人は簡単に子を作ることができる。特別な技量を要することなく増殖可能である。妊娠可能な体になれば誰でも子をつくれるし、親になる事ができる。子を産むには生殖可能でありさえすればいいだけのことだし、子を産めば同時に二人の親が存在することになる。が、それを親と言えるのかはどうかは意見が分かれる。親にはなれても、親になるには能力が問題となる。
親の能力がない親はたくさんいるが、能力とは何かについて考えてみる。まず、親であるための必要な最低限の能力とは、子どもの欲求を理解し、それを喜んで満たそうとし、かつ満たせなければならない。が、その能力がない親はしばしば子どもにとって悪影響をもたらせることになる。悪影響にはさまざまあるが、悪い習慣をつけることがもっとも懸念される。
悪い習慣とは親が子どもにしつけたものだ。なのに親は子どもが悪い、よくないと思ってしまう。ここに親子の害悪という一幕が切って落とされる。子どもにしつけた悪い習慣は、子どもの悪いふるまいとなってどんどん広がっていくのは、子どもの邪悪さでもある。近代教育はルソーの「子どもの発見」を前提としているのはその通りだが、「子どもの発見」とは何をいうのか。
それはまず、子どもは大人と違った存在であるということ。ルソーは、『エミール』の冒頭にこう書いている。「すべては、創造主の手を離れるときは善であり、すべては人間の手の中で悪くなる」。ルソーは人間を本来は、「善」と考えている。そして、それを悪くするものは人為的なものとしている。ルソーは、「子どもの発見」としてまず「無垢なる子ども」を発見した。
子どもは純真無垢で弱々しい存在であり、よって大人が保護し、教育する必要があるとした。『エミール』が、「子どもの発見の書」、あるいは「子どもの福音書」と呼ばれる所以である。自分はここに子どものことをたくさん書いている。教育者でもなんでもないが、自分が親から授かったこと、自分が親として授ける側にあったことから、子どもに対する問題意識を持っている。
それも、かなり強力な問題意識である。問題意識とは、「善悪良否」も含んでいるが、主観的な善悪良否もあれば、客観的な善悪良否も持っている。これは正しい、これは間違っているという主観的な善悪判断は、人が生きていくためには不可欠だが、判断は思うだけなら、「絵に描いた餅」でしかない。人を殺した人間が、「人殺しは善」と思ってはいないが、それでも殺す。
それはなぜか?人間は善悪を規範として生きていないからであろう。普段の日常にあっては善悪の判断は出来ても、いざとなったときは善悪の判断が緩むというよりも、客観的な善が主観的に善に変わってしまうのではないか。スーパーのレジが混雑していても割り込まないで並ぶだろうし、道にゴミの投げ捨てはしない、公園は汚さないなどモラルを守って生きている。
規律を守るという事は抑制しているということ。レジが混んでいても一番前に行きたい、いちいちゴミ箱を探さなくてもポイ捨てが面倒でない、公園を汚しても誰かが掃除する、そういう邪悪な心があれども、それを自然に抑えるのが身についている人には何でもないことだ。もし、人が人を殺すとき、人を殺すのはよくないと知りつつも、自分の都合で殺ってしまう。
普段は人殺しは悪と知りつつも、殺すときは自分にとっての「善」となるのだろう。「悪と知りつつ」、「よくないと知りつつ」、それでも自分にとっての「善」とは、そいつを殺してしまうこと。こちらを優先させるのだろう。普段の「悪」が、都合よく「善」に変わるから人を殺せるのではないか。人を殺したことはないが、人が何か悪をするときに一瞬悪を飛ばす。
悪い、悪いと思ったら悪は行為しずらいから、「いいや!」となった方が悪をやりやすい。スピード違反をするときも、制限時速は守るべきと思いながらも、スピードの快感という自己の「善」が優先され、「いいや!」となってアクセルを踏む。つまり「悪」が飛んでいる。人間には善の心と悪の心が同居し、時々の都合によって善が悪の、悪が善の優位に立つ。
同じように「子どもの発見」にはもう一つの発見がある。それは子どもが大人に対する挑戦者・侵犯者としての子どもである。「子どもらしさ」という言葉には、純真無垢という特性とは別の、奔放性、逸脱、狂気性、野蛮性、残虐性といった反社会的側面もある。こうした子どもにおける「悪」の問題を示したのが、ルソーと同じフランス人のフィリップ・アリエスである。
