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「異性」と言う不思議 ⑥

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異性とは、一般的に男女・雌雄の性が異なること。男性から女性を、女性から男性を指していうが、性質が違う意味もある。幼児期、児童期に異性に強く惹かれることもない、求めることもないが、違いは認識する。初恋の時期が個々によって違うように、異性への興味はその人の好奇心の強さに比例するものかも。自分の初恋は小1であり、確かに好奇心の強い少年だった。

同時期に市内の地図をどこからか見つけて様々な場所にめぼしをつけ、近所の男女数人を従えて実際に地図どおりあるのかを出向いていったはいいが、それぞれの子どもたちが昼食時に帰って来ず、本来なら近所のどこかで遊んでいるはずなのにどこにもいない。親は心配して問い聞きしたり、探し回ったりした。子どもの行動範囲をはるかに超えたところに旅立って(?)いたのだ。

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自分的にはそれを冒険と称すが、親たちは行方不明としててんやわんやであったろう。ついてきた家来どもはどういう気持ちであったかは、言われるままに従ったにすぎず、一人で気を吐いているのは自分だけであった。「もう○○ちゃんと遊ばないように…」と言われた子も、「ついていかないように…」と言われた子もいたのが後の家来の告白で判明した。

子どもにとって地図は不思議なものだった。自分の知らない様々な名所・旧跡などが記されてあり、町全体を俯瞰することができ、オーバーにいうと王者の気分であった。それは学校で教科書と一緒に配布される「地図帳」を眺めても、今までの自分にはない視点で町が、市が、見たこともない県全体が、隣の県も含めて、あるいは日本全体が、世界が一望できるのだ。

これほどすごいものはなく、暇さえあれば地図帳を眺めていた。国や都市や湖や山や川や、世界のあらゆる未知が目に入る。昆虫の図鑑で知る様々な虫たちと同じように、世界の不思議を目にし、知ることはできないが想像する。夜になると瞬く星、自分たちの地球以外の惑星、太陽が空の星と同じ恒星であるなど、天体のこと、宇宙のことも知れば知るほど不思議は増した。

「好奇心」とは、物事を探求しようとする根源的な心。という意味らしいが、それ以前に「知りたい」という欲求であろう。とにかく何でも知りたい、知らなければ気がすまない自然や世界のアレコレである。知りたいから探究するのである。人間にはあるが、動物の「好奇心」の有無は解明されていない。が、高等動物研究の専門家は、「ある」と考えているようだ。

イメージ 2例えば、多くの哺乳類や鳥類をそれらの個体が過去に経験したことのない場所に身を置いてみると、まず周辺の状況を確かめる行動を執る。これを探索行動というが、これを一種の好奇心の発露と見ることは可能であろう。また、動物が自身の前に何か見たことのないものを目にすると、一般的には逃げるが、それが危険でないと判断すると、それを調べるために近寄ってくる。
ネコやイヌなどの小動物の行為としてよく目にする。イヌ小屋の中に蛙やカニを入れるとわかるが、カニに対しては、自分の体に接近するのをイヌは注意深く用心するが、武器を持たない蛙に関しては何ら動じない。なぜイヌは、カニのハサミを武器として認識し、用心するのか不明だが、イヌ小屋に大きなカニを入れると、ストレスを起こして食いちぎって振り回すのだ。

あきらかにカニに対する敵対行動である。好奇心はさまざまあるが、性的好奇心とは単に好奇心だけではなく性欲の発露である。ヒトが異性を認識する年齢は一般的に3~4歳と言われている。異性だけではなくオトナと自分(コドモ)の肉体的、生理的差異に気づき、意識するようになる。その年齢の子が母親のおっぱいに好奇心を持ったり、女児がお風呂で父親の陰茎に興味を持ったり…

子どもの好奇心に殉じておっぱいを触らせる母親は多いが、陰茎を触らせる父親は少ないのではないか?なんとなくそう思うのであって、理由はさまざまある。形状変化の説明に困るにも一因か?娘に触られて困る…というのもずいぶんと蒼い父親だな。これはちょっと判らないし聞いた事もないが、幼い男児におっぱい触られ、吸引されて、「はへはへ」という母親はいるのか?

