子どもの頃によく見た漫画「冒険ダン吉」は、漫画というより厳密には、挿絵に物語の付いた「絵物語」と呼ばれる形式である。ひょんなことから南の島の王となった勇気ある少年・ダン吉が、機転を利かして様々な敵に打ち勝っていく姿は痛快であった。未開の島における樹木や動物たち、そういった自然の素材などもユニークな発想で生かされていた。
「冒険ダン吉」は1933年(昭和8年)より大日本雄弁会講談社(現:講談社)の雑誌『少年倶楽部』にて連載が始まったが、ダン吉少年が粛々と文明社会を打ち立てていく物語は、海外領土の開拓に邁進していた当時の時代背景とマッチした。国策物語というわけではないが、原作者島田啓三は明治33年生まれの生粋の明治男である。彼にはこういうエピソードがある。
手塚治虫の回想であるが、手塚が島田のもとを訪れて自作の『新宝島』を見せ評価を求めたことがあった。島田は、「こりゃ、漫画の邪道だよ。こんな漫画がはやるようになれば大変なことになる」と評したという。島田にとって28歳年下の手塚の漫画は、あまりに遊興心に富んでふしだらに思えた。それが、「こんな漫画が流行ったら…」の危惧となった。
男子一生は、"強く、逞しく"御国を守るという大使命の時代に生きた島田にとって、父親の書類箱から宝の地図を見つけた少年が、知り合いの船長を連れ立ってその島に行こうなどは、堕落した行為にしか見えなかったろう。「少年倶楽部」に対し、「少女倶楽部」という雑誌もあった。女子の本分は、「清く、優しく、美しく」という時代を反映している。
あらゆる動物に存在する性差を取っ払おう、なくそうと躍起になっているのが人間である。アメリカの文化人類学者マーガレット・ミードは、太平洋の未開部族社会の子どもの成長に関する調査研究を行い、男女の差異(性差)には身体の大きさ、体力など生物学的違いにもとづく部分よりも、文化的、社会的につくられる部分が大きいことを発見し、指摘した。
近年ではこうした文化的、社会的に作られる男女の差異は「ジェンダー」と呼ばれるようになり、生物学的な差異(性)と区別されるようになった。ミードの研究は、性差の文化的・社会的な相対性を明らかにしたことで、男性と女性をめぐる問題をジェンダーという視点で捉えるきっかけとなる。これにフェミニストたちが乗っかってジェンダーフリーを叫び始めた。
"gender"という用語は、もともと身体的性を示す言葉であったが、ミードは「社会的・文化的性」という意味でのジェンダー研究を行った先駆者である。著書の一部はジェンダーが社会的に構築されたものであることを立証するとしてフェミニストたちから注目され、日本の社会学においても流用され続けているが、調査内容は間違いと概ね否定されている。
マーガレット・ミードの『サモアの思春期』は、当初はアメリカ文化の各方面に多大な影響を与えた。ところが、1983年、人類学者デレク・フリーマンが、その結果にイチャモンをつけたのを皮切りに多くの批判が出されることとなり、アメリカ最大の論争のひとつとなった。研究をした当時のミードは若く、サモア語も片言しかわからずに数ヶ月の現地調査であった。
ミードのフィールド調査は杜撰であり、現地人をよく知らないままに一部の女性の欺瞞を鵜呑みにしていたというフリーマンの批判は、彼の40年におよぶサモア文化調査をもとにしただけに説得力があったが、多くの人類学者はフリーマンに反論した。ミードはその後半生でアメリカでもっとも尊敬される学者であり、文化人類学の女神とまでいわれていたからだ。ミードもフリーマンもこの世を去り、論争は宙に浮いたままであるが、BBCドキュメンタリー「Margaret Mead and Samoa」(1988)では、ほぼ決着がついた内容である。というのも、サモア人自身がミードの研究を強く否定している。さらには、ミードのインフォーマント(研究者への情報提供者)だった女性すら、『サモアの思春期』を現実でないと否定している。
BBCドキュメントの第六回目にインフォーマントであった女性が、「あれは嘘だったのよ」と明言している。フリーマンの手によるミードの批判書『マーガレット・ミードとサモア』は、ミードを好意的に評価する欧米のフェミニストたちからすらも、「綿密に細部を検討・調査して作られた学術書」だと評価されている。が、フェミニストたちがこれを許すはずがない。
