最近ブームのアドラー心理学。彼はこのように述べている。「新生児の最初の行為である"母の胸から乳を飲む"という行為は、協同作業であり、母親にとっても子どもにとっても同様、こころよいものである」。精神科医のビヴァン・ブラウンはいう。「あきらかに母親とは、子どもがこの世でいちばん最初にかかわりをもつ人であり、当然、そうであるべきだ。
彼女こそ最初の"個人的"関係であり、最初の"社会的"関係であり、最初の"感覚的"関係である…」。幼児の世話とは、まずその要求を満たすことであろう。そのように世話をすることが人間の社会のはじまりであり、社会集団の参加を準備するものである。成長とともに子どもは社会化するが、それは充足感と同時に、挫折感や戸惑いを体験するということだろう。
いぞれにしても人間は社会的動物である。子どもの成長過程で彼らから社会性を引き出すこと、自由と依存の関係や社会との絆、結びつきを教育したり、自己体験したり、それこそ人が全生涯にわたって持ち続けるものであるなら、そのことにおいて人は成長・発達するよう定められている。親なくして子は存在しないが、「親がなくても子は育つ」というのは正しい。
「捨て子」というのを最近聞かない。自分たちが子どものころは、「捨て子」は子ども同士の罵り言葉であったくらいに、小学生児童に認識はあった。もっとも近年は「捨て子」という言葉マスコミでは差別用語に当たるとし、「赤ちゃん置き去り」と言い換えられている。今は死語になっているが、問題なのは中国で、年間10万人の捨て子が発生しているという。
これに対処するために中国では2011年6月に、河北省石家荘市に国内初の、「赤ちゃんポスト」が設けられた。その後も、江蘇省、陝西省、貴州省、福建省、内モンゴル自治区、黒竜江省、広東省などに相次いで試行的に設置されている。ただし、広東省広州市の「赤ちゃんポスト」では、運営を始めてわずか50日あまりで、大量の嬰児が収容されていたという。
保護スペースが限定されるなか、運営休止に追い込まれる異常事態も発生した。捨て子の多くが「脳性マヒ」を抱えていた。中国において「赤ちゃんポスト」に収容された嬰児、幼児は、全体の99%が身体や機能に障害を持っていたという。経済的理由での捨て子なら同情もあろうが、先天性異常児を捨てる中国は、毎年80万~120万人と、障害児の誕生比率が高い。
「親がなくとも子は育つ」という意識が、「捨て子」を助長するのかの断定は出来かねるが、近年は生活苦からの「捨て子」はなくなっても、若い母親が幼児を道連れにする無理心中は増えているように感じてしまう。こちらも生活苦とは無縁であるが、子を思うあまりに殺してしまうという純粋な母性愛は存在するのか?近年、「母性本能」に新たな定義がなされた。
かつてこの国では、母親の愛情は崇高であり、女性は子どもを産みさえすれば、誰でも立派な母親になれるというように、母性に対する偶像的信頼があった。たまにそれとは異なる母親に遭遇すると「精神異常」、「イカレテル」、「普通じゃない」としたものだが、「母性本能」とは、女なら誰でも子を産み育てることに無上の喜びを感じるというものではない。
すべてのことを子に最優先させ、自らを犠牲にしてでも子を守る、誤った「母性本能」に区切りをつける時代にあるという。母性本能についての様々な研究結果を交え、どうやら「女性に生まれつきの母性本能はない」ということは、数々の実験で証明されてきている。しかも200年前から取り沙汰されていたという。動物の本能習性を人間に勝手に当て込んだのだろう。
アルノルト・ゲーレン、岸田秀らの提唱する「人間本能破壊説」は、生誕以降に難解な非本能習性的な作業(学習・仕事・言葉)を強いられることで明らかだが、母性本能と俗に言われる行動パターンも先天的なものではなく「後天的に、社会から刷り込まれた思い込み」と考える方が適当である。これらは、「母性欠如」に悩む多くの女性に対する朗報であろう。
母親の子どもへの愛情は、どんな子どもであれ無条件に愛する、というような普遍的なものではなく、母親を取り巻く文化や母親が育ってきた環境などに大きく左右される、ということである。人間においての「…本能」という言葉は、すべて疑ってかかった方がいい。大概が社会や、文化や、特定階層に都合よく捏造された言葉であったりする。では三大本能は?食欲・睡眠欲・性欲を人間の三大本能とするのは間違い、性欲は種族保存本能とすべきとの論もある。であるなら、生殖以外の性行動を説明できない。かりにも「種族保存本能」というのは、現代ではあらゆる生物種において否定されている。その理由として、異性への愛情、性欲、子供への愛情といった情動は、種族維持目的のために行わないのが自明である。
