『私は好奇心の強い女』というタイトルの映画を覚えている。その映画がなにやらもめていたのも覚えている。それ以外のことは何の情報も頭にないし、いろいろ調べてみたら1967年製作のスエーデン映画で、1968年にアメリカでの上映を巡って裁判問題に発展、知識人たちを巻き込んだあげく最終的に勝訴を勝ち取り、ポルノ解禁の先駆的作品と位置づけられたという。
1971年に日本で公開された際、45ヵ所に及ぶカットを経てやっとの末での公開だった。それから31年後の2002年、やっとこノーカット完全版(4ヵ所のみ修整)が公開される。ストーリーは至って単純、好奇心旺盛な女性が、次々と新しい体験をしていく姿をドキュメンタリー・タッチで描く。全編がYouTubeで見れるが、コレのどこが問題?どこをカットせねばならん?という代物。
この映画を、「はぁはぁ、ドキドキ」で見たいなら、50年前に戻ることだ。ドキュメンタリー・タッチを得意とするなら佐々木昭一郎である。彼の作品を初めて観たのは1980年に製作された『四季・ユートピアノ』で、この作品は鮮烈であった。主演の中尾幸世という女性は当時美大の学生で、この作品の6年前に『夢の島少女』という佐々木作品でデビューしている。
どちらも非常に主観的な作品で、何を描き、どう表現したいかを感受するのが至難である故に、なんども見れる作品になっている。1回見ただけ、一回読んだだけですべてが理解できる映画や小説はつまらない。カミユの『異邦人』や、サルトルの『嘔吐』や、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』などは、読解力なくして読めないし、あっても主観的な作品は苦労する。
サリンジャーは女性には難解のようだ。『ライ麦畑でつかまえて』が有名になったのは、ジョン・レノン射殺犯のマーク・チャップマンが、レノンを殺害したその場に座ってこの本を読んでいたという。また、ケネディ大統領暗殺犯とされるオズワルドも教科書倉庫で大統領の車を待つ間、この本を読んでいたという。この作品も現代的な視点で見れば何ら驚くことはない。
当時(1950年~60年代)、社会に不満を抱いたアメリカの若者なら、お約束事として『ライ麦畑~』を読んだろう。自分は一読者であって文学への素養はないが、松岡正剛がオモシロイ所感を述べている。まあ、彼は何なりとオモシロイのだが…。「サリンジャーがこの作品で用意したキーワードは"phony"である。"インチキ"とか"インチキくさい"といった意味だ。(中略)
大人社会の"phony"な欺瞞と、その大人社会を真似るしかなくなっている高校生達の欺瞞に向けられていて、それが徹底してというか、くどすぎるほどに吐露される。では本人の(主人公である)コールフィールドはどんな日々を送っているのかというと、その欺瞞社会をすっかり覗き見たほどにスレているのだが、妹と送った少年の日々がやたらに懐かしいわけなのである。(中略)
そのうえ最後の最後になって、実はコールフィールドが精神病院に入っている状態だったのも明かされる。(中略)"これは20世紀のハックルベリー・フィンだ"というアメリカ文学史のお墨付き常識があるのだが、これは当たってはいない。ハックは観察こそすれ、批評はしないし、だいいちビョーキじゃない」。と、『ライ麦畑でつかまえて』の松岡正剛観である。
そういえば、レーガン大統領に発砲したジョン・ヒンクリーも愛読者というこの、全世界で6000万部、アメリカだけで1500万部という化け物作品の主題は、欺瞞に満ちた大人たちを非難し、制度社会を揶揄するという思春期の若者に共通するイノセンスだが、正剛はその点を肯定せずビョーキ扱いしている。あわせて正剛は、『ライ麦~』を日本で広めた村上春樹を批判している。
「坊主憎けりゃ袈裟憎い」という諺があるが、「袈裟が憎いから坊主も憎くなるのか」、そこはわからないが、松岡正剛は「千夜千冊」の中に、村上春樹作品をタダの一冊も扱っていないのはいかなる仔細か。毎年ノーベル文学賞候補として下馬評にあがる村上作品、外したところで材に困ることはないだろうが、日本を代表する作家といえども、嫌なものは嫌ということか。