「性役割は社会的につくられたもの」だと主張するフェミニスト多くが、このミードの調査に基づいたものだったからだ。ミードは、コロムビア大学時代の師であったルース・ベネディクト(日本論で有名な『菊と刀』の著者)とは同性愛との関係にあったと、『マーガレット・ミードとルース・ベネディクト ふたりの恋愛が育んだ文化人類学』の著者ヒラリー・ラプスリーは書いている。
研究というものは地道にコツコツでなければならないが、結果を急ぐあまり捏造とまではいわないにしろ、杜撰なものも少なくない。研究者がなぜに凄いかは、我々の計り知れないような地道な調査や実験や、絶え間ぬ自己否定の結果から導き出されるものだからであるが、万が一にも情緒的ないかがわしい研究を発表し、後でクレームがつくのは最大の恥辱であろう。
ミード自身はその後一度もサモアを訪れることはなかったというが、その事実でさえも彼女を怪しくしてしまうのである。自身の納得行く研究成果に自信と裏づけがあれば、少々の批判など恐れるに足りない、そういった揺るがない研究こそが研究といえるのではないか。後にサモアを訪れなかったミードは、彼女自身の古傷に触れたくなかったのではと、傍目に推測させてしまう。「探究心」とは冒険の必要性もあろう。自らを顧みないくらいの冒険心なくして探究は独善的、保守的になり易い。冒険とはそういったものをかなぐり捨てて未知の領域に向かうことだ。そこではどんな失敗や恐怖が待ち構えているとは限らないが、それなくして事物は解明される事はない。西田賢司という昆虫学者がいる。人は彼を探検昆虫学者と呼ぶ。文字通り探検を惜しまないからだ。
子供の頃から虫が大好きで、虫の世界に魅了された彼は周囲からは無視。日本の学校になじめず、中学校を卒業後、15歳のときに単身アメリカに渡り、大学で生物学を専攻。卒業後、昆虫学を学びに、中米のコスタリカ大学大学院に進み、現在もコスタリカを拠点に、昆虫の生態研究などに力を注いでいる。彼がこれまでに発見した新種は500種以上にのぼっている。
この世になかったものを発見するのは物理学や医学の新発見と同様の昆虫の新種発見である。彼は2010年の「第5回モンベル・チャレンジ・アウォード」を受賞した。「モンベル・チャレンジ・アワード」は、自然を対象に、あるいは自然を舞台として、人々に希望や勇気を与え、社会に対して前向きなメッセージを伝える活動を応援する目的で2005年に創設された。
辺境・未踏の地へ、それぞれの夢を抱いて多くの人たちが冒険・探検の旅へと出かけて行く。モンベルはその目的達成をサポートするプログラムを提供するというコンセプトを元に、1978年に辰野勇によって創業された。辰野自身の趣味は、登山、クライミング、カヤック、テレマークスキーなどの冒険家でもある。やはりというか、冒険の心は探究心であろう。
昆虫で頭を過ぎるのが、「ジャポニカ学習帳」だ。1970年の発売以来、累計12億冊を販売したお馴染みのノートで、表紙にカブトムシなどの大きな写真が入っているのが特徴だった。ところが、2年前から昆虫の写真を使うのを全廃したという。きっかけは、何と、教師や親から寄せられた「気持ち悪い」という声。こんなことを言うのは母親、女性教師に決まってる。
と、決め付けてみたが男で虫嫌いもいるにはいる。これも時代の変遷なのか。「ジャポニカ学習帳」は、来年で発売45周年になるロングヒット商品。すべてが富山県にある文具メ^カー「ショウワノート」本社工場で作られ、学年や科目ごとに異なる約50種類が販売されている。商品の形に商標権を認める「立体商標」として認められるなど、抜群の知名度を誇っていた。
そんなジャポニカ学習帳の特徴の一つが表紙を飾る写真。1978年以降、カメラマンの山口進が撮影したものが使われている。「アマゾン編」、「赤道編」といった、様々なテーマがあり、山口氏は世界各地に滞在して数カ月かけて撮影してきたと言う。ところが、2012年から表紙の写真に昆虫は使われていない。理由はこんな意見が保護者から寄せられたからだ。
