8月末に診断された尿路結石が、2月の末についに排石なる。医師のいう、「10mm以上は出ない!」に抗う気持ちで頑張った。それで提言は表題の、「石は医師より意志で出す」。確かに、指示通りに水を沢山飲むとか程度の生活状態では、おそらく出なかったろう。特段努力とは思わないが、前向きな気持ちで石をどんどこ下に下に落すように坂を駆け下りたりした。
それを努力というのだろうが、自分的には、「出したいなら重力を利用して落としていくしかない」という論理的な考えに基づいただけのこと。食べれば太る、食わねば痩せると同じ理屈である。尿路結石も痛いが、心筋梗塞で逝った友人には状況は聞けないけれども、あれも痛いらしい。昔は、がんも痛いと聞いたが、近年は緩和ケア体制が進んで楽になったという。
痛みを感じる病気はさまざまあって、痛みのベスト3にあげられるのが、その痛みの度合いの順序として、①くも膜下出血、②心筋梗塞、③尿路結石だそうな。①も②も経験はないが、確かに尿路結石の痛みは、今までに経験した事のない痛みであった。また、①や②は生命の危機に関係するが、尿路結石で死ぬようなことはない。が、死ぬような痛みではある。
痛みが起こる理由は、尿路につまった石が尿の排出を堰き止め、それでも腎臓はどんどん尿を生産、水腎症を引き起こす。水腎症とは、尿細管から腎盂、尿管、膀胱、尿道までのどこかで尿の流れが閉塞された状態(尿路閉塞症)をいい、とくに腎盂よりも下部の尿路閉塞によって腎盂と腎杯の拡張が生じて血流障害を起こす。この状態が続くことにより実質腎は萎縮する。
腎臓に石がある状態では痛みは起こらないが、石が尿管に落ちてきた時に痛みが生じる。痛みの治療は、単に痛みどめを処方して「自然に出るのを待ちましょう!」というのが一般的だ。石を出す効用のある薬はあることはあるが、泌尿器専門医師はその効果をあまり信用していず、「おまじない程度、飲まないよりは飲んだ方がいいかも…」程度の処方のようだ。
裏ワザ的には、前立腺肥大症に使用する薬を処方すると、尿管が拡がり石が出やすくはなるが、保険診療では適応疾患とされていない。よって医師は、「石が出るようにいっぱい水分を摂ってください!」という言葉を添えるしかない。今回は、前回(6年前)のような激痛は一度も起こらず、大腸がん予後検査のCT影像で偶然見つかったときは、11mmの大きさになっていた。
泌尿器科の医師の第一声は、「自然排出は見込めません。体外衝撃波結石破砕をお勧めします。」であった。「いいえ、自力で出しますから…」と言うと、「10mm以上の石が自然排出したのは聞いた事がありません」という。(「じゃかましい!出すと言ったら出すんじゃ!」)と腹で思いながらも、口では「とりあえずやってみます」と穏やかに言っておく。
それにしても、石がここまで大きくなるまでになぜ気づかなかったのか?2月のCT検査では見つからず、8月のCT検査で見つかった。見落としなのか、それとも半年間で11mmにまで石が成長したのか?単刀直入に聞いてみた。「半年前にはなかった石が急にそんなに大きくなるものですか?それとも見落としですか?」。「2月のCT画像を調べて見ましょう」と医師。
「2月の時点では腎臓内にあります。腎結石ですね。腎結石の場合、見つかっても患者さんにお知らせしない事もあるんです。特に悪さをしないし、問題は尿管に出てきたときですね。痛みも伴うし、水腎症を発症もあります」。「尿管に石が出るまで患者に知らせないなら、腎結石は病気ではないんですね」。「いえ、知らせないこともあるということです。」
「知らせないこともある」というが、知らせて悪いわけではないだろう。と、斯様に自分は思う。知らせないメリットがどこにあるのか分らないし、医師は誤魔化す言葉はいうが、間違ったことはいわないという立場のようだ。立場は分かるけれども、「今、腎臓内に10mm程度の結石が認められます」を、あえて言わない理由は、常識的に考えても解せない。
今回、これほど大きな石にも関わらず、痛みがなかったのは幸いである。尿管が広がっていたのだろうか?痛みを伴わない、自覚症状のない尿路結石は、前回の激痛を体験してるだけにありがたい。結石の長径が5ミリ以下では自然に排泄の可能性が高いとされ、手術が行われるのは、結石が自然に排出されず、閉塞や感染によって腎機能が障害されている場合。