自分もレノンに絡めて作品に好奇心を持った。レノンが逝って34年目の12月はすぐそこ、『ライ麦畑』も読んで34年。思春期を越えていたし、正剛のいうビョーキに似た感慨を主人公に抱いた。正剛はこう結んでいる。「『ライ麦』はそのままアメリカ社会の暗部の象徴として一人歩きした。(中略)サリンジャーの仕掛けた罠はアメリカがまんまと嵌まったままにある。」
サリンジャー自身はこう述べている。「『ライ麦畑でつかまえて』の中には私の友人たちの多くに悲しみを与えたり、衝撃を与えたり、もしくは悲しみと衝撃を同時に与えたりしそうな章があることは、私も気づいていないわけではない。私の最良の友の何人かは子どもだし、実をいうと最良の友というと、子どもたちしかいない私である。私のあの本が彼らの手の届かぬ棚にしまわれると思うと、どうにも耐え難い思いである。」
「好奇心」ってのは人間だけに限らず、すべての若い生物にあるのではないか。サルでもネコでもイヌでも、ただし子どもに限定されるが、映像で動作を見ていると好奇心の塊である。それらから「好奇心」とは、飽くなき問いかけでないだろうか。トマス・ホッブスは「好奇心」を好ましいものとして、著書『リバイアサン』にこのように記している。
「"なぜ"、そして"いかに"、を知ろうとする願望、つまり好奇心は精神の渇望である。継続して根気強く知識を生み出しつづけたすえに感じる歓びは、いかなる肉体の短く激しい快楽にも勝る」。まあ、そこまで「好奇心」を褒め称えようと思わぬ人もいるだろうが、選択の問題であろう。短く激しい肉体の快楽も、長く激しい好奇心の歓びも、いずれも我々は手に入れられる。「好奇心」こそ人生と自分は思っている。すべての行動の根源は「好奇心」に根ざしているのでは?子どもの頃にありとあらゆるイタズラをした。落とし穴を掘る、蛙や毛虫で女子を驚かせる、何の事はない、人の驚く顔がどんなものなのかが見たい好奇心である。それが講じて『ドッキリカメラ』であり、これ以上に面白い番組はないと今も思う。
ビックリさせて驚くというのではない「驚き」、「驚く心」が感受性を高める上で大事である。また、驚きは子どもに典型的な特徴である「好奇心」に通じるような、気分の高揚と関係がある。物事に感動しやすい人、あまり感動しない人の二種類が存在するのは生きていて分る。後者な人間は、おそらく「驚き」の訓練が足りていなかったのではないのか?
驚く対象は広範囲に及ぶが、それらは人間の初期から長期に渡って伸ばされるもので、自然且つ簡単に生じる心の習性であるが、自ら、あるいは他者によって様々な刺激を与えて訓練し育むものではないか。でなければ「驚き」を満たす能力は失せてしまうし、大人になってからこの性質を伸ばすのはもはや難しい。「遊び心」の中にも、「驚き」の要素は満載である。
我々は、「子どもは遊ぶのが仕事」という時代の申し子であるが、現代においては「子どもは勉強するのが仕事」ではないか。幸いにして、勉強にうるさくない親に恵まれた子どもは幸せであろう。いかにも勉強否定論者のような言い草に思えるが、自分は常々学問を重視しているから、小中高の勉強など屁にもならないと思っている。しかし、親は必死のようだ。
どれだけ「遊び」の中から、将来的なエキスが得られるか、それだけ「遊び」の中には様々な、計り知れない、あらゆる要素が充満している。アメリカの発達心理学者エリクソンは、「大人になったとき、何を遊びと感じられるかは、子ども時代の人間関係から大人のそれへ、そしてもちろん遊びから仕事へと、どう我々の観念が変わっていたかにかかっている」とした。
並外れた困難なことを成し遂げた人が、しばしばそれは「子どもの遊びのようなものだった」という。無意識なそういう言葉・気持ちは、暗黙のうちにその成就に対し、「遊び心」が関わっていたかを認識している。「遊びながら学ぶ」意外に果たしてどこから学びを得たのか、自分についても分らない。すべての根源は「遊び心」に起因しているからだ。
「自負心」、「依存心」、「憎悪心」、「虚栄心」などの言葉を"一人しりとり"するがごとく頭に浮かべようとする楽しさは、自分にどれだけこれらの言葉の知識があるかの挑戦であり、一つ一つの言葉が出るたびに実は感動もしている。「こういう語句があったのか」という感動である。見つけたというより、思い出した感動であろう。硬化した脳への「渇!」でもある。
