Quantcast
Channel: 死ぬまで生きよう!
Viewing all articles
Browse latest Browse all 1448

「好き」の哲学

$
0
0

イメージ 1

人はなぜ人を好きになるのだろうか?本能なのか、哲学的な命題なのか?異性を求めるのは生殖本能と言われても、別に子どもを作りたいわけじゃない。リンゴが好きな人が、「自分はなぜリンゴが好きなのか?」と考えるのは哲学。そういう事は考えず、リンゴを食べながら「リンゴ美味しいね。だ~い好き!」というのは哲学ではない。別に哲学的に考える必要もないが…

若い頃にはこういうやり取りをする。「○○(アーチスト、芸能人など)なんかのどこがいいんだ?あんなのクソだろ?」とファンに言えば、「いいからいいんだよ、好きだから好きなんだよ」と返されり。確かに自分が好きなものを、「何で好きなんだ?」と聞かれても面倒くさいし、だから「好きなものは好き」と答えてしまう。「何でリンゴが好き?」と聞かれ…

「好きなものに理由がいるのか?」と返すようなもの。「好きなものは好き」、「嫌いなものは嫌い」理由があろうがなかろうが、自分が分かっているならいいではないか。これは自身の感性の問題である。厳密に分析すれば、好きな理由も嫌いな理由もあるはずだが、そんな理由は自らに必要ないし、まして人に聞かれたからといっても理由を説明する義務もない。

だから、「好きなものは好き、嫌いなものは嫌い」という答えは便利である。自分は若い頃にビートルズが好きだったが、ローリングストーンズは好きではなかった。好きではないけれども、好きな曲はあった。好きでない理由の大きな理由は、ミックジャガーの声にあった。ジョンとポールの声質で聴くソロ、そして美しいハーモニーはストーンズにはなかった。

イメージ 2

もちろん、ストーンズファンは彼らの魅力を語ることはできるであろう。ストーンズの好きな曲は感じ入っても、ストーンズというバンドの魅力は説明できない。ミックの声が好きでないというように、嫌いな理由は説明できる。ビートルズにはビシッとしたスーツ姿も素敵だったが、ストーンズの普段着姿は、ビートルズの紳士姿に比べると乞食のようであった。

それはまあ、ビートルズとストーンズの対比であって、それらが好きと嫌いの大きな理由となった。野卑なスタイルのストーンズを、本物のロッカーと感じたファンは多かったろう。何ものにも制約を受けない自由さ、形式美・様式美に対する批判がロックンロールである。ストーンズの音楽がロックであるなら、さしずめビートルズの一連の楽曲はなんであろうか?

広義にはロックであろうが、どちらかといえばポップスではないかと。そもそも、「ロック」という定義を明確にしなければならないが、「ロック」の解釈は多様である。が、その語源の「ロック(rock=岩)」、「ロックンロール(Rock and Roll, Rock 'n' Roll=岩が転がる)は何を意味するかといえば、岩はゴツゴツして大きくもあり、ビー玉のようには転がらない。

それでも、転がろうとするのはつまり、(苦難に負けずに前に進もうとする)という気持ちがロックであり、ビー玉のようになんの抵抗もなくコロコロ転がるのをロックとはいわない。つまるところ、「ロック」とは、エレキギター・ベース・ドラムを使用して、ソリッドで疾走感のあるような演奏スタイルの音楽という物理的定義より、「ロック魂」という精神論にある。

イメージ 3

ツェッペリンはロック、ビーチボーイズはアメリカンポップス、マイケルジャクソンは?はっぴいえんどは?サザンは?BOOWY?ミスチルは?などとあげて、ロックなのかどうかを枠に嵌めようとするなら、意見はさまざまであろう。X japanはロックだが、B'zなんて歌謡曲という者もいて、B'zファンを怒らせている。ロックはジャンルであるが、意外と曖昧である。

タワレコ、TSUTAYAは音だけでジャンル分けをしているが、ロックという音楽ジャンルでありながら、それらを音だけで判断するものではないとするなら、それならロックも別の意味をもつ。音楽的にロックだ、ロックでないの論争より、「ロック魂」を持つアーチストはロックとすれば解決する。それからするとB'zは音はロックだが、「ロック魂」は聴き手に伝わらない。

といえばこれにさえ異論がある。クラシックや美術の世界においても、ジャンル分けはさまざまなされ、それに対する異論もある。ドビュッシーは印象派だが、ラヴェルは印象派と新古典主義とに分かれている。確かにラヴェルは枠付けするのが難しい作曲家で、それを枠に嵌めようとするからもめる。そもそも○○派とカテゴライズすることにどの程度意味があるのか?

