荒れ狂う波に 岸に打ち上げられた 水夫のように
人の幼な子は横たわる 大地に裸のままで口もきけず
生きるために必要なあらゆる助けを求めて まずは自然が母の子宮から
生みの苦しみによって 彼を光の縁に押し出したのだ
そして彼は 憐れな泣き声で部屋を満たす
そのような惨めさを経ることが この世の定めであるかのように
人の幼な子は横たわる 大地に裸のままで口もきけず
生きるために必要なあらゆる助けを求めて まずは自然が母の子宮から
生みの苦しみによって 彼を光の縁に押し出したのだ
そして彼は 憐れな泣き声で部屋を満たす
そのような惨めさを経ることが この世の定めであるかのように
これは共和制ローマ期の詩人・哲学者でもあったルクレティウス(前99年頃~前55年頃)著『事物の本性』の中の美しい詩である。彼は万物の本質について思考し、ヒトの幼児が長いあいだ無力であることについて述べている。ヒトの幼児の無力さについて記された西欧での最初の記録は、ギリシャの哲学者、ミレトスのアナクシマンドロス(前611年~前547年)のようだ。
哲学者と言うのは、人が当たり前にして見向きもしないことに疑問を抱き、思考する商売である。アナクシマンドロスは、ヒトだけが長い授乳期間を必要とすることに気づいていた。ヒトが元から現在のような姿であったなら、おそらく生きながらえることはできなかったと、人類の起源について各部族に伝わるトーテミズムを否定し、人間を他の動物から切り離して考えた。
トーテミズムとは、自分たちの祖先が他の生き物であったとする考え方で、祖先となった生き物をトーテムと呼ぶ。この考えは世界中にあり、モンゴル人が雄狼と雌鹿の間から生まれたと言う話は有名。宮城県南部や北上川沿いの村の伝承として、ある娘が外を歩いていると白鳥が飛来し空から卵を落とした。それを口にいれた娘が子どもを産んで、自分たちの祖先となったという。
このような考えを最初に否定したのがアナクシマンドロスだった。ヒトは発達のかなり早い段階から独力でやっていけるような、他のある種の生物から生まれたにちがいない。アナクシマンドロスは、ヒトは魚の一種として生じ、鮫のように育てられ、次第にヒトに変形していったとした。この、"魚人から地上人"への変態が、ゆっくりした形態変化説のはじめての記録となる。
これはヒトの個体発生ついて語ったものだが、ヒトに限らず哺乳類は魚類からの進化の過程を、母親の胎内で体験する。アナクシマンドロスは医学にも通じていたことで、そのことを知っていたのだろう。それにしても胎児を魚に、胎生を鮫にたとえるところは、港町ミレトスの出身らしい。アナクシマンドロスという哲人は子どもが大好きで、歌も上手かったという。
「子どもたちのためにもっと歌を上手く歌わねば…」と言ったと伝えられている。ルクレティウスもおそらく子どもが好きではなかったのではないか。彼はこのような言葉を残している。「そして子どもらはその魅力でやすやすと親たちの高慢な気位を挫いてしまった。そこで、周りにいる者たちも暴力を加えることもなく、被ることもないことを願って友情の絆に加わり初めた。
そして子どもらは女、子どもに優しくせよと要求したろう。すべての人が、弱い者を憐れむべきであることを、泣き声としぐさで、それとなく訴ええながらどこででも調和が保たれたわけではないが、大方のところで、彼らの契約は忠実に守られた。でなければ、人間という種の全体が、ごく初期に絶滅したろう。あるいは、人類の性質を維持したままここまで繁栄することはなかっただろう」
こんにちの文明化された世界では誰も注意すら払わなくなった奥深い真実をついている。子どもは人類の人間性の発達に大きな役割を果たしていることが、いかに見過ごされてきたかであろう。ここまで言えば、「子どもは、人類の王国を約束する」と言ったラメルの言葉が的を得る。ある民族の値打ちは、子どもの目をとおして見た値打ちにあるといわれているくらいだ。
子どもの本質を見抜くこと、知ること、これはヒトが健全さを保つ上で重要であり、このことこそ、人類の生存がかかっているという重要な役割を担っている。子どもは誰のものか、といえば親のものと答える人は少なからずいよう。製造者の驕りであろうが、子どもは社会のもの、国家のものと答える人は親として優秀であろう。さらにいうなら、子どもは子ども自身のものである。
