「内助の功」という言葉は、どこからも聞こえてこなくなった。女性の社会進出が進み、性差別の助長が懸念されるため、現在ではあまり用いられず、言葉の意味すら分らない女性も多くなった昨今だが、「内助の功」とは女性本来の美しいあり方であろう。にもかかわらず、これを身につけている女性が少ないのは、女性が一歩引いて夫を支えるなどの意識がない。
美しいといわれても、「冗談じゃないわよ」と。かつての女子教育は現代においては女性差別となるらしい。対等社会、平等社会にあっては、妻が夫を支えるという意識は社会教育の場に存在しない。ならば家庭で母親が女の子に躾ければいいか、といえばそうも行かない。なぜなら母親が、「内助の功」を女性の美徳と思ってないからには教えようがない。
「内助の功」とは、夫を成功させる秘訣であるが、「『内助の功』なんて男のエゴでしょう?」と、これまた多くの現代女性の考え方であろうか。ネットで以下の質問に笑ってしまった。「夫に内助の功がないとよく言われます。夫を立てるということだと知っていますが、内助の功を示すには嘘をつけということでしょうか?」と、この妻のあまりの正直さが可笑しい。
「内助の功」を自負する女性は答える。「私が妻として『内助の功』だと考えていることは、主人が仕事を一生懸命頑張ってくれていることに感謝し、主人の給料できちんとやりくりし、自分の物を削ってでも主人や家族を一番に考え、家事をしっかりとこなし、主人や家族の細かな変化に気づき対応し、明るく穏やかに主人や家族が過ごせるような雰囲気作りをするよう努めることです。」
妻に対して、「内助の功を示せ」、という夫もバカだと思うが、「嘘をつくことですか?」と真顔で世間に問う妻も、まあどっちもどっちであろう。「内助の功」とは見えないものである。見えないけれども、感じるものでもある。見えないものを示せというバカな夫に、示せというなら嘘をつくの?というアホ妻…。まるで漫才のネタであり、然れども世は喜劇である。
確かに今の時代、「内助の功」は女子教育に馴染まない。が、気持ちよく夫を仕事に送り出す妻が悪いはずはなかろう。夫は、「内助の功」を意気に感じて頑張るはずだ。こういう心を教育や躾で教えるというより、もって生まれた資質であろうか?明朗・快活と同じように女性に自然と備わるものなのか?女性が男性(あるいは夫)に、そのように振舞いたいからこそ、出てくるもの。
世の中が大きく変わったのは、男女や夫婦の精神面や価値観だけではない。現代に生きる中年にとって、もっとも変わったのは平均寿命が延びたこと。男・67.74、女・72.92というのが50年前に数字だが、これだと一所懸命に働きづめに働いて、さて60歳で定年退職をし、退職金で念願のマイホームをもって、心身ともに安らごうと思った矢先に、「お迎え」が来る。
これはこれで効率のいい人生という見方もできようか。長く生きることは良いことであるが、老後をどのように楽しむかの指針や目的のない人には、たまらなく退屈でしんどいのではないか?人の人生とは作品である。自分にとってかけがえのない人生を、我々は「つくり出す」というなら、その意味において、いかなる人間も「創造活動」に関わっていることになる。
人は老後余生の楽しみを、「つくり出して」行かなければならない。それなくして人間は、"不可解な不安"に悩むことになる。ユングは分析心理学者として、中年を取り上げた人。その理由は他でもない、彼のところに相談に訪れる人に中年が多かったからだ。さらに興味深いことに相談者の約3分の1は、一般的な意味でいうところの何の問題もない人たちであった。
財産や地位や家族などにも何ら問題はなく、ばかりか、他と比較してもはるかに恵まれた人たちであった。しかし、彼らのすべてが、「何か足りない」と感じていたり、「不可解な不安」に悩まされており、ユングはそんな彼らを、「適応がよすぎることが問題」であるとし、「人間は中年において、大切な人生の転換点を経験するのであろう」と考えるようになった。
人生とはその前半と後半に分かれ、前半は自我確立のため、後半は社会的地位を得て結婚して子どもを養育するなどの課題の時期とするなら、そういった一般的な尺度で自身を位置づけながらも、「自分の本来的なものは何か」、「自分はどこから来て、どこに行くのか」という、根源的な問いに答を見出すことに努めることが大事ではないか、ユングはそう考えた。
