ノーベル賞は、ダイナマイトの発明者として知られるアルフレッド・ノーベルの遺言に従い、1901年から始まった世界的な賞のこと。物理学、化学、医学生理学、文学、平和、経済学の6分野で顕著な功績を残した人物に贈られる。ダイナマイトをはじめとする様々な爆薬や兵器の開発・生産で巨万の富を築いたノーベルには、内外から批判の声も少なくなかった。
兄のリュドビックがカンヌにて死去した際、フランスのある新聞がアルフレッドが死去したと取り違え、「死の商人、死す」と報じた。自分の死亡記事を読む羽目になったノーベルは困惑し、自分の死後、どのように記憶されるかを考えるようになった。1896年12月10日に63歳でノーベルは死去するが、遺言は死の1年以上前の1895年11月27日にパリで作成されていた。
今から120年も前のことである。遺言には「私のすべての換金可能な財は、私の遺言執行者が安全な有価証券に投資し継続される基金を設立し、その毎年の利子について、前年に人類のために最大たる貢献をした人々に分配されるものとする」と記されてあった。彼がこの遺言のために残した金額は、彼の総資産の94%にあたる3100万スウェーデン・クローナに及んだ。
直近レートは、1スウェーデン・クローナ=約15.5円だから4億8000万円余り。周辺の人々はこの遺言に疑いを持ったため、1897年4月26日までこの遺言はノルウェー国会において承認されなかった。その後、彼の遺志を継ぐためにRagnar SohlmanとRudolf Lilljequistがノーベル財団設立委員会を結成し、賞設立の準備を行った。賞の名前は「ノーベル賞」とされた。
2014年度までに、864の個人と25の組織がノーベル賞を受賞しているが、女性の受賞者は44人(延べ人数)と全受賞者の5%足らずである。自然科学分野での女性のノーベル賞受賞者はのべ16人で、化学賞が4人、物理学賞が2人、生理学・医学賞が10人である。国別で見ると、フランスが4人、アメリカが8人、イスラエル、イタリア、イギリス、ドイツが各1人づつである。
我々が子ども時代、ノーベル賞といえば湯川秀樹博士とキューリ夫人が有名だった。ノーベル賞といっても、ノーベル賞飴くらいしか知らないガキのころだが、ニュートンやガリレイ、野口英世などの伝記と同じように湯川博士やキュリー夫人の伝記を読んだ。中間子理論や、ラジウムなどはチンプンカンプンだが、キュリー夫人は子どもに親しみやすい名であった。
キューリ、キューリとチャラけていた。一方の湯川博士は受賞当時は40歳そこそこなのに、ズルハゲの頭が可笑しかった。35歳離れている自分の父親は自分が10歳のときは45歳で、それでいて頭ふさふさ…。だから賢い人は頭を使いすぎてハゲるものだと信じていた。キュリー夫人の功績は夫であるピエールの力も大きく、当時の実験ノートは交互に記されていた。
そんな仲むつまじき夫婦だったが、1906年、マリーは最愛の夫を事故で失う。4月19日午後、土砂降りの雨の中、ピエールは道を横切ろうとして、軍服6トン分を載んだ馬車に轢かれて即死した。悲嘆に暮れるマリーにフランス政府は年金の申し出をするが、気丈なマリーは自分と子どもの食い扶持ぐらい自分でなんとかできるからと断り、夫の死後すぐ職場に復帰する。
当時マリーは38歳。未亡人として余生を生きるには早すぎる年齢だった。ほどなく傷心のマリーの目に止まったのが、夫の教え子だったポール・ランジュバン。ランジュバンは研究熱心で天才肌なところがピエールそっくり、しかも「立派な口ひげ」をたくわえたイケメンだったが、ランジュバンには妻子があった。そんなことは問題ない、要は性器があればと二人は燃えた。
それまで夫の頻繁なる浮気を黙認していたランジュバンの妻が、なぜかキュリー未亡人には怒りが爆発、嫉妬の亡者となる。二人が密会場所のアパートを借りたと知るや、そこに人を送り込み、ふたりが交わした親密な手紙を盗ませ、「別れなかったらふたりの関係をマスコミにバラす」と脅した。ノーベル賞受賞者のスキャンダルは、マスコミの格好のネタになる。
それでも関係が続いたのか、ランジュバン夫人の返報感情が収まらなかったかは定かではないが、夫人はマリーの2度目のノーベル賞受賞の3日前に二人の愛の手紙をマスコミにリーク、世論を味方につけて慰謝料と子どもの養育費の支払いを求めた。新聞は大騒ぎ。夫ピエールの弟子のフランス人男を妻子から奪った淫乱ドスケベ科学者と、マリーを書き立てた。
