棄をすれば借金は逃れられるが、唯一の資産である土地家屋も手放さなければならない。「私に仕事を残して死ぬなんてズルいよね~」と、妻のMさんは笑い混じりにいったが、少しづつ片をつけていかねばならない。彼女は今まさに、盆と正月が一度に来たような忙しさだが、重要案件から一つづつ解決の最中である。

Uは簡単に死んでいい場合ではなかったが、そんな事情や状況を考慮に入れることなく、死は突然襲ってくる。なんとも無慈悲な奴だこと。まあ、死なないだろうと誰でも思っているが、こればかりは予定が立たない。死んだUに何を言っても無意味だが、人に言われることのないようにするのがなによりだ。生前にアレコレいっても人はなかなか人の言葉を耳にいれない。

だからやっぱり死んだ後に、「バカヤロー!」と言うしかないのだ。「大丈夫、お金は天下の回りものよ」と、Mさんは笑顔で言うが、実際文句のやり場もないのである。生前Uに何かを言えば、辛そうにするから忍びなかったという。確かに言われる方も辛いだろうし、どうせ言っても聞かないのなら、それこそまったく耳に入らない死んだ後に言うのも同じことだ。

困っている者の保証人になるということは、困っている人間を助けることになるのだろうか?しかし、困ってる人間を助けることで、自分が困ることになってもいいのか?いい訳ないが、仕方がないということだろう。人を助けてやりたい一心のとき、自分が困ることを誰も考えないから、保証人になる。つまり、人の保証人になるとき、なる者は困っていないときである。

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奥さんはある事例を教えてくれた。「Uが保証人になって苦しんでいるときに、Uの事情をよく知っている、Uがもっとも親しいと感じた少年野球のコーチ仲間に、保証人を頼んだという。すると相手は、「君は人の保証人になって苦しんでいる身で、それなのになぜ人を保証人に依頼するのか?それって間違ってないか?」と言われたという。言った人は間違っていない。

このように言われてUはショックだったとMさんは言っていた。言ってることは真っ当だが、違う断り方のほうがナイーブなUには良かった。困った人を助けたい、しかし自分が困ったときに、誰かが助けてくれるのか?多くの場合は「No!」である。が、Uのように他人の不幸を看過できない人間は、自分が困っているとき、誰かが手を伸ばしてくれると思うのだろう。

神を信ずる者は、困ったときに神にあやかろうとする。が、無神論者は自力で乗り切ろうとする。普段は神など信じてもいないのに、「困ったときの神頼み」をする者もいる。そんな風に人間は神のつくった最大の矛盾である。その矛盾にもっとも激しく引き裂かれることこそ、人間の存在証明であろう。自分が人間であることの証明は、常に二つに引き裂かれることにある。

Uが友人の保証人になったときのことを考えて見た。困った友人に心を動かされたのであろう。自己犠牲精神と言うより、まさか債務が我が身に降りかかると思わなかったはずだ。我が身に降りかかる(であろう)債務を怖れたら、保証人になどならないはずだ。万が一というリスクは考えただろうが、「いいや、そんなことにはならない。皆は保証人になるのを怖れすぎている」

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Uはそう考えたかも知れない。保証人が債務を履行する立場というより、そういう人間を用意してやれば友人は資金を調達できるのだ。ならば彼を信じて保証人として名を連ねてやろう。そのように考えたのではないか。自分の気持ちによって動く人間は、物事を解決できない人間である。その気持ちがどんなに人間的なものであったとしても、自分の気持ちで動く人間は甘い。

問題を解決するということは、自分の気持ちを押さえるということ。たとえそれがどんなに人間的な感情であっても、それを抑えることが問題を解決することになる。まさにリーダーがこうでなければいけないのがよく分かるし、リーダーとは、「No!」がいえなければその資質にあらず。情に負けると策を誤ったりするし、常に冷静、冷徹な判断が求められる。

Uとは高校の同窓生だから、彼の社会での仕事振りを知る術はない。そんなことを知る必要もないのかも知れない。クラス会や同窓会での話題とは、共に学び共に遊んだあの時が楽しいのであって、社会に出た後の事などは、互いにとっても知らないこと。そんな話のどこが面白い。昔はこうだったああだったなど、利害抜きの罪なき話は何百回しても楽しき哉。

U宅を訪ね、Mさんと二人で自前のカレーを食べながら昔話に花が咲く。枯れ木に花の賑わいではないが、初めて会って50年以上の二人が、爺婆気分など一掃して当時の気分で話す。人は誰も未来を生きるが、希望に満ちた過去があったのは紛れもない。誰も未来を覗くことはできないが、過去に立ち戻ることはでき、それが楽しい。MさんがUのアルバムを出し、見せてくれた。