前回は7mmの結石だが、排石まで一年数カ月を要した。今回は11mmということでもあって相当身をいれた。医師の「10mm以上の自然排石は聞いた事がない」の言葉に、「なんとしても出してやる!」ろ抗する気もあった。出た石は半年前に比べて成長し、13mmになっていた。尿管から膀胱に落ち、膀胱から尿道に出てきた感じは、痛みが増すことで分かった。
石で尿道が刺激されることで、頻尿になり、たびたび小用を足したくなるが、つまっているので出にくい。排尿の勢いを借りるために、頻尿を我慢し、多くの尿を溜めてイキム感じで出ない尿を強く出すが、苦痛と違和感が数日続いた。「つまっていやがるな、この野郎!」と、痛みと格闘の数日間。膀胱から尿道に入って約2週間くらいで排石したようだ。
いきなり、ポーンと飛び出るのだが、その時の喜び、安堵感は、出産後の妊婦の気分と想像した。思わず、石を拾い上げ、生んだ赤子を眺めるように、しげしげと石を眺める。「こんなものがお腹の中にいたんだ」という感慨と、やれやれという安堵感に、出産を重ね、そこで一言。「為せば成る、為さねば成らぬ何事も。成らぬは人の為さぬなりけり」
石を出す理由で始めたウォーキングだが、石が出てしまって、目的を失ったわけではない。ただ、跳んだり跳ねたり歩きをする必要がなくなった。全身の血流がよくなる、脳に酸素を含んだ良い血液が流れるなどの利点もあるからして、今後も続けるつもりだ。買ってまだ一度も履いていないシューズもあるし、月に400kmも歩けば潰したシューズも2足になった。
普段はあまり気にも止めないふくらはぎだが、専門家の間では、「第二の心臓」と言われているらしい。ある医師がふくらはぎに着目したのが40年前。こんな理由からだったという。腕の点滴が入りにくい患者のふくらはぎが変に冷たく、マッサージしたら点滴が入りやすくなった。同じ経験が続き、どうもふくらはぎが上半身の血行を左右していることに気づいた。
心臓から出た血液は動脈から全身に行き渡り、静脈を通って心臓に戻る。体中に新鮮な血液を届けるため、循環システムは活発なほど良い。ところが、下半身のふくらはぎ部の静脈血を、重力に逆らって心臓まで送るのは容易でない。静脈内には2~5センチおきに弁がある。下から上がってくる血液は通すが、通り抜けた血液は通さない。これは逆流を防ぐため。
心臓の鼓動や呼吸に伴う体の動きだけでは、弁を押し広げて血液を送り出すにはどうしても力不足となり、そこでふくらはぎや足の筋肉がポンプのように収縮し、血管を圧迫する作用が不可欠となる。これがふくらはぎが"第二の心臓"といわれる理由である。したがって、ふくらはぎが硬くなったり、筋肉が衰えたりすると、血液がうまく心臓に戻らない恐れがある。
専門家にいわせると、革袋に似たような、弾力性のないふくらはぎの人は腎臓が弱く、硬く膨らんで熱いと血圧が高い。また、第二の心臓ふくらはぎは、「エコノミークラス症候群」とも関係がある。エコノミークラス症候群とは、飛行機のエコノミークラスに乗った人が、到着後に急に具合が悪くなり、死亡する事故が相次いだことなどから、言われるようになる。
ワールドカップ前に、サッカー選手がこの病気を起こしたことなどで広く知られるようにもなった。この病気は長時間、同じ姿勢で座ったままでいると、脚の静脈の血が流れにくくなり、膝の裏あたりの静脈に血栓ができる事で起こる。足の静脈の血栓から、肺や血管が血栓で詰まって死ぬ人もいる。狭い所に長時間座っていることでポンプ作用が弱まるらしい。
「旅行者血栓症」や「ロングフライト症候群」などと呼ばれることもあるが、 医学的には、「深部静脈血栓症」といい、血栓が肺に運ばれ、肺の血管が詰った場合は「肺塞栓症」という。ちなみに肺塞栓症は乗り物だけに限らず、長期入院で寝たまま(下肢の骨折など)だった患者が起きあがって、やっと動けるようになった途端、肺塞栓症になることもある。
近年はかかとよりもつま先が高い靴など、ふくらはぎを鍛えるための商品もある。が、器具を使わなくてもふくらはぎは鍛えられる。オリンピック選手の強化担当を勤めた東京大学の小林寛道教授は、「ふくらはぎは健康のバロメーター。よく歩く人ほど発達している」と話す。歩くときはひざの後ろを伸ばす感覚で踏み出し、かかとから着地するとよいという。
単純で、素朴で、歩きながら様々なことを思考できるウォーキングは、電車に乗ってすぐに携帯やスマホを取り出すよりもはるかに健康的価値が高い。以前は電車内でも沈思黙考、いろいろ思考できたものだが、最近の若者はすぐにスマホである。全員が横並びで携帯をいじってる姿は異様である。思考を止めた弊害は、おそらくあると思うが…?