挙げ句マスコミは、不倫は夫ピエール存命中から始まっていたとデマを飛ばす。事実無根とはいえ、あまりのことにノーベル委員会は怖気をなし、スウェーデンで開かれる授賞式には出席を見合わせるよう通達を出す。不倫スキャンダル渦中の女性が、スウェーデン国王に会うなどとんでもないということだ。その時に擁護にまわったのが、アインシュタイン博士である。
アインシュタインはマリーにエールの手紙を送った。「こんなクズどもには言わせたいように言わせて無視を通すのが一番だ…。それでも野次馬が書くのをやめないなら、あんな戯言、もう読むのをやめればいいんだよ。どうせ毒蛇みたいな連中相手の作り話なんだから、読むのはそいつらに任せればいい。」が、この騒ぎのとばっちりを受けて、2度の決闘が行われた。
まずライバルの新聞2紙の編集長同士の決闘である。ランジュバン夫人の主張の信憑性をめぐって日刊紙「Gil Blas(ジル・ブラ)」のM・シャベツ編集長と、極右機関紙アクシオン・フランセーズの「Leon Daudet(レオン・ドーデ)」編集長の間で行われたもので、武器は剣。本番では「数度に渡る激しい鞘当て」で、トーデ編集長が負傷して和解となった。
もうひとつは渦中のランジュバンと、彼を「無法な臆病者」と叩いたグシュタヴ・テリー記者。名誉毀損とランジュバンが銃による果たし合いを申し出た。双方、威勢はよかったもののいざ本番になったら「フランス随一の逸材をこの手で殺すことはできない」とテリー記者が撃つのを拒み、ランジュバンも「俺に人殺しはできない」と銃を下ろして終わってしまう。
これが大々的に報じられたことで結果的に不倫騒動も終息。ランジュバンは夫人と法廷外で誤解を晴らして歩み寄り、後日ヨリを戻すも懲りないランジュバンは、その後も秘書との間に隠し子を設けている。マリーは委員会の勧告にもめげず、スウェーデンに飛んで2度目のノーベル賞を受賞した。スウェーデン国王とはディナーで同席したが、つつがなく会食を終えた。
人間の才能と下半身には何の関係もないが、実はそうではないという。英雄は色を好むし、才媛もまた色を好む。どちらが積極的かはともかくである。仕事の才能は直接「収入」に結びつくこともあるし、結びつかない相手でも、「刺激をくれる」、「一緒に夢を見させてくれる」などの理由、女にモテる男は多い。「色男、金と力はない」というが、母性との関連か?
何らかの「才能がある」男性や、いわゆる「色男」は古今東西女性にモテるものだ。「英雄」と言われる、歴史の武将やヒーローたち、現代のハリウッドスターやスポーツ選手など、多くの「デキる」男たちの多くが沢山の浮き名を流している。積極果敢に誘惑する女もいれば、英雄がちょっかいを出しても収穫率は高い。じっと待つ女にも千載一遇のチャンスとなる。
男が男らしくあるために必須の性ホルモンが「テストステロン」で、男性的な肉体を作り、攻撃的な性衝動を引き起こす。ペンシルバニア大学のアラン・ブース教授は、4000人以上の既婚男性を対象に、テストステロン値について下記の実験を行った。まずサンプル男性のテストステロン値を測り、その後、内密に結婚生活の実態を調査したところ、下記の相関関係が判明した。
◎テストステロン値の高い男性には…
・ 浮気の過去がたくさんあった
・ 家をあける(出て行く)傾向が高い
・ 離婚率が高い
・ 会社などから仕事を評価され、出世が早い
・ 社会的に成功しやすい
・ 闘争本能が強い
・ 浮気の過去がたくさんあった
・ 家をあける(出て行く)傾向が高い
・ 離婚率が高い
・ 会社などから仕事を評価され、出世が早い
・ 社会的に成功しやすい
・ 闘争本能が強い
「英雄色を好む」、つまり「デキる男は、浮気しやすい」という事実は、ホルモンの値が証明している。女性の好む漫画やドラマなどには、「デキる男でありながら、女性に一途」なんて素敵な男たちがたくさん登場し、多くの婦女子たちをトキめかせてくれているが、傍で眺めている分には夢と同様、現実感はない。実生活では苦労が耐えないということだろう。
キュリー夫人がキューリが好きであったと、伝記には書いてなかったが、子どもが知ってどうなるものでもない。キュリーの業績を知った後にそれら純然たる事実から、「清濁併せ呑む」キャパを身につければいい。彼女が初のノーベル賞受賞後から111年後、突如日本に「キュリー夫人の再来か!?」という女性が現れた。その業績は文句なしのノーベル賞級だった。
キュリーはベクレルが発見した「ウランから出るX線に似た謎の光線」を研究対象にした。決して「ラジウムはありま~す」などの戯言を発することもなく、信念一途から11トンもの鉱石を乳鉢で手作業ですり潰すという地道な研究を続けた結果、ついに純粋なラジウムの精製に成功したマリーは、ラジウムの発する青い光を「妖精のような光」と呼んだという。