ユング(1875~1961)の時代の平均寿命は、男女平均で43歳前後である。そういう時代の人たちはいかに資産家といえど「死」は間近なものである。彼らの「不可解な不安」とは、死に対する恐怖・不安であり、よって「死」をどのように受け入れるかの必要性が前途した課題であった。それらに取り組む姿勢を持つことで、下降を上昇に変える逆説を得ることになる。
我々は80年を超える平均寿命の時代を生きるが、寿命平均50年を切る時代の人たちの死への恐怖というのは、まさに死と隣り合わせであり、死への不安は想像を絶する。アンリ・エレンベルガー著『無意識の発見』にはユングの章があり、彼の生い立ちから、同時代の他の研究者との考え方の相違、その後の研究の波及から影響力まで細かに調べ上げられている。
精神科医エレンベルガーは、ユングのニーチェ作品から読み取るニーチェの精神分析の講義ノートを丹念に研究し、ニーチェの『ツアラトゥストラ』こそ、無意識の創造力から生まれたものとの確信を得る。その結果、エレンベルガーは、「創造の病」という考えを提唱する。「創造の病」は天才的な科学者、思想家、作家、音楽家や芸術家が経験するといわれている。
つまり、偉大な創造的な仕事をした人は、中年期において重い病的体験をし、それを克服した後に新たな創造活動を展開するということになる。ちなみに、フロイトはひどい神経症症状に悩まされ、ユングは精神病と見まがうほどの病的体験をした。それらを克服せんと両者は、自身の内界の探索をし、そこで明らかになった事を基に、彼らなりの理論を構築していった。
エレンベルガーの「創造の病」は、他の学者にも支持され、跡づけもなされ、中年における身体的病気や思いがけぬ事件なども、「創造の病」としての位置付けとしての意味を持つことが明らかにされた。夏目漱石ら多くの作家にも典型的な「創造の病」体験者は多い。漱石のいわゆる「修善寺の大患」がそれで、胃潰瘍による大量の吐血など、死に臨む体験をした。
その後の漱石の作風が一変し、味わい深いものになったといわれる。フロイト、ユングは心の病であったが、漱石は体を侵された。他にも心身同時病に侵された作家も多く、「不可解な不安」から死に到った作家は多い。芥川龍之介は遺書に次の言葉を残している。「少くとも僕の場合は唯ぼんやりした不安である。何か僕の将来に対する唯ぼんやりした不安である。」
・僕はゆうべ或売笑婦と一しょに彼女の賃金(!)の話をし、しみじみ『生きる為に生きている』我々人間の哀れさを感じた。(或旧友へ送る手記)
・人生は地獄よりも地獄的である(侏儒の言葉)
上の2つは芥川の最後の言葉である。創作家の苦しみなど凡人に理解のしようがない。気楽なブログを書くことに苦しみなどないが、それでも「書くことがない」、「書けない」という人はいる。書けないなら書かなければよいだけのこと、「書くというのではなく話しをしたらどうか?自らと対話する気持ちで書けばできるよ」と言った事もある。「自分と対話って不思議」と言う。
自分と対話するなど日常と思っていた。ずっとそう生きてきた。が、それを不思議と言う人は常に喋る相手を求めていたのか。「一人ディベート」は、自分で自分を困らせるが、困る自分も追い込む自分も刺激があって面白い。「一人将棋」もちゃんと自分に勝つし、自分が自分に負けたりする。考えてみれば不思議といえば不思議、自分が自分に勝ったり、負けたり…
「一人ディベート」は面白い。たとえば、17日の記事の冒頭を例に続ける。「昭和44年6月24日未明のこと。鉄道自殺だったが、「勇気があるよな」と言った奴がいた。「あれを勇気というのか?」と自分は正した。「そんなことできないだろ?」と彼は言った。「しないでいいことをしたんじゃないのか?勇気ってすべきことをすることだろ」と返した。以下一人ディベート。
「彼女にとって自殺はすべきことだったのでは?すべきことをしたのなら、それはお前のいう勇気では?」、「彼女にとってすべきことだとどうしていえる?」、「実際に自殺と言う行為をしているし、行動は自分を偽らない。したいことをしたはずだ」、「それは的外れもいいとこ。お前は自分の行動と心がすべて一致するのか?心にもない行動をとらないのか?」