はるか遠き時代を遡ってみて、無言語社会、無文字社会の中にあっても子どもは大切にされてきた。先史時代の記録はないが、我々祖先が子どもを大事にしてきたのは、純粋なる本能性のたまものに思える。そうして文明が発達し、子どもの価値や質が下がったのは、オトナが、人間が、文明病に侵されているからであり、これが現代社会の特徴であり、危惧といえる。
動物の親子の「絆」というものが、子が自立後、巣立ち後にあるだろうか?「絶対」という言葉を拝借してもいいほどに、おそらくない。その理由は、素人考えでいえば、おそらく"必要ない"からであろう。人間は違う。人間の親子は、自立後も途絶えることはあっても、動物のように"まるで他人"のようではない。理由は、おそらく"必要ある"からであろう。それを文化という。
動物に文化はないが、人間社会に文化はある。人種や国ごとに違う文化であるが、なぜ人間社会に文化は生まれたのだろうか?おそらく"必要であった"からであろう。学者にあらずの素人はそのように言っておくのが無難だ。ただ、人間が高度の思考を備えた高等動物である事が要因であるのは猿でも分かる理由であろう。人間の子どもと動物の違いを記した詩人がいる。
獣と鳥は 共通の定めにしたがう
雌が子の世話をし 雄が保護する
やがて 子は追い出され 地と空をさまよう
本能はそこで立ち止まり 世話も終る
絆は解かれ それぞれが新たな抱擁を探し求める
次の愛が実り 同じことが繰り返される
無力な人の子どもは より長い世話を必要とする
より長いその世話が より長く続く「絆」をつくる
これはイギリスの詩人アレクサンダー・ポープ(Alexander Pope,1688年5月21日 - 1744年5月30日)の詩である。彼は、生来虚弱で学校教育を受けず、独学で古典に親しみ、幼少の頃から詩作を試みた。学校教育というのは他人の知識の受け売りである。それを施されなかった故にか、事物について根本から思考する習性をホープは持ったのだろう。上の詩にはそれが見える。
彼は、技巧と絶えざる彫琢を旨とする古典主義詩人の典型で、簡潔かつ流麗な詩の形を創案し完成させ、その名句はシェイクスピアに次いでしばしば引用されている。上の詩にある事象は詩が作られた1740年代の前も、あるいは後にあっても、問題についていわれた事実上のことは、ポープの言葉を確認・増幅したに過ぎない。科学の研究は日を追って進み、新たなことも分かった。
確かに人間の乳幼児期間は長い。他の動物に比べて"たまたま長い"のではなく、その長さは進化論的理由が存在するとした哲学者もいる。アメリカの哲学者ジョン・フィスクは、「幼児期が延長されるということは、最終的に生き残れるかどうかが個々の、"学習"にかかっている生物にとっては必要条件であった」と著書『進化論にもとづいた宇宙論の概要』で述べている。
そして、そのためには、必要な情報を蓄えるための大容量の脳が必要であった。同時に、出世時の組織の固定化が、他の生物と比べてより進んでいないことが必要であった。つまり、乳幼児期のような無力期間が長引けば、両親は、ますます長いあいだ子と一緒にいれる。ついにはまだ下の子が保護を必要としている最中に上の子が成熟し、そういう恒常的家族関係から強い結合が生まれる。
人間のありふれた社会生活を進化論的な見地で眺めると、日々の行いの多くのその一つ一つが進化の結果であったとするのは、到底気づかぬことであり、無意識のことでもあるが故に考えさせられる。人間はいかにも人間を知らないということか。ヒトの幼児の発達速度が他の動物に比べてかなり遅いのは、それなりの理由があって、そのように進化をしてきたのである。
アフリカの大平原では水牛やシマウマやキリンなどの出産が、産婆や産科医の立会いなしにあちこちでとうとうと行われている。人間も大平原時代はそうであったのだが、人の手を煩わさない時代であっても動物と人間の大きな違いは、シマウマやキリンの方が、その出世時においては人間よりもはるかに優秀である。彼らは一人でスッくと立ち、数分後には辺りを飛び回る。
なぜそうなのかは言うまでもない。そうしない事には生存の危機が増すし、進化の過程でいかに早くオトナの個体と同等になる必要が生まれたのだ。胎児を産む人間とはまるで違うし、ヒトのにおける未熟な期間は、単に絶対的に長いだけでなく、一生の長さに対する割合からみても他のいかなる生物に比べて長い。人間の妊娠期間が約10か月であるのを知る人間は多い。