種族保存したいから恋愛したりするのではない大きな理由のひとつに、同性愛を指摘できる。ケツに射精して子どもができるハズがなかろう。人が人を好きになる理由は、種族保存とは別の理由(要素)と考えるのが種族保存本能から脱却した思考である。近年、環境ホルモンのせいなのか、若くして性欲のない、あるいは性欲減退した若者が増えているとのデータがある。
肉体的な性的興奮よりも、精神的な充足感を高める意味で、お互いの肌に触れあったりはあってもいいが、双方が同質性なら問題はない。方ややりたい、方や拒否では折り合いがつかない。多様なパターンは否定しないが、倒錯愛は相性がネックになる。肉体的性欲、精神的性欲を区別できるのかどうかについては、「心身二元論」にたてば可能であろう。
が、「魂なんてものは、ビールやピーナッツやラーメンでできているんだ」という寺山修司の言葉に共感を抱く自分にとって信憑性がない。勃たなくなったおじいちゃんが言うなら大いに理解はできる。人は自分の都合によって考えを変えて行くものだ。「種族保存本能」が恋愛の要件かはともかく、男と女がいれば「本能」の有無に関わらず子どもはできる。
「種族保存本能」のせいで、「できちゃった婚しました」などというアホはいないだろうが、とかく言葉は心を隠すもの。子どもができたという事実の裏には、人それぞれの真実があるのだろう。子どもにとってやるせなく、声を大にして言いたいことは、「子どもは親の所有物でない」こと。そのように思うことだけで、毒親のさまざまな行動が理解できる。
分らないのは毒親には、自身が子ども時代がなかったと言わんばかりの傲慢性だ。我々を含むすべてのオトナのなかには、過ぎ去った一時期のものとしてではなく、心のなかに継続する一面として"子ども"が存在している。だからこそ、オトナの都合や親の傲慢を戒められる部分もあるわけだ。無力で我がままで要求の多い子どもを扱わねばならないオトナである。
そういうオトナ自身が子どものように振舞わないとするなら、本当の子どもの資質を引き出すことはできないであろう。「自分は子どもである」と言うオトナは、子ども心をしかと堅持・維持しているオトナであろう。教育も大事だが、共育が評価されるのはその点であろう。親が子どもを支配するタテの関係にあっては、「親は偉い、子どもは黙って従え」となる。
オトナになってこれほど便利で楽で都合のいいことはないだろうが、子どもは親の意見を押し付けられ、自分の考えなど出せる余地もなく、出したところで否定されるなら、自身のもてない子どもをつくることになる。アドラー心理学で用意されてるのは、タテの関係を捨てたヨコの人間関係である。人は互いに尊敬しあい、協力し合うという大切さである。
それこそが「互いを生かし合う」、「認め合う」という、共同体感覚。親子が傷つけあうタテの関係を、協力しあう関係にしていけば、親も子も互いが成長していくだろう。子どもに教えられるという発見をできる親は、子どもに健康な心を作っていく。「親のいう事を聞かない子」が、親の共通語だが、「親のいう事を聞きすぎる子」の方が、人として問題を抱えている。
子どもを隷属させて満足する親を持つ子どもは、間違いなく問題を抱えているが、親に反抗する子どもの方が「問題児」といわれる滑稽さ。「そんなこというけど、親を親とも思わない子どもは怖いよ」という親にはもはや同情するしかない。子どもが怖いと言い出す親に付ける薬ってあるのだろうか?すべての種を撒いたのはだれであろう?それしか言う事ない。
「後の祭り」とは、時機を逸したこと。手遅れでむだなこと。の意味で、祭が終った後に、山鉾出してもしょうがない、から取られた。親子はその年齢的な開き、製造者としての自負から、傲慢になるが、自分が思うに親としてこれほどの傲慢はないといえるのが無理心中である。昨年6月14日、千葉県八千代市であった無理心中は、筆舌に尽くしがたい無残さである。
母(35)が、7歳の長男、6歳の長女、2歳の次男を14階のマンションから一人づつ落としたという。近所の人は子どもの、「イヤだ、イヤだ」という声を聞いおり、その直後に2度大きな衝突音を聞いたという。母親の子どもへの自己所有物意識。「わたしも死ぬんだから、あなたたちもさっさと落ちなさい」と、突き落とす母に、なんの罪の意識があるだろう?
