驕らず、気取らず、率直な言葉に嘘はない、橋下のような人間は友人に向いている。尊敬というと仰々しいが、日本人にあって有能さを感じる一人である。子ども時代に尊敬の対象であった松下幸之助や、野口英夫のようなカリスマ性はないが、昨今の情報化時代においてカリスマ性と言われる、希薄な情報が届かない偉人・賢人は出ないのではないか。
大阪の教育レベルの低下について問われ、橋下はこう述べている。「そんなもん学校じゃなくて自分が悪いんですよ。僕は学校で教わった勉強なんて一つもない。北野高に行かなかったとしても、大学にも司法試験にも受かっていたと思う」。弁護士時代、出身中学で講演をした橋下は真っ赤なポルシェで現れ、「努力すれば誰だってはい上がれる」と訴えた。
日本の子どもたちの学力低下についての論議は、大阪に限ったことではなく、様々な形でヒステリックな論争があった。「学力低下論者vsゆとり教育派」という構図だが、ハッキリとした決着はつかなかった。その理由として、両者間で学力の定義が違っていた。「学力低下論者」は従来の学力テスト、「ゆとり教育派」は、世界的に見て時代遅れの日本の学力観。
日本の学力は偏差値という受験学力に特化されるが、それは日本の受験制度とそれを支える教育産業の隆盛にある。親にとって大事なことは、わが子が将来、どんな高校に入り、どんな大学に入り、どんな仕事に就けるかである。そんな考えになかった自分は、「どうして親はそんなことを心配せねばならないのか?」と、不思議で仕方がなかった。
「何で気にならないんですか?」といわれたときに、「子どもは子ども。子どもがやりたいようにやって生きたらそれでいいんじゃないか?」などと答えると、「それは親として無責任ではないですか?」と叱られたこともあった。叱った人と議論はせず、すぐさま話題を変えた。が、子どもの学力を伸ばすために躍起になる親に対し、批判をすることなく眺めていた。
親の子どもへの教育的関心は上記の如きで、国家的な教育方針など興味もない。それが教育熱心な親といわれ、早い時期から子どもを塾に通わせて自己防衛に走っている。自己防衛とは自分なりの見方である。その意味は、上の発言に見られる、「(学力を向上させない親は、)親として無責任では?」の言葉。吐いた親は自己防衛に走るしかない。
ゆとり教育は、「学力低下」と結論されたが、一体誰のどの学力が低下したのか?東京教育大の刈谷剛彦教授は、1979年と1997年の2回、高校生に勉強時間を聞く調査を行い、その結果を著書、『階層化日本と教育危機』にまとめた。調査内容は、2県の11高校を対象に、普通科高校7校と専門高校4校、さらに通学区域などが変更されず、私立一貫校のない地域。
結論を言うと勉強時間の平均は、79年⇒97年で、97.1分から71.9分に減少していた。さらに「勉強しない」という生徒は、22.3%から35.4%に増えていた。他にも様々な調査の結果も見えた。一口に学力低下といっても、ハイレベルの生徒は横ばいで変わらず、下のレベルの生徒が大きく下がっていた。これは学力の低下というより、学力格差の拡大である。
また、朝食を摂る子と摂らない子の間に大きな学力差があった。同様の差は、就寝時間が遅い子と早い子の間にも認められた。食育や生活態度も学力に影響する。「百ます計算」でお馴染みの陰山英男氏は、「計算練習よりも家庭における生活習慣が大切」と繰り返し説く。『東大脳の作り方と使い方』の著者中本千晶氏も、以下の指摘をする。
「家族みんなで食卓を囲み、バランスのよい食事を子どもに摂らせることが、地方の公立高校から東大合格者を増やすための最善策」と、栄養学者の視点でいうのはいいが、「東大脳」はいただけない。まあ、ゆとりある人々にしかこういう生活は送れないのか。ここに学力格差の要因が見えてくる。とはいえ橋下徹は、母子家庭で母親が朝から晩まで働きづくめであった。
彼は、「公立エリート校」構想を掲げながらも学校そのものには過大な期待を寄せていない。裕福とはいえない環境に育った彼に当時、「私学」の選択肢はない。吹田市から大阪市東淀川区へ引っ越した小学6年当時、同じクラスだった級友は、「家の家賃が払えない。次は家賃8000円の安いところや。仕方ないわ…」と、転居の理由を聞いている。