「確かにしたくない事でもするよ。したいことでもしないこともある。が、死という行為については別ではないか?冗談で人が死ぬだろうか?」、「冗談では死なないだろうが、不本意な死はあるだろうよ。死んだ直後に、それこそ3秒後に、『しまった!止めとけばよかった』。実際に後悔は無理で、どうにもならないが、そういう死はあると思うな」、「彼女がそうとでも?」
「そうかどうかは分らない。断定は出来ない、が、可能性はある」、「だったら、お前のいう、『しないでいいことをしたんじゃないのか?』も断定ではないのか?」、「断定じゃない、仮定だよ。『?』がついてるだろう?分らないことは推測するしかない」、「では、もし彼女が死にたくて死んだとするなら、それは勇気ではないか?」、「ともいえないな」
「なぜ?」、「お前は勇気に結びつけたいのだろうが、その理由はなんだ?自分が小心者だからか?そんな所に勇気なんて言葉を当て嵌めたいのか?」、「勇気があると思うことに勇気という言葉を使ってはいけないのか?」、「使ってもいいよ。お前が勇気と思うなら、彼女の自殺がそう思えるなら、お前が使うのは自由だ。だが、人に同調を求めるのはよせ」
「同調求めてはいけないのか?」、「いけないというより、オレはそんなものを勇気と思わないってちゃんと言ったろ?お前が同調を求めたことに対して、オレは自分の意見をいったじゃないか」、「そか、オレはアレを勇気と思う。お前は思わない、ということだな?」、「友人で仲良しだから話を合わせるというのが日本人的友人の証しというなら、それは否定する」
「否定は非難ではないしな」、「否定を非難された捉えるから喧嘩になるんだよ。事実を争ってるわけではない。考えを言い合ってるわけだから。単に自分とは考えが違うと言ってるだけで、オレが正しい、お前は間違いという非難はしない」、「否定されたことをそういう風に取る奴は、ダメなんだな」、「否定されても自分が正しいと思うなら、論拠を示せばいいんだよ」
「論拠を示さなければ?それが苦手だと…?」、「難しいことは分らないけど、そう思うでいいんじゃないか?」、「感覚的に思うってやつか?」、「感覚もあり、論理的もあり。法廷論争じゃないし相手の感覚は認めていいが、素朴に論拠は問いたいけどね。『それは違う』は、『そう思わない』と言うだけ」、「否定されると怖いね」、「怖がるなよ。人と自分は違うと思えば済む」。
「否定」は人によっては難しい。ある事の否定が自分すべてを否定されたと感じる人間もいる。こういうのは、育った環境なのか、上辺だけを他人と合わせて"みんな仲良し"という初等教育に問題があるのか、日本も欧米のようにディベートなどをして、異なる意見に自分がどう対応するか、処遇するかを身につけなければダメであろう。「No!」が言い難い。
「誘われて断り難い」ということが相手を傷つけないとかと言うより、自分が相手によく思われたい、いい人でいたいという卑しさかも知れない。そういう卑しき欲を捨て、自分に自然に正直にして生きられるなら、ストレスは減衰する。思うままに生きるのと、我がままは別だが、それを混同する人もいる。二律背反の世、自他の人間関係の中で、中年は大人であること。
大人の定義は難しいが、例えば児童文学のような、子どもの澄んだ眼で見たことズバリが書かれているに比べ、大人の文学は修飾や混じり物が多く、なかなかズバリの本質が見えにくい。意識して隠されている場合もある。がしかし、そういう修飾や錯綜するものこそ人生であろう。人対人の心理のあや、どろどろした人間関係が存在するのも事実なら、受け止める。
それが大人であろう。綺麗なもの、醜いもの、美しいもの、汚いもの、好きなもの、嫌いなもの、良いもの、悪いもの、正しいもの、邪悪なものを受け入れるキャパが大人の向かうところか。「あの人はコドモだね~」は、短絡的であったり、柔軟性に欠けた人を指すことが多い。中年とはいかんせん大人である。大人とは大きい人。「清濁併せ呑む」心の大きさか。
ディベートの真の目的は、議論に勝利する、相手を打ち負かすというような表面的なskillを身につけることではなく、物事を深く、論理的に思考することができる。したがって意見には意見で返さなければディベートとはいわず、自分の意見を押し付けるのも同様である。相手の意見に返せないからと、人格批判したりヒステリー起こす人は、まあ無様だろ。