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恋は誤解で瓦解する

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恋を成就させる方法があるといった。ただし、恋の成就とは何を以ていうのか?本来「成就」とは、物事が成功するとか、達成したりとか、願い事が叶うことをいい、それに当てはめて恋の成就とは何であろうか?難しいことはさておき、恋の成就とは、付き合いが上手く行くことにする。なぜなら、付き合いが上手く行かない、楽しくない、むしろ苦しいという状況もある。

それから比べると、交際が上手くいっている状態は、日々の楽しさに満ちている。何も恋の成就を「結婚」と定義せずとも、それなりに楽しければ恋は成就していると言っていい。そこで、恋を成就させるためにはどうするのがいい?その最大のポイントは、"自分の本心が言えること"であろう。本心が言えるなら恋は上手く行く。その理由は簡単、誤解を生まない。

男女に限らず人間関係には多くの誤解が発生する。相手の気持ちが分らない、自分の気持ちも正直に伝えられないなら、誤解が生まれるのは当然である。同じ誤解といっても、いいように考える誤解、ネガティブに考える場合もある。先日発生した、福岡・予備校刺殺事件を想像するに、加害男は被害女性から好意をもたれていたと誤解していたのではないだろうか?

愛想のいい女性に対して、男が勝手に錯覚することはままる事。愛想のいい女性というのは、基本は誰に対してもそうであるから、ナイーブな男は自分に気があるのではと感じるのだ。愛想がいいのも実は良し悪しで、相手が勝手に気があると思われて困ったという女性に話を聞いた事がある。愛想がいいのは何の罪でもないが、実は罪を作っていると、女性は感じていた。

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思春期にあっては、少し親切にされただけで、それがハンカチを差し出された程度のことでも、男は好意と錯覚する。そのように感じ始めると、寝ても覚めてもその女性のことで頭が充満する。これはよくある事例である。「勝手に好意と思われて困っている」という女性の気持ちも分かる。人の感情はどうにもならないし、愛想をふりまくのも程々に、というしかない。

何事も自分で対策を講じるべきだ。とにかく自分で…。いかに思い込みとはいえ、「彼女は自分に気がある」というのが実は違った。まったく勘違いだった。こんなハズでは…。の心情も分からなくはないが、よくよく考えてみると、すべては自分の独り相撲である。そうした独り相撲の勘違いの責任は自分でとるべきことであるのは、猿にでも分かる簡単な理屈。

それを理解せず、「なんだ、この野郎!絶対に好意があると思ったから、フラれることはないと思ったから、勇気を出して告白したのに…」そういう宛てが外れた場合、ナイーブな小心男は、どうにもならない屈辱感を抱くことになる。羞恥を超えた屈辱感が、「バカにされたと思った」という言葉に現れている。今の若者はニヒルな世代で、その原因も分かっている。

20年前に大学生から耳にしたある言葉に呆れてしまった。彼はこのように言った。「好きな女がいたとしても、自分からは絶対に告白しない。相手から告白してくれるように持って行きます」ということだった。なんという姑息な男であろうかだった。どういう意味の姑息かというなら、「男らしくない」である。何でわざわざ相手から告白されるように持って行くのか?

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自分などには到底ないじれったい行為である。これが今の男か?いろいろ思考して分かったことは、今は女性から告白が行われる時代。だから、慌てずニヒルな態度であっても、そのうち女から告白してくるだろう。自分から言って断られるよりは、傷つかないで済む、という事のようである。女性が主体的にのし上がって来たことで、男がダメになってしまった。

「当たって砕けろ!」の精神こそ男。自分たちの青春期に当たり前にあった「男らしさ」の価値観は、形骸化どころか陰も形もない。「男らしさ」という言葉そのものが死語になっている。フラれた男が、返報感情で女を刺し殺すなどあってはならないし、それキンタマ持った男か?その面見せてみろ!昨今は女性からの告白は多いかも知れない。女は弱い仮面を脱いで行く。

元々気質的に強い女が、弱い仮面をかぶっていたのは社会の趨勢であり、「女のクセに」、「女だてらに」という言葉が、女性の主体性を封じ込めていたからである。それが取っぱわれ、女性が地を出したとあらば、男などはヘたれ種族である。様々なことで男が苦しみ、苦しめられるときに、「お前は男だろう?」という声が沸きあがる。そういう自分たちの世代である。