「娘が昆虫写真が嫌でノートを持てないと言っている」
「授業で使うとき、表紙だと閉じることもできないので困る」
保護者だけではなく、教師からも同じような声が上がったというから、呆れたもんだ。ショウワノート開発部担当は、「虫に接する機会が減ったということでしょうか」と推測する。こうした声は10年くらい前から寄せられていたそうで、件数はそれほど多くはなかったという。いろいろ思案の結果、ショウワノートは「ジャポニカ学習帳」に昆虫写真を使わないことを決定した。
「学校の授業や、家に帰ってからの宿題。お子さんがノートを使う機会は多いです。もしかしたら友達と一緒にいる時間より長いかもしれません。学校の先生もノートを集めたり、添削したりと、目に触れる機会は多いと思います。そんな商品だからこそ、一人でも嫌だと感じる人がいるのであれば止めよう、ということになりました」とノート会社は言う。
多いときはジャポニカ学習帳の半分近くを占めていたという昆虫の写真。ショウワノートにとっては苦渋の選択であったが、改版するたびに徐々に減らし、遂に2年前に姿を消した。世相を反映した対応とはいえ、表紙の珍しいカブトムシやチョウが大好きだった人からすれば、寂しく感じられるかも知れない。問題のあるナシは人によって違うから仕方がない。
Aには問題がなくてもBには問題がある。同じ事案でこのような差がでるのは、ネガティブな感性への対策が講じられないか、対策無視の感性一辺倒人間にありがちだ。対策とは「理性」である。「昆虫がいるから綺麗な花や植物が育つんだ。それを教えるのが教師はないのか?親の子どもへの教育愛ではないのか?現実に昆虫はいる、人間よりもずっと以前から。
気持ち悪くてノートが閉じられないだと?自然というものを自身の快・不快でしか捉えられない感性などは、それこそ問題であろう。などと思う親は、子どもにそのように説明し話を広げていく。それが好奇心、自然に学ぶ意識を肯定する。大体、否定者の言い分は想像できる。「子どもが怖いという、気持ち悪いという」。ま、自分からすればつまらん親だよ。
臆病で過保護な親と話をしても無駄なの分っている。過保護でいいと思うからこそそうする親に、「それじゃ~、ダメだろう?」と言って分るはずがない。触れというのではない、画像だろ?画像さえも気持ち悪いから避けようと、どんだけ情けない親に見えてしまう。気持ち悪いものは実はなんでもないよと説いて興味を抱かせたいが、環境の怖さをあらためて思い知る。
探究、探索、探検、探査、探偵、探知、それぞれの分野によって意味は違うが「探」に変わりはない。振り返ってみて自分は何か「冒険」したかな?冒険心があれば、冒険は必然だろうが、冒険心はあったのかな?荒俣宏がテレビで、「『冒険』と『探検』の違いは、帰ってくるかどうかです」と言っていたな。なるほどと思いながらも微妙な区分けとの認識だった。
「探検」に行って帰らぬ人もいるが、「冒険」とは危険を冒すと書き、「探検」は、探る・検査すると書く。荒俣はこの違いをいったのだろう。「冒険」と「探検」の正しい意味の違いは、「危険な状態になることを承知の上で,あえて行うこと」が冒険と、探検は「未知の地域に入り,実際に調べること」。この定義なら、「命の危険があるかないか」との解釈もできよう。
「冒険心」が「冒険家」を生むのだろうが、冒険家というのは文字通り危険を冒しつつもチャレンジする!できるかできないかわからないが、そういうことにチャレンジする。それを達成するかどうかというところに、自分の存在価値を見出すというのが冒険家であろう。人間は命あっての物だねだから、「冒険心」から斯くのような冒険家は特定少数である。
むか~し、『地底探検』という小説を読んだ。映画も観た。原題は、『 Journey to the Center of the Earth』で、直訳すると『地底旅行』である。「旅行」とはなんともフランクな言葉ではないか。冒険とか、探検とかでない気軽さで子どもに構えさせず、子どもを見くびらないアメリカ人らしい。ノートの昆虫ごときで躍起になる日本人が恥ずかしくなる。
「昆虫は、僕たちに自然の変化を教えてくれる一番身近な存在なんです。」と、探検昆虫学者西田賢司の言葉に頷かされる。