同じ子どもであれ、どうにもならない“差”があることを橋下は幼くして知っていた。が、そうした恵まれない環境が、結果的に自らのサクセスストーリーにつながったことは、実は彼自身が一番よく分かっているはずだ。だからか、最初からすでに恵まれた存在ともいえる有名な「私学」は、彼の“美学”からして、到底受けつけられないのであろう。
母校の中学校に赤いポルシェで乗り付け、「努力すれば誰だって…」の言葉は、自慢話ではなく、「貧困と言うハンディがあっても、頑張ったらいい」と、後輩に対する彼一流のエールである。東京から大阪に移り、2度目の引っ越し先となった大阪市東淀川区での生活は、橋下自身が、「僕の人格を作ってくれたところ」と振り返るように濃密な時間だった。
「おれは逆境に強いんだよ」。橋下徹の少年期をよく知る人たちは、彼のこの言葉を何度も耳にしたという。転校を繰り返しながらも、リーダー的存在になっていく小学生時代、偏差値44では到底無理な大阪トップの府立北野高校に合格した中学生時代、さらに北野高校では、部活の厳しい練習に耐えてレギュラーを勝ち取り、46年ぶりの「花園出場」を成し遂げている。
など強靭な精神力のたまもの的エピソードの多い橋下だが、北野高時代ラグビー部顧問だった田中伸明はこう証言をする。「俊足で能力の高さは際立っていたが、まじめに練習する姿勢はなく遅刻も多かった。小さいころからコツコツ努力するのが嫌いだったんでしょう」。橋下は3年でレギュラーをつかんだが、田中は彼を別の選手に代えようとした。
怠惰な練習態度がその理由だった。「もう一度チャンスがほしい」と、追い込まれた橋下は田中に懇願し、別人のように猛練習を開始したという。「彼は逆境に強いというより、追い込まれなければやらないタイプではないか。逆に言えば本番で予想外の力を出せる人間でもあった」。その言葉通り橋下は、花園での大一番の試合で3トライの大活躍をした。
普段は野放図でありながら、尻に火がついた途端に人が変わったような動きや働きを見せる者がいるが、そういう風だから、普段はダラダラしているとの見方もできる。自分も普段はダラダラしてるし、それが何とも心地よく、自分を強いるのは大嫌いである。自分のだらけブリは吾ながら半端ではない。が、思い立ったら30kmでもためらうことなく、歩いたりする。
これは意思の問題である。普段ダラダラ、やるときもやらない、こういうのは怠け者。普段はダラダラでも、やるときは怒涛の如くやる人間は、追い込まれることが刺激となる。ツイッターなんかをちょろちょろと、一日に何回も書き込む人がいるが、アレは自分には絶対にない。クソも溜めて出す、目イッパイ空腹にしてドカ食い、風呂も基本はアカを溜めて入りたい。
不衛生でそうも行かないが、これが基本性向であるのを知っている。裏を返せば、その方が大きな満足感が得られるからだ。人生をどう楽しく生きるかにおいて、これも一つの方法である。橋下は、「逆境に強い」という言い方をしたが、かつて項羽がワザと川を背に戦った「背水の陣」と同じこと。普段がどうでも、人間はここぞと言うときに力を出せるかである。
人間の緊張感はそうそう持続するものではないし、緊張の連続はむしろストレスを生む。有能者は合理的に上手く時間を使うし、ダラダラと机の前にいても勉強の効率が上がらないこともよく知っている。睡眠も勉強も長さではなく質であろう。sexもそのようで、これは余談であるが、つい頭に浮かんだことは書く…。見渡すと、そういう事は日常に多く存在する。
それをせねばならぬとき、一体人は自分の力をどれだけだせるものだろうか?「火事場のバカ力」は一つの例えであるが、普段には想像できないような力を無意識に発揮する能力は人間にはある。人間の誰もがいつでも最大のポテンシャルを引き出せるとは限らないが、出そうと思うなら自分を追い込むのも方法である。人は往々にして諦めが早い。
誰かに何かの方法を聞かれて、助言を与えたときに、「いやいや、お前のいうようにはとても自分にはできない」と言う奴は多い。聞かれたから言っただけで、自分の言う通りにやる必要はない、自分で出来る方法を見つければいい。が、そういう言葉は本人のやる気のなさを現している。「自分には力がない」、「お前のようにはできない」は、逃げであり、諦めである。