そういう問いかけがなされ、さしもの「俺は男だ!」と、自ら言い聞かせる。世間や社会や、あるいは幼少期から家庭で、学校で、「男だろう?泣くんじゃないよ」と仕込まれた世代である。ボーボワールは「女は女に生まれない、女になって行く」としたが、「男も男として生まれない。男になって行く」のだ、同じように。今の時代はそういう社会教育がなくなった。

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家庭にもない?「勉強してくれたら何もしなくていい。何でもママがしてあげるから…」という家庭もあるというが、これはもう親が子どもの勉強の奴隷である。して、「男は男に生まれない。男にもなって行かない」時代に思えてならない。男が背後から同じ年齢の女を殺す時代を憂う。告白を拒否された相手の背後から刺し殺すなど、絶対的に男が弱くなっている。

まあ、この言葉は今に言われたことではない。「戦後に強くなった女と靴下」なんて言葉は刺激的であったが、今は取り上げられることもない程に当たり前になったのだろう。とてもじゃないが、我々旧人は、我々の青春時代にしか生きてはいけない。人はその時代を生きて行くしかないし、今の若者と混じって、同じ19歳を40年の感性のままでは生きてはいけないだろう。

今の若い男に背後から、「しっかりしろよ、男だろう?」の声は届かないのか?それなくして、「俺は男だ!」という実在感は育まれぬように思う。「自分から告白しないで、相手から言わせるように仕向ける」という男の言葉は20年前なら、男はさらに退化している気もするが、見方をかえると、これを男の退化と言わず、今の男にとっては進化といえるのかも…。

団塊の世代の長男は40歳当たりと見る。昔オヤジからみて、今の40歳は男の同類として見れるか?自分の長男は32歳だが、骨のある男になるよう頑張っているのが分かるし、その向上心があることで合格だ。今の20代男は、どれだけ男なのか接点がないのでよく分からぬが、リベンジポルノ事件とも言われた三鷹の女子高生刺殺事件も、袖にされた女性への報復だった。

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こんなことで命を落とす女性がいていいのか?女が男を刺すなら分かる。我々世代の女たらしは、「お前は絶対に畳の上では死なない!」などと、半ば揶揄、半ば勲章のように言われた。自分も言われた記憶はあるが、恋の終焉をどうすべきか?「別れ上手は恋上手」である。別れの際はとにかく相手から嫌われてやること。未練を残すより新たな恋も芽生えよう。

弱い女が強い男を刺す時代であった。現代の逆転現象は、強い女が弱い男に刺されるということか。男女の強弱は逆転すれど、男と女の狭間に生じるさまざまな「誤解」は消えることはない。「相手が自分に何を望んでいるか」についての誤解、「相手は自分がどのように振舞うことを期待しているか」という誤解、「相手は自分の何に魅かれているか」についての誤解。

さらには、「相手は自分の何がいやなのか」についての誤解。それらの誤解に基づいて男も女も行動する。個人的なこと以外の大きな視点についての誤解もある。「そもそも人生に何を求め、望んでいるか」についての誤解は、相手の心の内側そのものの誤解である。人と人との関係の難しさにあって、誤解を生まぬためには、可能な限り本心で接するべきだ。

相手の本心が読めない、分らないことで誤解が起こる。恋人であれ、夫婦であれ、友人であれ、互いの誤解によってどれだけ多くの人が離別した。不幸なことである。離別した二人が三十年後に再開し、「あの時あなたはどう思っていたの?私の本当の気持ちはこうだったわ」。「そうだったのか…、ボクはてっきり君が…」というのも、ロマンである。

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過ぎ去った日々、時間は戻せないが、誤解が解かれたことで、清々しい気持ちが呼び戻される。あの時、誤解さえなければ二人の関係は続いていたとしても、それが本当によかったのかといえば、答えは藪の中であり、、想像の世界で考えるしかない。推理と実践は違うもので、やはり二人は別れて正解だったのではないか。何より現実を最善とすべきであろう…

誤解は心の底にある本当の気持ちを言わないことで起こる。本当の気持ちを言えば、相手を失うのではないかという恐怖が真実を拒む。もし、二人が本心を言えば、別れないで済んだカップルもあった。が、別れたことで生じた互いの未来である。「誤解してたんだね。誤解がなかったらずっと一緒にいれたかもね…」と、二人が夢を語るのも素敵じゃないか…



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