長いといえば長い、短いといえば短い。そんなことよりも、ヒトの胎児の後期に見られる脳の著しい成長速度は異常と言えるほどで、他の器官の成長速度をはるかにしのぐ。男の悩みを面白く表現した友人がいた。「オレのオチンチンは、未成熟で生まれてきたからだが、何で手足や身長と同じように生後に成長しないんかなぁ」と、明るくいうところが彼らしい。
「たしかに…、女性のおっぱいは全員未成熟で生まれ、生後に成長するしな。でも、考えてみたら生まれた赤ちゃんが巨乳だったら、絶対に変だしな。マメ粒でいいんだよ。未成熟のオチンチンとはいうが、乳児の赤い唐辛子にくらべればししとうくらいにはなってるじゃないか、やっぱ成長してるんだよ」と、慰めになったかどうか、奴は慰め無用の屈託ない男だし。
胎児の脳が異常に発達するから、頭骸骨も大きくなり、もしも出産が大幅に遅れたりすれば、ほぼ10cm程度の産道を頭は通過できないし、危険な状態となる。自然分娩が不向きな場合、医師は帝王切開を選択するが、これも人間の英知であろうか。「帝王切開」などという仰々しい言葉に疑問をもって調べたことがあった。確かに語源や意味を知らないとオカシな用語である。
シーザー(カエサル)が腹を切って生まれたから「帝王切開」という呼称になったと、産婦人科専門書の記述を信じていたが、当時の医学では、腹部を切開して母子ともに健康ということはあり得ない上に、カエサルが長じてから生母アウレリア・コッタに宛てた書簡が存在することから、実際にカエサルが帝王切開で生まれた可能性は極めて低く、和訳のミスという扱い。
もともとは、「sectio caesarea」というラテン語だが、sectioもcaesareaも切る、切開する、という意味で、これが翻訳される際に、caesareaをカエサル(ローマの皇帝・ジュリアス・シーザー)と勘違いし、以降帝王切開と呼ばれるようになった。その後、ドイツ語圏に伝わって、「Kaiserschnitt(皇帝の手術)」となり、日本に伝わって「帝王切開」という言葉が生まれた。
王政ローマ時代から、分娩時に妊婦が死亡した場合には埋葬する前に腹部を切開して胎児を取り出す事を定めた、「遺児法 (Lex Caesarea)」と言われる法律があった。その名は「切り取られた者」の意で遺児をカエソ(caeso)あるいはカエサル(caesar)と呼んだことに由来する。その一方で、本家から、「切り取られた者」として分家にカエサル(Caesar)の名を冠することもあった。
人間の出産は難事である。妊娠後期の胎児の急速な脳の成長で頭が大きくなり、加えて直立歩行の結果女性の骨盤は幅広くなる一方で、脊柱下部と仙骨(突起部に腰椎がのっかっている)とのなす角度が、いくぶんわん曲した骨盤を作り出した。このため、胎児の頭は、骨盤の両側に突き出たとげ(坐骨棘)の間を通過しなければならず、分娩時間が長引くこととなった。
骨盤は胎児をしっかりと保護し、まもる働きがあるが、それゆえに出産時は厄介となる。出産は女性も難事であるが、生まれようとする胎児も実は難事である。そのことから帝王切開で楽に生まれる赤ちゃんは、出産の苦悩を知らないから甘えん坊になるとか、我慢強い子に育たないとか、全般的に虚弱体質になるといわれたりしたが、近年5人に一人が「帝王切開」という。
「(帝王切開は)自分の意思とは関係がないところで、出産が進んで終わるという体験になる。挫折感、がっかりした気持ち、ネガティブな感情を抱いて出産が終わっていることが多いので、周りの人が思っている以上に心が傷ついているのではないかと思う」(東京大学大学院春名めぐみ准教授)。さらに、周囲からの心ない言葉が、帝王切開で出産した女性たちを傷つける。
「楽して産んでいいわね」、「子どもが情緒不安定なのは、帝王切開したからじゃない?」、「女に生まれたからには、自然分娩で産まなきゃ」などと言われた。「昔から、女性は何時間も陣痛に耐え、自然分娩で産み、母乳で育てるというのが普通という多く、(帝王切開は)麻酔を借りた、痛みから逃げたお産と思っている人が、年配の方たちには多いんでしょうね」。
と、『帝王切開の偏見に対するケア』を主催する女性は言う。当たり前だが、子どもは生まれたが故に子どもであるけれども、産むということへの種々の偏見もあるようで、女性というのは、同じ女性でありながら分かり合えるばかりではないようだ。何かにつけて他人と自分の比較が好きな女性には、様々な言葉の暴力を耳にするが、それらの多くは陰口という。