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Uと二人でクルマで旅行した写真があった。クルマには「日本列島 縦断!!」、「DISCOVER JAPAN」、「後援 NHK 日本テレビ」などと落書きしまくった。「本当に画いていいんか?」、「いいよ、好きに書いてくれよ」と、Uの言葉通り、好き放題に画いた。水性ペンキなので雨にたたられ文字は薄くなったが、あれもこれも若さと言う自己顕示欲である。

Uのアルバムには「感傷旅行」とあった。センチメンタル・ジャーニーである。そういえばこの計画は彼から持ちかけられたが、アルバムの注釈からして、失恋かなにかがあったと推察する。一途なUからして、おそらくMさんのことであろう。広島を出発し、北に向かい、因幡の白うさぎ伝説の白兎海岸から鳥取砂丘に、そこから日本海沿いに東に向かい、天の橋立から能登半島をぐるり。

南下して紀州へ。三重の尾鷲で自分の友人宅を尋ね、3人で銭湯に…。そこから本州最南端の潮岬を経て大阪に北上し、国道2号(山陽道)を兵庫⇒岡山、そして広島に戻るというルート。これで日本縦断とは威勢がいい。二人が何を話したかなどは何ひとつ覚えてはないが、ありきたりの日常会話など誰も覚えてはない…。が、彼はMとの苦悩があった。共に19歳の夏だった。

これが自分の頭の中の彼の近況である。思い出すことのないいろいろなことを彼の死によって思い出す。彼は死んだが、言い方を変えれば、この世の約束事に従って生きた。不慮の事故や、事件の被害で命を落とす者もいるなら、それに比べて病死はすべての人間に与えられた最終的な約束事である。この世の約束事によって生きたことは人間として幸せであろう。

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すべての人間は、その大小・多少はあっても、この世の約束事のなかで、自分の望むものを手にすることができる。Uは事業欲の強い男で、色々会社を立ち上げもした。人生の最晩年期に負債を抱えて苦労を強いられることになったが、彼の人生の失敗とは思わない。成功と失敗という現象はまったく逆であっても、二つの主人公の求めたものは間違いなく同じであった。

Uは何を求めていたのだろうか。そして、何を失ったのだろうか。失いたくない物を得たかったのだろうか。それとも、得たいものを失ったのだろうか。自分に置き換えてみるに、自分が失いたくないものは何だろう。失いたくないものはそんなに多いとは思わぬが、もっとも失いたくないものは命である。だから死ぬまでは絶対に生きるし、だから「死ぬまで生きよう」と…、

ささやかな号令である。死が身近にせまったときに人は慟哭する。さまざまな人の終焉に触れた。それらから得た結論は、「何ものをも失うことを恐れぬ人間でありたい」である。人間は失うものを得たいという願望がある。が、失うものを失うのは、失うものを得たいという矛盾から逃れられない。が、一切から自分を自由にしたいなら、やはり、失うべきものは失うべきであろう。

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人間は自分の環境や過去の制約から物事を考える。幸福に暮らす人が離婚など考えられないという。腹の底ではおそらく離婚を卑下しているはずだ。子どもがいて離婚するなど、あまりに身勝手などと言い放つ。幸せ満載の人の立場からは当然の発想だ。離婚は身勝手であり、悪であると縛られる前に、実際問題、離婚のない結婚は地獄である。そこに考えが及ばないだけ。

お金のことで苦労したUが、何かにつけて世の中のことを、お金という観点から考えていたとMさんはいった。旅行したり、生活を楽しむよりも、ただ一生懸命に働くことが自分の使命といっていたという。お金で苦しんだUからすればそのようになってしかり。しかし、彼に伝えたかったことは、そうした過去や現在の、置かれている状況から自分を自由にしたら?である。

幸いにして、Uの妻であるMさんは、「こんな状況だけど、なるようにしかなりませんし、私はなるたけ人生を楽しみたいです」と言った。感傷的になることもなく、センチメンタルに埋没することもない楽観主義のMさんには、その爪の垢、臍のゴマでもUに飲ませてやればよかった。Mさんを励まし、勇気つける必要など全然ない。だから、今日もこれから二人でランチである。

「奥さん…実は僕は以前から……」と、よろめきドラマ風に迫ったら、おそらく笑いこけるだろう?想像しただけで自分も笑える。が、シュチエーション的に面白そうな気もする。もしやるとしたら、プラカードを作っておいて、「ドッキリですよ~!」のオチがいる。さて、ランチ中に、「写メります!」。途端に下を向く。同世代女性の奥床しさ、Vサインなどあり得ん。

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