母子心中の理由を自分なりに考えるなら、①可愛いから手放したくない、②母親がいない世において置きたくない、③一人で死ぬのは淋しいから、せめて愛する子たちと、④自分の死と共にしたいという共感を抱かせたい(といっても、無理やり抱かせようとするのだが)。定職につかない46歳の息子の将来を悲観して無理心中を図った親もいた。
◎2014年2月17日、奈良市中登美ケ丘の団地の一室で、母親(69)と長男(46)の遺体が見つかった事件で、奈良県警奈良西署などは、母親が長男を殺害して自殺した無理心中と断定した。母親は、自宅で定職に就かない長男の将来を悲観し、の背中や腹、胸を包丁で数回刺し、失血死させた。母親はその後、包丁で自分の腹部を2回刺して自殺したとみられている。
◎2015年3月25日、神奈川県のマンション敷地内で25日、女性と女児が倒れているのを住人が発見。2人は母子とみられ、搬送先の病院で死亡が確認された。県警は飛び降りて無理心中を図った可能性が高いとみて調べている。
◎同年4月4日、千葉県船橋市で、38歳の母親と1歳の双子の娘の計3人が死亡した。敷地内を通った男性から「女性と赤ちゃんが倒れている」と通報があった。警察は、母親が無理心中をはかって上層階から飛び降りたものとみている
◎同年5月8日、東京都目黒区のマンションで8日、女児と母親が倒れているのが見つかった女児は間もなく死亡し、母親も意識不明の重体。警視庁はマンションから飛び降り、無理心中を図った可能性があるとみている。
◎同年5月15日、愛知県一宮市今伊勢町馬寄のマンションの一室で、この家に住む母子5人が死亡しているのを警察官が見つけた。現場の状況から、県警は無理心中を図った可能性が高いとみて調べている。
◎同年6月13日、岐阜県恵那市の阿木川ダムで乳児が湖面に浮いているのを、釣りをしていた男性が見つけて110番した。乳児は同県中津川市の男性会社員(33)の生後4カ月の長女。ダムから約800メートル南にある公園で、母親(24)の乗用車が見つかった。無理心中の可能性があるとみて母親の行方を捜している。車内には「ごめんなさい」との趣旨が書かれたメモが残されていた。
◎同年6月28日、秋田県北秋田市の住宅に住む男性から「風呂場で姉が倒れている」と110番通報があった。女性は同居する千葉友紀子さん(41)で、間もなく死亡が確認された。友紀子さんの首にはひもで絞められたような痕があった。一緒に暮らす母親(66)が「娘を殺した。自分も死のうと思った」などと男性に話しており、県警は心中目的で娘を殺した可能性があるとみている。
◎同年8月4日、仙台市若林区のアパートで、帰宅した会社員の男性(41)から、「家族が意識のない状態で倒れている」と110番があった。駆け付けた宮城県警仙台南署員が寝室で男性の妻(41)と小学5年の長女(10)、長男(3)を発見、その場で死亡が確認された。同署は無理心中の可能性もあるとみて調べている。
「親がなくとも子は育つ」はなんと理性的か。産みの親がいなくとも、子どもはまわりの人たちの暖かな心づかいと、 自らの生きる力で育つ。子どもが可愛いから死の道連れに…など言語道断。「いい加減にしろよ、お前がいなくたって子どもはちゃんと成長し、オトナになる。死にたきゃ勝手に一人で死ね!」。無理心中を強行する母親に言っておきたい!