小保方氏は、緑色に光る細胞をどう感じたんだ?「遂にインチキが成功した!」とでも…?おさらいとしてSTAP細胞を超簡単に言うと、①体細胞が、②刺激(酸に漬けるなど)を受けることで、③万能性を獲得した細胞のこと。身体にもともと万能細胞があったわけではなく、いったん分化し終えた細胞が刺激を受けて初期化され万能細胞になった、という意味。
「研究」は「探究」であり、「探究」を実践的行動に移したもの。つまり、「探究心」は大事でも、それを行動によって具現化しなければ成果も説得もない。よって「STAP細胞はありま~す」などというのは、研究者の言葉ではないし、彼女の幼児性を示している。真っ当な科学者ならあんな言葉は言わない。小保方はキュリーというより、「キュアー(cure)」が必要だ。
女性特有の情緒に支配された人だ。人間にとって問題を解く器官は脳であって、それゆえに絶え間ない訓練を要する。その訓練とは問題を一つ一つ解決していくこと。考えると言う事はつきつめていえば、問題を解決していく過程である。問題は、確実に考えることによって解決される。不確実に考えれば不確実な回答が示される。実は子どもは考えることが好き。
それを奪ったのが昨今の学習塾という合理的な学習体系である。学習の基本は考えることだが、そういう時間が省かれるくらいに大量の知識を必要とする。特に有名進学校受験に際して塾の役割は、短時間に如何に多くのことを覚えるかを使命とする。本来、考えると言う事は時間を要することだ。例えば、探索と探究という言葉の意味の違いを考える場合…。
最も簡単で、楽で、効率がいいのは辞書で意味を調べる。考えなくても1秒で正解を出せる。実社会ではその語句の正確な意味を知らなくても、適宜に語句を使用するから何ら問題はないが、自分の思考パターンはこうだ。「探索」、「探究」が使われている用語や文章を想像する。例えば、「遭難者の探索が始まった」というが、「遭難者の探究が始まった」と言わない。
それだけで「探索」と「探究」の意味の違いがわかる。「日本の古墳について探究する」を「探索」にすれば、単に場所を探すというだけになる。「探索」とはそういうことだ。探索する=exploreは、"捜し出す"というラテン語 "explorare"からきている。その語句は、「外」を意味する接頭語 "ex"と、"絶叫する、泣き叫ぶ"意味の、"plorare"からなる。
語源を紐解くと、新生児のあげる産声の意味をが理解されて言葉になった。パソコンのデスクトップにある「e」のアイコンは、「Internet Explorer」の略で、文字通り「探索・検索」すること。「探索」と「探究」の違いが単に言葉の意味だけでなく本質的な理解ができると、今度は「遭難者の探索」と「遭難者の捜索」はどう違うのだ?必然的に疑問が広がる。
これは「探す」と「捜す」の意味の違いから来た語句で、「探査」と「捜査」とも使われる。「火星の探査衛星が打ち上げられた」というが、「捜査衛星」と言わない。「殺人犯を捜査する」というが、「殺人犯の探査」といわない。このように、語句の正確な意味を知るのが100点を取る勉強で、そんな辞書で覚えるだけで済む事を"くだらん"といつも言っている。
正確な意味を知る勉強より、その過程の中で頭を働かせることに意義があり、価値がある。結果ばかりに固執し、合理的に何かを得ることにはあまり意味がないということだし、そういう受験体制で東大に入る日本の受験システムは、バカを作っているような気がする。合理的で即物主義の弊害は、今後欧米諸国との差に大きな開きが出るとの危惧がある。
如何にたくさんのものを覚えるかによって競われた受験戦争から、心の「探究心」が育まれるとは到底思えない。そうはいっても、現状がそうなのだからという付和雷同性を信奉する親に異論がないのは、日本人が本質よりも形式を重視する民族であるからだ。自由闊達に飛び跳ねている子どもたちが何より美しく見えるなら、そういう子は自分で幸せを見つけるよ。
その子たちの物質的幸せを親が保障する代わりに、子どもの時代を奪ったことと、どちらの善悪と言うのは、親の選択遺憾の問題と思っている。ただし、勉強漬けにされた子どもは、どこか変と感じるものはある。何が変と言うではなく、「どこか変…」と感じるだけ。大人になると「変」は具体化して分りやすい。今はバカなのに過去の栄光に寄り添うところか…。