どうしてその場で即断するのだろう?「よし、わかった」と言っても、口だけでやらない者もいるが、悪気のない社交辞令であろう。やろうと強く思ってもどうしても足が出ない、勇気が湧かない者もいる。しかし、やろうとして半歩でも踏み出すものは、そこで倒れても「逃げ」でも「諦め」でもない、実際に行為したのだ。「出来ない」と「やらない」は全く別のこと。
「自分にはできない」という言葉の多くは、「やらない」、「やりたくない」と見ていい。孔子の言葉に、「力足らざる者は中道にして廃す。今、汝は画(かぎ)れり」というのがある。これは"本当に力のないとはどういう事か"を現した言葉である。本当に力のない者は、道半ばで倒れるものだし、学問をする者は机に向かったまま息絶え、百姓はくわを持ったまま倒れる。
これこそが、「力がなかった」といえるのであって、最初から諦めて何もせず、「自分には力がない」、「能力がない」、「お前とオレは違う」などと、そんなことはすべて逃げの言葉である。人には出来ることと出来ないことがあるが、出来ないと諦めるのは、「出来ない」ではなくて、「しない」であろう。「人に出来て自分に出来ないはずがない」この気持ちが大事。
子どもが幼いときに、上の二つにワザと遭遇させてみる。「出来ない」といって逃げる子は失敗を怖がる子。なぜ、失敗を怖がるか、それは失敗を咎める親がそこにいるからだ。つまり、親が原因である。失敗を咎めないなら子どもは何も怖れない。自分で怖気づくより、誰かの目、親の怒り(悲しみ)に怖気づく。だから、強い子にするには、失敗を咎めないこと。
むしろ、失敗を奨励してやるのがいい。確かに何もしなければ失敗はないし、子どもはできるならそれを望もうとする。まだいっちょ前の自尊心が芽生える前だから、失敗を怖がるのは自尊心の問題ではないし、自分が傷つくのが怖いからではない。そういう段階、そういう時期に大事な教育がある事を親は知るべきだし、その時期を逃すと手遅れになる。
それを感じる子どもや親が多い。やらねばならぬときにやる事を逸して、姑息で、ずるく、逃げてばかりの子。それは親がそのようにさせたのだ。そういう時期には失敗よりも何もしないことを咎めるのがいい。何よりも失敗を怖れなくさせるためには、失敗はむしろ評価をした方がいい。失敗を誉めることだ。そういう親なら子どもは安心してトライする。
「何もしないで失敗もしなかった○○ちゃんより、お前の方が100倍カッコイイぞ。」そのように本心で言ってやることだ。子どもの目がキラ星に輝くであろう。この頃の子どもが、「親を哀しませたくないからいいこしてる」、などというが、その言葉を真顔で喜ぶ親は羞恥の権化ではないかと。子どもに同情されているわけだし、これはもう主客転倒である。さらにバカな親は…
ワザと子どもに同情を買うようなことを平気で言ったりする。「親を悲しませないで」、「あなたがちゃんとしないとご近所、親戚に親が笑われるのよ」、「頼むからお母さんのために頑張って!」こんな言葉を吐く親に、親の資格はない。「親なんかどうだっていい、考えるな」、「人の目もどうだっていい、考えるな」、「すべてはお前の問題だ!」と男親ならいいたい。
このように育てるべきであろう。親のために頑張らせた子どもは、一見いい子に見えるが、自分の行動原理一切が、他人の視線や意識下においてなされる子どもになり易い。教育の主体は本人のためになされるべきだが、子どもを利用した親自身の教育ならあまりにバカげている。自分が自分のために何かをすべきであって、その意識を植え付けるか、奪うか親にかかっている。
自分のことは、自らに問いただす勇気とねばりと強さとをもって、一度しかない人生を生きさせるようにさせるのが親の役割である。「(学力を向上させない親は、親として無責任では?」と自分を叱った母親に一切の反論をしなかったのは、「豚に真珠」と思ったからだ。度々いうが、学問を否定はしない。が、勉強とクソは自分でするという持論は変わらない。
自分の父はいかなる事も口を出さなかった。それがどれだけ難しいことか、親になれば分かる。母親の愛情は近くでいいが、遠くからじっと眺めてくれている父親というのは、うるさい母親の場合にあって光るものか。もし、自分の母がガミガミうるさい人でなかったなら、父はもっともっと自分に近寄ってくれたのかも知れない。などと考えることがある。