聞いた事もないし、聞いて正直に答える母親も少ない気がする。このブログの書き手は絶大なる好奇心の持ち主のなので、この世で起こる現象、人間の摩訶不思議な行動や思考について、率直に素朴にためらうことなく書いている。公にはそぐわぬ書き込みもあるし、個人的な邪推も含めた類推もあるし、それはそれで分からぬことに対する態度であり、方法である。

「あまり勝手な想像をしないように」と指摘する人もいたが、想像は勝手にするものであり、誰の許可を得るものでない。バカげた指摘である。どのような想像でアレ、人間の脳の働き・仕事である、正義感ぶった言い方が好きな人はいる。特定のヒトを意図的に傷つけているならともかく、無視すべき存在であろう。お行儀のいいブログを目指しているわけでもない。

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お行儀の悪いブログを望んでいるわけでもない。自分の頭に浮かぶことを臆面なく書こうというだけの話で、他人の好みを考慮したり、視線を気にしたりで人間は言いたいことは言えない。自分以外はみな他人であるなら、自と他と思考が違うのが当たり前で、他人の思考を容認できないというのは傲慢である。もしくはノミのキャパの持ち主であろう。

確かに性的好奇心の類は、年齢を問わずにおこるし、個人差によってその形態はさまざまであり、また、社会的抑圧の程度によっても発現の仕方が異なるし、内に秘めるヒト、外に現す人もいたりと、それらを生育環境の違う人間が、自己を基準にアレコレいうのは自由であるが、批判の根元とするのはオカシなこと。そういったオカシなことに気づかず、批判者は多い。

性を語るのが悪いなら、フロイトは変態である。学者なら許されるという問題でもない。なぜなら学者のみが性衝動を持ち、性行為をするわけではあるまい。性を押入れの隅に押し込んで、「私はそういうハシタナイことはしてないんです」という顔をするのが得意なヒトはいるが、それもその人のしたい行為なら、「何をいい子ぶってやがるんだ」と思うのも自由。

が、口に出していわない方が正しいかも。「いい子ぶって」という言葉が存在する以上、「いい子ぶる」ヒトはいる訳だし、それがその人のスタンスなら、「いい子ぶらせて」あげるのが優しさというものだ。自分はそう尊重するが、その人とは上辺だけの話だけに終始する。「オレは上っ面に会話はできない、したくないんで」という年代もあったが、今は柔軟に応対する。

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ヒトはみな自分に合わせるべきというのが若さであったように、ひと年取って経験を積むと、自己主張を抑え、他人の腹をじっくり伺おうと、老人のズルさか消エネか?若さが純粋なら、老齢者を老獪という。老獪とは悪賢いという意味だが、若者=バカの対語であろう。若者は自身の回想を含めて明らかにバカである。が、そのバカさなくして何で若者であろう。

若者の仕事は、「自信を持つため」と言った。だから自己中心になるし、一歩控えて道を譲るよりはどんどん前にしゃしゃり出ることを肯定する。「損を承知でやる」のも若さである。そこは老獪という言葉は若者にあってはならない。最初のひとりに誰がなるか、それが若者の最大の問題だ。最後のひとりに誰がなるか、それが老人のもっとも素朴な興味であるように。

ブログにしろ公に書き物をする人に共通なのは、読む人を選ばない。ということは、勝手に、「与えられる立場」を作っていることになる。ということは別の見方をすると「もらう立場」を作っていることになる。そもそも自分の考えや意見を公言することが「与える立場」を作ることでもある。「沈黙は金」というように、黙っていれば波風は立たない。が、立つことを怖れない。

そういう事でもあろう。人はそれを自信と言う。ひとにアレコレ言われるのを嫌がる人はおもねた発言をする。それは自分にあった方法なら無理のない自然な行為である。が、それでも他人から何かをいわれて、怖気づいてブログを止める人もいる。何かを言われるのが怖いというのもその人の性格であり、「そんなんじゃダメだろう」というのは「自分は違うよ」という強者の論である。

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「自分勝手な能書き足れるな」と思うひとは、「人は謙虚でなければならない」という性格のひとだ。それがその人の価値基準である。それが言い場合もあれば、「いかにも日本人」という悪口にもなる。あいつは、「教え方が下手くそだ」と教師に文句をいう学生は、「自分は教えてもらうのが当然だ」と思ってる奴だ。自分が主体的に勉強しようとする奴は教師の教え方に文句等言わない。

教師など無用の長物と感じる有能学生もいる。以前、ある有名音楽大学の学生で、さまざまな音楽コンクールで入賞する彼は、「教官のいう事は全然聞かない。授業にも出てこないことが多い」と言われていた。教授の権威や政治力に頼らず、己の力を信じて研鑽する人間にとって指導者など邪魔でしかない。「自分はあなたのコピーにはなりたくない」と言った学生もいた。

それこそが若さであろう。教師と生徒という関係であれば与えられるのは当たり前か?大学の教授のホンネを聞いた事がある。休講して文句をいうのは怠け者学生であり、真面目な学生は言わないものだ。これを言い換えると、「教えなければ何もできない学生」ということだ。教えなければ何もできない人間が、いかにダメかを現す人生相談がある。これは現実にある相談だ。

「ボクは今心に思う異性がいます。できれば二人きりでデートをしたいです。でも、そうするためにはどうすればいいでしょうか?どうすれば二人のデートが叶うでしょうか?また、デートの時にはどういう話をしたらいいのでしょうか?別れ際にキスをしていいのでしょうか。それは口に出していいべきでしょうか。それとも不意にすべきでしょうか。教えてください。」