彼の『子どもの誕生』(1960年)は、子どもと大人の一線を当然視し、学校教育制度を当然視する現代の子供観に対して疑義を呈する書物である。「子供」の概念が、ホモサピエンスとしての「ヒト」の生物学的な根拠に基づくというものでなく、歴史の中で創出されてきたものであることを論証した。中世ヨーロッパには教育という概念も、子供時代という概念もなかった、とアリエスは言う。
7~8歳になれば、徒弟修業に出され、大人と同等に扱われ、飲酒も恋愛も自由とされた。なぜ大人と子どもの一線を7~8歳に引いたのか、この時期に言語によるコミュニケーションが可能になると考えられたためとアリエスは言う。近代的な学校教育制度が現れたのは17世紀。で、当時の教育者たちは古代には存在した学校教育を倣い、「純真無垢」を理念とした。即ち「純真無垢」とは何か。
端的にいえば子どもと大人を引き離すこと、特に子どもにはセックスを禁忌にすることである。そういう考えは今の大人にもあるし、多くの大人は子ども時代に何とかセックスをしたい、どうすればできるかを考えていた。大人が禁じても表面的に従っているようにみせるものの、隙あらばと狙っていた。そういう子どもが大人になって、「子どもはセックスなんかしては遺憾」と言うのである。
大人はずいぶん前には子どもであり、子どもの欲望や願いを持っていたはずなのに、子どもを卒業して大人になると、大人の論理だけで思考する。せっかく子どもを経験しているのに、これでは何にもならないではないか。子ども時代に親からされて嫌だったことと、全く同じことを自分の子どもにするのは何故?自分は子ども時代にされて嫌だったことは、大人になってそれをしないと誓った。
つい、忘れて親のエゴ、大人の傲慢さを発揮することもあるが、すぐに気づいて反省する。自分がされたことをしないことが、自分の親に対する復讐である。それほど嫌だったことを絶対に自分の子にしないことこそ、自分の親を最大の反面教師にすることであろう。大人になっても子ども時代のことを忘れないこと。そして、ただ忘れないだけではなく実行すること。それが親への恨みを晴らすことだ。
一般的に子どもは親から受けたことを、無意識にあるいは意識的に子どもにしてしまう。これを世代間連鎖という。この連鎖には好ましい連鎖もあれば、好ましくないものもある。何故そうなるかは、子どもは無意識に親からいろいろなことを学びます。好ましいことも、好ましくないことも学んでしまいます。親からされたこと一切が、「学習」として内面化されるということ。厳格な親を持った子は厳格な親になる。
決してそれがいいと意識してやるわけではないが、その子どもにとって学習した家族モデルは、自分の家族しかないからである。だからほとんどの場合、あまり疑うこともせず、変えてみようともしない。ところが、自分は親にされたことはほとんど間違っていると思っていた。だから反抗したし、その反抗は一般的な、「甘えの範疇」というようなものではなかった。食うか、食われるかの危機感があった。
こんな傲慢で自分勝手な母親に支配されるなど死んでもなるものかと戦った。学校や社会や姻戚から、「親のいう事を聞かない子は悪い子」といわれた時代であったが、それに抗う罪悪感を抱きながらも、自分が自分でありたいために封殺した。学校や社会教育で教わる思想は、現実度外視の空虚なもので、自分は現実と対峙し、だから闘ったし、虚しいスローガンなどどうでもよかった。
そういう実体験を踏まえて思う。もし、毒親を親にもち、その親に育てられた子どもが自分が受けた好ましくない世代間連鎖に気付き、意識的に自分の子どもとの関係を改めていったら、おそらく素晴らしい結果になると思う。好ましくない世代間連鎖を自身の力で断ち切ることができるのだ。時代の変革者とは、単に勇気があったという以前に、正しいものとそうでないものを徹底的に吟味した人をいう。
好ましくない世代間連鎖の代表的なものとして、「児童虐待」、「アルコール依存症」がいわれる。この連鎖は実は家庭環境によることが多い。しかし、悪の連鎖を断ち切るなら、「今の自分がダメなのは親のせい、親がいけないのだ」、と思っているようでは連鎖は断ち切れない。親に反抗せず、"(親だから)仕方がないな"と諦め加減で受け入れてきた人は、もう一度過去を遡るしかない。
そうして、親がいかに毒の種を自分に蒔いて来たかを冷静に、客観的に思考し、見つめなおすことだ。それ以外に、毒親との世代間連鎖を断ち切る方法はない。自分のようにその都度反抗し、闘ってきた人間は過去を見つめる必要がなく、その時点で毒親の認識であったから、本当はこちらの方がいいが、性格的に親に反抗できない子どもも多い。大事なのは自分である。そのことを再考する。