総計22個書き出したが、ふと別の日に新たな語句が浮かぶ楽しみもある。して、「自負心」について、「依存心」についてなにやら書いてみよとの自動的な指令も刺激として楽しんでいる。何がでてくるのやら自分にも想像ができない道への興味、好奇心である。大したことを書こうとしなければ、人間は文字を駆使して何でも書ける。とにかく自分で楽しむことだ。
「遊び心」のない人が何かを行為させないのだろう。文章を書くのが好きだからでは?などと言われるが、いちばん好きな事は何もしないでいる時間。喋らない、書かない、動かない、に勝るものはないが、いちばん好きなことだけやって人間が生きて行けるものでもない。二番目に好きな事も、五番目に好きな事も、あまり好きではない事もやる必要がある。
「つたない文章を公にするのは恥ずかしい」、などと言う人がいる。つたない文ならあえて言う必要もなかろうというもの。口に出すことで自尊心が傷つかないよう一種のガードである。そんな自尊心などどうでもいいんだよ、下手な文を晒す羽目になるのは、下手だからであって、それでいいのではないか。何かにつけて注釈・前置きする人は自尊心が強い人。
それが邪魔をしてできない事もある。何も自尊心を捨てて身を晒せと言うのではなく、(行為)したくてもできない、何が原因か?といえばそういうことだ。本当にやりたいなら障害をとることだ。彼女に告白してみて、断られたらどうしよう、傷つく、だから言わないで黙っている。こういう自己過保護の原因も自尊心が邪魔をしている。捨てて強くなる物もある。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」の身とは、「考え」や「思い」の意味もある。自分考えや自の思いで起こってくる煩悩欲を捨てていけば、かえって道が開けてくる。虚栄心、自尊心、執着心、向上心、羞恥心の三つを使って長短文を作るなら、「虚栄心や自尊心への執着心を捨て、向上心をもって羞恥心を打破」と、上の文脈に照らして成る。
「遊び」は想像力や創造力も高める。想像力とはなにか?ジョン・レノンの『イマジン』に歌われる、実際には存在しないもの心象を形成する能力、あるいはかつて経験したことのないものの心象を創りだす能力である。子どもの「遊び」のほとんどは、一人遊びであれ仲間と一緒であれ、想像性に富んでいる。今一度、想像力とは、遊び…。「考える遊び」である。
創造性は、幼年期にとてつもなく発揮される。子どもはこの期間、幾多の経験を一つの"模様"の織り上げる。して、その"模様"が彼自身となる。自己形成の過程とは、環境に出会いそれに反応することで得られる様々な経験が活発な自己形成に関わって行く。子どもにとって人生の初期環境がいかに重要であるか。この大事な時に物を覚える訓練だけでいいのだろうか?
そのことが最も子どもへの憂慮である。①想像力、②読解力、③記憶力という人間の能力に順位をつけたものを見た。株主優待で有名になった将棋棋士の桐谷広人七段は、現役時代「コンピュータ桐谷」と言われたくらい、過去に指された様々な棋譜を暗記していた。将棋は想像力であるから、彼の暗記力はさすがに巧を奏さず、最下位クラスから昇段しなかった。
当時のコンピュータは覚えるだけのガラクタ機械で、現在のようなプロ高段者を負かす力はなく、「コンピュータ桐谷」は嘲笑言葉だった。ダ・ビンチの「モナリザ」をどれほど精密に描いても模写は模写で芸術評価はない。桐谷氏は棋士を辞め、新たな才能を株の世界で発揮した。また、彼の物腰の柔らかい雰囲気と言葉は、いじられキャラ的な人気を得たようだ。
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」は、桐谷氏に当てはまる語句かも知れない。彼の棋士での生涯成績は実働32年間で、327勝483敗・勝率0.403である。ちなみに羽生善治名人は実働29年(継続中)で、1298勝498敗・勝率0.723だから、数字的には雲泥の差。対局数をみても桐谷810局、羽生1796局と倍以上の差である。が、桐谷氏は新たな人生で彼を著名にした。
自分も、幼少期から青年期、中壮年期と好奇心旺盛で、それはかつてほどでもないが今も消えていない。幼児にとって世界は神秘であり、探索しなければならない未知の領域だ。探索は、満足を与えてくれる活動で、「好奇心」がもたらすものだろう。それらは活発な心と若々しい精神の変わらぬ徴として、いつまでも持ち続けていたい。