レッテルを貼るのはいいが、ラヴェルはラヴェルの音楽を作ったという事実。ビーチボーイズもビートルズもストーンズも彼らは彼らの無比な音楽を作ったとするのが、問答無用の正解であろうが、それでは気が収まらぬ人もいる。枠に嵌めたい学者もいる。が、多数派も少数派も共存する道を探るのが社会のシステムである。確かに多数派の意見は正しいものが多い。

イメージ 4

この世で「いいことだ」と多くの人が認めることに、あながち間違いはないようだ。「病気であるより健康がいい」、「戦争より平和がいい」、「早死により長生きがいい」など、確かに99%がそうでも100%でないのが人の世だ。病気を望む人もいるかも知れない。戦争を望む人は間違いなくいる。長々と生きながらえるより、太く短い人生を望むという人は案外多い。

「不細工より美人がいい」というのも多数の意見であろう。自分とて美人は嫌いではないが、活用と鑑賞は別である。結婚相手を美人と言うだけで選ぶ人もいるが、他人事といえど、それって「どう?」。映画やドラマのキャストに美人が似合わないことも多く、何事において美人絶対優位と言うのはあり得ない。『人は見たが目9割』という書籍がある。読んではないが…。

イメージ 10帯には、「理屈はルックスに勝てない」と出版社が考えたのだろう、こういう騙し言葉に人はなびく。あくまで本を売るために考えたのだろうから、「内面はルックスに勝てない」とは書けないのだろう。これだと明らかに内面否定になるし、問題である。頭の悪い人(御幣のある言い方だが)は、こういう取ってつけたようなコピーにすぐさま反応してしまう。

確かに企業面接など、女子社員を選ぶ要素に容姿端麗があるのは事実であろうが、キチンと内面を見るところもある。ただし、数分程度の企業面接でネコかぶった人間がほとんどなら、ダメもとで美人を選ぶほうが得との言い分もある。長き人生を共にする相手を顔で選んだばかりに「百年の不作」女をつかまされたという事はあるだろうが、不細工にも性悪女はいる。

イメージ 5

事前にそれが見分けられるのか?という問題もある。百年の災い母を体験した自分の結婚観は、中身重視であったのは当然である。こんな女(母)など「1億円の持参金付きでもイランわ」と、これは実際に母に言った言葉でもある。この程度の言葉に怯むような母ではないのだが、ここまで息子に言われるような母であったのだと、反省しないところが彼女らしい。

美人が好まれるように美男子も同様だ。もっとも最近は美男子と言う言葉はイケメンになった。"イケてる面"の略だから女にも当てはまるが、男専用の言葉である。最後のイケメン独身といわれた福山雅治が、吹石一恵との入籍を発表したところ大騒ぎとなった。ネット上では悲鳴と怒号の嵐である。何でそうなるんだ?福山の結婚が何でそこらの一女性に関係ある?

正直いって、女のこういうところは理解できない。まさか、福山と自分に可能性があると思っているのだろうか?女はそういう思い込みをする動物なのか?理想と現実を何のためらいもなく混同するのだろうか?福山が独身であるという希望の正体は何なのか?女性のいう、「ショックー、立ち直れん」という言葉の真意は何なのか?「希望であり、夢である」と言う女性がいる。

希望とは何?夢とは何?好きなアーチストの幸せ(結婚)を喜べないファンというのは、一体どういう目的のファンなのか?「報道を聞いて早退した」、「明日も会社に行けない」というそこまでの何を彼に依存しているのだろう。自分には「ショック」の意味が分らない。これらファンの反応が異常でないとするなら、異常なのは自分なのだろう。別に異常でいいけれども。

イメージ 6

「アーチストとして夢や希望を与えてくれる」というのに何の依存もないが、独身男性として、一人の男として「夢」であり「希望」であるというのは、思いあがりもいい加減にしろ」と思うが、それを言ってはいけないのか?市井の一女の思い上がりを、「夢」というのは自由だし、「夢」ならかまわないが、それほど現実離れしたことが日常生活に影響を与える、その事が可笑しい。

こういうところに女が理性的でない面を見る。これほどまでに感情に切り回される女を「バカじゃないのか」は当然であろう。「いいの、バカでも何とでも言ってよ。そんなことより、ショックの方が大きい」というなら、ご愁傷様とおくやみを述べるしかない。彼女たちはもはや"死に体"である。感情が行き詰まって自殺するものもいるというが、今回それはなかった。

NHKでもこの日午後7時からの、「NHKニュース7」で報道された。東京五輪の追加種目や台風のニュースに続き、7時17分から2分間にわたり福山の結婚の話題が取り上げられた。武田真一アナから、「ショックと感じた方や、お似合いだなと納得された方、さまざまだと思いますが、桑子アナはどう感じましたか?」と問われた桑子アナ、「私はショックでした。

…思わず『エッ』と声を上げてしまいました」。両手を広げて驚くジェスチャーの後、がっくりと肩を落とす。冷静と抑制を旨とするNHKでホンネを吐露するのは珍しい。武田アナから、「気を取り直して」と促されると、「俳優の福山雅治さんと吹石一恵さんが、今日付で結婚したことを、2人の所属事務所を通じて発表しました。今日は吹石さんの誕生日でした」と冷静に伝えた。