誰もが親になって、「子育て」を始めるが、本当の、「子育て」とは、自分の子ども時代をもう一度生きなおすことである。特に毒親に育てられ、不遇な幼少年期・思春期を過ごした子どもは、我が子に同じような思いをさせないようにすべきではないのか?世代間連鎖というのは実に怖ろしい。大人になったかといって決して子ども時代を忘れず、自分がされて嫌だったことを我が子にしない親になるべきだ。
「いい子ども時代を生きたかった…」と思う親なればこそ、いい親になるべきだ。自分が嫌っていた毒親と自分が同じになるなんて、こんなバカげた滑稽なことはないな。自分の親を「毒親」と批判する資格もないな。批判しながら同じ事をする人間は多いこと。批判は単に非難や悪口ではない。また、他人を批判することで自らの嫉妬をさらけ出し、「自分は正しい」といい気分になる事でもない。
批判の本質は、「人の振り見て我が振り直せ」だと自分は思っている。即ち、批判を口にすればするほど自分が良くなって行くという論法だ。言い換えるなら、自分がやっていることの批判はできないはず。自分がしていながら、「願望」としての批判もあるにはあるが、「願望なら批判の前に正せよ」と指令が脳から飛んで来る。したがって、自分の場合は自分がしていること、出来ないことの批判はしない。
まあ、人間は言葉の動物だから、そうそう完璧には行かないけれども、「羞恥の極み」的な批判はみっともなさ過ぎる。「あいつは、よく人の事がいえるよな~」これが羞恥の極み的批判であろう。人間が完璧でないのはその通りだから、それなら批判にどれくらい「立ち向かえるか」の人間を目指すことか。そうであるなら、無責任ないい捨て批判は、「羞恥の極み」でなくなるであろう。
厳格で傲慢な親に育てられたある女性が言っていた。「自分が親と同じような言動をしていると、ふと気づくときがある」。「その時にどう思うんだ?」と聞いたら、「ぞっとする」と言った。「ぞっとして、その後どうするんだ?」と聞きたかったが、しつこくなるので聞くのを止めた。それ以降は彼女自身の問題だ。「ぞっとして目が覚める」か、「ぞっとしてまた続けるのか」おそらく後者であろう。
理由は、自己変革が大変なのを知っているからだ。「ぞっとした」くらいで改められるものではない。本当に自分を変えるためには壮絶な自己否定が必要になる。だから、「ぞっとした」などの他人ごと言葉で、自己変革の意気は感じられない。「自分が嫌になった」、「こんなんではいけないと感じた」と、言うような前向きの言葉がでてくるならともかくである。人間は分かってても出来ないものよ。
子ども時代に親によってどれだけ苦悩したか、辛い思いをさせられたか、などと脳裏に消せないでしまっているのに、何の問題もなかったかのように振舞うのが親である。家来が難義しているのを尻目に王様は何も気づかずいるようなものだ。支配者である王様は家来が何を考えているかを知る必要もなく、命令をすればいいだけだが、親は子どもが何を考えているかを知るべきである。
それが親としての責務であろう。印象的だったのは映画『泥の河』の最後、信雄が仲のよかった喜一と遊ばなくなり、家でごろごろの日々。見かねた母は、「喧嘩でもしたんか?」と問いただす。信雄は、「何でもない」と言うが様子がおかしい。父親は何も言葉を発することなく、信雄の心の中を覗こうとする。聞いても無駄と分かっているのか、父親(田村高広)のその秀逸な演技が忘れられない。
信雄の心には親にも誰にもいえないわだかまりは、映画の筋書きとして観客は知っているが、信雄の両親は知らない。が、息子の心を探ろうとする父親の心に観入ってしまった。子どもが清濁の社会体験からさまざまに成長していく様子を親は知ることはない。親にもいえない子どもの苦悩、それを子ども自身が処理し、解決していかねばならないものだと、この映画は知らせてくれた。
小さな船に母と喜一と姉の三人が居住し、泥の河を上ったり下ったりの生活である。汚く狭い家だが、その空気に信雄は惹かれて通うようになる。喜一の母は美しい、ゆえに男相手に汚れた仕事で生計を経てえいる。汚い船の空間に美をみつけた信雄はまた、美しい母から醜悪なものを見ることとなる。「醜は美、美もまた醜」というが、少年信雄の貴重な体験であった。