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こんな問いにまともに答えるとしたらどういう言葉なのだろう。困っているから相談するのだろうが、恋愛というは、スーパーで、「この型がいいかな」と自分に向いた品物を買ってくるような商品ではない。ここから出発して、こういう感じの流れで、最後はこうなる、こうすべき、というコース定められたパックの旅行ではない。人に答を聞こうというのがそもそもオカシイ。

こういう風な、与えられる弊害が人間から主体性を奪う。「与えられる」、「教えられる」は甘えの姿勢である。が、「与えすぎ」、「教えすぎ」の犯人がいるわけだ。そういう風に育った人間は、何かにつけて他力が主眼だから、上手く行かない場合に自分のせいにすることをしない。自分はただ与えられるだけなんだから、上手くいかないのは、上手く与えられなかった。

だから自分は悪くない。何かにつけて言い訳をする人間はどこの世界にもいるが、特にスポーツ選手で言い訳をするのは名選手にいない。なにかにつけてもすべての条件が揃うはずがないのである。そういう中から最大の力を出すべきで、言い訳というのは、まるですべての条件が揃わないから力が出せなかったみたいなものだ。自分を勇気づけ、常に叱咤するのは自分であるべき。

なぜなら、自分は常に自分の傍にいるからだ。人に勇気づけてもらおう、救ってもらおう、助けてもらおうという人間は、決して勇気づけられないし、助けられない。人間でなくて「神」ならどうかは自分には分らない。それでも、「天は自ら助く者を助く」という言葉がある。部外者だが、神は個々の溢れんばかりの人間を救わないし、信仰とはそういうものでない?

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他人に何かを委ねることで最大の問題は「不満」をいう事だ。「あれだけいってるのに何もしてくれなかった」、「無視された」、「してはくれたけど手抜きだった」、「親切で好意的だったけど、満足はしていない」などなど。どうあがいたって自分の人生である。他人に委ねて不満を言ったところで、どうなるというのか。求めるということは、座っていることではないんだよ。

いろんな女と付き合ったが、印象に残ってる女にこういうのがいた。「わたしは自分からは絶対に謝らない。」という。「相手が先に謝らなければ謝らないって、自分が悪いと思ってもか?」、「自分が悪くても相手が謝ってくれる人でなきゃ無理」という。「お前は意地を張ってるだけだな。素直になれば得られる幸せを、つまらない意地でみすみす失っている」

「別にいいの、私の生き方なんだから」。「一人で恋愛するわけじゃないだろ?お前の生き方=相手にも大きく関わるし、悪くもない相手に頭を下げさす女を望むなら、奴隷でも探せよ」。とまでいわれて、案の定夜叉のように怒る女。相手が悪くなくて、それでも相手に謝らせるという女は、そうであるなら、自分が悪くなくても自分が謝るというなら整合性がある。

正しい人間関係は、悪くない相手には謝らせない、悪いと思うなら自分が謝るだ。悪くない相手に謝らせ、悪い自分は謝らないで、どういう人間関係ができるのだろう?こんなバカな人間を、「わたしは意地っ張りだから」で済ませられることではないよ。正しいものの考え方をできない人間は、得てしてこういう風だ。それでも自分が悪いと言われたら、気づくどころかテリー比須。

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テリー伊藤という芸能人はいるが、テリー比須なる一般女性は多い。指摘された行為や事柄を理路整然と思考するのではなく、とにかく反感を抱くだけ。実のある反論ならまだしも、ハチャメチャいうからどうにもならない。先日は、こんな言葉に出くわして、一瞬、場での内容とあまりにかけ離れていたので、それがどこからか写し取ってきた文言であるのが分かった。

  一体ご自身をどの立場に置いて物を言ってるんでしょうか(・・?。
  尊敬を買う人徳と品格に満ち溢れた非の打ち所がないと勘違いされている(?_?)

ごく普通のやり取りの凡人同士、どの立場に自分を置くだと?アカデミーの議論じゃないただの会話だろ?「尊敬を買う」、「人徳と品格」、「満ち溢れた非の打ち所がない」。仰々しい取ってつけた文言を用意することがそぐわないが、幼稚・子どもと見下されたから、頑張ってどこぞの本から探してきたのだろうが、こんな物言いされたら唇もサブイ、耳もカユイ…

バカを自認する人は傷つかない。傷つく人の多くは背伸びが原因で、自尊心、自己愛がそうさせる。自分に不適格な事柄は拘った方が負け。相手が傷つけないよう配慮している時に、鉾を収めて去るのが聡明であり、それなら傷つかないで済む。論理思考ができないで罵詈雑言で勝てると思うのがマチガってる。他人の物指しを自身が素直に感じることだ。


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