イメージ 7

自己省察しない人間は、まったく人格向上が望めない人間であろう。『人は見た目が9割』という書籍はベストセラーになったらしいが、何を知りたくて読むのだろう?立ち読みする気すら起きない本である。amazonの紹介欄に以下の抜粋がある。「男が美人に、女が二枚目の男に一目惚れをする。相手の性格やその他の要素は一切関係ない恋は存在する。

恋のただ中にいる人間にとっては、白も黒になるのである。正邪の判断が狂うことも珍しくはない。端的にいって、"外見の威力"はそれほどまでに強力なのである。」と、当たり前のことが書いてある。『人は見かけが9割』というタイトルは、肯定か否定かは分らないが、おそらく否定になっているのでは?そんな気がする。なぜ「見かけが9割」がいけないのか?

当たり前だが人は見かけだけで成り立っていない。さらにいうなら、見かけ9割というのは、人間の運不運はその人の努力とは無関係に、生まれつきで決まってしまうことになる。「士農工商」の階級社会ではあるまいし、こんな不合理なことは到底認められない。「容姿端麗は生まれつきだろ?」といったら、「節制も努力もあるのよ」と言った女がいた。

確かにそういう部分もあろうが、生まれもったダイヤの原石であるのは間違いない。漬物の置き石に向いてるものとは生まれながらにして違う運命である。そういう意識を強くもっている自分だから、人を好きになる理由として、"感性"だけではあり得ない。噛み砕いていえば、美人を好きになるのは「感性」だろうが、不細工を好きになるのは「理性」である。

イメージ 8不細工を好きになる理由の多くは、容姿以外によいところを見つけること。美人というだけで好きにならないのは、容姿以外の悪いところを見つけるからか。美人なら何でも良く見え、不細工は何でも良く見えないなどあり得ない。こういう当たり前のことにキチンと目を凝らせているだけで、何ら特別のことをやっていない。不細工でも「こぎれい」にしてる人はいる。
「こぎれい」とは、美しいとか綺麗の意ではなく、「整っていて気持ちのいい感じがする」という意味のようだ。なにも容姿端麗者に限定するわけではないが、昨今は派手ではあっても、「こぎたない」印象の拭えない女がいる。女性だけではない、「こぎたない」おじさんはうじゃうじゃいる。「こぎれい」が上記の意味なら、「こぎたない」とはどういう意味であろうか?

そっくり裏返せば、「整っていなくて気持ちの悪い感じがする」となる。感覚的なものを文字で表現できないものもあるが、女性の「こぎたなさ」は確かに整っていない。整えることを度外視してアクセサリー類を増やすなどして、だから「こぎたない」。美しいの最低条件は、"整っている"である。そこに神経が行き届かず、単に飾り立てるから、「こぎたない」。

オシャレの基本はまずは、整える、清潔にするという身だしなみであって、それなくしての「こぎたなさ」。ばばあのクセに妙に若返りを重視したなりにも「こぎたなさ」を見る。人間の生涯にあっては、たとえ老いに対しても自信を持つべきである。肉体は衰えているけれども、その現実にきちんと向き合うということは、精神は充実しているということだ。

老齢による衰えは万人の共通の成り行きであり、万人に納得してもらえる事象である。年をとってはつらつとした若さを見せることと、表面的な繕った若さを作ることは別である。あまりイジることのない携帯電話の機能に、「健康歩数計」を見つけ、自分の身長・体重・年齢のデータを入れると、歩数、歩行距離、歩行時間、平均速度、消費カロリー、脂肪燃焼量が表示される。

7月に新しくオープンしたショッピングモール「ゆめタウン」は、往復で約13000歩の距離で、たまに歩いて行ったりした。体力には自信もあり、思い切って市内をグルリすることにした。帰ってデータを見るのを楽しみに出発、汗かきだから、リュックに着替えを準備し、途中着替える。見知らぬ地を歩くのは通行人の美人を見る楽しさとは別の趣きがある。さて、結果は以下。

イメージ 11

 ◎歩行距離 32184m
 ◎歩行時間 372分
 ◎平均速度 分速86m
 ◎歩数 47330歩
 ◎消費カロリー 1174kcal
 ◎脂肪燃焼量 163g

分速86mだから時速5.16kmの速度となる。一般的な人の歩く速さは、毎時4kmというから、一般歩道を歩くにはまあまあの速さだ。郊外の遊歩道なら、毎時6kmは楽に歩ける。人は足腰から老化するといい、太ももの筋肉などはすぐに減ってしまうという。若い頃は腰ばかり動かしたけれども、60歳過ぎたらクルマなんか乗らないで、歩け、歩け、歩け。

イメージ 9


Viewing all articles
Browse latest Browse all 1448

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>